誰かと出会って、何かが起こる|人と人の「間(あわい)」に生まれるもの

感情・心のしくみ

誰かと出会って、何かが起こる。

私はこれまで、そんな話をよくしてきました。

ある人と出会ったことで、急に自信がなくなる。

ある人の前では、なぜか頑張りすぎる。

今まで一人で何でもできていたのに、その人には頼りたくなる。

逆に、自分でも驚くほど腹が立ったり、寂しくなったりすることもあります。

一方で、ある人といると自然体でいられたり、思いがけず勇気が出たり、一人では気づけなかった自分の良さを感じられることもあります。

同じ自分なのに、誰といるかによって出てくる気持ちも、行動も、ずいぶん変わる。

では、そのとき何が起きているのでしょう。

相手の問題なのでしょうか。

それとも、自分の問題なのでしょうか。

私は、そのどちらか一方だけではなく、

「自分と相手の間では、何が起きているんだろう」

というところに、とても興味があります。

この記事のポイント

人と人が関わると、その間にはさまざまなものが現れます。

過去の経験や感情が映し出されることもあれば、今この関係で起きていることが見えてくることもあります。

そして、ときにはその人と出会ったからこそ、それまでにはなかった気持ちや選択が生まれることもあります。

私は、その「何かが起きる場所」を、間(あわい)という視点から見ていきたいと思っています。

「あわい」に目を向けるということは、相手を分析することでも、自分の中だけを掘り下げることでもありません。

自分と何かが関わったとき、自分の中にどんな気持ちや反応が出てくるのか。
そして、その間では何が起きているのかを見ること。

それが、私が考えている「あわい」の入り口です。

「あわい」は、ただの空白ではない

「あわい」と聞くと、二つのものの間にある空間のように感じるかもしれません。

でも、人と人の間には、何もないわけではありません。

たとえば、

夫が黙ると、急に不安になる。

母親の前では、何歳になっても自信がなくなる。

ある友人とは何でも話せるのに、好きな人には本音が言えない。

職場では何でもできるのに、家では急に力が抜ける。

そこでは、相手と自分がただ並んで存在しているだけではなく、二人の関わりによって、気持ちや反応が変化しています。

私は、こうした自分と何かの間で起きていることまで含めて「あわい」と考えています。

自分と何かの「あわい」には、何らかの感情があると考えています。
安心や喜び、信頼のような感情もあれば、怖れ、怒り、悲しみ、罪悪感のような感情もあります。

そして、その感情は、今目の前で起きたことだけから生まれているとは限りません。
過去の経験によって、今の関係の中に出てきている感情もあります。

その感情が、相手との関わり方や、自分の行動、選択に影響することがあります。

人との間だけではありません。

過去を思い出したとき。

ある場所に行ったとき。

一人で自分自身と向き合ったとき。

そこにも、さまざまな「あわい」があります。

あわいは、過去を映し出すことがある

今の相手との関係に、過去の経験や感情が影響することがあります。

たとえば、子どもの頃、父親が怒ると黙り込む人だった。

その経験があると、今の夫が黙っただけで、

「怒っているのではないか」

「何か悪いことをしたのではないか」

と強く不安になることがあります。

今の夫と昔の父親は別の人です。

それでも、自分の中に残っている過去の感情や記憶が、今の関係に映し出されることがあります。

心理学では、こうしたことを投影として扱うことがあります。

だから、今起きている反応を理解するために、過去の経験を振り返ることが必要になる場合もあります。

でも、何でも過去の投影とは限らない

一方で、今感じていることを何でも、

「これは過去の投影だから」

と片づけてしまうのも違います。

相手が実際に冷たいこともあります。

こちらばかりに負担が偏っている関係もあります。

その人の前だからこそ、本当に安心できていることもあります。

今まで出会った誰とも違う関わり方をしてくれる人に出会って、初めて

「この人には頼ってみたい」

と思うことだってあります。

つまり、あわいは過去だけを映し出す場所ではありません。

今、この人と自分の間で実際に何が起きているのか。

そこを見ることも大切です。

投影という見方を外すのではなく、

投影も含めて、今この関係で何が起きているのかを、もう少し広く見る。

私はそんなふうに考えています。

そして、あわいには新しいものが生まれることもある

私は、ここがとても面白いと思っています。

誰かと出会ったことで、それまで知らなかった自分が出てくることがあります。

「私はこんなに誰かを好きになれるんだ」

と初めて知る。

何でも一人でできると思っていたのに、

「この人には助けてほしい」

と思う。

今までなら黙っていたのに、その人には

「それは嫌だった」

と言える。

逆に、自分はあまり怒らない人だと思っていたのに、ある人と関わると何度も腹が立つ。

出会う前にはなかったものが、関係の中から生まれてくることがあります。

それは、過去の繰り返しだけではありません。

その人と出会ったからこそ、初めて生まれたものかもしれません。

日本には古くから「むすひ」という考え方がある

日本には古くから、「むすひ」という考え方があります。

「むすひ」は、ものが生まれ、育ち、新しいものが生まれていく働きに関わる言葉です。

ここで私は、神道の教義や歴史をお伝えしたいわけではありません。

ただ、

何かと何かが関わることで、そこから新しいものが生まれていく

という考え方に、とても惹かれています。

人と人も、そうではないでしょうか。

二人が出会う。

関わる。

影響し合う。

すると、その関わりの中で、それまでにはなかった感情や考え方、選択が生まれることがあります。

自分一人では気づかなかった自分を知ることもあります。

これまで大切だと思っていなかったものを、大切にしたいと思うこともあります。

私は、そうやって何かが生まれてくることと、「あわい」という見方がつながっているように感じています。

誰かと出会うと、過去も今も動く

人との関係の中で起きていることは、一つではありません。

私は、あわいには大きく三つのものがあると考えています。

過去を映し出すもの。

過去の経験や感情、以前の人との関係が今に影響していることがあります。

今を映し出すもの。

現在の相手の言動や、今この関係で起きていることがあります。

新しく生まれるもの。

この人と出会ったからこそ、初めて感じたこと、できたこと、選べたことがあります。

この三つが重なりながら、私たちは人と関わっています。

だから、

「全部私の問題」

でも、

「全部相手の問題」

でもないことがあります。

大切なのは、

「この人と私の間で、今、何が起きているんだろう」

と見てみることです。

過去がわかっただけでは、変えられないこともある

たとえば、

「夫が黙ると怖いのは、父親との関係を重ねているからなんだ」

とわかったとします。

理解できたことで、ずいぶん楽になることもあります。

でも、実際に夫が黙った瞬間になると、やっぱり怖い。

「頼っても大丈夫」と頭ではわかっているのに、いざ人に頼ろうとすると体が止まる。

「本音を言ってもいい」と理解しているのに、その人を目の前にすると言葉が出てこない。

そんなこともあります。

過去を理解することは大切です。

でも、理解しただけで、長い間くり返してきた感情や反応がすぐ変わるとは限りません。

だから私は、何が影響しているのかわかったその先も大切だと思っています。

あわいに絡み合っているものを「ほどく」

誰かとの間で強い反応が出るとき、そこにあるものは一つだけとは限りません。

たとえば、夫が黙ったときに怖くなる。

そこには、子どもの頃、父親が黙ると怖かったという記憶があるかもしれません。

「男性を怒らせてはいけない」という思いもあるかもしれません。

そして同時に、

今の夫に話を聞いてもらえない寂しさ。

「本当はもっと話したい」という気持ち。

言いたいことを我慢してきた怒り。

そんな今の感情もあるかもしれません。

過去の感情。

今の感情。

これまでに身につけた思い込み。

相手への期待。

言えなかったこと。

そうしたものが重なり合っていると、目の前の相手との間で何が起きているのかが、わかりにくくなります。

だから私は、まずその「あわい」に絡み合っているものをほどくことが必要だと考えています。

ほどくというのは、嫌な感情をなくしたり、思い込みを無理に捨てたりすることではありません。

「これは、あの頃の父への怖さだったんだ」

「これは、今の夫に感じている寂しさなんだ」

「私はずっと、『我慢しなければ関係が壊れる』と思っていたんだ」

そんなふうに、一つになっていたものを少しずつ見分けていく。

そして、そこに怖さや悲しみ、怒りなどの感情があることに気づいたら、必要に応じて、その感情を少し感じたり、緩めたりしていく。

何かを無理に消そうとするのではありません。
これまで押し込めてきたものがあるなら、「私はこんなふうに感じていたんだ」と気づくことから始めます。

すると、

過去の人と今の人。

過去の自分と今の自分。

昔感じたことと、今感じていること。

それぞれが少しずつ見えてくることがあります。

何かを切り捨てるのではなく、

あわいに絡み合っているものを解いて、今ここで本当に起きていることが見えるようにしていく。

それが、私が考えている「ほどく」です。

今の自分から、もう一度「むすぶ」

絡み合っていたものがほどけてくると、今まで一緒になっていたものを、少し違う目で見られるようになります。

たとえば、

「今の夫は父親ではない」

と頭で言い聞かせるだけではなく、

父親に怖さを感じていた自分と、今の夫を前にしている自分を分けて感じられるようになる。

過去の人との関係も、今の自分からもう一度見直すことができます。

「あの頃の私は怖かった」

「本当は愛してほしかった」

「言いたいことがあった」

「私は子どもだった」

そうやって、当時はできなかった見方を、今の自分からしてみる。

これは、その人と現実に仲直りしたり、許したりしなければならないという意味ではありません。

自分の中に残っている過去との関係を、今の自分からもう一度むすび直すということです。

そして、目の前にいる人とも、

「この人は、本当はどんな人なんだろう」

「私はこの人と、どんな関係を作りたいんだろう」

と、改めて関わってみる。

自分自身に対しても同じです。

「私はこういう人だから」

と決めつけていた自分ではなく、

今ここにいる自分と、もう一度関わってみる。

ほどくことでできた「あわい」に、

今の自分から、新しく関係をむすんでいく。

すると、そこに今までとは違う感情が生まれることがあります。

安心。

愛。

信頼。

自分を大切にしたいという気持ち。

「この人となら、もう少し話してみてもいいかもしれない」

という感覚。

むすぶというのは、誰かと無理につながることではありません。

今の自分から、自分や人、過去との関係を改めて作っていくこと。

私はそう考えています。

そこで起きたものを「受け取る」

関係をむすび直してみると、今までとは違うことが起きることがあります。

人に頼ってみたら、

「言ってくれてよかった」

と言ってもらえた。

本音を話してみたら、相手が思っていた以上に話を聞いてくれた。

自分の気持ちに目を向けてみたら、

「本当は寂しかった」

と初めて気づいた。

誰かから、

「あなたがいてくれて助かった」

と言われて、

「私にもこんな価値があるのかもしれない」

と感じた。

でも私たちは、新しいことが起きても、

「たまたま」

「本当は迷惑だったはず」

「そんなことで喜んではいけない」

「私にはそんな価値はない」

と打ち消してしまうことがあります。

だから、そこで起きたものを受け取ることも大切です。

相手からの言葉や好意だけではありません。

自分の中に出てきた感情。

自分が望んでいたこと。

自分の価値。

安心や愛、信頼を感じたこと。

そうしたものを、

「私は今、こう感じているんだ」

と、自分の中に入れていく。

受け取ることで、新しい体験がただ通り過ぎるのではなく、自分のものになっていきます。

受け取ったものから、新しいものを「生み出す」

新しい体験や感情を受け取ると、それまでにはなかった気づきが生まれることがあります。

「全部一人でやらなくてもいいのかもしれない」

「私は、本当はもっと人とつながりたかったのかもしれない」

「嫌だと言っても、関係は終わらないこともある」

「私は、自分のことをもう少し大切にしたい」

そんな気づきです。

そして、その気づきが実際の行動につながることもあります。

今度は自分から頼ってみる。

言いたかったことを一つ伝えてみる。

嫌なことを断ってみる。

今までなら選ばなかったことを選んでみる。

誰かとの関わり方を変えてみる。

すぐに大きな変化が起きる必要はありません。

でも、これまでと同じ反応だけではなく、

「こんなこともできるかもしれない」

という新しい選択が生まれる。

私は、それが「生み出す」ということだと考えています。

ほどく。

むすぶ。

受け取る。

生み出す。

この流れの中で、今までとは違う自分の気持ちや関わり方が生まれてくることがあります。

私は、そこにも「むすひ」の考え方を感じています。

「あわい」を見ることは、自分の心に興味を持つこと

誰かと出会って、何かが起こる。

その「何か」が起きる場所が、あわいです。

あわいには、

過去が映し出されることもある。

今が映し出されることもある。

そして、まだなかったものが生まれることもある。

「あわい」という見方を持つと、

何かが起きたときに、

「相手が悪い」

「私が悪い」

とすぐにどちらかの答えを出す前に、

「今、この人と私の間では何が起きているんだろう」

と見てみることができます。

そしてもう一つ、

「私は今、何を感じているんだろう」

と、自分の心にも目を向けることができます。

私は、ここも大切にしたいと思っています。

自分の心は、問題が起きたときだけ向き合うものではありません。

腹が立ったとき。

寂しくなったとき。

誰かに頼りたくなったとき。

なぜか安心したとき。

これまでとは違うことをしてみたくなったとき。

「どうして私はこうなるんだろう」

と、自分の心に少し興味を持ってみる。

すると、何かが起きるたびに反射的に動くのではなく、一度自分を見る余白が生まれてきます。

気づいたからといって、すぐに感情や行動が変わるとは限りません。

でも、気づかないままでは、いつもの反応をそのまま繰り返しやすくなります。

「私は今、こんなふうに感じているんだ」
「こういうとき、私はいつも自分を責めるんだ」
「これは、昔から持っている怖さなのかもしれない」

そう気づくことで、初めて、これまでとは違う関わり方や選択を考えられるようになります。

気づきは、変化そのものではなく、変化が始まる入口です。

その余白の中で、

「これは昔の怖さなのかもしれない」

「でも、今の私は本当はこう感じている」

「だったら、今回はこうしてみよう」

と、これまでとは違う選択ができることもあります。

そうやって自分の心と付き合えるようになることが、少しずつ落ち着いて、穏やかに自分や人と関われることにもつながっていくのではないかと思っています。

私はこれから、このブログでも、

自分と人、自分と過去、自分と場所、自分自身との「あわい」

に注目しながら、心理について書いていきたいと思っています。

自分だけを見てもわからない。

相手だけを見てもわからない。

でも、その間を見ると見えてくるものがある。

その中にあるものをほどき、

今の自分からむすび直し、

そこで起きたことを受け取り、

そこから新しいものを生み出していく。

そんな「あわい」を、これから少しずつ考えていきたいと思います。

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