これまでの経歴を聞かれたので、普通に答えただけ。自慢したつもりもないし、誰かと比べたわけでもない。それなのに、そのあとから相手の態度が変わることがあります。
それまで普通に話していたのに、急によそよそしくなる。何かと張り合ってくる。こちらの話にだけ微妙な反応をする。必要な情報を自分にだけ伝えてくれない。失敗するのを待っているような言い方をされる。あとになって、「最初は怖い人だと思っていました」と言われることもあります。
そんなとき、「私の言い方が悪かったのかな」「知らないうちに自慢していたのかも」「偉そうに聞こえたのかな」と、自分の中に原因を探してしまう女性は少なくありません。もちろん、自分の話し方や態度を振り返ることは大切です。
ただ、相手の態度が変わった理由が、すべてこちらの言い方にあるとは限りません。自分では「必要なことをやってきただけ」と思っていても、周囲には、本人が思っている以上に「できる人」「強い人」「自分の考えを持っている人」と見えていることがあるからです。
自分では必死だっただけでも、周りには「できる人」に見える
自分のことは、自分がいちばんよく知っています。決めるまでに迷ったことも、失敗したことも、自信をなくした時期も知っています。誰にも相談できず、一人で考え続けたことや、もう無理だと思いながら仕事へ行った日も覚えているでしょう。
だから、自分では「私はそんなに強くない」と思っています。「困ったから何とかしただけ」「誰も代わってくれなかったから自分でやっただけ」「生活を止められないから働いただけ」という感覚かもしれません。
けれど、周囲に見えているのは、その途中の迷いや苦しさではありません。問題が起きても対応する。必要なことを判断する。自分の意見を言う。失敗しても立て直す。途中で投げ出さず、最後までやり遂げる。そんな姿なのです。
本人は「必死だった自分」を知っていますが、周囲は「いろいろあっても、ちゃんとやっている人」を見ています。この見え方の違いは、思っているより大きいものです。
あなたを見て、相手が自分の不足を感じることがある
仕事ができる人を見て、「私もあんなふうになりたい」と思う人もいます。「この人から学びたい」と思う人もいれば、「頼りになる人がいて助かる」と感じる人もいます。
一方で、相手を見たことで、自分のできていないところや、自信のなさを強く感じる人もいます。
「あの人はできるのに、私はできない」「あの人は落ち着いているのに、私はいつも不安になる」「あの人は自分の意見を言えるのに、私は言えない」と、自分との差が気になってしまうのです。
このとき、相手が感じている苦しさは、こちらが何かをしたから生まれたとは限りません。もともと本人の中にあった「自分は足りない」「評価されない」「選ばれない」という気持ちが、誰かを見たことで強く出てくることがあります。
けれど、自分の中で起きていることを「私は今、この人と比べて苦しくなっている」と受け止めるのは簡単ではありません。そこで、その苦しさを相手のせいにしたくなることがあります。
「この人は自慢している」
「私を見下している」
「自分の方が上だと思っている」
「私を評価しないに違いない」
本当は自分の中で起きている比較が、相手の態度のように感じられるのです。
こちらは経歴を答えただけなのに、「自分の方が上だと言われた」と受け取る。意見を言っただけなのに、「私を否定された」と感じる。仕事を普通にこなしているだけでも、「この人がいると自分が評価されない」と思う。
そうなると、距離を取る、張り合う、嫌みを言う、情報を渡さない、失敗を待つような態度が出ることがあります。
嫉妬や劣等感が、なぜ攻撃に変わるのか
嫉妬そのものは、誰にでも起こる感情です。自分が欲しいものを誰かが持っていたり、自分にはできないと思っていることを相手がしていたりすると、うらやましさや悔しさが出ることがあります。
その感情を、「私は本当はこうなりたいんだな」「ここに自信がないんだな」と自分のこととして見られる人は、相手を攻撃する必要がありません。むしろ、相手から学ぼうとしたり、自分がこれから何をしたいかを考えたりできます。
でも、劣等感が強いと、「自分が足りない」と感じること自体がとても苦しくなります。その苦しさを抱えるより、「相手が嫌な人だから」「あの人が偉そうだから」と考えた方が楽になることがあります。
すると、相手の価値を下げれば、自分の傷ついた気持ちが少し楽になるように感じます。「あの人は仕事ができるけど性格が悪い」「できるふりをしているだけ」「どうせ誰かに助けてもらったんでしょう」と、相手の価値を下げようとするのです。
張り合うことも同じです。相手より上だと感じられれば、「自分は劣っている」という苦しさを感じずに済みます。
そのため、こちらが何も競っていなくても、相手の中では競争が始まっていることがあります。
相手の態度が変わると、自分を低く見せてしまう
理由もわからないまま警戒されたり、冷たくされたりすると、不安になります。特に、自分が嫉妬や警戒を向けられるような人だと思っていない人ほど、「私に何か悪いところがあったはず」と考えやすくなります。
そこで、「私なんて全然できません」「たまたまうまくいっただけです」「失敗ばかりですよ」と、自分を低く見せるようになります。本当は知っていることも知らないふりをする。自分の意見を控える。うまくいった話をしない。相手が嫌そうな顔をすると、すぐ話を引っ込める。
これは、単に謙虚だからとは限りません。「私が目立たなければ関係は悪くならない」「私が下になれば相手は安心する」「できる人だと思われなければ攻撃されない」という形で、相手との関係を維持しようとしていることがあります。
つまり、自分を低く見せることには、「嫌われないため」「攻撃されないため」という役割があるのです。
自分を低く見せるほど、かえって警戒されることもある
ところが、このやり方がいつもうまくいくとは限りません。
すでに相手から「仕事ができる人」「経験がある人」と見られているのに、「私なんて大したことありません」と言うと、相手には不自然に見えることがあります。
「本当はできるのに、できないふりをしている」
「余裕があるから謙遜できるんでしょう」
「私に合わせて下がってきている」
そんなふうに受け取られることもあります。
相手がもともと「この人に見下されているのでは」と警戒していた場合、自分を低く見せる態度が、その疑いを消すどころか強めることさえあります。
自分では「怖がられないように」「関係を悪くしないように」としているのに、相手には「本音を見せない人」「何を考えているかわからない人」に見えてしまうこともあります。
結果として、自分を守るためにしていたことが、かえって相手の警戒を強め、また攻撃されたり、怖がられたりすることにつながる場合があるのです。
「できるところを見せると関係が悪くなる」と覚えてきた人
なぜそこまで相手の反応が怖いのでしょうか。
過去に、自分が目立ったことで人間関係が悪くなった経験はないでしょうか。
成績がよかったことで友達から嫌みを言われた。先生や上司に褒められたあと、周囲から冷たくされた。仕事で結果を出したら、「生意気」「可愛げがない」と言われた。
頑張ったことを話したら、「自慢しないで」と言われた。できる人と思われたら、「じゃあこれもお願い」と仕事を増やされた。周囲よりできることが知られた途端、助けてもらえなくなった。
そうした経験があると、「できるところを見せると嫌われる」「目立つと面倒なことになる」「評価されると、誰かが不機嫌になる」「できる人と思われると、誰にも助けてもらえなくなる」という感覚が残ることがあります。
本人は昔の出来事を思い出しながら行動しているわけではありません。「謙虚にしているだけ」「相手に配慮しているだけ」と思っていることもあります。
でも、その奥では、以前と同じように攻撃されたり、仲間から外されたりすることへの恐れが刺激されていることがあります。
自分を下げることで、関係を維持しようとしてきた
自分を低く見せることで守ろうとしてきたのは、相手の機嫌だけではありません。
頑張ったのに一緒に喜んでもらえなかった悲しさ。何も悪いことをしていないのに責められた悔しさ。結果を出すほど負担を増やされたことへの怒り。できる人として扱われ、誰にも助けてもらえなかった寂しさ。
そうした気持ちを感じるくらいなら、「目立たない方がいい」「私が控えれば関係は続く」と考えた方が楽だったのかもしれません。
自分を低く見せることには、関係を守る意味があったのです。
けれど、そのやり方を今も続けることで、自分の意見を言わない、評価される機会を避ける、責任ある立場を断る、本来の力より低いところにとどまる、ということが起きるようになると、今度は自分の選択が狭くなっていきます。
自分を下げることと、相手を認めることは違う
相手との関係を良くするために必要なのは、自分を下げることではありません。
「私はこの仕事には経験があります」「この部分は何度も対応してきました」と、自分にあるものはそのまま認めていいのです。
そのうえで、「この分野はあなたの方が詳しいですよね」「その説明はわかりやすかったです」「そこに気づいたのはすごいと思いました」と、相手にあるものも見ることができます。
自分にあるものを認めることと、相手にあるものを認めることは両立します。
自分は判断が早い。相手は人の話を丁寧に聞ける。自分は問題への対応が得意。相手は周囲が話しやすい雰囲気を作れる。
どちらかが上で、どちらかが下である必要はありません。
相手を褒めて機嫌を取る必要はない
相手が警戒しているように見えると、「すごいですね」「さすがですね」と褒めて、何とか機嫌を直してもらおうとすることがあります。
でも、それではこちらが疲れます。
本当に見つけたことを、そのまま伝えれば十分です。説明がわかりやすかった。確認が丁寧だった。自分にはなかった考えを出してくれた。
また、相手が得意なことは、普通に頼ってもいいでしょう。「このことは、あなたの方が詳しいから教えてもらえますか」と言える関係なら、お互いの力を使うことができます。
ただし、相手の不機嫌をなくすために、自分が褒め続けたり、へりくだり続けたりする必要はありません。
こちらが誠実に関わっても、攻撃を続ける人はいる
相手を認めれば、すべての関係がよくなるわけではありません。
こちらが普通に接しても張り合ってくる。成果を横取りする。必要な情報を渡さない。人前でこちらの価値を下げようとする。事実と違うことを周囲へ伝える。
そういう人もいます。
相手が自分の価値を感じられず不安になっているのであれば、具体的に認められることで警戒が和らぐこともあります。
でも、こちらを下げることで自分が上に立とうとしている人にまで、安心させ続ける責任はありません。
相手のよいところは認める。でも、嫌みや妨害には線を引く。職場なら、起きたことを記録する。担当をはっきりさせる。必要なら上司や関係者に相談する。
相手が嫉妬しているかもしれないと理解することと、不当な扱いを我慢することは別です。
自分のできることを、そのまま認めていい
自分の実績や能力を認めると、「偉そうな人になりそう」「自信満々だと思われそう」と感じる人もいます。
でも、「私はこの仕事が得意」「この経験を乗り越えてきた」「困ったときに考えて動ける」と、自分のことをそのまま認めても、誰かを見下すことにはなりません。
むしろ、自分にあるものを認められるようになると、相手の機嫌をとるために自分を下げる必要が減っていきます。
自分には自分のできることがある。相手には、相手のできることがある。
それでいいのです。
まとめ|自分を下げなくても、人と関わることはできる
人から警戒されたり、張り合われたりすると、「私が悪かったのかな」と思うことがあります。もちろん、自分の言い方や態度を振り返ることは必要です。
でも、相手が自分と比べて苦しくなったことや、その苦しさから張り合ったり攻撃してきたりしたことまで、全部自分の責任として引き受ける必要はありません。
これまで自分を低く見せてきた人には、それなりの理由があります。できるところを見せたら嫌な思いをした。褒められたら周りが不機嫌になった。目立ったことで攻撃された。
だから、「私が下になれば関係はうまくいく」「できる人と思われなければ攻撃されない」と考えるようになったのかもしれません。
けれど、自分を下げるほど、かえって相手に警戒されたり、怖がられたりすることもあります。
自分にあるものは、自分で認める。相手にあるものも見る。相手が不機嫌になったからといって、すぐ自分を低くしない。それでも妨害や攻撃が続くなら、その人との距離や関わり方を考える。
そういう関わり方もできます。
頭では「自分を下げなくていい」とわかっていても、相手の表情が変わると反射的に自分を低く見せてしまう場合は、今の相手とのやり取りだけではなく、過去に「目立つと攻撃される」「できる人と思われると関係が悪くなる」と感じた経験が影響していることがあります。
カウンセリングでは、今の相手との間で何が起きているのか、相手側の比較や劣等感、自分の過去の経験から出ている反応を分けながら扱っていきます。
人の反応を気にして、自分の実績やできることを隠したり、必要以上に自分を下げたりすることを繰り返している方は、カウンセリングもご利用ください。




