仕事に必要なパソコンなら、迷わず買える。
資格を取るための講座なら、数万円でも「必要な投資」と考えられる。
仕事に役立つ本や道具にも、お金を使える。
けれども、旅行や趣味、観劇、好きな服となると、急に迷い始める。
「これにお金を使って、何が残るのだろう」
「別に行かなくても困らない」
「その時間があるなら、仕事を進めたほうがいいのでは」
そう考えて、結局やめてしまう。
お金がないわけではない。
自分にまったくお金を使えないわけでもない。
必要性や成果を説明できるものには使えるのに、ただ楽しむためだけには使えない。
そんな人がいます。
この場合、問題は金額だけではありません。
楽しむことや、何の成果にもならない時間に、価値を感じにくくなっているのです。
稼ぐことはできるのに、使うところで止まる
これまで仕事を頑張り、生活を自分で支えてきた人は、お金を稼ぐための努力には慣れています。
必要なスキルを身につける。
資格を取る。
責任のある仕事を引き受ける。
収入を増やす方法を考える。
将来に備えて貯金する。
こうしたことには、はっきりした目的があります。
努力した結果が見える。
収入が増える。
評価が上がる。
将来への備えになる。
そのため、頑張る意味を感じやすいのです。
一方で、楽しむことには明確な成果がありません。
旅行へ行っても、資格が取れるわけではない。
好きな服を買っても、収入が増えるとは限らない。
趣味を始めても、仕事に役立つとは限らない。
休みの日に何もしなくても、目に見える結果は残らない。
そこで、
「何のためにするの?」
という疑問が出てきます。
楽しむことにも、立派な理由や成果を求めてしまうのです。
自分にお金を使えない人とは、少し違う
人にはお金を使えるのに、自分には使えない人もいます。
家族には買える。
友人には贈れる。
けれども、自分のためになると罪悪感が出る。
この場合は、自分を後回しにすることや、自分にはお金をかける価値がないという感覚が関係しています。
今回扱うのは、それとは少し違います。
自分のためであっても、仕事や学び、健康管理には使える。
収入につながるものや、生活を維持するためのものなら納得できる。
しかし、楽しむだけのものには使えない。
つまり、
自分のために使えないのではなく、成果にならないことには使えない
という状態です。
たとえば、十万円の資格講座には申し込めるのに、三万円の旅行には迷う。
仕事用の服は買えるのに、ただ気に入っただけの服には手が出ない。
健康維持のための運動はできるのに、楽しむだけの習い事は続かない。
使う金額よりも、
「それに意味があるか」
が判断基準になっています。
役に立つことで、自分の価値を確かめてきた
成果にならないことを無駄に感じる人は、これまで役に立つことによって認められてきたのかもしれません。
勉強ができると褒められた。
仕事を頑張ると評価された。
家族を助けると感謝された。
困難を乗り越えると、強い人だと言われた。
その経験が続くと、
「何かを成し遂げる自分には価値がある」
という感覚が強くなります。
一方で、
何もしていない自分。
成果を出していない自分。
ただ楽しんでいる自分。
ぼんやり過ごしている自分。
そうした自分には、あまり意味がないように感じることがあります。
楽しむことが嫌いなのではありません。
役に立たない時間を過ごしている自分を、認めにくいのです。
休んでいると、置いていかれる気がする
休みの日にも、何かをしなければ落ち着かない人がいます。
部屋を片づける。
仕事の資料を読む。
資格の勉強をする。
今後の計画を立てる。
予定が空いていると、不安になり、やることを探し始めます。
何もしない時間ができると、
「こんなことをしている場合ではない」
「ほかの人はもっと頑張っている」
「時間を無駄にしてしまった」
と考えます。
楽しむことよりも、立ち止まることへの不安が勝つのです。
仕事をしている間は、何をすればよいかがわかります。
目標がある。
締め切りがある。
評価される基準もある。
けれども、休日には正解がありません。
何をしてもよいと言われると、かえって困ってしまう。
その結果、休日にも仕事のような予定を作ります。
休むための時間に、別の課題を入れてしまうのです。
趣味まで仕事のようになってしまう
楽しむことが苦手な人は、趣味を始めても、すぐに目標を設定することがあります。
英会話を始めたら、試験を受ける。
運動を始めたら、数値目標を決める。
料理を始めたら、資格取得を考える。
写真を始めたら、発信や収益化を考える。
ただ楽しむだけでは、時間を使う理由として物足りないからです。
上達する。
人に認められる。
仕事につなげる。
収入を得る。
そこまで考えると、ようやく取り組む意味を感じられます。
けれども、趣味にも結果を求め続けると、また頑張る場所が増えます。
仕事が終わったあとも、
「今日はここまで進めなければ」
「もっと上達しなければ」
と自分を追い立てる。
楽しむために始めたはずなのに、いつの間にか評価されるための活動になっていることがあります。
楽しみにまで成績表を持ち込むと、だんだん面倒になります。
そして、
「私には趣味が向いていない」
と思うようになります。
趣味が向いていないのではなく、趣味にも仕事と同じやり方を使っているのかもしれません。
目標を達成したあと、急にやる気がなくなる
仕事を頑張ってきた人の中には、目標を達成したあとに、急に気力が落ちる人がいます。
希望していた役職についた。
収入が増えた。
住宅ローンを返した。
子育てが一段落した。
生活への不安が以前より減った。
本来なら、少し余裕を感じてもよい時期です。
ところが、
「次は何を目指せばいいのだろう」
とわからなくなります。
これまでは、
足りないものを埋める。
困難を乗り越える。
誰かに負けないようにする。
将来に備える。
そのために頑張ってきました。
問題がある間は、やることがはっきりしています。
けれども、問題が減り、目標が達成されると、頑張る理由がなくなります。
そこで初めて、
「私は何をしたいのだろう」
という疑問が出てきます。
しかし、やりたいことを考える練習をしてこなかったため、答えがすぐには出ません。
すると、また新しい課題を探します。
さらに上を目指す。
別の資格を取る。
もっと収入を増やす。
もちろん、新しい目標を持つことが悪いわけではありません。
ただ、次の目標が本当に望んでいることなのか、立ち止まらないために作った課題なのかは、分けて考えたほうがよいでしょう。
「楽しむことはご褒美」と考えるほど、楽しめなくなる
頑張ったあとに楽しむ。
成果を出したら旅行へ行く。
仕事が終わったら好きなことをする。
この考え方は、一見わかりやすいものです。
けれども、楽しむことを頑張ったあとの報酬にすると、いつまでも順番が回ってこないことがあります。
仕事が終わっても、次の仕事がある。
目標を達成しても、次の目標が出てくる。
貯金が増えても、
「もう少しあったほうがいい」
と思う。
まだ十分に頑張っていない。
今は楽しむ時期ではない。
そうしているうちに、楽しむことは先送りされ続けます。
また、楽しむためにも条件が必要になります。
仕事を終わらせたから行ってよい。
成果を出したから買ってよい。
誰かの役に立ったから休んでよい。
この形では、何も達成していない自分には、楽しむ許可が出ません。
楽しみは、頑張った自分だけに支給される特別手当ではありません。
働くことや生活を整えることと同じように、自分の人生を構成する時間です。
楽しむことにも効率を求めてしまう
せっかくお金を使うなら、最大限に得をしたい。
せっかく旅行へ行くなら、多くの場所を回りたい。
せっかく休むなら、疲れを完全に取らなければ。
そう考えることもあります。
すると、旅行は予定で埋まります。
休日は効率よく回復するための計画になります。
食事も、
「健康によいか」
「価格に見合うか」
が先に立ちます。
楽しむことまで費用対効果で判断すると、気持ちが置き去りになります。
観光地を十か所回れた。
有名な店にも行けた。
写真も撮れた。
それでも、疲れただけで終わることがあります。
楽しむときに必要なのは、できるだけ多くを回収することではありません。
自分が何を心地よいと感じたのか。
どこで気持ちが動いたのか。
もう少し続けたいと思ったのか。
そこを感じることです。
欲しいものより、役に立つものを選んできた
買い物をするときにも、実用性を優先してきた人がいます。
丈夫か。
長く使えるか。
仕事でも使えるか。
収納しやすいか。
価格に見合っているか。
それらを考えることは必要です。
ただ、自分の好みはいつも最後になる。
本当は別の色が好きなのに、仕事でも使える無難な色を選ぶ。
気に入った食器があっても、
「今あるもので足りる」
と買わない。
読みたい本があっても、仕事に役立つ本を優先する。
そうしていると、生活は合理的に整います。
けれども、どこを見ても、
「困らないもの」
ばかりになります。
好きだから選んだもの。
見ると気分が変わるもの。
必要ではないけれど、使いたくなるもの。
そうしたものが生活に少ないと、何のために働いているのかわからなくなることがあります。
稼ぐ力は身についた。
生活も維持できている。
けれども、そのお金を使って、どのような毎日を作りたいのかが決まっていない。
そこに、楽しめない状態が出ているのかもしれません。
「何の役に立つか」ではなく「自分はどう感じるか」
楽しむことに慣れていない人は、何かを選ぶときに、
「何の役に立つか」
を考えます。
そこで、ときどき質問を変えてみます。
「私はこれを好きだろうか」
「やっている間、どんな感じがするだろう」
「終わったあと、またやりたいと思うだろうか」
「誰にも見せなくても、やってみたいだろうか」
楽しみには、明確な目的がなくても構いません。
上達しなくてもよい。
人に褒められなくてもよい。
収入につながらなくてもよい。
一回やって、もう十分だと思うこともあります。
それも失敗ではありません。
自分が何を好み、何には興味がないのかを知る経験になります。
楽しむ練習を仕事にしない
楽しむことが苦手だと、
「これから毎週、趣味の時間を二時間取ろう」
「月に一度は旅行へ行こう」
と、新しい計画を立てたくなるかもしれません。
しかし、きっちり決めすぎると、また達成すべき課題になります。
最初は、成果が残らない選択を一つ入れる程度でよいでしょう。
仕事に役立たない本を読む。
気になっていた店に入る。
予定を詰めずに出かける。
食べたいものを、栄養や価格だけで決めずに選ぶ。
午後に予定を入れず、そのときの気分で過ごす。
やったことを記録したり、成長を確認したりする必要もありません。
楽しかったかどうかさえ、すぐに答えを出さなくてもよいのです。
「役に立たない時間を過ごしたけれど、何も困らなかった」
という経験も、楽しむことへの抵抗を減らします。
お金を使っても、成果を持ち帰らなくてよい
お金を使うと、
「金額に見合うものを得なければ」
と思うことがあります。
旅行へ行ったなら、よい思い出を作らなければ。
講演を聞いたなら、何かを学ばなければ。
服を買ったなら、何年も着なければ。
けれども、使ったお金の価値を、すべて成果で証明する必要はありません。
思ったほど楽しくなかった旅行もあります。
着てみたら、それほど似合わなかった服もあります。
始めたけれど続かなかった趣味もあります。
選んだものが、いつも正解になるわけではありません。
仕事では、失敗を減らすことが求められます。
けれども、楽しみにまで失敗しないことを求めると、何も選べなくなります。
自分の好みを知るには、実際に選んでみる必要があります。
合わなかったことも含めて、自分の人生に使ったお金です。
稼ぐ力の次に、自分の人生を使う力が必要になる
仕事を頑張り、経済的に自立することは、簡単なことではありません。
努力し、判断し、責任を引き受けてきたからこそ、今の生活があります。
その力を否定する必要はありません。
ただ、生活を維持する力と、生活を楽しむ力は、同じではありません。
稼ぐことができる。
将来に備えることもできる。
人の役に立つこともできる。
それでも、
自分は何が好きなのか。
どのような時間を過ごしたいのか。
得にならなくても、何にお金を使いたいのか。
そこは、別に考える必要があります。
成果にならないことにお金を使えない人は、楽しみがないのではありません。
楽しむことよりも、役に立つことを優先してきた時間が長かったのかもしれません。
何かを達成しなくても過ごせる。
理由を説明できなくても選べる。
誰にも評価されなくても、自分はこれが好きだと言える。
そうした時間が増えると、お金は将来を守るためだけでなく、今の生活を作るためにも使えるようになります。
カウンセリングでは、お金の使い方だけでなく、なぜ成果を出していない時間に不安を感じるのかを整理していきます。
いつから、役に立つことを求められてきたのか。
休んでいると、誰にどう思われる気がするのか。
何かを成し遂げなければ、自分には価値がないと感じていないか。
目標がなくなったら、自分はどうなると思っているのか。
そこが見えてくると、楽しむことを新しい課題にせず、自分の生活の一部として選べるようになります。
稼ぐ力を身につけたあとに必要になるのは、さらに頑張る方法だけではありません。
その力で作った時間やお金を、自分がどのように使いたいのかを決めることなのだと思います。
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