頼まれた仕事は、最後まできちんとやる。
家族が困っていたら、自分が動く。
約束したことは、多少無理をしても守る。
誰かに迷惑をかけないように、できることは自分でする。
そんなふうに、ずっと「ちゃんとすること」を大切にしてきた人がいます。
周囲からも、
「しっかりしているよね」
「あなたに任せれば間違いない」
「本当に頼りになる」
と言われてきたでしょう。
ところが、年齢を重ね、仕事や家族の役割が増えてくると、今までのようには動けない日も出てきます。
疲れている。
今日は引き受けたくない。
誰かに任せたい。
自分の予定を優先したい。
そう思っても、
「でも、私がやらなければ」
「途中で投げ出すのは無責任だ」
「これくらいできない自分は情けない」
と考え、結局また自分が動きます。
本当はもう大変なのに、「ちゃんとしなければ」が止まりません。
なぜ、自分を苦しくするほど、同じルールを守り続けるのでしょうか。
「こうあるべき」という自分の中のルール
私たちは、生活する中でたくさんのルールを持っています。
仕事は責任を持ってやるべき。
家族は助け合うべき。
人には親切にするべき。
約束は守るべき。
こうした考えがあるからこそ、社会生活が成り立つ部分もあります。
ただ、どのような状況でも例外なく守らなければならないものになると、苦しさが生まれます。
体調が悪くても、仕事を休んではいけない。
夫が不機嫌でも、妻は優しく接するべき。
親に頼まれたことは、子どもが断ってはいけない。
仕事ができる人は、弱音を吐いてはいけない。
このような「しなければならない」「してはいけない」「こうであるべき」という強い思い込みを、心理学では観念と呼ぶことがあります。
観念を持っていること自体が問題なのではありません。
問題になるのは、状況が変わっても同じルールだけが残り、今の自分を苦しめるようになったときです。
ちゃんとしていたから、うまくいったこともある
「ちゃんとしなければ」と考えるようになったのには、理由があります。
子どもの頃、しっかりしていると褒められた。
親を困らせなければ、家の中が荒れずに済んだ。
弟や妹の面倒を見ると、役に立てた。
学校では、先生の言うことを守れば評価された。
職場では、人より多く引き受けることで信頼された。
ちゃんとすることで、実際に得られたものがあったのです。
褒められた。
怒られずに済んだ。
必要とされた。
居場所ができた。
問題を早く片づけられた。
だから、「ちゃんとする」という方法を身につけたのは、間違いだったわけではありません。
その時期には、自分を守り、周囲とうまくやっていくために役立っていたのでしょう。
ただ、以前は必要だったルールが、現在の生活にもそのまま必要とは限りません。
状況が変わっても、昔のルールだけが残る
子どもの頃は、親に従わなければ生活できませんでした。
新人の頃は、頼まれた仕事を断りにくかったでしょう。
子育てで手がかかる時期には、自分の都合を後回しにせざるを得ない日もあったかもしれません。
ところが、状況が変わっても、
「私は我慢しなければならない」
「頼まれたら断ってはいけない」
「人に任せるより、自分でやるべき」
というルールが残ることがあります。
すでに自分で働き方を選べる立場になっている。
子どもも大きくなっている。
周囲には頼める人がいる。
それでも、以前と同じように一人で引き受けます。
頭では、
「もう私が全部やらなくてもいい」
とわかっていても、実際に任せようとすると落ち着きません。
自分が見ていないところで、何か問題が起きる気がする。
相手が困る気がする。
最後には、自分が後始末をすることになる気がする。
そこで、
「やはり自分でやったほうが早い」
と元の役割へ戻ります。
できない自分を、必要以上に責めてしまう
「ちゃんとしなければ」が強い人は、できたときに自分を褒めるというより、できなかったときに強く責めることがあります。
頼まれた仕事を断った。
家族の相談に十分付き合えなかった。
予定していた家事を残した。
疲れて何もしたくなかった。
そんな日があると、
「私は無責任だ」
「こんなこともできなくなった」
「以前の私は、もっと頑張れたのに」
と考えます。
しかし、引き受けられなかったことと、人として無責任であることは同じではありません。
今日できなかったことと、これまで積み重ねてきたものも別です。
ところが、強いルールを持っていると、一度守れなかっただけで、自分全体がダメになったように感じます。
「仕事はきちんとするべき」というルールがある人は、少しのミスで仕事のできない人になったように感じる。
「母親は子どもを優先するべき」というルールがある人は、自分の予定を優先しただけで、冷たい母親になったように感じる。
一つの行動を、自分の価値全体へ広げてしまうのです。
人に任せられないのも、「こうあるべき」があるから
自分がちゃんとすることに慣れていると、人のやり方が気になることがあります。
仕事を任せたけれど、進め方が遅い。
家事を頼んだけれど、いつものやり方と違う。
説明したのに、思っていた仕上がりにならない。
すると、
「やっぱり私がやったほうが早い」
となります。
ここには、
「仕事は、この手順で進めるべき」
「家事は、この状態まで終わらせるべき」
「頼まれたら、相手が望むとおりにやるべき」
というルールが隠れていることがあります。
自分が長い間守ってきた基準だからこそ、周囲にも同じものを求めたくなるのです。
けれども、自分と同じ方法でなければ、ちゃんとしていないとは限りません。
結果が必要な水準に達しているなら、途中の進め方は相手に任せられることもあります。
それでも口や手を出したくなるなら、
「この人に任せるのが不安なのか」
「自分と違うやり方を認めるのが嫌なのか」
「任せた結果、困るのは結局自分だと思っているのか」
を分けて考える必要があります。
自分だけでなく、周囲にも厳しくなる
「こうあるべき」は、自分だけを縛るとは限りません。
自分が休まず働いてきた人は、すぐに休む人を見ると腹が立つことがあります。
自分が人に迷惑をかけないようにしてきた人は、気軽に頼ってくる人を図々しく感じるかもしれません。
家族を優先してきた人は、自分の楽しみを優先する人を無責任だと感じることがあります。
「私はずっと我慢してきたのに、なぜこの人は平気でやらないの?」
という気持ちになるのです。
本当は、その人に腹を立てているだけではないのかもしれません。
自分には許してこなかったことを、相手が簡単にしている。
休む。
断る。
助けを求める。
自分の都合を伝える。
それを見せられると、自分が守ってきたルールが揺らぎます。
「もしかして、私はここまで我慢しなくてもよかったのではないか」
と感じるからです。
その考えに触れると、これまでの苦労まで無駄になるようで、相手を責めたくなることがあります。
ルールを守らなかったら、何が起きると思っているのか
強い観念は、
「本当にそうなのだろうか」
と考えただけでは、簡単には変わりません。
そのルールを守ることで、長い間自分を守ってきたからです。
まずは、守らなかったときに何が起きると思っているのかを見ます。
仕事を断ったら、役に立たない人だと思われる。
家族の頼みを断ったら、冷たい人だと思われる。
人に任せたら、失敗して自分が困る。
弱音を吐いたら、頼りない人だと思われる。
自分の希望を優先したら、わがままだと思われる。
この怖さがあるから、「やらなければ」と自分を動かしています。
単に厳しい考え方を持っているのではありません。
そのルールを破ると、居場所や信頼や人間関係を失うように感じているのです。
守っているのは、今の相手との関係なのか
「こうあるべき」と思ったときには、誰に対してそのルールを守っているのかを見ることも役立ちます。
今の上司に責められそうだから、仕事を断れないのか。
それとも、子どもの頃に親から言われた、
「人に迷惑をかけてはいけない」
という言葉を守っているのか。
今の夫が、妻はいつも優しくするべきだと言っているのか。
それとも、自分が見てきた母親の姿を、妻の役割だと思っているのか。
現在の人間関係に必要なルールではなく、昔の誰かに認めてもらうためのルールを、今も守り続けている場合があります。
その相手はもう目の前にはいないのに、頭の中では、
「そんなことではダメ」
「もっとちゃんとしなさい」
という声が続いています。
「絶対」から「今は」へ変えてみる
ルールを全部なくす必要はありません。
責任を持って仕事をすることも、人に親切にすることも、家族を助けることも、大切にしたい考えでしょう。
ただ、どのような日でも絶対に守らなければならない形にしないことです。
「頼まれた仕事は引き受けるべき」
ではなく、
「今の予定と体力に余裕があるときは、引き受ける」
と考える。
「家族が困っていたら助けるべき」
ではなく、
「今の自分にできる範囲で助ける」
と条件をつける。
「人に迷惑をかけてはいけない」
ではなく、
「できるだけ相手の都合も確認する。ただし、一人では難しいときは頼む」
と作り直す。
「今は」という言葉が入ると、今日の自分の状態も判断に含められます。
以前はできたことでも、今日はできないことがあります。
この人には応じられても、別の人には断りたいことがあります。
いつでも同じ答えを出すのではなく、今の状況を見て決められるようになります。
「しなければ」ではなく「したいか」で考える
何かを引き受ける前に、
「私はこれをしたいのだろうか」
と考えてみることもできます。
家族を助けたい。
この仕事は最後までやりたい。
友人の話を聞きたい。
自分が本当にそう思っているなら、引き受けてもよいでしょう。
しかし、
断ったら悪く思われそう。
誰もやらないから仕方がない。
自分がやるのが当然だから。
という理由だけなら、あとから不満が出やすくなります。
「したい」と思えないことを、すべて断るという話ではありません。
仕事や生活では、気が進まなくてもやる必要があることがあります。
それでも、
自分で選んで引き受けるのか。
断れないと思い込んで引き受けるのか。
その違いは大きいものです。
一度断って、何が起きるか見てみる
長く守ってきたルールを、いきなり大きく変えるのは難しいでしょう。
まずは、ちょっとした場面で違う選択をしてみます。
急ぎではない頼みを、一度断ってみる。
自分がやっていた家事を、家族に任せてみる。
わからないことを、詳しい人に聞いてみる。
予定がある日は、「今日はできません」と伝えてみる。
すると、思っていたほど大きな問題が起きないことがあります。
相手は別の人に頼む。
家事は自分とは違う方法でも終わる。
仕事は相談すれば分担できる。
関係も壊れない。
反対に、断っただけで強く責められたり、役割を押しつけられたりするなら、その人との関係の問題が見えてきます。
自分がちゃんとし続けなければ保てない関係なのかを確認することにもなります。
「ちゃんとする私」以外の自分がわからない
長く頼られる役を続けていると、その役割が自分そのもののようになります。
仕事ができる私。
困っている人を助ける私。
家族を支える私。
いつでもしっかりしている私。
その役割を減らそうとすると、
「では、私は何をする人なのだろう」
とわからなくなることがあります。
役に立たなければ、ここにいる意味がないように感じる。
誰かに必要とされなければ、自分には何もないように思える。
そのため、疲れていても、また頼られる場所へ戻ります。
けれども、人との関係は、何かをしてあげることでしか作れないわけではありません。
一緒に食事をする。
他愛のない話をする。
困ったときには自分も頼る。
できないことを伝える。
何も解決しなくても同じ時間を過ごす。
役に立つ人ではなく、一人の人として関わる方法もあります。
今の自分に合うルールへ作り直す
「ちゃんとしなければ」が悪いわけではありません。
これまで、その考えに助けられたことも多かったはずです。
ただ、今の自分が苦しくなっているなら、同じルールをそのまま使い続ける必要があるのかを見直す時期なのかもしれません。
この仕事は、本当に自分が引き受ける必要があるのか。
今日はどこまでならできるのか。
誰かに任せても困らない部分はどこか。
断ったら、本当に関係は壊れるのか。
自分が守っているのは、今の生活に必要なルールなのか、それとも昔の自分を守ったルールなのか。
一人で考えていると、
「できるなら、やるべき」
「今までやってきたのだから、これからもできる」
という結論へ戻りやすいものです。
カウンセリングでは、「こうあるべき」を無理に捨てるのではなく、その考えをいつから持つようになったのか、守らないと何が起きると感じているのかを整理します。
そのうえで、今も必要なルールは残し、現在の生活には負担が大きいルールは、条件をつけたり、範囲を狭めたりして作り直します。
「ちゃんとするか、何もしないか」の二択ではありません。
今の自分が引き受けられる分を選び、それ以外は断る、任せる、相談する。
そうした選択が増えると、「ちゃんとしなければ」に追い立てられるのではなく、自分で決めて動ける場面が増えていきます。




