許しとは何か?許せない相手への怒りから自分を解放するために

許せない相手への怒りから自分を解放する許しの考え方 仕事に活かす心理学

裏切られた。

ひどい言葉を言われた。

自分ばかりに責任を押しつけられた。

信じていた人から、大切に扱ってもらえなかった。

そんな経験をしたとき、相手を許せないと思うのは不思議なことではありません。

何度考えても腹が立つ。

思い出すたびに悔しくなる。

相手が何事もなかったように暮らしていることが許せない。

いつか、自分がどれだけ傷ついたのかを思い知らせたい。

そう感じることもあるでしょう。

そんなときに、

「もう許したほうがいい」

「いつまでも怒っていても仕方がない」

と言われても、簡単に気持ちを切り替えられるものではありません。

許しは、頭で「許します」と決めれば終わるものではないからです。

それでも、許しは自分が幸せになるために必要なものです。

なぜなら、許せない相手への怒りや恨みを持ち続けている間、自分の心もその相手に縛られ続けるからです。

許すことは、相手のしたことを認めることではない

「許す」と聞くと、

相手のしたことを正しかったことにする。

傷つけられたことをなかったことにする。

相手の言い分を受け入れる。

もう責任を問わない。

以前と同じ関係に戻る。

そんな意味に感じる人がいます。

だからこそ、

「あんなことをした人を、許せるわけがない」

と思うのでしょう。

けれども、許すことと、相手の行為を許容することは別です。

「あの人のしたことは間違っていた」

「私は、あのように扱われてよい人間ではなかった」

「今後、同じことをされる関係には戻らない」

そう判断したままでも、許しに向かうことはできます。

許したからといって、相手を信頼し直す必要もありません。

仲直りをする必要もありません。

再び親しく付き合う必要もありません。

必要なら距離を置くこともできます。

連絡を取らないと決めることもできます。

謝罪や説明を求めることもできます。

許しとは、相手にもう何も求めてはいけないということではありません。

相手のしたことを承認することと、その相手への怒りに自分の人生を支配させないことは、分けて考えられます。

許せない相手は、目の前にいなくても自分に影響を与える

許せない相手とは、すでに離れていることもあります。

何年も会っていない。

連絡先も消した。

別の職場へ移った。

関係そのものは終わっている。

それでも、相手の言葉や行動を思い出すたびに、当時と同じように怒りが出てくることがあります。

「あのとき、こう言い返せばよかった」

「なぜ、私だけがあんな目にあったのだろう」

「どうして、相手は何の罰も受けていないのだろう」

と、頭の中で何度もやり取りを繰り返します。

相手はもう目の前にはいません。

しかし、相手がしたことによって、今日の気分が変わります。

新しい人間関係でも、

「また同じことをされるかもしれない」

と警戒します。

誰かに優しくされても、

「この人も、いつか裏切るのではないか」

と疑います。

楽しい時間を過ごしていても、ふと過去を思い出し、気持ちが戻ってしまいます。

これが、許せない相手に今の人生まで影響を与えられている状態です。

相手がそこにいなくても、心の中では関係が続いているのです。

許していないことで苦しむのは、自分自身

許せない相手へ怒りを向け続けているとき、

「この怒りを持っていれば、相手に何かが伝わる」

ように感じることがあります。

自分が苦しんでいることを、いつか相手が理解するかもしれない。

自分が許さなければ、相手は悪いことをした人のままでいられる。

怒りをなくしたら、相手のしたことを認めたようになってしまう。

そんな気持ちもあるでしょう。

けれども、自分が怒り続けることで、相手が反省するとは限りません。

自分が毎晩思い出して苦しんでいても、相手はそのことを知らずに暮らしているかもしれません。

自分が新しい関係へ進めずにいても、相手はすでに別の生活を送っているかもしれません。

相手に向けているつもりの怒りが、実際には自分の時間や気力を使い続けます。

眠れない。

何をしていても気分が晴れない。

人を信じられない。

別のことを考えたいのに、相手のことが頭から離れない。

許していないことで苦しむのは、相手よりも自分なのです。

だから許しは、相手を楽にするためにするものではありません。

自分が相手の影響から抜け、自分の人生を生きるために必要なのです。

怒りには、自分を守る役割もある

許しが必要だからといって、怒りを急いでなくそうとする必要はありません。

怒りには、

「あの扱いは間違っていた」

「私は傷ついた」

「もう二度と同じことをされたくない」

と、自分を守る役割があります。

怒りがあったから、相手から離れることができた人もいます。

怒りがあったから、不当な扱いに対して声を上げられた人もいます。

怒りがあったから、

「もう我慢しない」

と決められた人もいるでしょう。

そのため、

「怒るのはよくない」

「許せる人にならなければ」

と、怒りを押し込めても、許しにはつながりません。

表面では許したことにしても、心の中には、

「私はあれほど我慢したのに」

という気持ちが残ります。

許しに向かうには、まず何に傷つき、何が悔しく、何をわかってほしかったのかを見る必要があります。

何が一番許せないのか

「あの人が許せない」と思っていても、何を一番許せないのかは人によって違います。

言われた言葉そのものが許せない。

嘘をつかれたことが許せない。

自分の気持ちを軽く扱われたことが許せない。

相手が謝らなかったことが許せない。

周囲が相手の味方をしたことが許せない。

自分だけが損をしたことが許せない。

相手が今も幸せそうにしていることが許せない。

ひとつの出来事に、いくつもの気持ちが重なっていることもあります。

浮気そのものへの怒りだけではなく、

「私との生活を続けながら、陰では嘘をついていた」

ことが許せないのかもしれません。

親の言葉そのものよりも、

「誰も私の気持ちを聞いてくれなかった」

ことが残っている場合もあります。

職場で押しつけられた仕事よりも、

「私なら断らないと思われていた」

ことが悔しい場合もあるでしょう。

何が許せないのかがわからないままでは、ただ大きな怒りだけが残ります。

具体的に見ていくことで、自分が本当は何を傷つけられたと感じているのかが見えてきます。

許したら、何が起きると思っているのか

許せない気持ちの中には、

「許したら、また同じことをされる」

という怖さが隠れていることがあります。

許したら、相手は自分のしたことを軽く考える。

許したら、自分の苦しみまで軽く見られてしまう。

許したら、弱い人だと思われる。

許したら、相手との関係を続けなければならない。

許したら、自分が負けたことになる。

このように考えていると、怒りを持ち続けることで、自分を守っていると感じるようになります。

しかし、許すことと、今後の関係をどうするかは別です。

許しても、同じ条件では付き合わないと決められます。

許しても、相手の言葉を簡単には信用しないと決められます。

許しても、必要な距離を取ることができます。

許しは、無防備になることではありません。

相手から学んだことを忘れることでもありません。

出来事から学んだことは大切にしつつ、怒りや恨みだけをこれからも抱え続けないことです。

相手の事情を見てみる

許しに向かうためには、

「なぜ、あの人はあんなことをしたのだろう」

と、相手の事情を見てみることもあります。

これは、相手を正当化するためではありません。

相手の側から出来事を見ると、これまでとは違う角度が加わるからです。

相手は、自分の気持ちを言葉にする方法を知らなかったのかもしれません。

自分が責められることを避けるために、先に人を攻撃したのかもしれません。

自分のことで精いっぱいで、こちらが傷ついていることを見る余裕がなかったのかもしれません。

子どもの頃から、自分がされたことを、そのまま人にもしていたのかもしれません。

自分の不安や不満を扱えず、誰かのせいにすることで保っていたのかもしれません。

事情があったからといって、その人の行動が正しくなるわけではありません。

苦しい事情を抱えていたとしても、人を傷つけてよい理由にはなりません。

ただ、

「あの人は、私を苦しめるために、わざとすべてを行った」

という一つの見方だけではなくなります。

「自分の問題を扱えず、あのような方法を選んだ人だったのかもしれない」

と見ることができると、相手の行動と自分の価値を分けやすくなります。

相手がしたことは、自分の価値を決めるものではない

ひどい扱いを受けると、

「私に価値がなかったから、こんなことをされた」

と考えることがあります。

大切にされなかったのは、自分が大切にするほどの人間ではなかったから。

裏切られたのは、自分に魅力がなかったから。

否定されたのは、自分が間違っていたから。

そう考えると、相手の行動が、自分の価値を決める証拠になります。

しかし、人が誰かを傷つけるとき、その行動には、その人自身の未熟さや恐れ、欲求、考え方が関係しています。

浮気をする人が浮気を選んだことは、パートナーの価値を証明するものではありません。

人を見下す人の言葉は、相手の価値を正確に表しているわけではありません。

責任を押しつける人の態度は、押しつけられた側が責任を負うべき人間だったことを意味しません。

相手がなぜその行動をしたのかを見ることは、

「私に価値がなかったから起きた」

という見方から離れることにもつながります。

物事を見る角度を変える

許せない状態にいるときは、出来事が一つの意味だけを持っています。

私は裏切られた。

私は負けた。

私は奪われた。

私は大切にされなかった。

たしかに、そのような面はあるでしょう。

しかし、時間がたつにつれて、別の面が見えてくることもあります。

あの出来事があったから、自分がどれほど我慢していたのかに気づいた。

あの人と離れたから、自分の希望を考えるようになった。

あの経験があったから、これからはどんな人や関係を避けたほうがいいのかがわかった。

あのとき言えなかったことを振り返り、今は断れるようになった。

傷つけられたことを、よい経験だったと考える必要はありません。

つらい出来事を、無理に感謝へ変える必要もありません。

ただ、

「私は傷つけられただけの人」

という位置から、

「その出来事のあとを、どう生きるかを決める人」

へ見方を変えることはできます。

過去の出来事そのものは変えられません。

けれども、その出来事が今後の人生でどのような意味を持つのかは、変わっていくことがあります。

相手に反省させることと、自分が幸せになることを分ける

許せない相手に対して、

「自分のしたことを認めてほしい」

「きちんと謝ってほしい」

「同じくらい苦しんでほしい」

と思うことがあります。

その気持ちは、傷つけられた側として自然に出てくるものです。

しかし、相手が十分に反省しなければ、自分は幸せになれないのでしょうか。

相手が謝らない限り、自分の人生は止まったままなのでしょうか。

相手が苦しむまで、自分も苦しみ続けなければならないのでしょうか。

相手が謝るかどうかは、相手が決めることです。

相手が自分のしたことを理解するかどうかも、こちらでは決められません。

相手が変わることを待っている間、自分の人生も相手の反応待ちになります。

許しとは、

「相手がどうするかとは別に、私は自分の人生を生きる」

と決めることでもあります。

相手の責任は相手に残します。

その責任まで、こちらが帳消しにする必要はありません。

ただ、相手が責任を取らないからといって、自分まで人生を止め続ける必要はないのです。

許しは、一度で終わるとは限らない

「許す」と決めた翌日に、怒りが消えるとは限りません。

もう考えないようにしようと思っても、また思い出すことがあります。

少し気持ちが落ち着いたあと、別の悔しさが出てくることもあります。

相手の事情が理解できても、

「それでも、されたことは許せない」

と思う日もあるでしょう。

許しは、一度の決断で完全に終わるものではありません。

出来事を振り返る。

自分が何に傷ついたのかを知る。

怒りの下にある悲しさや悔しさを見る。

相手の事情を別の角度から考える。

相手の行動と、自分の価値を分ける。

これから自分がどう生きたいのかを決める。

そうしたことを繰り返しながら、相手のことを考える時間が少しずつ減っていきます。

以前なら一日中考えていたことが、数時間になる。

毎日のように思い出していたことが、ときどきになる。

思い出しても、その日すべてが台無しになることはなくなる。

そうした変化も、許しへ向かっている途中です。

自分に許可を出すことも、許しの一部

許しには、相手に対するものだけでなく、自分に対するものもあります。

あのとき言い返せなかった自分。

相手を信じた自分。

関係をすぐに終わらせられなかった自分。

何度も同じ相手を許そうとした自分。

傷ついているのに、平気な顔をしていた自分。

過去の自分を振り返り、

「どうして、もっと早く気づかなかったのだろう」

「なぜ、あんな人を信じたのだろう」

と責めることがあります。

けれども、そのときの自分には、そのとき見えていたものしかありませんでした。

そのとき持っていた経験や考え方の中で、関係を続けようとしたのでしょう。

相手を信じたことが、愚かだったとは限りません。

関係を守ろうとしたことが、間違いだったとも限りません。

許しへ向かう過程では、

「あのときの自分には、あれが精いっぱいだった」

と、過去の自分を見ることも必要です。

相手を許せない気持ちの中に、自分への怒りが混ざっていることもあるからです。

許しは、自分の人生を取り戻すためにある

許しは、相手に贈るご褒美ではありません。

相手のしたことを、なかったことにする作業でもありません。

許しとは、許せない相手へ向け続けてきた怒りや恨みから、自分を解放することです。

あの人が謝ったら。

あの人が後悔したら。

あの人が自分の苦しみを理解したら。

そのときに初めて幸せになれる、と相手に人生を預け続けないことです。

相手のしたことは間違っていた。

自分は傷ついた。

失ったものもある。

その事実を認めたうえで、

「それでも、これからの人生は私が決める」

と、自分の側へ戻ってきます。

簡単なことではありません。

長く怒りを持ち続けてきたなら、その怒りには自分を守ってきた理由があります。

その理由を無視して、急いで許そうとしても、気持ちはついてこないでしょう。

カウンセリングでは、無理に相手をよい人だと思うように勧めるのではありません。

何が許せないのか。

その怒りによって、何を守ろうとしているのか。

相手に何をわかってほしかったのか。

許したら何が起きると思っているのか。

相手の事情を別の角度から見ると、何が見えてくるのか。

それらを一つずつ整理していきます。

許しは、相手のためではなく、自分が幸せになるために必要なものです。

相手の行為を認める必要はありません。

ただ、その相手への怒りによって、今日とこれからの人生まで決められ続ける必要もありません。

許しとは、相手に奪われたように感じていた自分の人生を、もう一度自分の手に戻すことなのです。

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