「守ってくれる人がほしい」の裏側にあるもの〜“安心させてくれる誰か”を求めた理由〜

安心できる自分を育てる女性 恋愛・夫婦関係
“安心できる誰か”を求める気持ちの奥にあるもの

仕事も生活も、自分で何とかしてきた。

困ったことが起きれば、必要なことを調べる。

誰かが動かなければ、自分が動く。

つらいときも、翌朝になれば仕事へ行く。

周囲からは、

「一人でもやっていけそう」

「しっかりしているから、心配いらないよね」

と思われている。

けれど、恋愛では、

「私より頼れる人がいい」

「いざというときに守ってくれる人がほしい」

と強く思うことがあります。

ただ、やさしいだけの人では物足りない。

話を聞いてくれても、決断力がないと頼りなく見える。

仕事の愚痴を聞いた途端、

「この人まで私が支えなければならないの?」

と気持ちが冷める。

頼れる人がほしい。

でも、相手へ任せるのは怖い。

「僕がやっておくよ」と言われても、本当にできるのか気になって、途中で何度も確認する。

最後には自分でやり直し、

「やっぱり人には任せられない」

と思う。

「誰かに守ってほしい」という気持ちと、「結局は自分でやるしかない」という気持ちの間で、何年も綱引きをしている女性は少なくありません。

頼れる人がほしい。でも、誰でもよいわけではない

守ってくれる人がほしいといっても、ただ何でも代わりにやってほしいわけではありません。

仕事を辞めて、誰かに生活を任せたいわけでもない。

自分で考える力を失いたいわけでもありません。

本当に欲しいのは、

困ったときに逃げない人。

感情的になって話を終わらせない人。

自分が疲れているときに、状況を見て動いてくれる人。

「一人で何とかしなくていい」と思わせてくれる人。

そのような相手ではないでしょうか。

ところが、長く一人で頑張ってきた人ほど、その条件が高くなることがあります。

仕事ができる。

経済的にも安定している。

決断が早い。

どんな問題が起きても動じない。

感情的にならない。

こちらの気持ちも理解する。

必要なときには先回りして動く。

家事もできて、話し合いにも参加する。

ここまでそろうと、恋人というより、かなり優秀な総合対策本部です。

それでも本人にとっては、ぜいたくな条件を並べているつもりはありません。

「頼るなら、これくらいの人でなければ無理」

という感覚なのです。

やさしいだけでは、なぜ頼りなく見えるのか

話をよく聞いてくれる。

こちらの考えを尊重してくれる。

強引に決めず、相談しながら進めようとしてくれる。

そのような男性に出会っても、

「いい人だけれど、頼りない」

と感じることがあります。

反対に、

迷わず物事を決める。

仕事で結果を出している。

人へ指示を出すことに慣れている。

自信があるように見える。

そんな男性には、強く惹かれる。

この違いは、単なる好みの場合もあります。

ただ、相手のやさしさや迷いを見た瞬間に、

「この人と一緒になったら、また私が全部やることになる」

と感じるなら、現在の相手だけを見ているとは限りません。

これまで自分が背負ってきた生活や、頼りたかったのに頼れなかった人の姿が、重なっている場合があります。

相手が一度迷っただけでも、

「この人は責任を取れない」

と感じる。

仕事の愚痴を言っただけでも、

「私が支える側になる」

と考える。

体調を崩しただけでも、

「いざというときに役に立たない」

と思う。

本当は、相手にも迷う日や落ち込む日があると理解しています。

それでも、その姿を見ると強い不安が出てくるのです。

相手の弱った姿を見ると、自分が背負う未来を想像してしまう

これまで家族や恋人の問題を引き受けてきた女性は、相手の弱った姿に敏感です。

相手が落ち込んでいる。

仕事で失敗した。

将来について迷っている。

そんな様子を見たとき、

「つらいんだな」

と思う前に、

「これから私が何とかしなければならない」

と感じることがあります。

本人は、頼まれてもいないのに、すでに相手を立て直す方法を考え始めます。

仕事の探し方。

生活費の見直し。

励ます言葉。

これから起こりそうな問題。

気づけば、恋人ではなく担当者のようになっている。

そして疲れたあとで、

「どうして私ばかり支えなければならないの?」

と腹が立ちます。

相手が実際に責任を押しつけていることもあるでしょう。

一方で、相手が自分で考える前に、こちらが全部引き受けていることもあります。

人へ頼りたいのに、相手が考える時間を待てない。

任せたいのに、途中で口を出す。

相手が失敗する可能性があるなら、自分がやった方が早いと思う。

その結果、相手は動く機会を失い、こちらはますます、

「この人は頼りにならない」

と感じます。

「守ってほしい」と「任せられない」が同居する

誰かに守ってほしいと思いながら、人へ任せることができない。

一見、矛盾しているように見えます。

けれども、過去に頼ったことで傷ついた人にとっては、自然につながる反応です。

助けてほしいと伝えたのに、聞いてもらえなかった。

相談したら、相手の方が混乱してしまった。

任せた結果、問題がさらに大きくなった。

頼ったあとで、恩を着せられた。

守ると言った人から、行動を制限された。

そのような経験があると、

「人に任せるのは危険」

という感覚が残ることがあります。

ただ、一人ですべてを背負い続けるのも苦しい。

だから、

「絶対に失敗しない人なら任せられる」

「私より圧倒的に強い人なら頼れる」

という条件が必要になります。

頼る相手へ求めるものが多いのは、理想が高いからだけではありません。

もう二度と、頼ったことで困りたくないのです。

子どもの頃、困ったときに大人は責任を取ってくれただろうか

「守られる」という感覚は、父親との関係だけで決まるものではありません。

母親、祖父母、きょうだい、親戚、先生など、身近な大人との関わりも影響します。

大切なのは、子どもの頃に困ったことが起きたとき、大人が責任を取ってくれたかどうかです。

親が不安定で、自分が家族の様子を見ていた。

両親が争うたび、間に入っていた。

母親の悩みを聞く役になっていた。

父親が家庭の問題から離れていた。

経済的な不安があり、子どもの自分も先のことを心配していた。

相談すると、

「あなたがしっかりしなさい」

と言われた。

助けを求めても、

「そのくらい自分で考えて」

と返された。

こうした環境では、子どもが自分の不安を感じている余裕がありません。

大人が崩れたら、生活そのものが不安定になる。

だから自分がしっかりする。

泣くより、考える。

助けを求めるより、必要なことをする。

それが、そのときの自分を守る方法だったのでしょう。

本当は誰に、何をしてほしかったのか

「守ってほしかった」と言うと、大げさに感じる人もいます。

暴力や深刻な問題があったわけではない。

学校にも行かせてもらった。

食事も用意されていた。

親にも事情があった。

そう考えて、自分の気持ちを引っ込める人もいます。

けれど、守ってほしかったことは、特別な出来事とは限りません。

困ったときに、話を聞いてほしかった。

「あなたが考えなくていい」と言ってほしかった。

失敗しても、一緒に方法を考えてほしかった。

大人同士の問題に巻き込まないでほしかった。

自分の心配を、自分より先に気づいてほしかった。

一度くらい、すべてを任せて休んでみたかった。

そうした願いがかなわなかったとき、

「誰も助けてくれない」

と感じたかもしれません。

その一方で、

「なぜ私がしっかりしなければならないの?」

という怒りが残っている場合もあります。

困っているのに気づいてもらえなかった悲しさ。

頼った相手が崩れてしまった怖さ。

子どものままでいられなかった寂しさ。

自分ばかりが頑張らなければならなかった悔しさ。

当時は、そのような感情を出すことができなかったのかもしれません。

怒ったら、家族がさらに不安定になる。

悲しんでも、受け止めてくれる人がいない。

助けてほしいと思うほど、助けてもらえなかったときにつらくなる。

だから感情を止めて、できることをする方を選んだ。

その経験が、大人になってからの相手選びへ影響することがあります。

守られなかった悲しさが、強い男性への憧れになることがある

自分が頼りたかった人は、頼れなかった。

自分が困っていたとき、誰も状況を変えてくれなかった。

その経験があると、大人になってから、

「今度こそ、何があっても守ってくれる人を」

と願うことがあります。

仕事ができる。

社会的な立場がある。

経済力がある。

感情をあまり見せない。

迷わず決断する。

そうした男性を見ると、

「この人なら、私が何も考えられなくなっても何とかしてくれる」

と感じます。

ところが、強く見える人が、人の気持ちを尊重できる人とは限りません。

決断が早い人が、こちらの意見を聞くとは限らない。

感情を見せない人が、落ち着いているとは限らない。

経済力がある人が、生活の責任を分け合えるとは限らない。

「守ってくれる人」を探していたはずが、こちらの行動を決める人や、話を聞かずに進める人を選んでしまうこともあります。

それでも離れにくいのは、

「このくらい強い人でなければ、私を支えられない」

という気持ちがあるからかもしれません。

守ることと、支配することは違う

守ると言いながら、服装や交友関係を制限する。

心配だからと言って、行動を監視する。

自分の判断に従うよう求める。

こちらが離れようとすると、不安や罪悪感を刺激する。

これは、相手を守る関わりとは言えません。

また、困ったときだけ頼りになる一方で、普段はこちらの考えを尊重しない人もいます。

問題を解決する力と、対等に関わる力は別です。

本当に頼れる相手かどうかは、

強く見えるか。

社会的に成功しているか。

何でも決めてくれるか。

それだけでは判断できません。

約束を守る。

間違ったときは認める。

こちらが嫌だと言ったことを尊重する。

自分の問題を自分で引き受ける。

話し合いから逃げない。

必要なときには助けを求める。

そうしたことも、支え合える関係には必要です。

完璧な人を探すほど、現実の関係が始まらなくなる

誰にでも、迷うことや失敗することがあります。

体調を崩す日もあれば、仕事で自信を失う時期もあります。

それを頭ではわかっていても、相手の揺れを見た瞬間、

「この人では私を守れない」

と判断してしまうことがあります。

すると、現実に出会う人は、すべて何かが足りなく見えます。

やさしい人は、決断力が足りない。

仕事ができる人は、共感力が足りない。

気持ちを話せる人は、強さが足りない。

強い人は、こちらの話を聞かない。

こうして、まだ出会っていない完璧な人だけが、安心できる相手として残ります。

理想の人を探している間は、現実の相手へ頼らずに済みます。

期待して失望することもありません。

誰かへ任せて、うまくいかなかったときの怖さも避けられます。

完璧な人を求めることには、関係を始めないことで自分を守る意味がある場合もあります。

欲しかったのは、すべてを背負う人だったのだろうか

本当に望んでいるのは、どんなときも一人で問題を解決してくれる人でしょうか。

それとも、

困っていることに気づいてくれる人。

「どうしたい?」と聞いてくれる人。

自分の意見を持ちながら、こちらの話も聞く人。

できないときには、できないと伝える人。

一緒に方法を考えられる人。

必要な場面で、自分の分を引き受ける人。

そのような相手でしょうか。

「守ってほしい」という言葉の中には、

全部やってほしい。

絶対に失敗しないでほしい。

何も言わなくても理解してほしい。

という願いが含まれることがあります。

けれど、その奥にあるものを見ていくと、

「もう一人で考え続けたくない」

「困ったときに、隣にいてほしい」

「私のことも気にかけてほしい」

という、もう少し現実的な願いが見えてくることがあります。

「守ってくれる人」から「一緒に支え合える人」へ

一人で生きていく力を持つことと、人に頼ることは両立します。

自分で判断できても、迷いを話すことはできます。

生活を支えられても、疲れたときに助けを求めることはできます。

相手に頼ることと、自分の人生を預けることも同じではありません。

それでも、実際に誰かへ任せようとすると強い不安が出る。

相手の迷いや落ち込みを見ると、過去と同じように自分が背負う気がする。

その場合は、「相手にも弱いところがあって当然」と考えるだけでは、反応が変わりにくいことがあります。

カウンセリングでは、相手のどのような言動を見たときに「頼れない」と感じるのか、その瞬間にどのような未来を想像しているのかを整理していきます。

過去に誰へ頼り、何が起きたのか。

誰かが崩れたとき、自分はどのような役を引き受けたのか。

本当は誰に、何をしてほしかったのか。

当時出せなかった怒りや悲しさ、怖さが残っていないか。

そこを見ていくことで、

「誰も頼れない」

「頼るなら完璧な人でなければならない」

という理解を、現在の視点から考え直せることがあります。

自分で持つ部分。

相手へ委ねる部分。

一緒に考えたい部分。

相手にも引き受けてもらいたい責任。

それらを分けられるようになると、相手へすべてを任せるか、全部自分でやるかという二択から離れやすくなります。

「何があっても私を守ってくれる人」より、

「二人の問題として、一緒に考えてくれる人」

を選べるようになることもあります。

守ってほしいと思ってきた自分を責める必要はありません。

その気持ちが出るほど、一人で引き受けてきたことがあったのでしょう。

ただ、これからも一人で頑張り続けるのか。

完璧な人が現れるまで、誰にも頼らずにいるのか。

不完全な二人で、話し合いながら支え合う関係を選ぶのか。

今の自分に合う答えを、考えていくことができます。

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