「疲れていない?」
そう聞かれても、すぐには答えられない。
仕事はまだ残っているし、夕飯も作らなければならない。明日の予定も確認しておきたい。
だから、
「まだ平気」
と答える。
職場で嫌なことを言われても、その場では普通に対応する。
帰宅してからも家事を済ませ、お風呂に入って、布団へ入った頃になって、ようやく腹が立ってくる。
夫の言葉に傷ついたはずなのに、
「今日は忙しかったんだろうな」
「悪気はなかったと思う」
と、相手の事情を先に考える。
悲しいのか、腹が立っているのか、疲れているのか。
自分でもよくわからない。
けれど、やるべきことはわかる。
そんなふうに、気持ちを確認する前に考え、動き、物事を片づけてきた人は少なくありません。
「もっと感じて」と言われても、何を感じればいいのかわからない
「自分の気持ちを大切にしましょう」
「もっと感じることを許してみて」
「受け取ることも大切です」
心理学や女性性についての話では、このような言葉がよく出てきます。
言っていることは、なんとなくわかる。
けれど、行動することで日々を回してきた人にとっては、
「感じている間に、誰が仕事をするの?」
という話でもあります。
朝からハーブティーを味わう余裕がある人もいるのでしょう。
こちらは、コーヒーを飲みながら、今日の予定と連絡事項を確認しています。
感じることが嫌いだったわけではありません。
感じることより先に、やらなければならないことがあったのです。
嫌なことがあっても、まず次にすることを考える
たとえば、職場で上司から納得できない注意を受けたとします。
本当は腹が立った。
悔しかった。
自分ばかり責められたようで悲しかった。
けれど、その気持ちを感じる前に、
「どこを修正すればいい?」
「次はどう伝えれば問題にならない?」
「相手にも事情があったのかもしれない」
と考えます。
恋愛や夫婦関係でも同じです。
相手の言葉に傷ついたとき、
「どうしてそんなことを言うの?」
と感じる前に、
「疲れているから仕方がない」
「私の言い方も悪かった」
と説明を始めます。
家族から何かを頼まれたときにも、
「今日は無理」
と思った直後に、
「でも私が断ったら困るだろうな」
と引き受ける。
感情がないわけではありません。
感情が出た直後に、考えることや行動することへ切り替えているのです。
感じるより動く方が、役に立った
人は、役に立つ方法を繰り返します。
悲しんでも状況が変わらなかった。
怒ると、さらに話がこじれた。
つらいと言っても、誰も代わってくれなかった。
困っている大人を、自分が支える側だった。
泣くよりも、できることをした方が褒められた。
そのような経験があれば、感情を感じるより、動く方を選ぶようになることがあります。
家の中が落ち着かなければ、自分のことは自分でする。
親が忙しそうなら、話しかけるのをやめる。
誰かが不機嫌なら、問題が起きないように振る舞う。
きょうだいが困っていれば、自分が面倒を見る。
そうすることで、その場を乗り切ってきたのかもしれません。
本人には、
「昔からしっかりしていた」
「自分でやる方が好きだった」
という記憶になっていることもあります。
ただ、その奥には、
「私まで困ったら、誰が何とかするの?」
という怖さが残っている場合があります。
止まると、何が出てきそうですか
疲れているなら、休めばいい。
頭ではわかっています。
それでも、実際に休もうとすると落ち着かない。
まだできることがある。
忘れている用事がある気がする。
誰かが困るかもしれない。
こんなことで休んでよいのだろうか。
そして、もう一つあります。
止まったら、これまで感じないようにしてきたものが出てきそうで怖い。
泣き始めたら、仕事へ戻れなくなるかもしれない。
怒りを認めたら、夫や家族のことが許せなくなるかもしれない。
自分が本当はつらかったと気づいたら、今まで頑張ってきたものが崩れる気がする。
そのため、予定を入れる。
仕事を増やす。
家事を始める。
困っている人の世話をする。
動いている間は、自分の感情と向き合わずに済みます。
悲しむ代わりに、さらに頑張ることがある
過去の感情は、そのままの形で表れるとは限りません。
悲しさを感じる代わりに、さらに仕事をする。
怒りを感じる代わりに、相手の事情を説明する。
怖さを感じる代わりに、予定やお金を細かく管理する。
寂しさを感じる代わりに、困っている人の世話をする。
疲れを感じる代わりに、休日にも予定を入れる。
本人は、
「別に悲しくありません」
「腹は立っていません」
「やることがあるから、やっているだけです」
と思っているかもしれません。
けれど、何も感じていないはずなのに、休日になると動けない。
急に涙が出る。
誰かから頼まれただけで、激しく腹が立つ。
それまで普通に接していた人と、突然関わりたくなくなる。
身体の不調が出て、初めて休む。
このようなことが起きる場合、感じなかったことになっていた感情が、別の形で表れている可能性があります。
相手の事情を考えるほど、自分の怒りがわからなくなる
相手の立場を考えられることは、大切な力です。
仕事で余裕がなかった。
家庭で問題を抱えていた。
悪気はなかった。
本人なりに頑張っていた。
そうした事情があることも事実でしょう。
ただ、相手の事情を理解することと、自分が傷つかなかったことにするのは別です。
相手にも事情があった。
それでも、あの言い方は嫌だった。
相手も困っていた。
それでも、自分ばかり負担を引き受けたことには腹が立つ。
相手は精いっぱいだった。
それでも、自分のことも見てほしかった。
この両方があってよいのです。
相手の事情だけを考えていると、自分の中にある怒りや悲しさは行き場を失います。
その結果、表面では納得しているのに、同じことが起きるたびに不満が強くなります。
子どもの頃、感情を出せる状況だっただろうか
感情を感じることが難しい背景には、家庭環境が影響している場合があります。
家庭の中で怒鳴り声が多かった。
親が忙しく、自分の話を聞ける状態ではなかった。
泣くと、
「いつまで泣いているの」
と言われた。
腹を立てると、
「そんな言い方をするものではない」
と叱られた。
何かを頼むと、
「自分でやりなさい」
と返された。
親の悩みを聞く役になっていた人もいるでしょう。
家族が大変なときに、自分の感情を出したら、さらに負担を増やしてしまう。
そう感じていたのかもしれません。
それは、特別に大きな問題があった家庭だけの話ではありません。
「お姉ちゃんだから」
「あなたはしっかりしているから」
「これくらいできるでしょう」
と言われ、いつも自分で動いてきた人にも起こります。
自分の気持ちを感じるより、周囲の状況を見て行動する方が必要だったのです。
「何も感じない」の奥に残っているもの
昔のことを聞かれても、
「特に何もありません」
「親も大変だったと思います」
「私がやるしかなかったので」
と答える人もいます。
本当に、現在は何とも感じていない場合もあります。
一方で、当時は感じる余裕がなかった感情が残っていることもあります。
なぜ自分ばかり動かなければならなかったのかという怒り。
困っていたのに気づいてもらえなかった悲しさ。
自分まで止まったら、生活が崩れそうだった怖さ。
本当は誰かに代わってほしかった気持ち。
頑張ったことを認めてほしかった気持ち。
自分のことも心配してほしかった寂しさ。
休んだり甘えたりできる人へのうらやましさ。
助けを求めたのに応えてもらえなかった悔しさ。
こうした感情があると決めつける必要はありません。
ただ、今も自分の気持ちより行動を優先し、同じ役割を繰り返しているなら、当時の経験とのつながりを考えてみる意味はあります。
疲れに気づけないまま続けると起こること
感じることを後回しにしても、しばらくは動けます。
仕事も家事も進みます。
周囲からも頼りにされます。
問題が起きても対処できます。
ただ、後回しにした疲れや感情が、なくなるとは限りません。
以前よりイライラしやすくなる。
誰かに頼まれると、内容に関係なく腹が立つ。
休みの日は何もできなくなる。
好きだったことにも関心がなくなる。
夫や家族へ何も言いたくなくなる。
ある日突然、仕事や人間関係をすべて終わらせたくなる。
自分が何を望んでいるのかわからなくなる。
このような状態になっても、
「まだ動けるから」
「もっと大変な人もいるから」
と続ける人もいます。
けれど、何も感じないまま続けることも、現在の状態を維持する選択になります。
限界まで動いたあとでしか止まれない状態が繰り返されているなら、休み方を増やすだけでは整理しにくい段階に来ていることがあります。
現在の負担が大きすぎる場合もある
感じる余裕がない理由を、すべて本人の過去や心理へ戻す必要はありません。
現在の負担が、本当に大きすぎる場合もあります。
自分が休むと仕事が止まる職場。
家事や育児をほとんど引き受けない夫。
弱音を見せると評価を下げる上司。
人の善意へ甘え続ける家族。
話を聞かず、こちらへ問題を預ける人。
このような環境にいれば、感じる時間を持てないのも当然です。
自分の感情に気づくことと同時に、
誰が引き受けるべき仕事なのか。
相手が果たしていない責任は何か。
現在の環境で減らせる負担はあるか。
という現実も確認する必要があります。
感情を整理することは、理不尽な環境へ耐え続けるために行うものではありません。
感じることは、すぐ行動を変えることではない
感情に気づいたら、すぐに仕事を辞めたり、夫へすべてをぶつけたりしなければならない。
そのように考えると、感じること自体が怖くなります。
けれど、感情はそのまま実行する命令ではありません。
「もう仕事へ行きたくない」
という気持ちには、
少し休みたい。
仕事量を減らしてほしい。
評価のされ方に納得できない。
上司との関係を変えたい。
別の働き方を考えたい。
いくつもの思いが含まれている場合があります。
「夫と話したくない」
という気持ちの中にも、
今は一人で落ち着きたい。
あの言葉について謝ってほしい。
いつも自分ばかり説明することに疲れた。
話し合いに参加してほしい。
という願いがあるかもしれません。
感情に気づくことで、何が必要なのかを考えやすくなります。
すべてを変えるか、今まで通り我慢するかという二択から離れることもできます。
今の自分の気持ちを、現在の選択へ戻していく
感じるより動く方が必要だった時期は、確かにあったのでしょう。
泣いている場合ではなかった。
誰かが動かなければならなかった。
自分がしっかりすることで、守れたものもあった。
その生き方を否定する必要はありません。
ただ、現在も同じ方法だけを使い続けると、自分の疲れや怒りに気づけないまま、限界まで動くことになります。
カウンセリングでは、最近どのような場面で疲れに気づかなかったのか、嫌なことがあった直後に何を考え、何を始めたのかを確認していきます。
止まろうとすると何が起きるように感じるのか。過去に感情を出したとき、周囲がどのように反応したのか。本当は誰に、何をしてほしかったのか。
そうしたことを見ながら、当時は感じる余裕がなかった怒りや悲しさ、怖さを整理していくことがあります。
過去の出来事そのものは変えられません。
ただ、
「感じても何も変わらない」
「私が止まったら全部が崩れる」
「つらいと言うと人を困らせる」
と理解した経験を、現在の視点から見直すことはできます。
その結果、疲れてから何日もたって気づくのではなく、もう少し早い段階で負担を感じられるようになることがあります。
相手の事情と、自分の気持ちを分けやすくなる。
自分が引き受けることと、相手が引き受けるべきことを考えやすくなる。
動き続けるか、すべてをやめるかという二択になる前に、現在の自分に合う選択を探しやすくなります。
感じることは、日々の役割を投げ出すことではありません。
自分が何を感じているのかを知り、その感情を現在の選択から外さないことです。
それが、頑張ることだけに頼らずに生きていくために、感じる力が必要になる理由なのだと思います。
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疲れたら休んだ方がよいと理解していても、限界まで動かないと自分の気持ちに気づけないときは、過去に感情より行動を優先する必要があった経験が影響している場合があります。今の負担と過去から続く反応を分けて整理したい方は、カウンセリングをご利用いただけます。




