疑う理由はないのに、彼や夫を信じられないのはなぜ?

疑う理由はないのに彼や夫を信じられない 恋愛・パートナーシップ

彼や夫と一緒にテレビを見ている。

特に会話が盛り上がっているわけでもないけれど、居心地は悪くない。

彼や夫が、テレビで紹介している観光地の風景を見て、

「来年、ここに旅行に行きたいね」

と言う。

「そうだね」と答えながら、心の中ではこんなことを考えてしまう。

来年も一緒にいるのかな。

彼が何か怪しいことをしたわけではない。

嘘が見つかったわけでもない。

普段の態度に、不自然な変化があるわけでもない。

むしろ、誠実に接してくれている。約束も守る。困っていれば助けてくれる。自分のことを大切にしているのだろうと思える場面もある。

それなのに、心のどこかでは彼や夫を信じきれない。

「好きだよ」と言われれば、うれしい。

けれど、その言葉を信じきることができない。

数日もすると、

「本当にそうなのかな」

という疑いが、また始まる。

疑うきっかけがあるわけではない

彼や夫を信じられないというと、浮気や嘘、過去の裏切りを思い浮かべる人が多いかもしれません。

もちろん、実際に傷つけられた経験があれば、相手の言葉をすぐに信じられなくなることがあります。

けれど、中には思い当たる出来事がない人もいます。

今の相手に裏切られたことはない。

以前の恋愛でも、深刻な裏切りを経験したわけではない。

それでも、

「この人が、ずっと私を好きでいるとは思えない」

「今はよくても、いつか気持ちが変わるだろう」

「本当の私を知ったら、がっかりするのではないか」

という感覚が消えないのです。

この場合、疑っているのは相手の行動だけではありません。

自分が長く愛されることそのものを、どこかで信じられないのかもしれません。

愛情を受け取っても、心の中に残らない

夫が体調を気遣ってくれた。

彼が自分の予定に合わせてくれた。

忙しい中でも話を聞いてくれた。

そのときは、うれしいと思います。

ところが、その愛情をそのまま受け取ろうとすると、すぐに別の言葉が浮かびます。

「夫婦なんだから、それくらい普通でしょう」

「誰にでも親切な人だから」

「私が不機嫌になると面倒だから、合わせているだけかも」

「今は関係がうまくいっているから言っているだけ」

こうして、相手がしてくれたことを、意味がないことのようにしていきます。

まるで、愛情を受け取った直後に、返品しているようなものです。

相手が何度届けても、その都度送り返してしまうので、愛されている実感が積み重なりません。

昨日も大切にされた。

先月も気遣ってもらった。

何年も一緒に暮らしてきた。

その事実があっても、今日になるとまた、

「本当に私を愛しているの?」

というところから始まります。

相手よりも「愛される自分」を信じられない

彼や夫を信じられないとき、相手の気持ちばかりを考えます。

この人は本気なのだろうか。

言葉と本心は同じなのだろうか。

もっと魅力的な女性が現れたら、そちらへ行くのではないか。

けれど、もう少し奥を見ると、

「私が選ばれ続けるはずがない」

という感覚が隠れていることがあります。

仕事では、それなりに自信がある。

家庭のこともきちんとやってきた。

人から頼られることも多い。

それでも、恋愛や夫婦関係になると、自分への信頼が急に揺らぎます。

仕事なら、成果を出したから評価されたと理解できます。

誰かの役に立てば、感謝される理由もわかります。

ところが、愛情にはわかりやすい採点表がありません。

何かを達成したから好きになったわけでもない。

誰よりも役に立ったから、一緒にいるわけでもない。

「あなたがあなただから好きだ」と言われると、理由が曖昧すぎて信用できないのです。

役に立つ自分なら信じられる

自立的な女性の中には、人から愛されることよりも、必要とされることの方が信じやすい人がいます。

食事を作る。

家族の予定を管理する。

相手が困ったときに助ける。

仕事の相談に乗る。

生活がうまく回るように先回りする。

こうした役割があれば、

「私がいる意味がある」

と感じられます。

反対に、何もしなくても相手が自分と一緒にいたいと言うと、落ち着きません。

私が何の役にも立たなくなったらどうなるのだろう。

体調を崩して、支える側に回れなくなったら。

仕事を辞めて、今までのように稼げなくなったら。

家事ができなくなったら。

明るく振る舞えなくなったら。

それでもこの人は、私と一緒にいたいと思うのだろうか。

役割によって関係を支えてきた人ほど、愛情も自分の働きによって維持しているように感じます。

だから、彼や夫の愛情を信じようとしても、

「今の私だから愛されているだけ」

という条件が頭から離れないのです。

信じると、相手を必要としている自分が見えてしまう

相手の愛情を信じることには、別の難しさもあります。

「私はこの人に愛されている」

と認めると、

「私はこの人を必要としている」

という気持ちも見えてきます。

一緒にいたい。

離れてほしくない。

これからも自分を選んでほしい。

自分だけを特別に思ってほしい。

そんな願いが、はっきりしてきます。

これまで一人で多くのことを乗り越えてきた女性にとって、誰かを必要とする自分は扱いにくいものです。

必要とすれば、失ったときに傷つきます。

頼りにすれば、相手の存在に自分の気持ちが左右されます。

愛されていることを信じなければ、いつでも、

「私は一人でもやっていける」

という場所へ戻れます。

相手の愛情を疑うことが、自分の中にある願いや寂しさを見せないための方法になっている場合もあるのです。

信じて間違えることが恥ずかしい

愛されていると信じたあとで、相手の気持ちが変わったらどうしよう。

その怖さは、別れの痛みだけではありません。

「私だけが愛されていると思い込んでいた」

「相手の気持ちを勘違いしていた」

「すっかり信じて、浮かれていた」

そんな自分になることを、ひどく恥ずかしいと感じる人もいます。

過去に、自分の喜びや期待をからかわれた経験がある人もいるでしょう。

好きなものを話したら笑われた。

期待していたら「そんなにうまくいくわけがない」と言われた。

好意を向けられて喜んだら、「本気にしたの?」と扱われた。

そのような経験が重なると、うれしいことが起きても、先に喜ばない習慣が身につくことがあります。

最初から半分疑っておけば、勘違いした人にならずに済みます。

傷ついたとしても、

「私は最初からわかっていた」

と思えます。

疑いは、未来の痛みをなくしてくれるわけではありません。

それでも、何も知らずに喜んでいた自分になるよりはましだと感じる部分があるのです。

どこで「愛される」より「役に立つ」を覚えたのか

このような感覚は、必ずしも深刻な家庭環境で育った人だけに起こるものではありません。

家族から愛されていたと思う。

必要なものも与えてもらった。

大きな問題があったわけでもない。

それでも、家族の中でどのような役割を担ってきたかは、現在の関係に影響することがあります。

しっかりしていると褒められた。

親を困らせない子だった。

家族が忙しいときには、自分のことを自分で処理した。

きょうだいの面倒を見ることが多かった。

困っていても「あなたなら平気」と思われていた。

成果を出したときや、人の役に立ったときに喜ばれた。

こうした経験が重なると、

「愛されるためには、相手にとって都合のよい自分でいる必要がある」

という感覚を持つことがあります。

もちろん、親が意図的にそう教えたとは限りません。

けれど、何もできない自分、迷っている自分、誰かに世話をしてもらう自分が受け入れられた実感が少なければ、愛情には条件がついているように感じやすくなります。

大人になって彼や夫が愛情を示してくれても、

「今のところ、私は合格している」

と受け取ります。

愛されているというより、まだ見放されていない。

そう感じるため、相手が何もしていなくても不安が消えません。

何もないのに疑う状態が続く循環

相手が愛情を示す。

そのときは、うれしいと感じる。

けれど、すぐに「本心とは限らない」と考える。

愛情を受け取った実感が残らない。

また、愛されているのか不安になる。

相手の気持ちを確認したくなる。

相手は、好きだと伝える。

一時的には落ち着く。

その言葉も、やがて信じられなくなる。

この循環が続くと、相手の愛情表現が足りないことだけが問題に見えてきます。

もっと言葉で伝えてほしい。

もっと態度で示してほしい。

もっと自分を優先してほしい。

けれど、受け取った愛情を自分の中で打ち消している限り、相手がどれだけ差し出しても足りません。

一方で、不安を見せることが嫌で、相手に何も確認しない人もいます。

その場合は、疑いを心の中に置いたまま、さらに頑張ります。

もっと役に立とうとする。

相手に迷惑をかけないようにする。

魅力がなくなったと思われないようにする。

関係を維持するために動き続ける。

その結果、彼や夫との関係が、生活を運営するための協力関係になっていきます。

相手は、頼りにされていないと感じるかもしれません。

何を伝えても届かないと感じ、愛情を表現することが減る場合もあります。

すると、

「やっぱり、この人の気持ちは冷めている」

という疑いが現実味を帯びてきます。

何もなかったところから始まった疑いが、二人の距離を作ってしまうこともあるのです。

すべてを自分の問題にする必要はない

ここまで読むと、

「結局、私が愛情を受け取れないせいだと言われているの?」

と感じる人もいるかもしれません。

彼や夫に明らかな問題がなくても、関係の中に寂しさがあることはあります。

生活のことはきちんとやってくれるけれど、気持ちの話を避ける。

一緒にはいるけれど、自分に関心を向けてくれない。

不満を伝えると、面倒そうに扱われる。

夫婦としての役割は果たしていても、心のやり取りがほとんどない。

そのような状態なら、信じられない感覚のすべてを自分の過去や考え方で説明することはできません。

相手が実際にどのように接しているのか。

自分の気持ちを話したとき、受け止めようとしてくれるのか。

二人の問題を一緒に考える姿勢があるのか。

言葉と行動が長い期間にわたって一致しているのか。

そこは、きちんと見ておく必要があります。

自分の内側を見ることは、相手の責任を引き受けることではありません。

相手の問題と、自分の中で起きていることを混同しないために行います。

信じたい気持ちと、信じたくない気持ち

彼や夫を信じられずに苦しんでいる人の中には、二つの気持ちがあります。

この人の愛情を信じて、一緒にいる時間を楽しみたい。

もう一方では、信じて頼りきった自分にはなりたくない。

大切にされたい。

けれど、大切にされることを必要としていると知られたくない。

これからも一緒にいたい。

それでも、いつか終わることを考えておきたい。

どちらか一方だけが本心ということではありません。

どちらも、自分の中にある気持ちです。

信じたい自分は、相手とつながろうとしています。

信じたくない自分は、これまで自分を守ってきました。

疑いを無理に消そうとすると、守ろうとしている自分がさらに強く反発します。

まずは、何をそんなに警戒しているのかを知ることが必要です。

自分に問いかけてみたいこと

彼や夫を信じられないとき、相手の本心を推理し続ける前に、次のことを考えてみてください。

  • 私は、相手が何をすることを怖がっているのだろう
  • 相手の愛情を信じたら、どんな自分になってしまうと思うのだろう
  • 私は、何をしている間だけ愛されると思っているのだろう
  • 相手が愛情を示したとき、私はどんな理由をつけて打ち消しているのだろう
  • 何もしない私が大切にされることを、なぜ信じにくいのだろう
  • 私が本当に怖いのは、相手を失うことなのか、愛されていると信じた自分が間違うことなのか
  • 今の関係に実際に足りないものと、受け取れていないものは何だろう

すぐに答えが出ない問いもあると思います。

自分の中では当たり前になっている関係の持ち方ほど、自分だけで見つけるのは難しいものです。

今ある愛情を、なかったことにしないために

相手を信じることは、「この人は一生変わらない」と保証することではありません。

人の気持ちも、関係も、これからどうなるかは誰にも断言できません。

それでも、今この人が自分に向けている言葉や行動まで、未来への恐れによって無くしてしまう必要はないはずです。

今日大切にされたなら、今日大切にされたことに感謝する。

うれしかったなら、うれしかった自分を打ち消さない。

疑いが出てきたときには、相手の現在の行動を疑っているのか、自分が愛されることを疑っているのかを分けてみる。

一人で考えていると、相手が自分を愛している証拠を集めるか、信じられない自分を責めるかのどちらかになりやすいものです。

カウンセリングでは、相手が実際にどのように接しているのかを確認しながら、愛情を受け取った直後に何を考えているのか、どのような自分でなければ愛されないと思っているのか、相手を必要とすることにどんな怖さがあるのかを整理していきます。

過去に担ってきた役割と現在の夫婦関係が重なっていることもあります。相手の問題と自分の恐れを分けながら、本当はどのような関係を望んでいるのかを見ていくことができます。

相手の気持ちを完全に信じられる日を待ち続けるよりも、まずは、自分のところへ届いている愛情が、なぜいつも消えてしまうのかを知る。

そこから、今の彼や夫との関係の見え方が変わってきます。

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