「私が何とかしなければ、この人はもっと悪くなる」
「ここで離れたら、見捨てたことになる」
「この人のことを本当にわかっているのは、私だけ」
そう思いながら、相手の問題に対応し続けていないでしょうか。
相手が仕事を辞めるたびに生活を支える。
借金や金銭トラブルの後始末をする。
浮気や暴言があっても、反省している姿を見るともう一度信じる。
成人した子どもの失敗を、親が代わりに片づける。
家族の不機嫌や孤独を、自分が何とかしようとする。
周囲からは、
「そこまでしなくてもいいのでは」
「もう本人に任せたほうがいい」
と言われるかもしれません。
本人も、頭ではわかっていることがあります。
それでも、相手が困っている姿を見ると放っておけません。
助けるのをやめたら、相手の生活が壊れる気がする。
自分まで冷たい人間になるように感じる。
こうした関係を説明するときに、「共依存」という言葉が使われることがあります。
共依存とは、問題と後始末の役割が固定された関係
共依存という言葉には、さまざまな使われ方があります。
ここでは、
一人が問題を繰り返し、もう一人がその後始末や責任を引き受けることで、二人の役割が固定されている関係
という意味で考えます。
表面上は、問題を起こす人が相手に依存し、支える人が自立しているように見えます。
問題を起こす人は、
お金を使いすぎる。
仕事を続けられない。
浮気や嘘を繰り返す。
感情的になり、周囲へ強く当たる。
自分で決めたことの結果を引き受けない。
一方、支える人は、
生活費を補う。
代わりに謝る。
問題が外へ知られないように隠す。
本人が困る前に先回りして対応する。
機嫌を損ねないように行動する。
こうして、関係を維持します。
支える側は、自分が依存しているとは感じにくいものです。
むしろ、
「私がしっかりしなければ」
「この人を支えるのは私の責任」
と考えています。
けれども、相手を支える役割が、自分の居場所や存在価値にもなっている場合があります。
相手から必要とされることで、関係が続く。
問題を解決することで、自分の役割を確認できる。
そのため、苦しいのに離れられない状態になることがあります。
支え合うことと、共依存は同じではない
人は誰でも、誰かの助けを借りながら生きています。
病気や失業などで、一時的に家族の支援が必要になることもあります。
夫婦や家族が、状況に応じて負担を多く引き受けることもあるでしょう。
誰かを支えること自体が、共依存なのではありません。
支え合いでは、状況に応じて役割が変わります。
今は一方が支える。
別の場面では、もう一方が支える。
助けを受けた人も、自分でできることへ取り組みます。
支える側も、自分の限界や希望を伝えられます。
一方、共依存の関係では、
相手が問題を起こす。
こちらが対応する。
一時的に落ち着く。
また問題が起きる。
再びこちらが対応する。
という流れが繰り返されます。
相手の問題が解決へ向かわないまま、後始末をする側の負担だけが増えていきます。
助けることと、相手の問題を引き受けることの違い
相手を助けることと、相手が引き受けるべき問題まで代わりに背負うことは違います。
助ける場合は、相手本人が自分の問題へ取り組むことが前提になります。
話を聞く。
必要な情報を渡す。
専門的な相談先を探す。
一人では難しい手続きを一部手伝う。
自分ができる範囲を伝える。
そのうえで、決めることや行動することは相手へ残します。
一方、問題を引き受けている状態では、
本人の代わりに決断する。
本人が負うべき金銭的な負担を繰り返し肩代わりする。
職場や家族へ代わりに説明する。
問題が知られないように隠す。
相手が困らないよう、結果が出る前に片づける。
ということが続きます。
相手の苦しさを減らしているように見えても、本人が自分の行動の結果を見る機会も減ります。
支える側は疲れ、相手は自分で対処する経験を持てないままになります。
「私がいないと、この人はダメ」が生まれる理由
相手の問題へ長く対応していると、
「私がいなくなったら、この人は生活できない」
と感じるようになります。
実際に、相手が生活面や金銭面でこちらを頼っている場合もあります。
これまで何度も問題を片づけてきたのですから、心配になるのも当然でしょう。
ただ、その気持ちの中には、
「この人が自分でできるようになったら、私は必要とされなくなる」
という不安が混ざることもあります。
相手を支えることが、長く自分の役割になっていた。
相手から頼られることで、自分の居場所を感じていた。
相手の問題に対応している間は、自分自身の寂しさや将来について考えずに済んだ。
そのような場合、相手が変わることは、喜ばしいだけではありません。
自分の役割がなくなる怖さも出ます。
もちろん、意識的に相手の自立を妨げようとしているわけではありません。
ただ、関係の形が変わることに、自分も抵抗している場合があります。
支える側にも、支えざるを得なかった事情がある
共依存の説明では、
「助けるから相手が変わらない」
「世話をやめればいい」
と言われることがあります。
けれども、現実はそれほど単純ではありません。
相手の借金を放置すれば、家族の生活にも影響が出る。
仕事を辞めた相手を放っておけば、家賃や生活費が払えない。
相手が荒れると、子どもが巻き込まれる。
問題が外へ知られれば、家族全体の生活が変わる。
離れようとすると、強く責められたり脅されたりする。
そのため、支える以外の方法を選べなかった人もいます。
相手の問題を引き受けてきた人を、
「あなたも相手に依存している」
と責めるだけでは、これまでの事情が抜け落ちます。
まず必要なのは、
なぜ引き受けるようになったのか。
引き受けなかったら、何が起きる状況だったのか。
今も同じ危険や影響があるのか。
を整理することです。
恋愛や夫婦で起こる共依存
恋愛や夫婦では、相手への愛情と問題への対応が混ざりやすくなります。
相手が仕事を辞めるたびに、生活を支える。
借金を繰り返しても、そのたびに返済を手伝う。
浮気が発覚しても、相手が落ち込むと自分が慰める側になる。
暴言を受けても、相手の生い立ちや苦しさを理解しようとする。
相手が問題を起こす。
こちらが怒る。
相手が反省し、謝る。
一時的に関係がよくなる。
しばらくすると、また同じ問題が起きる。
この流れが続くことがあります。
支える側は、
「今度こそ変わるかもしれない」
「本当は悪い人ではない」
「私まで見捨てたら、この人はどうなるのだろう」
と考えます。
相手に良い部分があることと、問題行動が続いていることは、同時に存在します。
相手の事情を理解することと、自分が被害や負担を受け続けることも別です。
親子関係で起こる共依存
親子関係では、助けることが親の役割だと思いやすいため、境目がさらにわかりにくくなります。
成人した子どもが金銭問題を起こすたび、親が返済する。
仕事を辞めても、次の仕事を探さずに生活費を出し続ける。
子どもが困らないよう、手続きや連絡をすべて親が行う。
子どもが失敗しそうになると、先回りして止める。
親として心配するのは自然です。
ただ、本人が自分の選択の結果を経験しないままでは、いつまでも親が対応し続けることになります。
反対に、成人した子どもが親の生活や感情を背負っている場合もあります。
親が寂しがるため、外出や引っ越しを諦める。
親の愚痴を毎日聞く。
親が不機嫌になると、自分が何か悪いことをしたように感じる。
自分の人生を選ぶと、親を見捨てるように思う。
親を大切にすることと、親の人生全体を引き受けることは違います。
職場でも共依存のような役割が固定される
共依存という言葉は、恋愛や家族に使われることが多いですが、職場でも似た関係が起こります。
上司が仕事を管理できず、部下が毎回後始末をする。
同僚が期限を守らず、自分が代わりに仕上げる。
部下が問題を起こすたび、本人に対応させず自分が謝る。
「私がいなければ、この職場は回らない」
と思い、負担が増えても離れられない。
本人には責任感があります。
周囲を困らせたくない気持ちもあります。
けれども、自分が対応し続けることで、問題のある仕組みがそのまま維持されることがあります。
職場を支えることと、機能していない仕組みを一人で補い続けることは別です。
共依存と癒着の違い
共依存と癒着は、近い関係にありますが、同じではありません。
癒着では、相手の感情や問題と、自分のものとの境目がわかりにくくなります。
相手が不機嫌だと、自分も落ち着かない。
相手が困っていると、自分の責任に感じる。
相手の希望を、自分の希望だと思う。
相手が何を考えているかが、自分の生活の中心になる。
共依存では、問題を起こす人と、その問題を解決する人の役割が固定されます。
相手が問題を起こす。
自分が片づける。
相手がまた問題を起こす。
自分が再び対応する。
癒着は、相手と自分の境界が曖昧な状態です。
共依存は、その曖昧さが、問題と後始末の繰り返しとして関係の中に現れた状態と考えると、違いがわかりやすくなります。
離れようとすると罪悪感が出る
共依存の関係から距離を取ろうとすると、強い罪悪感が出ることがあります。
相手が困るとわかっていて、助けないのは冷たい。
家族なのに見捨てるのか。
今まで支えてきたのに、途中でやめるのか。
自分だけ楽になるのは申し訳ない。
そう感じます。
また、相手から、
「あなたしか頼れる人がいない」
「ここまで来たのに、今さら離れるのか」
「自分がこうなったのは、あなたにも責任がある」
と言われることもあります。
すると、距離を取ることが悪い行動のように思えてきます。
けれども、相手の問題を引き受けないことと、相手を見捨てることは同じではありません。
本人が自分で向き合うべきことを、本人へ返すこともあります。
相手が困る姿を見ることに耐えられない
後始末をやめると、相手が実際に困ることがあります。
お金が足りなくなる。
職場で責任を問われる。
家族や周囲へ説明しなければならなくなる。
自分の問題と向き合わなければならなくなる。
その姿を見ると、
「やはり私が助けなければ」
と思います。
支える側は、相手の苦しさに敏感です。
自分が対応すれば、相手は一時的に楽になります。
自分の罪悪感も減ります。
けれども、そのたびに相手の結果を引き受けると、同じ流れが続きます。
相手が困っていることと、自分が解決しなければならないことを分ける必要があります。
相手の責任を相手へ返すとは
相手の責任を返すとは、突然何もかも放り出すことではありません。
何が相手の問題なのかを分けることです。
相手が使ったお金。
相手がした約束。
相手が選んだ仕事。
相手が言った言葉。
相手が取らなかった行動。
それらの結果は、基本的には相手が引き受けるものです。
こちらができることは、
相談先の情報を渡す。
必要な話し合いをする。
自分が引き受けられる範囲を伝える。
家族の安全や生活に関わる部分は現実的に対応する。
それ以上は、本人の行動を待つ。
という形になります。
どこまでが自分の責任かは、状況によって変わります。
夫婦で共有している契約や生活費。
未成年の子どもへの影響。
介護や病気。
暴力や依存症。
こうした問題がある場合には、単純に本人へ任せるだけでは済まないこともあります。
だからこそ、家族だけで抱えず、必要に応じて専門的な相談先を利用することも重要です。
いきなり関係を切らなくてもよい
共依存から離れるというと、
「すぐ別れる」
「連絡を断つ」
「一切助けない」
という方法を考えるかもしれません。
関係を終わらせる必要がある場合もあります。
ただ、すべてのケースで、最初から断絶を選ぶ必要はありません。
まずは、引き受ける範囲を変える方法があります。
相手の代わりに謝るのをやめる。
お金を出す条件や上限を決める。
本人が自分で連絡や手続きをするようにする。
その場ですぐに返事をせず、考える時間を取る。
相談には乗るが、決断は本人に任せる。
家族の事情だけで、自分の予定をすべて変更しない。
一度にすべてを変えるのではなく、これまで自分が担ってきた役割を確認し、返せるものから返していきます。
境界線を引くと、相手が怒ることもある
これまで何でも対応してきた人が範囲を変えると、相手が反発することがあります。
「前はやってくれた」
「急に冷たくなった」
「自分を見捨てるのか」
と言われるかもしれません。
相手にとっては、これまで成り立っていた関係の形が変わるからです。
相手が怒ったからといって、境界線の引き方が間違っているとは限りません。
ただし、金銭、住居、子ども、暴力などが関わる場合には、相手の反応を見ながら慎重に進める必要があります。
危険が予想される場合は、一人で話をつけようとせず、外部の相談先とつながることを優先します。
自分の生活が、相手の問題だけで埋まっていないか
共依存の関係では、相手の状態が自分の生活の中心になります。
今日は機嫌がよいか。
また問題を起こしていないか。
仕事へ行ったか。
お金を使っていないか。
約束を守っているか。
相手の様子を確認することに、多くの時間と気力を使います。
自分が何をしたいか。
どのように暮らしたいか。
誰と会いたいか。
何にお金や時間を使いたいか。
そうした自分自身の生活は後回しになります。
相手が変わらない限り、自分の人生も始められないように感じることがあります。
けれども、相手が変わるかどうかは、相手が決めることです。
自分の生活まで、その結果へ預け続ける必要はありません。
支えなくなった自分に、何が残るのか
長く誰かを支えてきた人が役割を減らすと、空白が生まれることがあります。
時間ができたのに、何をすればよいかわからない。
相手から頼られなくなると、寂しい。
自分の存在価値までなくなったように感じる。
これまで「支える人」でいることが、自分の生活や人間関係の中心だったからです。
そのため、相手の問題から離れることだけでなく、
自分はどのような生活をしたいのか。
支える役割以外に、どのような自分がいるのか。
誰かの問題を解決しなくても続く関係があるか。
を考えることも必要です。
共依存を責めない
共依存という言葉を知ると、
「自分が助けてきたから、相手が変わらなかったのだ」
と自分を責める人がいます。
けれども、そのときには、助けることが必要だと感じる事情がありました。
生活を守りたかった。
子どもへの影響を減らしたかった。
相手を失うのが怖かった。
困っている人を放っておけなかった。
自分が頑張れば、関係がよくなると信じたかった。
その気持ちまで否定する必要はありません。
大切なのは、これまでの自分を責めることではなく、
今も同じ支え方が必要なのか。
自分が引き受ける範囲を変えられないか。
相手の問題によって、自分の生活が失われていないか。
を見直すことです。
相手の問題を自分の役割として引き受けるようになった背景には、家族の中で誰かを支える立場だった経験や、役に立つことで居場所を作ってきたことが関係している場合があります。
相手を支えなくなったら、自分には何が残るのか。
相手が自分を必要としなくなったら、関係は続くのか。
距離を取ったら、冷たい人になったように感じるのはなぜか。
そうしたことを整理すると、相手を切り捨てるのではなく、自分と相手の責任を分ける方法が見えてきます。
共依存から離れることは、誰も助けない人になることではありません。
助ける範囲を自分で選ぶ。
相手が引き受けるべき結果まで奪わない。
自分の生活も、相手の生活と同じように扱う。
問題が起きるたびに、自分がすべてを背負う関係から、双方が自分の人生を引き受ける関係へ変えていくことです。
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