職場に行くと、同僚がいつもより口数が少ない。
あいさつをしても、返事が短い。
それだけで、
「昨日、何か失礼なことを言ったかな」
「私に怒っているのかもしれない」
と考え始める。
家に帰ると、家族が不機嫌そうにしている。
ため息をつき、食事中もあまり話さない。
まだ何も言われていないのに、
「私が何かした?」
と聞きたくなる。
誰かが、
「あれ、ここに置いていた書類がない」
と言っただけで、
「私は触っていないよ」
と先に弁解してしまうこともあります。
相手は、こちらを責めたわけではありません。
自分の名前すら出していません。
それでも、自分の中ではもう、責められる話が始まっています。
相手が困っていると、自分が被告席に座ったように感じる
相手の機嫌が悪い。
誰かが困っている。
何か問題が起きている。
本来なら、それぞれ別の出来事です。
ところが、
「私が原因かもしれない」
という思いが強い人は、起きている出来事をすぐに自分と結びつけます。
相手が疲れているのかもしれない。
仕事で嫌なことがあったのかもしれない。
体調が悪いのかもしれない。
そのような可能性を考える前に、
「私が悪いことをしたのではないか」
という考えが出てきます。
まるで、自分だけ知らないところで裁判が始まり、すでに被告席に座らされているような感覚です。
まだ責められていないのに、頭の中では、
何を謝ればいいのか。
どの言葉がまずかったのか。
どうすれば機嫌を直してもらえるのか。
ということを考え始めます。
「私のせい」と「私は悪くない」は反対ではない
罪悪感が強い人は、申し訳なさそうにしていると思われがちです。
けれども、実際には、
「私は悪くない」
「私じゃない」
「そんなつもりではなかった」
と、強く自分を守ることもあります。
一見すると、
「私のせいかもしれない」
と自分を責める人と、
「私は悪くない」
と反論する人は、正反対に見えます。
けれども、どちらも出発点は似ています。
自分が責められるかもしれないと感じているのです。
自分を責める人は、
「やはり私が悪いのだ」
と先に罪を引き受けます。
自分を守る人は、
「悪い人だと思われる前に否定しなければ」
と先に反論します。
どちらの場合も、相手が実際に何を言っているのかを聞く前に、自分の中で「責められる話」に変わっています。
自分のせいだと思えば、自分が何とかできる
自分のせいだと考えることは苦しいものです。
それなのに、なぜ人は何でも自分の責任にしようとするのでしょうか。
そのほうが、自分にできることがあるように感じられるからかもしれません。
私の言い方が悪かったのなら、次から気をつければいい。
私の配慮が足りなかったのなら、もっと気を配ればいい。
私が相手を怒らせたのなら、謝って機嫌を直してもらえばいい。
原因が自分にあるなら、自分が変わることで問題を終わらせられます。
反対に、相手の不機嫌が自分とは関係のないものだとしたら、自分には何もできない場合があります。
相手が仕事で悩んでいる。
過去の出来事を思い出して落ち込んでいる。
自分でも理由がわからず不機嫌になっている。
そのような時は、どれだけ気を配っても、相手の機嫌をこちらが直すことはできません。
自分にはどうにもできないことがあると認めるより、
「私のせいなら、私が何とかできる」
と考えるほうが、まだ落ち着くことがあるのです。
家の雰囲気を元に戻す役だった人もいる
子どもの頃、家族の誰かが不機嫌になると、家の中の空気が変わった人もいます。
親が機嫌を悪くすると、話しかけないようにする。
きょうだいが怒られると、自分は良い子でいる。
両親が言い争っていると、明るく振る舞ったり、別の話題を出したりする。
誰かの機嫌が悪い状態を、そのままにしておけなかったのです。
自分が何かをしたわけではなくても、
「どうすれば元に戻るだろう」
と考えてきたのかもしれません。
家族の中で、
不機嫌な人を放っておく。
相手が自分で落ち着くのを待つ。
「それは私の問題ではない」と自分のことを続ける。
そのような選択ができなかった人もいます。
そのため大人になっても、誰かの機嫌が悪いと、まず自分との関係を確認したくなります。
自分が原因ではないとわかっても、
「では、私に何ができるだろう」
と考えます。
相手の感情を、自分が処理しなければならない仕事のように感じているからです。
本当に怖いのは、怒られることだけではない
「私のせい?」と確認して、
「違うよ。仕事のことで疲れているだけ」
と言われれば、ほっとするでしょう。
ただ、確認すること自体が怖い場合もあります。
もし、
「そうだよ。あなたに怒っている」
と言われたら、相手の不満を聞かなければならない。
自分に落ち度があったら、認めなければならない。
相手が何日も前から不満を抱えていたと知るかもしれない。
だから聞けずに、相手の表情を見ながら一人で考え続けます。
一方で、
「あなたには関係ない」
と言われることも、別の意味で落ち着かないことがあります。
自分には何もできない。
相手が何を考えているのかわからないまま、そばにいなければならない。
機嫌を直す役目も、問題を解決する役目もない。
この状態に慣れていないのです。
責められるのも怖い。
自分に関係がないと言われるのも落ち着かない。
その間で、「私のせいかもしれない」という考えを手放せなくなります。
自分の責任と、相手の感情を一緒にしない
もちろん、本当に自分の言動が相手の機嫌に影響している場合もあります。
約束を忘れた。
不用意なことを言った。
相手の気持ちを軽く扱った。
そのような時には、自分がしたことを振り返り、必要なら謝ることも大切です。
ただし、自分の言動が一部関係していることと、相手の感情すべてを自分が引き受けることは違います。
たとえば、自分が失礼な言い方をしたとしても、相手がその後どう考え、どのように気持ちを扱うかまで、すべてこちらの責任になるわけではありません。
自分が謝るべきことは謝る。
説明するべきことは説明する。
それでも相手がしばらく怒っていることはあります。
その時間まで、
「早く機嫌を直してもらわなければ」
と背負うと、自分が相手の感情を管理することになります。
責任を引き受けることと、相手の感情を思い通りに戻そうとすることは別です。
すぐ謝ることで、本当の話が聞けなくなることもある
相手が不機嫌そうに見えた時に、
「ごめんね」
と先に謝る人もいます。
何に対する謝罪なのかは、まだわかりません。
それでも、謝ればその場が収まるような気がします。
けれども、先に謝られると、相手は話しにくくなる場合があります。
相手は仕事のことで落ち込んでいただけなのに、
「あなたは悪くないよ」
とこちらをなだめる役になる。
何か伝えたいことがあったとしても、
「こんなに不安になるなら、もう言わないほうがいい」
と引っ込める。
こちらは関係を守ろうとして謝ったのに、本当の話から遠ざかってしまうことがあるのです。
同じように、
「私じゃないよ」
「私は何もしていない」
と先に弁解すると、相手は責めるつもりがなかったのに、話し合いが対立する形になることもあります。
自分を守ろうとする反応が、かえって相手との間に距離を作ることがあります。
「私のせい?」と思った時に、すぐ答えを出さない
相手の機嫌が悪い時に、
「気にしないようにしよう」
と思っても、簡単にはできません。
長い間、相手の様子を見て動いてきた人にとっては、気づいた瞬間に反応が始まるからです。
まず必要なのは、すぐに自分の責任だと決めたり、すぐに否定したりする前に、
「私は今、責められたように感じている」
と気づくことです。
実際に相手から言われたことは何か。
相手は、自分の名前を出したのか。
こちらに何かを伝えようとしているのか。
それとも、相手が自分の感情を表しているだけなのか。
わからなければ、
「機嫌が悪そうに見えるけれど、私に関係のあること?」
と聞くこともできます。
ただ、この質問をすればすべて解決するわけではありません。
自分に関係があるとわかれば、相手の話を聞く必要があります。
関係がないとわかれば、相手の機嫌を自分が直さずに、そのままにしておく必要があります。
どちらの答えも、これまでとは違う対応を求められます。
だからこそ、頭では聞けばよいとわかっていても、なかなか聞けないのです。
相手の機嫌を自分の仕事にしてしまう理由を整理する
誰にも責められていないのに、
「私のせいかもしれない」
と思う。
何も聞かれていないのに、
「私は悪くない」
と自分を守りたくなる。
そこには、単なる考えすぎでは片づけられない理由があります。
誰かが不機嫌な時、これまで自分は何をしてきたのか。
家族の中で、誰の気持ちを整える役をしていたのか。
相手が怒っているかもしれない時、何が起きると想像しているのか。
自分に関係のない感情を、そのまま相手に返すことが、なぜこれほど難しいのか。
カウンセリングでは、そうしたことを一緒に整理していきます。
目指すのは、周りの人の気持ちに無関心になることではありません。
自分に関係することなら向き合う。
必要な責任は引き受ける。
けれども、相手の不機嫌や困りごとを見た瞬間に、すべて自分の罪や仕事にしない。
自分が何をしたのかという話と、相手が今どのような気分でいるのかという話を、少しずつ分けられるようにしていきます。




