「この仕事、誰かお願いできないかな。」
職場でそんな声が聞こえると、気がつけば手を挙げている。
「○○さんなら安心だから。」
そう言われると、断る理由が見つからない。
急な仕事。
トラブル対応。
誰かのフォロー。
新人の相談。
気づけば、いつも自分のところに回ってくる。
もちろん、仕事ができるから任されることもあるでしょう。
責任感があって、信頼されているからこそお願いされることもあります。
でも、疑問に思う。
「どうして、いつも私なんだろう。」
忙しそうにしている人は他にもいる。
同じような立場の人もいる。
それなのに、不思議と「大変な役」は自分のところへ回ってくる。
そして、その場では笑って引き受けても、家に帰ってからどっと疲れが出る。
実は、この「私ばっかり」という感覚は、仕事のことだけとは限りません。
家族の中でも。
友人関係でも。
恋愛でも。
気づけば、自分がまとめ役になっていたり、我慢する役になっていたり、「私がやるしかない」と引き受ける人は少なくありません。
もし、そんなことが何度も繰り返されているとしたら。
それは、今の職場だけの問題ではなく、もっと前から続いてきた生き方が関係しているのかもしれません。
今回は、「なぜ私は、いつも大変な役ばかり回ってくるのだろう」というテーマを、一緒に考えてみたいと思います。
頑張る人ほど、大変な役を任されるのは本当です
「仕事ができるから頼まれるんですよ。」
もし誰かにそう言われたら、たしかにその通りだと思います。
責任感があって、最後までやり遂げてくれる。
困った時にも嫌な顔をせずに動いてくれる。
だから、「この人なら安心」と思われる。
仕事ができる人ほど、頼られる場面が増えるのは自然なことです。
実際、職場にはそういう人がいます。
「あの件なら○○さんに聞こう。」
「急ぎだから○○さんにお願いしよう。」
「困った時は○○さんが何とかしてくれる。」
そうやって信頼されること自体は、決して悪いことではありません。
でも、ここで一つ気になることがあります。
同じように仕事ができる人でも、大変な役ばかり回ってくる人と、そうではない人がいます。
後輩から相談される人。
面倒な案件を任される人。
トラブルの対応をお願いされる人。
気がつけば、いつも同じ人です。
もちろん、能力があるから任されることもあります。
けれど、それだけでは説明がつかないこともあります。
仕事を頼まれやすい人と、頼まれにくい人。
責任を任される人と、うまく分担できる人。
その違いは、能力だけではないのかもしれません。
「私がやった方が早い」が増えていませんか
仕事を頼まれる人には、ある共通点があります。
それは、「断れない人」というより、「当たり前に引き受ける人」であることです。
例えば、会議で誰も手を挙げない。
少し待てば誰かが手を挙げるかもしれない。
でも、その時間が待てない。
「じゃあ、私がやります。」
気がつけば、そう言ってしまう。
また、誰かが困っている姿を見ると放っておけない。
「教えてあげた方が早いかな。」
「私がやってしまった方が早く終わるかな。」
そう思って動いているうちに、自分の仕事は後回しになってしまう。
もちろん、そのおかげで助かっている人はいます。
職場から信頼されることもあるでしょう。
でも、その状態が長く続くと、周りも少しずつ学習します。
「あの人に頼めば引き受けてくれる。」
「困った時は、あの人に相談しよう。」
そうして、気がつけば「大変な役」が集まってくるようになります。
最初から誰かが押し付けようとしていたわけではないのかもしれません。
気づけば、『これは○○さんにお願いしよう』が当たり前になっていく。
その繰り返しの中で、いつの間にか「私がやる人」という立場ができあがっていくことがあります。
「仕事だから」と思っていたけれど
職場では「私がやります」と言ってしまう。
それだけなら、仕事の話で終わるかもしれない。
でも、カウンセリングでお話を伺っていると、仕事以外でも同じような場面が出てくることがあります。
例えば、家族の中でもそうです。
親の代わりに動く。
兄弟姉妹の面倒を見る。
親戚の間に入って調整する。
気づけば、「あの子なら大丈夫」と頼られる側になっている。
友人関係でもそうです。
旅行の計画を立てるのはいつも自分。
お店を探すのも、自分。
誰かが困っていると、放っておけない。
恋愛でも、
相手が大変そうだと、自分が頑張る。
相手の機嫌が悪いと、自分が何とかしようとする。
そうやって振り返ってみると、「私がやる」が仕事だけではなく、いろいろな場面に出てくる。
もちろん、すべての人がそうとは限りません。
でも、仕事でも、家族でも、友人関係でも、恋愛でも、「私がやる」が繰り返されているとしたら。
単に性格だから仕方ないということでは、ないのかもしれません。
「私がやる」が当たり前になったのは、いつからだろう
では、どうして「私がやる」が当たり前になったのでしょう。
カウンセリングでお話を伺っていると、子どもの頃から、その役割を担ってきた方が少なくありません。
例えば、親が忙しく、小さい頃から「お姉ちゃんなんだから」と言われて育った人。
親の機嫌を見ながら、自分が我慢することで家族のバランスをとってきた人。
兄弟姉妹の面倒を見るのが当たり前だった人。
しっかり者と言われ、頼られることが多かった人。
もちろん、こういう経験があれば、必ずそうなるというわけではありません。
でも、その頃は「私がやる」が、その人にとって自然なことだったのです。
やらないという選択肢がなかった人もいます。
自分が引き受けることでしか、家族のバランスが保てなかった人もいます。
頑張ることでしか認められなかった人もいます。
だから、その生き方が身についたこと自体は悪いことではありません。
むしろ、その時の自分にとっては必要な生き方だったのだと思います。
ただ、大人になって環境が変わっても、その頃に身につけた「私がやる」が、そのまま続いていることがあります。
そして職場でも、家族でも、恋愛でも、同じように大変な役を引き受けるようになっていく。
もしそうだとしたら、今困っているのは仕事だけではなく、長い時間をかけて身につけてきた生き方なのかもしれません。
「頑張ること」が悪いわけではありません
ここまで読んで、
「じゃあ、頑張るのをやめればいいんですね。」
と思うかもしれませんが、そうではありません。
頑張ることは、これまでの人生であなたを支えてきた力です。
責任を引き受けることも。
人を助けることも。
最後までやり遂げることも。
その生き方があったからこそ、乗り越えてこられたこともたくさんあったはずです。
だから、その生き方を否定する必要はありません。
ただ、もし今、
「なんで私ばっかり。」
そう感じることが増えているのだとしたら。
これまでと同じやり方だけでは、苦しくなってきているのかもしれません。
カウンセリングでは、仕事の悩みだと思ってお話を伺っているうちに、
家族の中でも。
恋愛でも。
友人関係でも。
ずっと「私がやる」という役割を引き受けてきたことに気づかれる方が少なくありません。
そうすると、「仕事を辞めるかどうか」ではなく、
「私は、どうしてこの役割を当たり前のように引き受けるようになったのだろう。」
という見方ができるようになります。
家族には、それぞれが自然と引き受けている役割があります。
しっかり者。
我慢する人。
場を和ませる人。
親の相談相手になる人。
その役割が必要だった時期もあったのでしょう。
でも、大人になった今も、その頃と同じ役割を引き受け続けているとしたら。
仕事でも、恋愛でも、人間関係でも、「私がやる」が繰り返されることがあります。
もし、この記事を読んで、
「仕事だけの問題ではないのかもしれない。」
そう感じたなら。
一度、自分が家族の中でどんな役割を担ってきたのかを振り返ってみてもいいのかもしれません。
そこには、今の悩みを理解するヒントが隠れていることがあります。
仕事や人間関係で、いつも自分ばかり大変な役を引き受けてしまう。
そんな繰り返しには、家族の中で長く担ってきた役割が関係していることがあります。
カウンセリングでは、今起きている出来事だけではなく、これまでどのような役割を引き受けてきたのかを一緒に整理していきます。




