女性としての自分に、なぜか自信が持てない〜その感覚の“根っこ”をたどってみる〜

自信を持てず悩む女性の横顔 恋愛・夫婦関係
女性らしさにとらわれすぎず、自分自身をやさしく見つめ直す時間

仕事では、それなりに評価されている。

人間関係も、なんとかやれている。

自分で考えて、決めて、必要なことをこなしてきた。

けれども、ふと「女性としての自分はどうか」と聞かれると、なぜか自信が持てない。

おしゃれをしてみても、恋愛の場に出てみても、

「何かが足りない気がする」

というモヤモヤが残ってしまう。

しかも、何が足りないのかは、自分でもよくわかりません。

「何が問題なの?」

と聞かれても、

「うーん、なんとなく……」

としか答えられない。

この理由のわからない自信のなさには、これまで女性としてどのように見られ、どのように扱われてきたかが関係していることがあります。

今回は、「女性としての自信は、どこから生まれ、なぜ揺らいでしまうのか」という問いを、その根っこから見ていきます。

なぜか「女性として」となると、自信がなくなる

「仕事のプレゼンなら任せて。でも、デートの服を選ぶとなると、急に自信がなくなる」

「普段は自分の意見を言えるのに、好きな男性の前では、どう振る舞えばいいのかわからなくなる」

「自分らしくしていたいのに、“もっと女性らしくした方がいいのかな”という声が頭の中に出てくる」

そんな感覚はありませんか。

頭では、

「私はこれでいい」

と思っていても、鏡の前に立つと、

「本当にこれでいいのかな」

と迷ってしまう。

男性から好意を向けられると、うれしいよりも先に、

「もっと魅力的な女性だと思われなければ」

と緊張してしまうこともあります。

こうした反応は、自分の女性らしさや魅力を、誰かから評価されるものとして見ているときに起こりやすくなります。

「私はどうしたいか」より、

「女性として、どう見られているか」

が気になってしまうのです。

その背景には、これまで見聞きしてきた女性像や、身近な人との関係の中で身についた思い込みがあるのかもしれません。

自信のなさの裏にある「女性はこうあるべき」

女性としての自信が持てないとき、自分の中にある「女性はこういうもの」という前提が影響していることがあります。

たとえば、

  • 女性は、かわいげがあった方がいい
  • やさしくて気が利き、いつも機嫌よくいる方がいい
  • 自立していても、男性から守りたくなる雰囲気が必要
  • 年齢を重ねても、若く見えなければならない
  • 女性らしい服装やメイクができて当然
  • 男性より前に出すぎない方が愛される

どれも、どこかで見聞きした「正解らしき女性像」です。

けれども、その女性像が自分の感覚と合っていないと、

「私は女性として何かが足りない」

という思いが生まれます。

仕事では、判断力や行動力を評価されてきた。

自分の意見を持ち、必要なときには前に出てきた。

それなのに恋愛では、

「もっと控えめな方がいいのでは」

「頼りないところを見せた方がいいのでは」

と考え始める。

すると、これまで培ってきた自分と、愛されるために必要だと思っている女性像がぶつかります。

どちらの自分でいたらよいのかわからなくなり、「女性としての自信がない」という感覚につながっていくのです。

「誰かの女性像に合わない」だけでは説明できないこともある

女性としての自信のなさは、社会がつくった女性像に自分が合わないことだけで起こるわけではありません。

これまで、女性である自分がどのように扱われてきたかも影響します。

姉妹や友人と容姿を比べられた。

かわいい子だけが大切にされているように感じた。

女性らしくすると、からかわれたり、軽く扱われたりした。

恋愛で選ばれなかった経験が残っている。

女性として注目されたことで、怖い思いや嫌な思いをした。

「女のくせに」と能力を否定された。

こうした経験が重なると、女性であることが、安心や喜びよりも、評価、比較、緊張と結びつくことがあります。

きれいにしても、誰かと比べられそう。

好意を向けられても、本当の自分を見ているのかわからない。

女性らしさを出したら、能力まで低く見られそう。

そのため、女性として見られたい気持ちと、見られることを避けたい気持ちが同時に出てくるのです。

自信が持てないというより、女性としての自分を安心して表に出せる感覚が育ちにくかったのかもしれません。

母親から受け取った女性像

自分の女性としてのイメージには、母親や身近な女性たちの影響もあります。

母親が自分の容姿や年齢をいつも否定していた。

女性は家族のために我慢するものだと考えていた。

夫や周囲の男性に対して、言いたいことを言えずにいた。

反対に、女性らしさや見た目をとても重視していた。

そんな母親を見ながら育つと、女性であることに対するさまざまなイメージを受け取ります。

「女性でいると、我慢が増える」

「きれいでなければ価値がない」

「男性に愛されなければ幸せになれない」

「自分の意見を言う女性は、かわいげがない」

直接そう教えられていなくても、母親の生き方や言葉から感じ取ることがあります。

また、母親が娘を女性として競争相手のように扱った場合には、きれいになることや男性から愛されることに罪悪感を持つこともあります。

母親を超えてはいけない。

自分だけ幸せになってはいけない。

女性として魅力を持つと、誰かを傷つける。

そんな感覚が残っていると、自分の魅力を認めることにも抵抗が出てきます。

父親からどう見られたかも、女性としての自己イメージに影響する

女性としての自信を考えるとき、父親との関係も大切です。

子どもの頃、父親からどのように見られていたか。

女の子として、どのように扱われていたか。

父親の前で、自分はどのような娘でいようとしたのか。

そうした経験は、男性から見た自分の価値や、女性としての自己イメージに影響することがあります。

父親にもっと見てほしかった。

褒めてほしかった。

特別に大切にしてほしかった。

頑張っていることを認めてほしかった。

一人の人間として意見を聞いてほしかった。

そんな思いが残っている人もいるでしょう。

父親から愛情を受けていなかったとは限りません。

父親なりに大切にし、守ろうとしてくれていたかもしれません。

ただ、父親が差し出した愛情と、娘が欲しかった愛情の形が違うことはあります。

守ろうとしてくれたけれど、本当は能力を信じてほしかった。

かわいがってくれたけれど、本当は話をじっくり聞いてほしかった。

生活を支えてくれたけれど、本当は感情をわかってほしかった。

愛されていたとしても、

「私が欲しかった形では届かなかった」

という心残りが生まれることがあるのです。

心理学では、父親に愛されたい、認められたいという思いや、父親との関係が恋愛や女性としての自己イメージに影響する心の動きを、エレクトラコンプレックスという視点から考えることがあります。

父親から愛された確信を持ちにくかった人は、大人になってからも、

「男性から愛されるには、もっと魅力的にならなければ」

「女性として何かが足りないから、選ばれないのでは」

と思いやすくなることがあります。

反対に、父親から強く愛された感覚がある人も、父親のように自分を見てくれる男性を求め、現実の男性に物足りなさを感じることがあります。

父親との関係は、愛されたか、愛されなかったかだけでは語れません。

どのような愛情を受け取り、何がまだ心に残っているのか。その違いが、現在の恋愛にも表れることがあります。

※エレクトラコンプレックスについては、こちらの記事でも詳しく扱っています。
【父に愛された娘、愛されなかった娘——恋愛に現れる“エレクトラ”の物語】

「頑張っている私」でいなければ、愛されない気がする

女性としての自信が持てない人は、何もしない自分が愛されることよりも、相手にとって価値のある自分でいることで関係を保とうとすることがあります。

気が利く私。

相手を支えられる私。

仕事も家事もきちんとできる私。

感情的にならず、相手を困らせない私。

身なりにも気を配り、いつも機嫌よくいる私。

そんな自分でいれば、好かれるかもしれない。

必要としてもらえるかもしれない。

けれども、頑張った自分が愛されても、安心できません。

「この私をやめたら、気持ちが離れるのではないか」

という不安が残るからです。

疲れて何もできない日。

相手に気を遣えない日。

不安になり、面倒なことを言いたくなる日。

年齢を重ね、以前と同じようには見えなくなる日。

そんな自分を見せたら、愛されなくなる気がする。

そのため、誰かに好かれても、

「本当の私を知ったら、がっかりするかもしれない」

と疑ってしまいます。

女性としての自信がないというより、頑張らない自分が愛されることを信じにくいのかもしれません。

本当は、頑張らなくても愛されたかった

「もっと魅力的になりたい」

「女性として自信を持ちたい」

そう思う気持ちの奥には、

「頑張らなくても愛されたかった」

という願いが隠れていることがあります。

役に立たなくても。

いつもきれいでいられなくても。

気が利かない日があっても。

不安になったり、迷ったりしても。

それでも大切にされたい。

自分を選んでほしい。

その願いは、誰かにすべてを満たしてもらいたいということではありません。

何かができるから価値があるのではなく、存在そのものを大切に扱ってほしいという思いです。

けれども、これまで頑張ることで認められてきた人ほど、その願いを持つこと自体に抵抗が出ます。

「そんなのは甘えではないか」

「何もせずに愛されたいなんて、都合がよすぎる」

と、自分で打ち消してしまうのです。

その結果、さらに頑張り、「これだけやっている私なら愛されるはず」と思おうとします。

しかし、頑張りによって得た自信は、頑張れなくなったときに揺らぎます。

だからこそ、女性としての自信を考えるときには、魅力を増やすことだけでなく、

「何も証明していない私を、私はどのように扱っているだろう」

と見ていく必要があります。

自信よりも、自分への信頼を育てていく

「自信がほしい」と思うと、

もっときれいにならなければ。

もっと愛される女性にならなければ。

もっと魅力を身につけなければ。

と、足りないものを探し始めます。

けれども、女性としての自信は、何かを足し続ければ完成するものではありません。

外見を整えたり、自分に似合うものを選んだりすることは、自分を大切にする一つの方法です。

ただ、それが、

「こうしなければ女性として認められない」

という焦りから行われると、どれだけ整えても安心できません。

大切なのは、自信満々な自分をつくることより、自分への信頼を育てることです。

自分への信頼とは、いつでも迷わず、堂々としていられることではありません。

誰かに選ばれなかったときに、自分の女性としての価値まで失ったことにしないこと。

うまく振る舞えなかったときにも、自分を恥ずかしい存在として扱わないこと。

年齢や見た目が変化しても、自分の魅力がすべてなくなったことにしないこと。

傷ついたり、不安になったりしても、自分を見捨てずにいられることです。

誰かから魅力的だと思われる日もあれば、そうではない日もあります。

恋愛がうまくいくことも、思うようにいかないこともあります。

そのたびに自分の価値まで上下させていたら、心は休まりません。

「私は何を感じているのか」

「私はどのように扱われたいのか」

「私は何を心地よいと思うのか」

そうした自分の感覚を置き去りにせず、自分の選択を尊重していく。

その積み重ねが、自分への信頼になっていきます。

女性としての自信は、誰かに採点されて決まるものではない

女性としての自信が持てないとき、私たちは自分を誰かの目で採点しようとします。

若く見えるか。

きれいに見えるか。

かわいげがあるか。

男性から選ばれるか。

女性らしく振る舞えているか。

けれども、採点する人が変われば、評価も変わります。

ある人には強すぎると言われ、別の人には頼もしいと言われる。

ある人には地味だと言われ、別の人には落ち着いていて魅力的だと言われる。

他人の評価だけを基準にしている限り、自信は安定しません。

女性としての自信とは、いつも自分を魅力的だと思えることではないのだと思います。

自信が揺らぐ日にも、

「それでも、女性である自分を否定しなくていい」

と思えること。

自分の中にある強さも、やわらかさも、迷いも、年齢による変化も含めて、自分の一部として扱えること。

そこから、他人に評価されるためだけではない、自分なりの女性らしさが見えてきます。

カウンセリングでは、女性として見られるときに何を怖いと感じるのか、母親や父親との関係の中でどのような女性像を受け取ってきたのかを整理していきます。

「女性として何かが足りない」という感覚の奥に、誰にどのように愛されたかったのか、何を認めてほしかったのかが見えてくることがあります。

自分に足りないものを増やすことだけが、自信につながるわけではありません。

これまで否定してきた自分を、自分の中へ迎え入れていくこと。

その積み重ねが、他人の評価だけに左右されない、自分への信頼を育てていくのだと思います。

女性性の記事をまとめて読みたい方へ

タイトルとURLをコピーしました