もう、この仕事を続けたいとは思っていない。
何年も付き合っている相手と一緒にいても、幸せより疲れを感じることのほうが多い。
家族の世話や調整役も、できれば誰かに代わってほしい。
それなのに、いざ「やめる」「離れる」「役割を降りる」と考えると、決断できない。
「ここまで頑張ってきたのに」
「あれだけ我慢したのに」
「今やめたら、全部無駄になる気がする」
そんな思いが出てくるからです。
頑張らずに始めたことなら、「合わなかった」で終われることがあります。
けれども、時間、お金、努力、我慢をたくさん使ったものほど、もう自分に合っていないとわかっても、簡単にはやめられません。
頑張ってきた人ほど決断が難しくなるのは、単に優柔不断だからとは限らないのです。
頑張って手に入れたものは、使わなくなっても捨てにくい
開店前から並んだバーゲンで、ようやく手に入れた洋服。
家に帰って着てみたら、思っていたほど似合わない。
しかも、少し動きにくい。
それでも、
「あの人混みの中で勝ち取ったのだから」
と思うと、なかなか処分できないことがあります。
定価で何となく買った服なら、もう少し簡単に判断できたかもしれません。
けれども、並んだ時間や争奪戦の記憶まで服にくっついているため、ただの洋服ではなくなっています。
仕事や人間関係も、これと似たところがあります。
苦労して覚えた仕事。
何度も傷つきながら続けてきた恋愛。
自分が我慢することで保ってきた家族関係。
頑張った時間が長いほど、「今の自分に必要か」だけでは決められなくなります。
過去に使った時間や努力まで含めて、やめるかどうかを考えてしまうからです。
やめると、これまでの努力まで否定するように感じる
長く続けてきたことをやめるとき、
「今までの私は、何をしていたのだろう」
という気持ちが出てくることがあります。
仕事を辞めれば、苦労して身につけた知識や経験が無駄になる気がする。
恋人と別れれば、相手を信じて待った年月が無意味になる気がする。
家族の面倒を見る役を降りれば、これまで自分がしてきたことを誰にも認めてもらえない気がする。
そのため、本当は現在の状況がつらいのに、過去の自分を守るために続けることがあります。
「あのとき頑張った私は、間違っていなかった」
「我慢したことには意味があった」
そう思うためには、この先に何かよい結果が待っていてほしいのです。
ところが、続ければ必ず報われるとは限りません。
むしろ、「これだけ頑張ったのだから」とさらに時間や労力を注ぎ込み、ますますやめにくくなることもあります。
「ここまで頑張ったのだから、いつか報われる」と思いたい
つらい状況が長く続くほど、人は何らかの結果を求めたくなります。
たとえば、何年も相手を支えてきた恋愛。
お金の問題、仕事の問題、家族の問題。
さまざまな事情を理解し、相手が変わるのを待ってきた。
友人からは、
「もう別れたほうがいいんじゃない?」
と言われている。
自分でも、以前のように相手を好きなのかわからない。
それでも、
「ここで別れたら、私が我慢した年月は何だったの?」
と思うと離れられない。
相手と一緒にいたいという気持ちよりも、これまでの苦労を無駄にしたくない気持ちのほうが強くなっている場合があります。
仕事でも同じです。
長年、正当に評価されなくても働いてきた。
人が辞めるたびに仕事を引き継いだ。
休日まで対応した。
だからこそ、
「今度こそ評価されるかもしれない」
「もう少し続ければ、報われるかもしれない」
と思います。
これまで受け取れなかったものを受け取るまでは、終われないように感じるのです。
我慢が大きいほど、悔しさも残りやすい
何十年も前の出来事を、今でもはっきり覚えていることがあります。
きょうだいと扱いが違ったこと。
結婚の挨拶で失礼なことを言われたこと。
家族のために自分だけが我慢したこと。
周囲から見れば、
「ずいぶん昔の話だね」
と思うかもしれません。
けれども、本人にとっては、年月だけの問題ではないことがあります。
そのときに言えなかった。
誰にもわかってもらえなかった。
我慢したのに、感謝もされなかった。
こうした悔しさが残っていると、「もう気にしない」と頭で決めるだけでは終わらない。
昔の出来事にこだわっているというより、当時の自分が支払ったものに見合う扱いを、今も受け取れていないと感じているのかもしれません。
そのため、現在の出来事にも、
「また私だけが我慢するの?」
「いつも私が損をする」
という思いが重なります。
過去の一件だけではなく、同じ立場を何度も引き受けてきたことが、決断を難しくしている場合があります。
やめられないのは、役割まで失う気がするから
長年続けてきたことは、単なる行動ではなく、自分の役割になっていることがあります。
職場では、何でも引き受ける人。
家族の中では、問題を処理する人。
恋愛では、相手を支える人。
友人関係では、いつでも相談を聞く人。
その役割は大変ですが、同時に、自分の居場所を作る方法でもあったかもしれません。
何も引き受けなかったら、必要とされないのではないか。
支えることをやめたら、関係が終わるのではないか。
頑張らなくなったら、自分には何が残るのだろう。
このような不安があると、もう続けたくないと思いながらも、同じ役割を続けます。
やめることが、仕事や関係だけでなく、「頑張る私」「役に立つ私」まで失うことのように感じるからです。
相手や環境が変わっても、同じ役割を繰り返すことがある
今の職場を辞めれば、すべて解決するとは限りません。
転職した先でも、また人の仕事を引き受ける。
恋人と別れても、次も問題を抱えた相手を支える。
友人関係を変えても、また長い相談を聞く側になる。
家族から距離を取っても、別の場所で調整役になる。
このようなことが続く場合、問題は今いる場所だけではないのかもしれません。
自分がどのような状況で、
「私がやるしかない」
「できる人がやればいい」
「今断ったら、相手が困る」
と考えるのか。
そこに、長年続けてきたやり方が表れます。
自分で何とかする力がある人ほど、周囲からも頼られます。
そして、実際にできてしまうため、自分でも「やるしかない」と思いやすくなります。
できることと、今後も引き受けたいことは別なのですが、この二つを分けるのは簡単ではありません。
「続けるか、全部やめるか」の二択にしない
もう続けたくないと思うと、
「今すぐ全部やめるしかない」
と考えることがあります。
けれども、生活や仕事、家族関係が関わっていれば、すぐに大きな決断ができないこともあります。
だからといって、これまでと同じ形で続けるしかないわけでもありません。
仕事量を減らす。
引き受ける範囲を変える。
家族の役割を分担する。
連絡を受ける時間を決める。
恋人の問題を代わりに処理することをやめる。
すべてを終わらせる前に、「今までと同じやり方を続けない」という選択もあります。
そのときに周囲から、
「前はやってくれたのに」
「急に冷たくなった」
と言われることがあるかもしれません。
これまでこちらが多く引き受けてきた関係ほど、範囲を変えたときに反発が起こりやすくなります。
その反応を見ると、また元の役割に戻りたくなります。
けれども、相手が不満を持つことと、自分が間違った決断をしたことは同じではありません。
過去に使った時間と、これから使う時間は分けて考える
これまで五年続けてきた。
十年我慢してきた。
たくさんのお金を使った。
そう考えると、その年月や費用を取り戻すまで続けたくなります。
ただ、過去に使った時間は、続けても戻ってきません。
考えたいのは、
「今までどれだけ使ったか」
だけではなく、
「これからも同じことに時間や労力を使いたいか」
ということです。
これまで頑張った経験が消えるわけではありません。
仕事を辞めても、そこで身につけた力は残ります。
関係を終えても、誰かを大切にしようとした自分まで消えるわけではありません。
家族の役割を減らしても、これまで支えてきた事実がなかったことにはなりません。
ただ、本人にとっては、それほど簡単に割り切れないからこそ、過去の自分とこれからの自分を分けて考える時間が必要になります。
これまでの頑張りを認めることと、続けることは別
「もうやめたい」と思ったとき、自分に対して、
「もっと早く決断すればよかった」
「どうしてこんなに我慢したのだろう」
と腹が立つことがあります。
けれども、そのときの自分には、続ける理由があったのでしょう。
生活のため。
家族を守るため。
関係がよくなると信じていたから。
ほかの方法を知らなかったから。
一人になることが怖かったから。
そのときにできる方法で、何とか乗り切ろうとしていたのかもしれません。
過去の選択を否定しなければ、今の選択を変えられないわけではありません。
「あのときは必要だった」
「でも、今も同じ方法を続けるかは別」
と考えることができます。
これまで頑張ってきた自分を認めることと、これからも同じ場所で頑張り続けることは、同じではないのです。
カウンセリングでは何を整理するのか
カウンセリングでは、すぐに「続けるべきか、やめるべきか」を決めるのではなく、なぜ決断できないのかを整理します。
本当は何に疲れているのか。
やめると、何が無駄になるように感じるのか。
誰をがっかりさせることが怖いのか。
これまで、頑張ることでどのような役割を引き受けてきたのか。
そうしたことを見ていくと、今の問題だけでなく、仕事、恋愛、家族の中で同じやり方を続けてきたことが見えてくる場合があります。
これまでの努力を否定するのではなく、その努力とこれからの選択を分けて考えていくのです。




