職場で話しやすい人ができた。
何度かランチへ行き、「この人とは仲良くなれるかもしれない」と思っていた。
ところがある日、以前聞いていた話と少し違うことを言っている。
「あれ? 前と言っていることが違わない?」
その瞬間から気になり始める。
何か隠しているのでは。
私に話していることも、本当ではないのでは。
親しくしているのにも、何か別の目的があるのでは。
一度そう思うと、それまで楽しかった会話まで違って見えてくる。
そして、
「やっぱり人って信用できない」
と距離を置く。
本当は、心を許せる友人が欲しい。恋愛でも、もっと相手を信じてみたい。
なのに人が近づいてくるほど、疑う理由を探してしまう。
なぜなのでしょう。
そもそも、自分は人とどのくらい近づきたいのだろう
人を信用できないと、
「もっと人を信じられるようにならなければ」
と考えがちです。
でも、その前に考えてみたいことがあります。
自分は、本当にどんな人間関係を望んでいるのでしょうか。
大勢の友人と頻繁に会いたい人もいます。
親しい人が数人いれば十分な人もいます。
一人で過ごす時間が長い方が、心地よい人もいます。
仕事では人と関わるけれど、私生活ではあまり深く関わりたくないという人もいます。
人との距離を取ること自体を、問題にする必要はありません。
一人でいることが好きで、それで満足しているなら、その生き方もあります。
今回考えたいのは、
「本当は心を許せる人が欲しい」
「誰かともっと深くつながりたい」
「信頼できるパートナーが欲しい」
と思っているのに、実際に人が近づくと拒絶したくなる場合です。
ここには、
近づきたい気持ちと、近づいたら傷つくという警戒心が同時に存在している
ことがあります。
少しの違和感から、一気に「信用できない人」になる
人への警戒心が強いと、相手の言動をかなり細かく見ています。
話が前と違う。
約束の時間に遅れた。
別の人には違う態度をしていた。
返信が思っていたより遅かった。
褒めてくれたけれど、何か頼みたいだけなのではと思う。
もちろん、実際に信用しない方がよい相手もいます。
何度もうそをつく。
約束を守らない。
都合が悪くなると話を変える。
こちらの意思を無視する。
そういう相手に警戒することは必要です。
ただ、人への疑いが強くなっていると、まだ判断材料が少ない段階でも、
「あ、この人も信用できない」
と結論を急ぐことがあります。
最初は一つの違和感だったはずなのに、その後は相手の行動すべてが疑わしく見えてくる。
「やっぱりあの人は裏がある」
という証拠を集めるように相手を見ることもあります。
疑うことで、もう一度傷つくことを防いでいる
なぜそこまで人を疑うのでしょう。
過去に、人を信じたことで深く傷ついた経験がある場合があります。
仲が良いと思っていた友人に、自分だけ知らされていないことがあった。
相談した内容を、ほかの人に話された。
恋人を信用していたのに裏切られた。
家族が約束を守らなかった。
親の言うことが、そのときによって変わった。
大人の顔色を見ながら、
「この人の言葉をそのまま信じてはいけない」
と感じる環境で過ごした人もいるでしょう。
一度、
「信用したら傷ついた」
という経験をすると、次は同じことにならないようにします。
相手をよく見る。
矛盾を探す。
簡単に本音を話さない。
少しでも怪しいと思ったら距離を取る。
その方が、実際に裏切られて傷つく前に、自分を守れるからです。
だから、人を疑うことには役割があります。
人への警戒心が強くなる背景には、
・信じていた人に裏切られた経験がある
・家族の言葉や態度に一貫性がなかった
・人を簡単に信用してはいけないと教えられてきた
・本音を話したことで嫌な思いをした
・人に期待して、何度も失望してきた
などが関係することがあります。
大きな裏切りがなくても、人を信用できなくなることはある
「あの出来事から人間不信になった」
とはっきりわかる人もいます。
一方で、特別大きな出来事を思い出せない人もいます。
その場合は、日常の中で何度も経験したことが影響している場合があります。
約束しても守ってもらえない。
「あとでね」と言われたことが、そのまま忘れられる。
話を聞いてもらえると思ったら、途中で否定される。
頼ってみたら、「それくらい自分でやりなさい」と言われる。
昨日はよかったことを、今日は怒られる。
一つひとつは、人生を決定づけるような出来事には見えないかもしれません。
でも、それが何度も続けば、
「人の言うことは当てにならない」
という感覚を持つことがあります。
最初から誰かを信用しない方が、がっかりせずに済みます。
「信用する=無防備になる」と感じていないか
人を信用することに抵抗がある人の中には、
信用することを、
「相手の言うことを全部信じること」
「疑わないこと」
「何をされても受け入れること」
のように感じている人がいます。
そう考えると、信用するのは怖くなります。
人は間違えます。
約束を忘れることもあります。
考えが変わることもあります。
良いところもあれば、苦手な部分もあります。
だから、
「この人を信用する」
ということを、相手のすべてに保証を与えることのように考えなくてもよいのです。
たとえば、
「仕事については、この人を信用している」
「この友人なら、この話はしてもよいと思える」
「この人は時間にはルーズだけれど、困ったときには助けてくれる」
という信用の仕方もあります。
人を信用できない人ほど、
信用できる人
信用できない人
の二種類に分けようとすることがあります。
でも実際の人間関係は、そこまで単純ではありません。
完璧に信用できる人を探すほど、誰も信用できなくなる
「この人なら信用できそう」
と思った相手が、自分の期待と違う行動をした。
そこで、
「やっぱりこの人もだめだった」
となる。
また別の人と知り合う。
最初はよいと思う。
でも、何か引っかかる。
また距離を取る。
これを繰り返すと、
「結局、信用できる人なんていない」
という結論になっていきます。
ただ、求めている相手が、
絶対に自分を裏切らない人
になっていることがあります。
しかし、どんな人でも、間違えたり、考え方が変わったりすることはあります。
「一度も自分を裏切らない人」を探そうとすると、相手に少しでも期待と違うところがあったときに、誰も信用できなくなってしまいます。
信用には、相手の言動を見る力だけでなく、
期待と違うことが起きたとき、それをすぐに「裏切り」と決めつけない力
も必要です。
「人を信用できない」とき、自分の側にも罪悪感があることがある
もう一つ、人への疑いが強くなる背景として、自分自身の罪悪感が関係する場合があります。
自分も本音を隠している。
その場を収めるために、思っていないことを言うことがある。
断りたいのに「いいよ」と言う。
相手に嫌われたくなくて、話を合わせる。
そんなことが続いていると、
「人は本音を言わないもの」
と感じやすくなることがあります。
自分が表面上は笑っていても、心の中では違うことを考えている。
だから、
「この人も本当は別のことを考えているのでは」
と相手を見る。
これは、「自分が悪いから人を疑う」という話ではありません。
自分自身がどのくらい本音と一致した行動をしているかも、人への信用に影響することがあるということです。
猜疑心を全部なくす必要はない
人を信じられるようになるために、
「もう人を疑わない」
と決める必要はありません。
むしろ、何でも信じてしまえば、それはそれで危険です。
違和感を覚える。
相手の言動を見る。
何かおかしいと思ったら確認する。
必要なら距離を取る。
こうした警戒は必要です。
問題になるのは、警戒心が強すぎて、
「まだよくわからない人」
まで、
「信用できない人」
にしてしまうときです。
目指したいのは、
・誰でも信用すること
・疑いを完全になくすこと
・人との距離を無理に近づけること
ではありません。
「この人のここまでは信用してみよう」と、自分で距離を選べることです。
「この人のこの部分なら信用できる」から始める
長く人を警戒してきた人が、急に誰かを全面的に信用するのは難しいでしょう。
だから、信用をゼロか百かで考えないことです。
たとえば職場なら、
「この人は仕事の締切については信用できる」
友人なら、
「この人には趣味の話ならしてみてもいい」
パートナーなら、
「全部はまだ信じ切れないけれど、今まで約束は守っている」
そんなふうに、実際の行動を見ながら信用する範囲を決めます。
そして相手の行動を見て、
「ここまでは大丈夫そうだ」
と思えたら、少し範囲を広げる。
反対に、
「この部分は信用しない方がよさそうだ」
と思えば、そこは距離を取る。
信用は、一度決めたら変更できない契約ではありません。
相手を見ながら調整できます。
信用できない自分より、「何を怖がっているのか」を見る
誰かと仲良くなりそうになると、急に相手の欠点が気になる。
少しでも話が食い違うと、一気に距離を取りたくなる。
そんなときは、
「また人を拒絶してしまった」
と自分を責める前に、何を怖がっているのかを見てみます。
・この人を信じたら、何が起きそうに感じるか
・過去に信用して傷ついた相手は誰だったか
・人を信用してはいけないと感じ始めたのはいつ頃か
・相手のどんな行動に強く反応するのか
・「信用できない」と判断したとき、本当は何を守ろうとしているのか
・自分は本当は、どんな人間関係が欲しいのか
同じ「人を信用できない」でも、背景は違います。
裏切られた経験が残っている人。
家庭の中で人を信用する経験をあまり持てなかった人。
本音を知られることが怖い人。
近づいたあとに失うことを怖がっている人。
今目の前にいる相手が、本当に信用しにくい人である場合もあります。
全部を過去の問題として考える必要もありません。
過去の人と、今目の前にいる人を分けていく
以前、信用した相手に裏切られた経験があると、
「もう二度と同じ思いをしたくない」
と思います。
すると新しく出会った人の中に、過去の相手と似ているところを探します。
言い方が似ている。
連絡が遅い。
話が少し変わった。
それだけで、
「この人も同じかもしれない」
と感じることがあります。
でも、今目の前にいる人は、過去に自分を傷つけた人とは別の人です。
カウンセリングでは、
何があって人を疑うようになったのか。
そのとき何が悲しく、怖く、腹立たしかったのか。
どんな場面で今も警戒心が強くなるのか。
そして目の前の人は、本当に同じことをしているのか。
そうしたことを整理していきます。
過去の経験を忘れることを目指すわけではありません。
その経験から学んだことは残しながら、今の相手まで同じ人として扱わなくてもよくなることが重要です。
まとめ
人を信用したいのに、近づくほど疑ってしまう。
少し矛盾したところを見るだけで、
「やっぱり信用できない」
と距離を置きたくなる。
その警戒心は、これまで自分を守るために必要だったのかもしれません。
だから、猜疑心を全部なくすことを目標にしなくてもいいのです。
ただ、本当は心を許せる人が欲しいのに、
「また傷つくかもしれない」
という怖さによって、まだ何も起きていない相手まで拒絶してしまうなら、その警戒が今も同じ強さで必要なのかを見ることはできます。
誰でも信用する必要はありません。
人を信用するかしないかを、最初から百かゼロで決めなくてもいい。
「この人のここは信用できる」
「ここはまだわからない」
「この部分については距離を取ろう」
そんなふうに、自分で信用する範囲を決めることもできます。
そして何より、
「人を信用できるようにならなければ」
から始めるより、
私は本当は、どんな人と、どのくらい近い関係を作りたいのだろう。
そこから考えることです。
一人で過ごすことが好きなら、その時間を守っていい。
人と深くつながりたいなら、そのために今の警戒がどこまで必要なのかを見ていく。
昔の自分を守ってきた疑いも持ちながら、今の自分が誰とどこまで関わるのかを選べるようになること。
人を信用するというのは、疑わなくなることよりも、そんな選択ができる状態に近いのだと思います。



