かわいいは敵なのか?〜その正体と、私たちの停戦協定について〜

かわいさに迷う自立女性が、素直さと向き合う瞬間 感情・心のしくみ
甘え方を忘れたまま、大人になったあなたへ。

「かわいいは、ずるい」

そう思ったことはないでしょうか。

職場で、愛想のよい女性には上司がやさしい。

自分が同じことを言うと「きつい」と言われるのに、その女性が言うと素直に聞いてもらえる。

少し困った顔をすれば、周囲がすぐに助ける。

こちらが困っているときには、

「あなたならできるよね」

と仕事が追加される。

まじめにやっても、助けてもらえない。

気を利かせても、それが当然になる。

なのに、かわいい女性は、何か特別なことをしなくても気にかけてもらっているように見える。

「なんか、戦っているルールが違わない?」

と思うのも無理はありません。

そして、そんな人を見ていると、心の中で言いたくなります。

「あざとい」

「結局、男性に媚びているだけ」

「仕事はできないのに、得している」

けれど、そこまで腹が立つのはなぜなのでしょう。

本当に嫌いなのは、その女性なのでしょうか。

それとも、その人が受け取っているものを、自分は受け取れなかったことが苦しいのでしょうか。

かわいい女性が得をしているように見えると、腹が立つ

「かわいい」と聞くと、どのような女性を思い浮かべるでしょうか。

声がやわらかい。

表情が豊か。

困ったときに人へ頼れる。

褒められると、うれしそうに笑う。

助けてもらうと、

「ありがとうございます。助かりました」

と素直に喜ぶ。

それを見て、

「ずるいな」

と思うことがあります。

自分は、同じようにはできない。

困っていても、

「これくらい自分でできます」

と言ってしまう。

褒められても、

「いえ、そんなことはありません」

と打ち消す。

何かをしてもらったら、うれしいより先に、

「この借りをどう返そう」

と考える。

そして、助けを断った自分の横で、別の女性が助けてもらっている。

それはもう、腹が立つ条件がきれいにそろっています。

ただし、相手が悪いとは限りません。

こちらが断ったことも、頭ではわかっています。

それでも、気持ちは納得しません。

「私は断るしかなかったのに、あの人は簡単に受け取っている」

そう感じるからです。

私はちゃんとやっても、助けてもらえなかった

かわいい女性への反発には、自分がこれまで受けてきた扱いが重なっている場合があります。

子どもの頃から、

「あなたはしっかりしているから」

「一人でできるでしょう」

「お姉ちゃんなんだから」

と言われてきた。

困っていることを伝えても、

「そのくらい自分で考えなさい」

と返された。

甘えてみたら、わがままだと叱られた。

おしゃれをしたら、似合わないと笑われた。

失敗したときには厳しく注意されたのに、別の子は、

「もう、仕方ないなあ」

と許されていた。

そんな経験が続けば、

「かわいい人は、頑張らなくても助けてもらえる」

と感じるようになることがあります。

一方、自分は努力しなければ認めてもらえない。

役に立たなければ、気にかけてもらえない。

間違えずにできなければ、評価されない。

そう思い、有能さや真面目さを身につけてきた人もいるでしょう。

それは、実際に自分を支えてきた力です。

仕事ができる。

責任を果たす。

人の分まで気づいて動く。

困ったときには立て直せる。

その力を誇ってよいと思います。

ただ、その生き方の中で、

「できないときにも、気にかけてほしい」

という気持ちは、どこへ行ったのでしょう。

「かわいい=努力しなくても許される」になった理由

かわいさが敵になるのは、見た目が好みではないからだけではありません。

かわいい女性が、

努力しなくても許される人。

責任を取らなくても助けてもらえる人。

男性の力を使って得をする人。

そのように見えている場合があります。

実際に、愛想のよさを利用して責任を避ける人もいるでしょう。

困った顔をすれば誰かが引き受けてくれると知っていて、動かない人もいます。

そのような人に腹が立つのは当然です。

ただ、すべての「かわいがられる女性」が、責任を避けているわけではありません。

仕事をしながら、助けが必要なときには頼る人もいます。

失敗を認めたうえで、周囲の力を借りる人もいます。

感謝や喜びが表情に出やすいため、周りが関わりやすく感じていることもあります。

それでも、かわいがられている姿を見ただけで強い嫌悪感が出るなら、現在の相手だけを見ているとは限りません。

過去に自分が助けてもらえなかった悔しさまで、一緒に反応している可能性があります。

実際に不公平な扱いを受けている場合もある

もちろん、かわいい女性へ腹が立つ理由を、すべて嫉妬として片づける必要はありません。

実際に、容姿や愛想で扱いを変える人はいます。

同じ失敗でも、好みの女性には甘く、別の女性には厳しい。

仕事の能力より、上司への親しみやすさを評価する。

男性社員には求めない笑顔や柔らかさを、女性社員にだけ求める。

はっきり意見を言う女性を「可愛げがない」と評価する。

性的な魅力と、仕事の評価を混ぜる。

こうした環境なら、不公平だと感じるのは当然です。

自分の過去を整理したからといって、その職場が公平になるわけでもありません。

現在、本当に不当な扱いを受けているのか。

相手が責任を避けているのか。

自分の過去の悔しさが重なっているのか。

その両方があるのか。

ここは分けて考える必要があります。

あざとさが嫌なのか、報われなかったことが苦しいのか

かわいい女性を見て腹が立ったとき、

「私は何が嫌なのだろう」

と見ていくと、いくつかの違いがあります。

仕事をしないのに、誰かへ押しつけていることが嫌なのか。

上司が不公平に扱っていることが嫌なのか。

男性の前だけ態度を変えることが嫌なのか。

助けてもらっている姿そのものが嫌なのか。

褒められて喜んでいる姿に腹が立つのか。

最後の二つが特に強い場合、自分が受け取れなかったものが関係していることがあります。

本当は、自分も助けてほしかった。

褒められたら、疑わずに喜びたかった。

頑張っているときだけでなく、疲れているときにも気にかけてほしかった。

失敗しても、見放さずにいてほしかった。

けれど、その願いはかなわなかった。

すると、

「私は、そんなものを欲しくない」

と思う方が楽になります。

欲しくないものなら、もらえなくても傷つかずに済むからです。

かわいがられる女性を見ると、何を思い出しますか

かわいがられる女性へ強く反応するとき、過去に次のような経験がなかったか考えてみることができます。

きょうだいや友人と、容姿を比較された。

自分はしっかりしているからと、助けてもらえなかった。

甘えようとすると、迷惑そうな顔をされた。

「あなたはかわいいタイプではない」と言われた。

かわいい服を着たら、似合わないと笑われた。

女性らしく振る舞うと、媚びていると言われた。

かわいいと言われたことで、能力を低く見られた。

見た目に注目され、嫌な視線や言葉を向けられた。

このような経験があると、かわいさは単なる褒め言葉ではなくなります。

比べられること。

能力を軽く扱われること。

人から勝手に評価されること。

女性として都合よく扱われること。

そうした意味まで含むようになります。

そのため、

「もっとかわいく頼ればいいのに」

と言われると、頼り方の提案には聞こえません。

「これまでのあなたでは足りない」

「有能さより、男性に好かれる振る舞いを身につけなさい」

と言われたように感じることがあります。

「私は実力で認められたい」が守ってきたもの

「私は、女を武器にしない」

「仕事は実力で評価されたい」

「人に媚びてまで好かれたくない」

そう考えてきた人もいるでしょう。

この思いには、自分の誇りを守る意味があります。

見た目で比べられて傷ついた。

かわいさで得をする人を見て悔しかった。

女性という理由で能力を低く見られた。

だから、誰にも文句を言わせない結果を出そうとした。

その力で、今の立場を築いてきたのです。

ところが、

「かわいく振る舞わない」

「人の好意を簡単に受け取らない」

「困っても一人でやる」

というところまでルールが広がると、自分が苦しくなります。

能力を評価してほしいことと、助けを受け取ることは両立します。

実力で仕事をすることと、褒められて喜ぶことも両立します。

ただ、頭ではわかっていても、実際に受け取ろうとすると抵抗が出ます。

受け取った瞬間、自分がこれまで批判してきた女性と同じになる気がするからです。

自分もかわいがってほしかったとは言えなかった

「私も、かわいがってほしかった」

この言葉には、抵抗を感じる人もいるでしょう。

いい年をして、何を言っているのだろう。

自分はそんなキャラクターではない。

かわいいと言われたいわけではない。

そう思うかもしれません。

けれど、欲しかったのは見た目への評価とは限りません。

自分の変化に気づいてもらうこと。

困ったときに声をかけてもらうこと。

頑張らない日にも、気にかけてもらうこと。

失敗しても関係が変わらないこと。

自分のために、誰かが動いてくれること。

何かを成し遂げなくても、存在を喜んでもらうこと。

それを「かわいがってほしかった」と感じる人もいます。

ただ、求めたのに応えてもらえなかった経験があると、もう求めない方を選びます。

そして、求められる人や受け取れる人を見ると、悔しくなるのです。

うらやましさを認めると、負けたように感じる

かわいがられる女性がうらやましい。

そう認めると、自分が負けたように感じることがあります。

あれほど「あざとい」と批判してきたのに。

自分は実力で生きると決めたのに。

一人で何でもできるようになったのに。

それでも本当は、自分も助けてほしかった。

この気持ちを認めると、これまでの頑張りが無駄になるように感じるのかもしれません。

けれど、頑張ってきた自分と、気にかけてほしかった自分は、同時に存在できます。

一人でできる。

それでも、誰かにやってもらえたらうれしい。

仕事ができる。

それでも、失敗した日は慰めてほしい。

自分で判断できる。

それでも、迷っているときには話を聞いてほしい。

どちらか一方を消す必要はありません。

かわいい女性を下げるほど、自分の願いも禁止される

かわいい女性を、

「あの人は計算している」

「実力がないから愛想でごまかしている」

「男性に媚びている」

と決めつけると、自分の生き方を守れます。

ただ、そのルールは自分にも向かいます。

助けを求めたいとき、

「私まであざとい人になる」

と感じる。

褒められてうれしいとき、

「調子に乗っていると思われる」

と表情を抑える。

着てみたい服があっても、

「私の年齢やキャラクターには合わない」

と諦める。

誰かに甘えてみたい日にも、

「人へ迷惑をかけてはいけない」

と自分で処理する。

かわいい女性を禁止するために作ったルールが、自分の選択まで狭めてしまうのです。

かわいく振る舞う必要はない

この記事の結論は、

「あなたも、もっとかわいくなりましょう」

ではありません。

上目づかいを覚える必要もありません。

語尾にハートをつける必要もありません。

急に「わかんな〜い」と言い始めたら、周囲も少し心配するでしょう。

かわいいと呼ばれる人になる必要はありません。

ただ、

助かったときに、助かったと伝える。

うれしかったときに、うれしいと表す。

本当に困っているときには、助けを求める。

着たい服を、キャラクターだけで禁止しない。

気にかけてもらいたい自分を、恥ずかしいものとして扱わない。

そうした選択まで禁止しなくてもよいのです。

有能な自分を捨てる必要もありません。

誰かへ依存する人になる必要もありません。

全部一人でやるか、かわいく人へ任せるか。

その二択から離れることができます。

本当に欲しかったのは、見た目の評価だったのか

かわいい女性へ腹が立つとき、自分が本当に欲しかったものを考えてみることができます。

かわいいと言われること。

男性から特別扱いされること。

若く見られること。

それを望んでいる人もいるでしょう。

けれど、本当に欲しかったものが別にある場合もあります。

頑張っていることへ気づいてほしかった。

一人で何でもできると思わず、心配してほしかった。

失敗しても、厳しく責めないでほしかった。

困っているとき、自分から言う前に声をかけてほしかった。

何かをしていないときにも、大切にしてほしかった。

その願いを理解すると、「かわいい人がずるい」という怒りの中身が変わります。

現在の不公平には、必要な対応を考える。

過去に報われなかった悲しさは、自分の感情として扱う。

自分も欲しかったものは、今の関係の中でどう受け取りたいかを考える。

別々に整理できるようになります。

かわいさとの停戦は、自分の選択を増やすこと

かわいい女性を見ると、必要以上に腹が立つ。

助けられる女性を見ると、批判したくなる。

自分が褒められると、反射的に打ち消す。

そのような反応が続くとき、表面的に「嫉妬しないようにしよう」と考えても、なかなか変わりません。

かわいい女性が得ているように見えるものを、自分はいつから諦めたのか。

助けてほしいと思ったとき、誰がどのように反応したのか。

なぜ自分は、実力や有能さだけで認められようとしたのか。

本当は、何をしてほしかったのか。

そこに、当時出せなかった怒りや悲しさ、悔しさが残っている場合があります。

カウンセリングでは、現在どのような女性へ特に反応するのか、その女性が何を受け取っているように見えるのかを入り口にして、過去の経験や感情とのつながりを整理します。

同時に、現在の職場や人間関係で、本当に不公平な扱いが起きていないかも分けて見ていきます。

過去の感情を扱うことで、かわいい女性を好きになるとは限りません。

相性の合わない人もいるでしょう。

ただ、その人を見ただけで、自分の価値まで否定されたように感じる反応は、以前ほど強くならない可能性があります。

助けてもらうこと。

褒め言葉を受け取ること。

うれしさを表すこと。

気にかけてもらいたいと伝えること。

それらを「あざとい女性のすること」として禁止せず、今の自分が選べるようになることがあります。

かわいさとの停戦協定は、かわいい人になる契約ではありません。

自分がこれまで守ってきた有能さや誇りを残したまま、受け取ってもよいものまで敵にしないこと。

そのくらいの協定なら、結んでみてもよいのかもしれません。

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かわいがられる女性を見て強く腹が立つときは、現在の不公平だけでなく、自分が助けてもらえなかった経験や、そのとき感じられなかった悔しさが重なっている場合があります。似た反応を繰り返す理由を整理したい方は、カウンセリングをご利用いただけます。

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