職場で、自分だけが不利な仕事を押しつけられた。
夫に裏切られたのに、きちんと謝ってもらえていない。
家族のために何年も我慢してきたのに、誰からも感謝されない。
そんなことがあれば、
「悪いのは相手なのだから、相手が何とかするべきでしょう」
と思うのは当然です。
きちんと謝ってほしい。
自分が受けた苦しさを理解してほしい。
態度を改めてほしい。
これまで自分に押しつけてきたものを、相手にも引き受けてほしい。
ところが、相手が何も変えようとしない。
こちらがどれほど苦しんでいるかを話しても、軽く扱われる。
謝ったとしても、こちらが求めている言葉とは違う。
すると、
「この人が変わらないかぎり、私は納得できない」
「きちんとわかってもらうまでは、終われない」
という気持ちが強くなります。
相手に原因があるのですから、そう思うのも無理はありません。
ただ、相手が変わることを待ち続けている間、自分の時間や選択まで止まってしまうことがあります。
理不尽な扱いを受けた事実まで、自分の問題にする必要はない
最初に分けておきたいのは、本当に相手に責任がある場合もあるということです。
嘘をつかれた。
約束を破られた。
不当に評価を下げられた。
家族の役割を一方的に押しつけられた。
こちらが嫌だと伝えているのに、同じことを繰り返された。
このようなことまで、
「私の考え方に問題があるから苦しいのだ」
と自分の問題にする必要はありません。
相手がしたことについては、相手に責任があります。
理不尽な目にあった人が怒るのは、珍しいことではありません。
悔しいのも、納得できないのも、その出来事が自分にとって見過ごせないものだったからです。
問題は、怒っていることではありません。
相手が謝ること、反省すること、態度を変えることが、自分が次へ進むための唯一の条件になっていることです。
謝ってもらえなければ、何も終わらない気がする
傷つけられた側は、相手の謝罪によって気持ちが少し楽になるように感じることがあります。
自分が受けた苦しさを認めてもらえる。
自分が怒っている理由を理解してもらえる。
自分の扱われ方が間違っていたと確認できる。
そのため、何度も説明します。
「あのとき、私はどれほどつらかったと思う?」
「あなたがしたことを、本当にわかっている?」
「どうして、そんなに普通に生活できるの?」
ところが、相手がこちらの期待どおりに理解するとは限りません。
「もう謝ったでしょう」
「いつまで言っているの?」
「そんなつもりではなかった」
と返されることもあります。
すると、最初の出来事に加えて、
「今も私の苦しさを理解しようとしない」
という怒りが増えます。
謝ってもらうための話し合いが、さらに傷つく時間になることもあるのです。
自分だけが苦しんでいることが許せない
理不尽な出来事のあと、相手が普段どおり暮らしているように見えると、強い怒りが出てくることがあります。
自分は眠れない。
仕事にも集中できない。
何度も思い出してしまう。
それなのに、相手は食事をし、笑い、趣味を楽しんでいる。
「どうして、傷つけた側が平気でいられるの?」
「悪いことをした人が楽しく暮らして、私だけが苦しむなんておかしい」
そう感じるでしょう。
相手にも同じくらい苦しんでほしいわけではないとしても、何事もなかったようにされるのは納得できません。
だから、自分が楽しいことをする気にもなれなくなることがあります。
こちらが普通に暮らし始めたら、相手のしたことまで終わったことになるように感じるからです。
笑ったら負けたような気がする。
別のことに興味を持ったら、自分が受けた苦しさを軽く扱うことになる気がする。
こうして、相手に抗議するように、自分の生活まで止めてしまうことがあります。
幸せになったら、相手を許したことになるのか
理不尽な目にあったあと、自分の生活を立て直すことに抵抗が出る人もいます。
新しい仕事を探す。
友人と食事に行く。
趣味を再開する。
夫とは別の時間を楽しむ。
これからの生活について考える。
そうしたことをしようとすると、
「でも、何も解決していない」
という気持ちが出てきます。
たしかに、問題は未解決かもしれません。
謝罪もない。
相手の態度も変わっていない。
失ったものが戻ってきたわけでもない。
ただ、自分の生活を動かすことと、相手の行動を認めることは別です。
楽しく過ごしたからといって、起きたことが正しいことになるわけではありません。
別の道を選んだからといって、相手の責任がなくなるわけでもありません。
それでも、自分が幸せになることを止めていれば、相手は何もしないまま、こちらの現在にまで影響を与え続けることになります。
相手に人生の決定権を預けた状態になる
「夫がきちんと反省したら、夫婦関係を考えられる」
「上司が非を認めたら、仕事への気持ちを切り替えられる」
「親が昔のことを謝ったら、家族との関係を考え直せる」
こうした希望を持つこと自体が悪いわけではありません。
相手が責任を引き受けることで、関係が変わることもあります。
ただ、相手が動くまで自分は何も決められない状態になると、自分の人生の開始ボタンを相手に渡すことになります。
相手が謝らなければ、こちらは何年でも立ち止まる。
相手が理解しなければ、自分の気持ちも整理できない。
相手が態度を変えなければ、自分の生活を選び直せない。
これでは、傷つけられたときだけでなく、その後の時間まで相手に左右されます。
相手に責任があることと、自分のこれからを相手に決めさせることは、同じではありません。
「私が何とかするのはおかしい」と感じる
理不尽な目にあった側が、自分の生活を立て直そうとすると、
「なぜ被害を受けた私が、さらに努力しなければならないの?」
という怒りが出ることがあります。
それはもっともです。
浮気をしたのは夫なのに、妻が気持ちを整理しなければならない。
不当な扱いをしたのは会社なのに、自分が転職先を探さなければならない。
頼り続けてきたのは家族なのに、自分が断り方を考えなければならない。
まるで、相手の後始末まで自分がさせられているように感じます。
ただ、自分のこれからについて考えることは、相手の後始末ではありません。
相手のために変わるのでもありません。
これ以上、相手の行動によって自分の時間を使い続けないために、自分の選択を取り戻すことです。
「私が悪いから変わる」のではなく、
「相手がどうするかとは別に、私はこれからどうするのか」
を考えることなのです。
相手が変わることを待つ間、同じ役割を続けていないか
相手が変わらないことに悩んでいる人の中には、これまで何度も似た立場を引き受けてきた人がいます。
職場では、上司が評価してくれるまで頑張り続ける。
恋愛では、相手が自分の愛情に気づくまで支え続ける。
家族には、いつか感謝してもらえると思って世話を続ける。
夫婦では、いつか夫がこちらの苦労を理解することを待つ。
「ここまでやれば、きっとわかってもらえる」
と考え、さらに頑張ります。
しかし、相手が受け取るばかりで、自分から変わろうとしない人なら、頑張る量を増やしても関係は変わりません。
むしろ、こちらが何とかしてくれる状態が続くため、相手は変わる必要を感じなくなることもあります。
自分は報われる日を待っている。
相手は今までどおりで困っていない。
この差が、さらに「どうして私ばかり」という気持ちを強くします。
相手が悪いと証明することに、時間を使い続ける
自分が受けた扱いが理不尽だったことを、周囲にわかってほしくなることもあります。
友人に何度も説明する。
相手の言動を一つずつ思い出す。
どれだけ自分が頑張ったのかを話す。
相手の問題点を整理する。
話すことで状況が見えてくることもありますし、誰かに理解してもらうことが必要な時期もあります。
ただ、話す目的が、
「私が悪くなかったと証明したい」
「相手がどれだけひどい人か、完全にわかってほしい」
ということだけになると、相手のことばかり考えるようになります。
今日も相手のことを考える。
明日も相手の問題点を思い出す。
関係を終えても、頭の中では相手との話し合いが続く。
相手から離れたつもりでも、自分の時間の中心には、まだその人がいます。
自分が悪くなかったことを確認することと、相手のことを考え続けることは別です。
自分で変えられることを考えるのは、相手を免責することではない
理不尽な状況について、
「自分で変えられることを考えましょう」
と言われると、
「結局、私が我慢しろということ?」
と感じることがあります。
しかし、自分で変えられることを考えるのは、相手の行動を見逃すことではありません。
必要なら、説明を求める。
記録を残す。
第三者に相談する。
仕事の分担を明確にする。
今後の約束を決める。
関係を続ける条件を伝える。
距離を取る。
契約や生活を見直す。
相手の責任を明確にしたうえで、自分が取れる行動を選ぶこともできます。
ただ「気にしないようにする」という話ではありません。
相手が変わるかどうかだけに、自分の選択を預けないということです。
すぐに答えを出さなくても、止まったままでいる必要はない
夫婦関係を続けるのか。
仕事を辞めるのか。
家族との関わりを減らすのか。
大きな問題ほど、すぐには決められません。
だからといって、結論が出るまで生活のすべてを止める必要はありません。
今の状況について情報を集める。
自分が困っていることを書き出す。
これ以上は引き受けない範囲を決める。
信頼できる人に状況を話す。
相手に求めていることが、現実的に可能なのかを考える。
大きな決断の前にも、できることはあります。
それは、相手を許す準備でも、問題をなかったことにする作業でもありません。
相手の行動だけを見ていた視線を、自分のこれからにも戻していくことです。
相手が変わらなくても、自分で選ぶことはある
相手が謝らないこともあります。
最後まで自分の非を認めない人もいます。
こちらの苦しさを理解する力がない人もいます。
それは、とても悔しいことです。
「理解してもらえなかった」という事実が残ることもあるでしょう。
それでも、自分のこれからまで、その人の理解力に預ける必要はありません。
相手が変わらないままでも、自分は何を引き受けないのか。
どのような関係なら続けられるのか。
これから時間を使いたいものは何か。
今の場所に残るとしても、以前と同じ役割を続けるのか。
こうした選択は、自分の側に残っています。
一人で考えていると、相手がどれほど悪かったかという話と、自分がこれからどうしたいかが混ざりやすいものです。
また、相手の責任を認めることと、自分の人生を動かすことが、どちらか一方しか選べないように感じることもあります。
カウンセリングでは、実際に何が起きたのか、相手に何を求めているのか、その要求が満たされないことで何が止まっているのかを分けて整理します。
相手が変わるのを諦めるためではありません。
相手の選択とは別に、自分にはどのような選択が残っているのかを見つけていくためです。




