「また同じタイプの人と揉めてしまった」
「なぜか、似たような人ばかり苦手になる」
「職場が変わっても、友人関係が変わっても、結局同じような相手に振り回される」
そんなことはありませんか?
たとえば、
自分勝手な人が苦手。
常識がない人に腹が立つ。
八方美人な人を見ると信用できない。
人によって態度を変える人が嫌い。
すぐ泣く人を見るとイライラする。
何でも人に頼る人が苦手。
こういうふうに、「どうしても反応してしまうタイプ」がいることがあります。
もちろん、相手の言動に本当に問題がある場合もあります。
失礼なことをされた。
約束を破られた。
こちらの境界線を踏み越えられた。
そういう時に嫌な気持ちになるのは自然です。
ただ、もし毎回のように同じタイプの人に強く反応してしまうなら、そこには自分の内側で禁止している気持ちや、見ないようにしてきた部分が関係しているかもしれません。
この記事では、同じタイプの人とトラブルになりやすい理由と、嫌いな人に強く反応する心理について解説していきます。
同じタイプの人が気になるのは、そこに反応する理由があるから
人間関係の中で、なぜか気になる人がいます。
その人の言い方が気になる。
態度が気になる。
行動が気になる。
周りの人はそこまで気にしていないのに、自分だけ妙に引っかかる。
そんなことがあります。
たとえば、職場に自由に振る舞う人がいる。
遅刻してもあまり悪びれない。
自分の都合をはっきり言う。
周りの目をそこまで気にしていない。
それを見て、
「なんであんなに自分勝手なの?」
「もう少し周りを見たらいいのに」
と強くイライラする。
もちろん、その人の行動に問題があることもあります。
ただ、同じ行動を見ても、そこまで気にしない人もいるかもしれません。
「まあ、あの人はああいう人だよね」
と流せる人もいる。
でも自分は流せない。
その時、自分の中で何かが反応しているのかもしれません。
つまり、相手の言動そのものだけでなく、自分の中にある何かが刺激されているのです。
シャドウとは、自分の中で見たくない部分
心理学では、自分の中にあるけれど、自分では認めたくない部分を「シャドウ」と呼ぶことがあります。
シャドウというと、少し難しく聞こえるかもしれません。
でも、わかりやすく言うと、
「自分の中にあるけれど、そんな自分は嫌だと思っている部分」
「本当は少し持っているのに、持っていないことにしている部分」
「自分には許していないのに、他人がやっていると腹が立つ部分」
という感じです。
たとえば、
本当は自由に振る舞いたい。
でも、自分にはそれを許していない。
だから、自由に振る舞う人を見ると腹が立つ。
本当は甘えたい。
でも、自分には甘えることを禁止している。
だから、すぐ人に頼る人を見るとイライラする。
本当は目立ちたい。
でも、目立ちたい自分を恥ずかしいと思っている。
だから、堂々と目立とうとする人を見ると苦手になる。
このように、自分の中で禁止しているものを、相手が平気で出しているように見えると、人は強く反応することがあります。
これが、同じタイプの人とトラブルになりやすい理由の一つです。
嫌いな人の中に、自分が禁止しているものがある
苦手な人を思い浮かべてみてください。
その人のどこが嫌でしょうか。
自分勝手なところ。
常識がないところ。
人に合わせすぎるところ。
いい顔をするところ。
責任感がないところ。
弱音ばかり吐くところ。
目立ちたがるところ。
何でも人任せにするところ。
いろいろ出てくると思います。
そこで少しだけ見てみたいのは、
「その要素を、自分には禁止していないだろうか」
ということです。
たとえば、自分勝手な人が嫌いな場合。
自分の中では、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「周りに合わせなければいけない」
「自分の希望ばかり言ってはいけない」
というルールが強いのかもしれません。
だから、自分の都合をはっきり言う人を見ると、
「なんでそんなことができるの?」
と腹が立つ。
でもその奥には、
「私だって本当は、もう少し自分の希望を言いたい」
という気持ちがあるかもしれません。
常識がない人に腹が立つ場合も同じです。
自分はずっと、常識やマナーを守ろうとしてきた。
失礼にならないように気をつかってきた。
人から変に思われないように、自分を抑えてきた。
だから、自由に振る舞う人を見ると許せない。
でもその奥には、
「私ももう少し、人の目を気にせず動きたい」
という気持ちがあるかもしれません。
嫌いな人は、自分の中で禁止しているものを見せてくることがあるのです。
「あんなふうにはなりたくない」と強く思う理由
苦手な人に対して、
「あんなふうには絶対なりたくない」
と思うことがあります。
この「絶対」が強いほど、自分の中に強い禁止があることがあります。
たとえば、
「人に迷惑をかける人だけにはなりたくない」
「感情的な人にはなりたくない」
「だらしない人にはなりたくない」
「八方美人にはなりたくない」
「弱音ばかり言う人にはなりたくない」
そう思っている。
その結果、自分は正反対になりすぎることがあります。
人に迷惑をかけないように、何でも一人で抱える。
感情的にならないように、気持ちを飲み込む。
だらしなくならないように、いつもきちんとする。
八方美人にならないように、人付き合いを最小限にする。
弱音を言わないように、平気な顔をする。
もちろん、それでうまくいく場面もあります。
でも、ずっと正反対であり続けると、自分が疲れていきます。
そして、自分が我慢していることを相手が簡単にやっているように見えた時、強い怒りが出ます。
「あの人は、どうしてそんなに自由なの?」
「あの人は、どうしてそんなに人に頼れるの?」
「あの人は、どうしてそんなに平気で感情を出せるの?」
その怒りの奥には、自分がずっと我慢してきたものがあるのかもしれません。
同じタイプとトラブルになる時、相手だけの問題ではないかも
同じタイプの人とトラブルになる時、最初は相手の問題に見えます。
自分勝手な人が悪い。
常識がない人が悪い。
無責任な人が悪い。
人の顔色ばかり見る人が悪い。
もちろん、相手の行動が本当に困るものであれば、距離を取ったり、伝えたり、境界線を引いたりする必要があります。
相手に合わせ続ける必要はありません。
ただ、同じタイプの人が何度も現れるように感じるなら、相手を変えるだけでは済ませられなくなります。
職場を変えても、似たような人がいる。
友人関係を変えても、また同じような人に腹が立つ。
恋愛でも、似たようなタイプとぶつかる。
こういう時は、
「なぜ私は、このタイプにこんなに反応するのだろう」
と見てみることが役に立ちます。
相手が正しいか、自分が悪いか、という話ではありません。
自分の中で何が刺激されているのかを見るのです。
そこに気づくと、相手との関わり方だけでなく、自分の扱い方も変わってきます。
自分勝手な人にイライラする時
自分勝手な人にイライラする時、その奥には「自分は我慢している」という感覚があるかもしれません。
自分は言いたいことを飲み込んでいる。
自分は周りに合わせている。
自分は迷惑をかけないようにしている。
自分は自分の希望を後回しにしている。
それなのに、相手は平気で自分の都合を言う。
そう見えると、腹が立ちます。
「なんであなたはそんなに自由なの?」
「私はこんなに我慢しているのに」
という気持ちが出てくるからです。
この場合、相手の自分勝手さだけを責めても、自分の苦しさはあまり変わらないことがあります。
大切なのは、
「私はどこで自分の希望を言わないようにしているのか」
「私は何を我慢しすぎているのか」
「私も少しだけ自分の希望を言うなら、何を言いたいのか」
を見ていくことです。
自分勝手になる必要はありません。
でも、自分の希望を全部消さなくてもいい。
その違いに気づくことが大切です。
常識がない人に腹が立つ時
常識がない人に腹が立つ時、自分の中には「きちんとしていなければいけない」というルールが強いのかもしれません。
失礼なことをしてはいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
場の空気を読まなければいけない。
ちゃんとした人でいなければいけない。
こういうルールがある人ほど、自由に振る舞う人を見ると強く反応します。
「どうしてあんなことができるの?」
「周りが見えていないの?」
「私はこんなに気をつかっているのに」
と思う。
でも、その奥には、
「私も少し気を抜きたい」
「完璧にちゃんとしているのに疲れた」
「たまには周りを気にしすぎずに動きたい」
という気持ちがあるかもしれません。
もちろん、常識やマナーは大切です。
でも、いつも完璧に守ろうとしすぎると、自分が苦しくなります。
常識がない人に腹が立つ時は、
「私はどこで自分に厳しすぎるのだろう」
と見てみてもいいかもしれません。
八方美人な人が信用できない時
八方美人な人が苦手という人もいます。
誰にでもいい顔をする。
相手によって態度を変える。
本音が見えない。
その場その場でうまく合わせる。
そういう人を見ると、
「信用できない」
「本当は何を考えているのかわからない」
と感じる。
もちろん、相手が本当に不誠実な場合もあります。
でも、強く反応する時には、自分の中に別の気持ちがあるかもしれません。
たとえば、
本当はもっと人と上手に関わりたい。
本当は場に合わせて軽やかに振る舞いたい。
本当は誰とでも話せる社交性がほしい。
でも、自分にはそれができないと思っている。
あるいは、
「人に合わせるのはよくない」
「誰にでもいい顔をするのはずるい」
「本音でいなければいけない」
というルールが強いのかもしれません。
すると、人に合わせることが上手な人を見ると、腹が立ちます。
でも、別の角度から見れば、その人には「人との入り口を作る力」があるとも言えます。
八方美人と見るか、社交的と見るか。
軽い人と見るか、場をやわらかくする人と見るか。
見方が少し変わると、自分の反応も変わってくることがあります。
嫌いな要素を、別の言葉に言い換えてみる
シャドウを受け入れるというと、嫌いな人を好きにならなければいけないように感じるかもしれません。
でも、そうではありません。
無理に相手を好きになる必要はありません。
嫌だったことをなかったことにする必要もありません。
大切なのは、その要素を別の角度から見てみることです。
たとえば、
自分勝手
→ 自分の希望を言える力
常識がない
→ 人と違う発想を持てる力
八方美人
→ 人とつながる力
感情的
→ 気持ちを表に出せる力
頼りない
→ 人に助けを求められる力
目立ちたがり
→ 自分を表現する力
だらしない
→ 完璧にこだわりすぎない力
このように、嫌いな要素の中にも、別の見方をすると使える力が含まれていることがあります。
もちろん、その要素が極端に出ると困ることもあります。
自分勝手すぎれば、人を振り回します。
常識を無視しすぎれば、周りが困ります。
感情をぶつけすぎれば、関係が傷つきます。
でも、ゼロにする必要もないのです。
自分の中にも少しだけ取り戻せると、心の幅が広がります。
シャドウを受け入れるための問いかけ
嫌いな人に強く反応した時は、すぐに結論を出さなくてもいいです。
まずは、次のように問いかけてみます。
その要素を、自分は嫌いすぎていないか
たとえば、自分勝手な人が嫌いなら、
「私は自分の希望を言うことまで嫌っていないだろうか」
と見てみます。
本当は、少し自分の希望を出したい。
でも、それを「わがまま」と決めつけて抑えていないか。
ここを見ます。
その要素を、自分に禁止していないか
常識がない人に腹が立つなら、
「私は自分に、ちゃんとしていることを求めすぎていないだろうか」
と見てみます。
失礼にならないように、空気を読みすぎていないか。
少しでも外れることを、自分に許していないのではないか。
ここを見ます。
その要素を、本当は少し欲しいと思っていないか
八方美人な人が苦手なら、
「私は本当は、もっと人と気軽に関わりたいのではないか」
と見てみます。
人と上手に話したい。
場に自然に入っていきたい。
でも、自分にはできないと思って、欲しくないふりをしていないか。
ここを見ます。
この問いかけは、相手を正当化するためのものではありません。
自分を責めるためのものでもありません。
自分の中で禁止してきたものを見つけるためのものです。
「私の中にもあるかも」は、責める言葉ではない
シャドウの話をすると、
「嫌いな人と同じ要素が自分にもあるなんて、嫌です」
と思う人もいます。
その反応は自然です。
嫌いだからこそ、認めたくないのです。
でも、「私の中にもあるかも」というのは、自分を責める言葉ではありません。
「私も自分勝手なひどい人間だ」という意味ではありません。
「私の中にも、自分の希望を言いたい気持ちがあるのかもしれない」
「私の中にも、少し自由に振る舞いたい気持ちがあるのかもしれない」
「私の中にも、人に助けを求めたい気持ちがあるのかもしれない」
そういう見方です。
嫌いな相手と同じになる必要はありません。
ただ、自分の中にある欲求や感情まで全部否定しなくてもいいのです。
相手のように極端に出さなくてもいい。
でも、自分の中で完全に禁止しなくてもいい。
その中間を見つけていくことが大切です。
トラブルを減らすには、相手を変えるより自分の反応を見る
同じタイプの人とトラブルになる時、相手を変えたくなります。
「もっとちゃんとしてほしい」
「もっと空気を読んでほしい」
「もっと私の気持ちを考えてほしい」
そう思う。
もちろん、伝えるべきことは伝えていいのです。
距離を取るべき相手からは、距離を取っていいのです。
ただ、相手を変えようとするだけでは、同じパターンが繰り返されることがあります。
なぜなら、自分の中の反応が変わっていないからです。
自分が何に反応しているのか。
どこで我慢しすぎているのか。
何を禁止しすぎているのか。
本当は何を少し欲しいと思っているのか。
そこを見ると、相手との関わり方を選びやすくなります。
必要以上に攻撃しなくてよくなる。
相手に巻き込まれすぎなくなる。
自分の希望を少し出せるようになる。
嫌いな人を通して、自分の中でしまい込んでいたものに気づけることがあります。
距離を取ることが必要な相手もいる
ここで一つ、大切なことがあります。
シャドウや投影の話は、すべての人間関係に当てはめればいいというものではありません。
相手が暴言を吐く。
支配してくる。
傷つけてくる。
境界線を何度も踏み越えてくる。
こちらが嫌だと言ってもやめない。
こういう相手に対して、
「これは私のシャドウかもしれない」
と無理に内省しすぎる必要はありません。
まずは距離を取ることが必要です。
安全を確保することが先です。
嫌なことを嫌だと感じることは、とても大切です。
自分の反応を見ることと、相手の問題をなかったことにすることは違います。
安全な距離を取ったうえで、
「なぜ私はこのタイプに何度も巻き込まれやすいのだろう」
と見ていくことはできます。
順番を間違えないことが大切です。
嫌いな人は、自分を知る入口になることがある
苦手な人や嫌いな人は、できれば避けたいものです。
会うだけで疲れる。
話すだけでイライラする。
思い出すだけで嫌な気持ちになる。
そんな相手もいます。
でも、少し距離を取って見られるようになった時、その人は自分を知る入口になることがあります。
自分は何を嫌っているのか。
何を許していないのか。
何を我慢してきたのか。
何を欲しいのに欲しくないふりをしているのか。
どこで自分を縛ってきたのか。
そこが見えてくるからです。
嫌いな人を好きになる必要はありません。
無理に仲良くする必要もありません。
ただ、
「あの人の何に、私はここまで反応しているのだろう」
と見てみる。
それだけで、自分の中にしまい込んできた気持ちが少し見えてくることがあります。
まとめ
なぜか同じタイプの人とばかりトラブルになる。
似たような相手に、毎回強くイライラする。
そういう時は、相手の問題だけでなく、自分の中で禁止しているものが刺激されているのかもしれません。
自分勝手な人が嫌いなら、自分の希望を言うことを禁止しているのかもしれません。
常識がない人が嫌いなら、ちゃんとしていなければいけないと自分に厳しくしているのかもしれません。
八方美人な人が苦手なら、本当はもっと人と気軽につながりたい気持ちがあるのかもしれません。
これは、相手が正しいという話ではありません。
自分が悪いという話でもありません。
嫌いな人や苦手な人に強く反応する時、自分の中でしまい込んできた気持ちが見えてくることがある、ということです。
「私はこの人の何が嫌なのだろう」
「それを自分に禁止していないだろうか」
「本当は少し欲しいと思っていないだろうか」
そう見ていくことで、同じ人間関係のパターンから少しずつ抜け出しやすくなります。
嫌いな人は、あなたを苦しめるだけの存在ではないかもしれません。
時には、自分が置き去りにしてきた部分を知らせてくれる存在になることもあります。
その気づきが増えていくと、人間関係の中で必要以上に振り回されることが少しずつ減っていくのではないでしょうか。


