「どちらでも好きなほうでいいよ」
そう言われたのに、相手が喜びそうなほうを選ぶ。
「無理なら断ってもいいから」
そう言われたのに、忙しそうな相手を見て引き受ける。
「あなたは、どうしたい?」
と聞かれたのに、自分の希望より、周囲が納得しそうな答えを出す。
その場では、自分で決めたつもりです。
誰かに命令されたわけでも、無理やり押しつけられたわけでもありません。
ところが、あとになって、
「本当は、やりたくなかった」
「結局、私がやらされた」
「どうして私ばかり、合わせなければならないの?」
という不満が出てきます。
自分で「はい」と答えたのだから、相手を責めるのも違う気がする。
けれども、自分で選んだという感じもしない。
そんな状態になるのは、選択するときに、自分の希望よりも周囲の期待や反応を先に考えているからかもしれません。
自分で選んだと感じられること
自分が何かを選び、
「これは、自分で決めたことだ」
と感じられることを、自己決定感と呼ぶことがあります。
自分で決めたことなら、何でも楽しくなるという意味ではありません。
自分で引き受けた仕事でも、面倒な日はあります。
自分で選んだ結婚生活でも、不満が出ることはあります。
自分で決めた介護や家族の世話でも、負担はあります。
自己決定感がある状態とは、
「楽しいことだけを選んでいる」
ということではありません。
気が進まない部分や負担も含めて、
「私は、これを選んだ」
「なぜこれを選んだのか、自分でわかっている」
と感じられる状態です。
たとえば、
「この仕事は大変だけれど、今後の経験になるので引き受ける」
「本当は行きたくないけれど、今回は家族にとって必要な行事なので参加する」
「今日は休みたいけれど、明日の自分が困らないように、ここまで終わらせる」
という決め方もあります。
やりたいことだけでなく、何を優先するために選ぶのかがわかっていれば、自分の選択として引き受けやすくなります。
周囲に合わせて決めると、自分で選んだ感じがなくなる
「自分で決めたはずなのに、やらされた」と感じるとき、選択の順番が逆になっていることがあります。
通常は、
自分はどうしたいのか。
何ができるのか。
何を優先したいのか。
相手は何を希望しているのか。
これらを考えて決めます。
ところが、周囲に合わせることが習慣になっていると、
相手は何を望んでいるだろう。
どちらを選べば、場がうまく収まるだろう。
断ったら、どんな顔をするだろう。
誰もやらなければ、困るのは誰だろう。
ということを先に考えます。
そして、自分の希望を確かめる前に答えを出します。
相手から見れば、本人が自分で決めています。
しかし本人の中では、相手の希望に合わせる以外の選択肢を、ほとんど検討していません。
そのため、あとから自分の気持ちが出てきたとき、
「私は選んでいない」
という感覚が残ります。
「断ったらどうなるか」を考えた時点で、答えが決まっている
頼まれごとをされたとき、
「引き受けたいかどうか」
よりも、
「断ったら、相手はどう思うか」
を先に考える人がいます。
がっかりするかもしれない。
困るかもしれない。
冷たい人だと思われるかもしれない。
次から声をかけてもらえなくなるかもしれない。
空気が悪くなるかもしれない。
そう考えると、選べる答えは「はい」だけになります。
表面上は選択肢があっても、心の中では、
「断ることは許されていない」
となっているのです。
相手は、
「無理なら断っていいよ」
と言っているかもしれません。
それでも、相手の表情やこれまでの関係から、
「本当に断ったら、不機嫌になるだろう」
と感じている場合もあります。
実際に相手が不機嫌になった経験があれば、なおさら断りにくくなります。
誰にも強制されていないように見えても、相手の反応を避けるために選んでいるなら、自分で決めた感覚は持ちにくいでしょう。
周囲の希望を先に読んでしまう
相手から何も言われていないのに、先回りして合わせることもあります。
友人と食事に行けば、相手が行きたそうな店を選ぶ。
家族の休日には、皆が楽しめる予定を優先する。
職場では、誰も手を挙げなければ自分が引き受ける。
恋人が忙しそうなら、会いたいと言わずに予定を合わせる。
本人は、
「私は気が利くから」
「そのほうが早く決まるから」
「わざわざ揉めるほどのことではないから」
と考えています。
たしかに、小さなことなら、合わせることで話が早く進む場合もあります。
問題になるのは、いつも自分だけが合わせ、自分の希望が検討されないことです。
周囲から頼まれたわけでもないのに、相手の希望を先に読み、採用する。
それを繰り返すと、周囲は、
「この人は、これでいいのだろう」
と思うようになります。
本人だけが、あとになって、
「誰も私の希望を聞いてくれない」
と感じます。
けれども実際には、聞かれる前に自分の希望を引っ込めていることもあるのです。
自分で「いいよ」と言ったため、不満を言えなくなる
周囲に合わせて引き受けたあと、不満が出てきても言いにくいものです。
「私がやると言ったから」
「その場では納得したから」
「今さら嫌だったとは言えない」
そう考えて、自分の気持ちを飲み込みます。
相手から、
「嫌なら、断ればよかったでしょう」
と言われるのが怖い場合もあります。
たしかに、相手から見れば、本人が同意したことです。
しかし本人は、その場で自分の希望を十分に考えていません。
相手が困らないこと。
場が荒れないこと。
嫌われないこと。
それを優先して答えています。
だから、時間がたって相手への配慮が落ち着いたときに、ようやく、
「本当は嫌だった」
という気持ちが出てくるのです。
「やらされた」という怒りの中にあるもの
あとから出てくる「やらされた」という怒りには、いくつかの気持ちが混ざっています。
本当は断りたかった。
誰かに「あなたはどうしたい?」と気づいてほしかった。
自分ばかりに頼らないでほしかった。
引き受けた苦労を、もっとわかってほしかった。
自分の希望も同じように扱ってほしかった。
ところが、その気持ちを最初から言っていないため、相手には伝わっていません。
自分は我慢して合わせた。
相手は、本人が納得して引き受けたと思っている。
この認識の違いから、不満が大きくなります。
「こんなに我慢したのに」
と本人は思いますが、相手は、
「頼んだら、普通に引き受けてくれた」
と思っています。
このままでは、同じことが繰り返されます。
本当に強制されている場合とは分けて考える
「自分で選んだ感覚がない」からといって、すべて本人の考え方の問題とは限りません。
断ると怒鳴られる。
断った後、無視される。
生活費を渡してもらえなくなる。
職場で不利益を受ける。
家族やパートナーから、罪悪感を持たせる言葉を繰り返し言われる。
このような関係では、自由に選べる状態ではありません。
表面上は本人が「はい」と答えていても、断ったときの不利益が大きければ、実質的には強制に近い場合があります。
そのときに、
「自分で選んだのだから、責任を持つべき」
と考える必要はありません。
相手との力関係や、断ることで起きる不利益を見たうえで、自分の選択肢を増やす方法を考える必要があります。
一方で、相手は断っても問題ない人なのに、自分の中で相手の反応を予測し、合わせている場合もあります。
この二つは分けて考えたほうがよいでしょう。
「したいかどうか」だけでは決められないこともある
自分で選ぶためには、
「私は何がしたいのか」
を考えることが大切です。
ただ、何でも「したいか、したくないか」だけで決められるわけではありません。
仕事には、やりたくなくても必要な作業があります。
家族と暮らしていれば、自分の希望だけでは決められないこともあります。
病院へ行くことや、税金を払うことを、心からしたい人は多くないでしょう。
そのようなときは、
「したいかどうか」
ではなく、
「私は、何のためにこれを選ぶのか」
を考えます。
今後の負担を減らすために、今日やる。
家族との関係を保つために、今回は参加する。
収入を得るために、この仕事は引き受ける。
今の職場では経験を積みたいので、あと半年は続ける。
気が進まないことでも、選ぶ理由が自分の中にあれば、自分の判断として受け止めやすくなります。
自分で決めることは、何でも一人で決めることではない
自己決定感を持つことは、周囲の意見を聞かないことではありません。
人に相談する。
家族の希望も聞く。
専門家の助言を受ける。
仕事上の条件を確認する。
それらを踏まえて決めても、自分で選んだことになります。
問題なのは、相手の意見を聞いた時点で、
「では、そうしなければならない」
と自分の気持ちを後回しにしてしまうことです。
人の意見は、決定そのものではありません。
判断するための材料です。
相手が、
「このほうがいいと思う」
と言っても、自分は別の選択をしてよい場合があります。
反対に、自分では決めきれず、
「今回は、この人の判断に任せる」
と自分で選ぶこともできます。
誰の意見を採用するかを自分で決めていれば、それも一つの自己決定です。
すぐに答えない
周囲に合わせやすい人は、頼まれるとすぐに答えることがあります。
「いいですよ」
「私がやります」
「そちらに合わせます」
相手を待たせたくない。
その場の空気を止めたくない。
迷っていると思われたくない。
そんな気持ちから、反射的に答えます。
けれども、すぐに返事をすると、自分の予定や気持ちを確認する時間がありません。
そこで、
「予定を確認してから返事をします」
「少し考えてもいいですか」
「今日中に返事します」
と、一度持ち帰ります。
大きな決断だけでなく、日常の頼まれごとにも使えます。
時間を置くことで、
本当は引き受けたくない。
ここまでならできる。
日程を変えてもらえれば可能。
今回は引き受けてもよい。
という自分の答えが見えやすくなります。
「はい」と「いいえ」の間を作る
選択肢が、
引き受けるか。
断るか。
の二つだけだと思うと、断れない人は引き受けるほうを選びます。
しかし、実際にはその間があります。
全部はできないが、この部分ならできる。
今日は無理だが、来週ならできる。
一人では難しいので、誰かと分担したい。
今回は引き受けるが、次回から担当を決めたい。
短時間なら参加する。
この条件なら受けられる。
こうした答えも、自分で決めるための選択肢です。
相手の希望をすべて受けるか、相手を完全に拒むかの二択ではありません。
自分ができる範囲を伝え、その中で調整できます。
自分の選択を認めることと、自分を責めることは違う
あとから「やらされた」と感じたとき、
「結局、自分が断らなかったのが悪い」
と考える人がいます。
しかし、自分が選んだ部分を認めることは、自分だけに責任を負わせることではありません。
断りにくい頼み方をされた。
相手が不機嫌になる関係だった。
長く役割が固定されていた。
自分だけが動くことを、周囲が当然にしていた。
相手側の問題もあるでしょう。
そのうえで、
「私は、相手の反応を避けるために引き受けた」
「自分の予定を確認せず、すぐ答えた」
「本当は嫌だったことを伝えなかった」
と、自分の選択も見ます。
相手だけが悪いと考えると、次も相手が変わるのを待つことになります。
自分だけが悪いと考えると、必要以上に自分を責めます。
相手との関係にあった問題と、自分が次に変えられることを分けて考える必要があります。
選んだあとに、選び直してもよい
一度決めたことを、あとから変更してはいけないと思う人もいます。
引き受けたのだから、最後までやらなければならない。
参加すると言ったのだから、体調が悪くても行かなければならない。
この働き方を選んだのだから、不満を言ってはいけない。
しかし、決めたあとに事情が変わることもあります。
実際にやってみて、想像以上に負担が大きいとわかることもあります。
一度引き受けたあとで、
「このままでは続けられない」
と気づくこともあります。
その場合は、
「一度は引き受けましたが、この条件では続けられません」
「予定を変更したいです」
「次回からは別の方法にしたいです」
と、選び直すことができます。
自分で決めるとは、一度決めたことを何があっても守ることではありません。
今の状況に合わせて、自分の決定を見直すことも含まれます。
小さなことでも、自分の希望を確認する
大きな決断のときだけ自分の希望を考えようとしても、急にはわからないことがあります。
日頃から周囲に合わせていると、
「あなたは、どうしたい?」
と聞かれても、すぐには答えが出ません。
そこで、日常のちょっとした場面で確認します。
今日は何を食べたいか。
どちらの服を着たいか。
休日をどう過ごしたいか。
今は話したいか、一人でいたいか。
頼まれたことを、本当に今日やる必要があるか。
どちらでもよいときは、どちらでもよいままで構いません。
ただ、希望があるのに、
「どちらでもいい」
と打ち消さないことです。
ちょっとした希望を言葉にする経験が増えると、仕事や家族に関する大きな選択でも、自分が何を望んでいるのかがわかりやすくなります。
「自分で決めた」と思えるために
何かを決めるときは、次のことを分けて考えてみます。
自分は、何を望んでいるのか。
相手は、何を望んでいるのか。
自分には、何ができるのか。
断ったら何が起きると予想しているのか。
その予想は、実際に起きる可能性が高いのか。
何を守るために、この選択をするのか。
別の条件や方法はないのか。
すべての選択で、自分の希望を最優先にする必要はありません。
周囲に合わせることを、自分で選ぶ日もあります。
家族の都合を優先することもあるでしょう。
ただ、
「本当は別の希望があった。でも、今回はこの理由で合わせる」
と自分でわかっていることが大切です。
カウンセリングでは、自分で決めたはずなのに不満が残るとき、どの場面で自分の希望を引っ込めたのかを整理します。
断ったら何が起きると感じているのか。
誰の期待に応えようとしているのか。
自分の希望を伝えることに、どんな抵抗があるのか。
相手との間に、本当に自由に選べる関係があるのか。
それらを見ていくと、「やらされた」という怒りだけではなく、自分が次に選び直せる部分が見えてきます。
自分で決めるとは、いつも自分の希望だけを通すことではありません。
周囲の事情も、自分の事情も見たうえで、
「今回は、私はこれを選ぶ」
と、自分の答えを持つことなのです。




