“丁寧な暮らし”が苦手な私へ——整ってなくても、ちゃんと生きてる

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ていねいが苦手でも、ちゃんと生きてる

「朝は白湯を飲みましょう」「季節を感じる暮らしを」「一日一つ、ていねいなことを」
——言ってることはわかる。むしろ、ちょっと憧れてる。

でも現実は、昨日の洗濯物はソファの上に山積みで、朝ごはんはカフェオレ一杯、夜はYouTubeを流しながら気づけばソファで寝落ち。
そんな暮らしをしていると、ふと、こんなことを思ってしまう。

「このままでいいのかな」
「私、ちゃんとできてない…?」

この記事では、「丁寧な暮らしって何?」「なんでそれができないとダメな気がするの?」を、心理学の視点からわかりやすく解説していきます。
整っていない生活でも、頑張れない日でも、“それでもちゃんと生きてる”自分にOKを出せるように。
そんなやさしい視点をお届けできたらと思っています。

  1. 「丁寧な暮らし」のイメージが、勝手に膨らんでしまう理由
    1. 他人の“暮らしのハイライト”と、今の自分を比べてしまう
    2. 理想の暮らしが、「自己否定の材料」になっていく
    3. 「整えること」に惹かれるのは、心を落ち着かせたいから
  2. そもそも“丁寧に暮らせない自分”はダメなのか
    1. 「こうでなければならない」がしんどくなる理由
    2. 自己不一致がつくる“暮らしのプレッシャー”
    3. 「誰かが決めた“ちゃんと”」を、自分で背負いすぎないで
  3. 実は“ちゃんとしてないと不安”な心がいるかもしれない
    1. その名も「ちゃんとしなきゃ警備隊」
    2. スキーマってなに?子ども時代にできた「自分ルール」
    3. 本当は「安心したいだけ」かもしれない
    4. 無意識の「心の警備隊」にやさしくなるとき
  4. 人生に必要なのは「整ってる部屋」より「安心できる心地」かも
    1. キレイな部屋でも、イライラしてたら意味がない
    2. ていねいの本質は「自分に合った心地よさ」
    3. 「暮らし」って、そもそも完璧に回らなくて当然
    4. 「安心できる暮らし」は、他人の目線で決まらない
  5. だから、「丁寧が苦手」だって、いいじゃないか
    1. 問題なのは、「それができない私はダメ」と思ってしまうこと
    2. ていねいじゃなくても、ちゃんと生きてる
    3. 最後に、やさしく自分に聞いてみる
    4. 最後にもう一度、今回のテーマにリンクする記事をまとめてご紹介

「丁寧な暮らし」のイメージが、勝手に膨らんでしまう理由

ある朝、SNSを開いたら流れてきたのは、木のぬくもりに包まれた朝の食卓。
手作りグラノーラと季節の果物をあしらったヨーグルト、湯気の立つ白湯、背景には朝日を浴びる観葉植物。
まるで「北欧雑貨カタログ 〜理想の朝編〜」みたいな一枚。

一方こちらは、昨夜コンビニで買ったカレーパンを袋のまま食べ、冷蔵庫から出したペットボトルのお茶を飲み干して、ギリギリでメイク。
「“ていねい”って、なんでしたっけ?」とつぶやきたくなるような朝。


他人の“暮らしのハイライト”と、今の自分を比べてしまう

でもこれ、あなたが怠けてるからでも、何かをサボっているからでもありません。
「丁寧な暮らし」のイメージが、ひとり歩きしてるだけなんです。

SNS時代のいま、私たちは誰かの“生活のハイライト”だけを見てしまいがち
そして、自分の“生活の日常”と比べてしまう。

心理学では「社会的比較理論」という考え方があります。
人は、自分の価値や状態を、他人との比較によって判断しがちだという理論です。

つまり、SNSで見かける「キラキラした朝ごはん」や「整った部屋」は、たまたまその人が余裕のある日に撮ったベストショット。
でも私たちは、それを“その人の日常のスタンダード”と勘違いしてしまうんですね。


理想の暮らしが、「自己否定の材料」になっていく

そして怖いのは、そういったイメージが積み重なると、
自分の中にある“理想の暮らし”が、どんどん手の届かないものに育っていってしまうこと。

  • 「ていねいな暮らしができてる=大人としてちゃんとしてる」
  • 「それができていない私は、ちょっと残念なのかも」
  • 「ちゃんとしていない自分は、誰かに見せられない」

こんなふうに、暮らしの中に自己否定のクセが入り込んでしまうことがあるんです。


「整えること」に惹かれるのは、心を落ち着かせたいから

実は、“丁寧な暮らし”に憧れる人の多くは、
「心にゆとりがほしい」「安心感がほしい」と思っている人だったりします。

  • 予定に追われがちで、せめて朝くらい落ち着いて過ごしたい
  • いつもバタバタしてる自分に罪悪感がある
  • 心が落ち着く「部屋」「時間」「気持ち」をつくりたい

それってつまり、「ていねいな暮らし」を通じて、本当は“心の中を整えたい”のかもしれません。

なのに、その“整えたい気持ち”が逆に「できない自分はだめ」というプレッシャーに変わってしまう——
このパターン、けっこう多いんですよね。


📎ちなみに、自分に対する理想と現実のギャップでモヤモヤするときには、
こちらの記事もおすすめです
👉 私が子供だった頃 ~押し入れベッドと自己肯定感~
(子ども時代の体験と今の自分の価値観って、けっこうつながってます)

そもそも“丁寧に暮らせない自分”はダメなのか

「ていねいな暮らしができていない=私、だめな人なのかも」

——それ、真顔で思ってませんか?

たしかに、寝ぐせのままスーパー行ったり、夜ごはんがうまい棒1本の日もあったりすると、「大丈夫かな私…」と思うこともあります。

でも、よく考えてみてください。
それ、ほんとに“ダメなこと”ですか?
…うまい棒の話じゃなくて、そこから勝手に「人として終わってるかも」みたいな結論に飛ぶ、その思考パターンのほうです。


「こうでなければならない」がしんどくなる理由

心理学では、こうした極端な思い込みを「認知のゆがみ」と呼んだりします。
中でも、“オール・オア・ナッシング(全か無か)思考”は代表的。

つまり、「ちゃんとしてない私は=完全にダメ」みたいな白黒つけすぎな考え方。

実際は、
・ちゃんとしてる日もあれば、
・そうじゃない日もある。

それだけのことなのに、なぜか急に「人間として終わってるかも」までジャンプしてしまう。


自己不一致がつくる“暮らしのプレッシャー”

心理学者カール・ロジャーズの「自己不一致理論」では、
“理想の自分”と“現実の自分”にギャップがあると、人はストレスを感じるとされています。

理想:「朝は白湯、昼はスープジャー、夜は常備菜」
現実:「朝は寝坊、昼はカップ麺、夜はなんかもういいや」

——この差がつらい。で、自己嫌悪。

でもね、冷静に考えると、
その理想の暮らしって、ほんとに「自分が心から望んでること」なんでしょうか?

もしかしてそれ、「なんとなく良さそうだと思って」「周りがそうしてるから」選んだ理想じゃないですか?


「誰かが決めた“ちゃんと”」を、自分で背負いすぎないで

たとえば、
・週末に作り置きできない私はダメ
・観葉植物を枯らす私はズボラ
・日記が3日で終わった私は続かない人間

——そうやって、自分を責めてませんか?

でもそれ、“誰かの暮らし”のルールを自分に当てはめてるだけかもしれません。
自分に合わない服を無理やり着て、「なんか窮屈…」ってなってるようなもの。

あなたにはあなたのテンポがあるし、リズムもある。
ていねいの形は、人の数だけあっていいんです。


📎ちなみに、自分にやさしくする感覚や、自分の基準で生きるってどういうこと?と思った方にはこちらの記事もおすすめ
👉 “あの子ばっかりズルい”と思ってしまう人、まだ本気を出してない説
(“他人の正解”をやめるって、思ったよりこわくて、自由です)

実は“ちゃんとしてないと不安”な心がいるかもしれない

「丁寧な暮らしができてないだけで、こんなに不安になるなんて…私、ちょっとおかしいのかな?」

そう思ってしまうその気持ち。
実は、とっても自然な反応です。

だってそれ、たぶんあなたの中にいる“あるタイプの心”が騒いでるからなんです。


その名も「ちゃんとしなきゃ警備隊」

いつからか、あなたの中に常駐してるこの隊。
日々、こんな感じで働いてくれています:

  • 「洗濯物がたたまれてない!即、自己嫌悪へ通報!」
  • 「床に髪の毛一本落ちてます!“ちゃんと”できてない証拠です!」
  • 「朝、白湯じゃなくてコーヒー飲んだ?出動!」

…いや、うるさいな。と思いながら、言い返せないのは、この“ちゃんとしなきゃ”の声が、過去に役に立っていたからなんですよね。


スキーマってなに?子ども時代にできた「自分ルール」

心理学では、このような強い思い込みや“生き方のクセ”を「スキーマ」と呼びます。
これは多くが、幼少期の経験や家庭環境によって作られた、自分なりの“安心して生きるためのルール”なんです。

たとえば:

  • 「ちゃんとしていれば怒られない」
  • 「いい子にしていれば見捨てられない」
  • 「迷惑をかけなければ、嫌われない」

こんなふうに、“ちゃんと”を自分の命綱として育ててきた場合、
大人になってからも、無意識のうちにそのルールを守り続けてしまうんです。


本当は「安心したいだけ」かもしれない

「ちゃんとしてないと落ち着かない」
「整っていないと、なんか不安になる」

それって、ほんとうは——
「安心したい」「見捨てられたくない」「認められたい」という、ごくシンプルで人間的な願いの表れなんですよね。

つまり、
丁寧な暮らし=安心感のシンボルになっていた可能性もあります。


無意識の「心の警備隊」にやさしくなるとき

だから、「丁寧にできない私はダメ!」って責める前に、
ちょっと想像してみてほしいんです。

あなたの中にいる“ちゃんとしなきゃ警備隊”、
もしかしたらすごく長いこと、あなたを守ろうとしてがんばってきたのかもしれません。

「これくらいで怒られないかな」
「誰にも迷惑かけないようにしなきゃ」

——そう思いながら、毎日をこなしてきたあなたは、きっととてもがんばり屋さんです。

だからこれからは、
「今日はちょっとゆるくてもいいよ」って、警備隊に休暇をあげてみるのもいいかもしれません。
(警備隊が休んでくれなくて苦労するんですけどね)


📎ちなみに、心の中の“声”や“ルール”に気づくことは、自己肯定感の回復にもつながります
👉 女性としての自分に、なぜか自信が持てない〜その感覚の“根っこ”をたどってみる〜


人生に必要なのは「整ってる部屋」より「安心できる心地」かも

「部屋が整っていないと、落ち着かない」
「物が出しっぱなしだと、なんだかザワザワする」

……うん、それ、あるあるです。
でもよく考えてみると、“整っている”って、本当に“安心できる”とイコールなんでしょうか?


キレイな部屋でも、イライラしてたら意味がない

たとえば、週末にがんばって部屋を片付けた日。
掃除機もかけたし、キッチンもピカピカ。ソファのクッションもふっくら。

……なのに、なぜか落ち着かない。
なぜか、疲れがとれない。
なぜか、「ちゃんとできた!」という喜びより、「もっとがんばらなきゃ…」が勝つ。

それ、“整える”ことが目的になってしまったパターンです。


ていねいの本質は「自分に合った心地よさ」

本来、“丁寧な暮らし”って、
「暮らしの中で、自分の気持ちが整うこと」だと思うんです。

つまり、

  • ちょっとだけ深呼吸できる
  • 「今日はこれでいいや」と思える
  • 自分を責めない余白がある

——そんな心のスペースこそが、ていねいの本質。

なのに、「部屋が整ってる=丁寧」「食材が手作り=丁寧」と思い込むと、
外側を整えることで、なんとか内側のザワザワをごまかそうとしてしまう

で、片付けたのに安心できない、っていう“キレイな不安地獄”に迷い込むんですよね。


「暮らし」って、そもそも完璧に回らなくて当然

人間ってそもそも、
・予定どおりに起きられない日もあるし
・ごはんを作る気力がない日もあるし
・洗濯物を眺めて3日経つこともあります。

それが普通。
それが生きてるってこと。
それが、暮らしです。

毎日100点じゃなくてもいいし、たまに50点でも、ぜんぜん“人生不合格”じゃない。


「安心できる暮らし」は、他人の目線で決まらない

SNSや本に出てくる“ていねい”は、あくまで「その人にとっての安心」であって、
あなたにとっての安心とは限りません。

・朝食にトースト1枚でも、満足感がある
・部屋がちょっと散らかっていても、ゆるせる
・今日は疲れたから、自炊はやめておく

こういう選択ができることこそ、
ほんとうに自分にやさしい、ていねいな暮らしなのかもしれません。


📎「ちゃんとしなきゃ」をゆるめて、自分にやさしくなるコツは、こちらの記事もどうぞ👇
👉 “女として見られる”ことに抵抗がある理由——心の奥の小さな戸惑い

だから、「丁寧が苦手」だって、いいじゃないか

ここまで、「丁寧な暮らし」にちょっと疲れてしまった人たちの心が、
すこしでも軽くなるようにと書いてきました。

でもね、これだけは最後にちゃんと言っておきたいんです。

ていねいに暮らしてる人を否定したいわけじゃ、まったくありません。

朝の白湯が沁みる人、
季節を感じる料理を楽しめる人、
掃除が完璧だと気持ちまで整う人。

それで“心地よさ”を感じられるなら、それはもう立派な「幸せのかたち」です。


問題なのは、「それができない私はダメ」と思ってしまうこと

この世の中にはいろんな暮らし方があるけど、
どうしても“ていねいな暮らし”って、キラキラした理想像として語られがち。

でも、「こうしなければ丁寧じゃない」なんてルールは、実は誰も決めてない。
勝手に自分で作って、自分で縛られて、苦しくなっているだけかもしれません。

自分に合っていない“正解”を必死で追いかけて、疲れてしまうくらいなら、
いっそこう思ってしまっていいんです。

「私、ていねいが苦手なタイプです」って、開き直ったほうが楽。」


ていねいじゃなくても、ちゃんと生きてる

朝、ちょっと寝坊しても。
夜ごはんが納豆ごはんだけでも。
今日は洗濯物を見て見ぬふりしても。

それでもあなたは、ちゃんと息をして、動いて、誰かにやさしくしようとしてる。

それって、ものすごくていねいな“生き方”なんじゃないでしょうか。

部屋がちょっと散らかってても、心に少し余白があればそれで十分。
誰かの“きちんと”じゃなく、自分にとっての“心地よさ”があれば、それがあなたの丁寧。


最後に、やさしく自分に聞いてみる

「私は、私にとってどんな暮らしが心地いいんだろう?」

その問いに、完璧な答えはいらないし、すぐに出なくても大丈夫。
ときどき忘れても、また思い出せればそれでOK。

ていねいじゃなくても、大丈夫。
それでも、ちゃんと生きてる。
それだけでもう、十分なんです。


最後にもう一度、今回のテーマにリンクする記事をまとめてご紹介

👉 私が子供だった頃 ~押し入れベッドと自己肯定感~
👉 “あの子ばっかりズルい”と思ってしまう人、まだ本気を出してない説
👉 女性としての自分に、なぜか自信が持てない〜その感覚の“根っこ”をたどってみる〜
👉 “女として見られる”ことに抵抗がある理由——心の奥の小さな戸惑い

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