予定外の仕事まで引き受け、何とか期限に間に合わせた。
本来なら自分一人で担当する仕事ではなかったけれど、誰かがやらなければ間に合わない。
周囲に確認し、抜けているところを直し、最後まで仕上げた。
ようやく終わった時、上司から、
「やっぱり、あなたはしっかりしているね」
と言われる。
褒められたのだと思います。
実際、上司も悪い意味で言ったわけではないのでしょう。
けれども、なぜか素直に喜べない。
「ありがとうございます」
と答えながら、心の中では、
「また私がやることになるのかな」
「しっかりしていると言えば、何でも任せていいと思っていない?」
と、少し腹が立つ。
褒められたのに、うれしくない。
そんな自分を、ひねくれているように感じる人もいるかもしれません。
けれども、同じ言葉でも、これまでその言葉と一緒に何が起きてきたかによって、受け取り方は変わります。
言葉だけを聞いているわけではない
「しっかりしているね」
という言葉を、純粋な褒め言葉として受け取れる人もいます。
信頼されている。
仕事ができると思われている。
頼りにされている。
そう感じて、うれしくなる人もいるでしょう。
一方で、
「しっかりしているね」
と言われるたびに、
「あなたなら一人でできるでしょう」
「忙しくても何とかしてくれるでしょう」
「困っていても、自分で処理できるでしょう」
と扱われてきた人もいます。
その人にとって、「しっかりしている」は、単なる評価ではありません。
助けてもらえない。
負担を増やされる。
後回しにされる。
そのような経験とつながった言葉になっています。
だから、褒められていると頭ではわかっていても、体の中では身構えるのです。
また何か頼まれるのではないか。
次も同じようにできると思われるのではないか。
しんどいと言えなくなるのではないか。
反応しているのは、言葉そのものだけではありません。
その言葉の後に、これまで何が起きてきたかにも反応しています。
「しっかりしている」は、助けなくてもいいという意味だった
家族の中で、
「お姉ちゃんはしっかりしているから」
と言われてきた人もいます。
弟や妹が困っている時には、周りの大人が助けてくれる。
けれども自分が困っている時には、
「あなたならできるでしょう」
と言われる。
弟や妹が失敗すれば心配される。
自分が失敗すれば、
「あなたらしくない」
と言われる。
しっかりしていることを認めてもらえた一方で、しっかりしている自分でいる限り、手をかけてもらえなかったのかもしれません。
本当は、自分も心配してほしかった。
できるかどうかを聞いてほしかった。
たまには誰かに任せたかった。
けれども、
「しっかりしたお姉ちゃん」
という役割ができると、その役割から外れることが難しくなります。
大人になってからも、
「あなたはしっかりしているね」
と言われると、家族の中で引き受けてきた役割まで一緒に思い出すことがあります。
褒められたのにうれしくないのは、その言葉が、自分を認める言葉ではなく、また同じ役割にされる言葉のように聞こえるからかもしれません。
本当は「大変だったね」と言ってほしかった
「しっかりしているね」と言われた時、本人が本当に求めていた言葉は、別のものだった場合もあります。
「大変だったでしょう」
「一人に任せすぎてしまったね」
「助かった。次は負担が偏らないようにしよう」
そう言ってほしかった。
ところが、返ってきたのは、
「やっぱり、あなたならできるね」
だった。
周囲は能力を認めているつもりでも、本人が経験した大変さには触れていません。
結果だけを見て、
「できる人」
と評価される。
そこまでにどれだけ迷ったか。
何を後回しにしたか。
本当は誰かに助けてほしかったこと。
それらは見えないままです。
そのため、褒め言葉を受け取るより先に、
「私は、できたことだけを見られている」
という寂しさが出てくることがあります。
能力を評価されることと、自分の負担を理解してもらうことは、同じではありません。
褒め言葉の形をした依頼もある
人を褒めたあとに、頼み事をする人もいます。
「あなたはやさしいから、わかってくれると思う」
「あなたは仕事が早いから、これもお願いできる?」
「しっかりしているあなたにしか頼めない」
言われた側は、悪い気はしないかもしれません。
自分を信頼してくれている。
必要とされている。
そう感じることもあります。
けれども、その褒め言葉を受け取った直後に、
「それなら、やらなければ」
という気持ちになることがあります。
断ったら、やさしくない人になってしまう。
引き受けなければ、しっかりしていないことになる。
相手の期待を裏切るように感じる。
褒め言葉が、断りにくくするための前置きになっている場合もあるのです。
もちろん、相手が意図的に利用しようとしているとは限りません。
相手も、
「この人なら引き受けてくれる」
と思い、いつものように頼っているだけかもしれません。
それでも、言われた側にとっては、
「また、その言葉で私にやらせようとしている」
と感じることがあります。
褒め言葉を受け入れると、これからも続けなければならない気がする
「しっかりしていますね」
と言われた時に、
「ありがとうございます」
と受け取ることが難しい人もいます。
受け取ったら、その評価を認めたことになる。
しっかりしている自分を、これからも続けなければならない。
失敗してはいけない。
今度はできないと言えない。
そんな気持ちになるからです。
褒め言葉を受け取ることが、次の期待を引き受ける契約のように感じられるのです。
そのため、
「いえ、全然そんなことないです」
「今回はたまたまです」
「私なんて、たいしたことはしていません」
と否定します。
これは、自分を低く見ているからだけとは限りません。
これ以上期待されたくない。
今後も同じ役割を任されたくない。
失敗した時に、がっかりされたくない。
そのために、過小評価している場合があります。
褒められるのが苦手なのではなく、褒め言葉の後に増えるものが怖いのかもしれません。
「やさしいね」がうれしくない場合もある
同じことは、「やさしい」という言葉にも起こります。
相手の話を聞く。
困っている人に手を貸す。
嫌なことがあっても、すぐには責めない。
そうしたところを見て、
「本当にやさしいよね」
と言われる。
けれども、本人はうれしくない。
なぜなら、やさしいと言われるたびに、
話を聞く側になる。
無理な頼みを断りにくくなる。
相手の事情を理解するよう求められる。
自分が怒ると、
「そんな人だと思わなかった」
と言われる。
そのようなことが続いてきたからです。
本当は、
「私にも嫌なことはある」
「いつも相手を受け入れられるわけではない」
「今日は話を聞けない」
と言いたい。
けれども、やさしい人という評価を失いたくない気持ちもある。
やさしい人でいたい自分と、これ以上引き受けたくない自分がぶつかります。
だから、褒められてもうれしくないのに、その評価を完全に手放すこともできません。
褒められることを嫌がっているのではない
褒め言葉に違和感がある時、
「私は人から認められるのが苦手なのだ」
と考えることがあります。
けれども、すべての褒め言葉が嫌なわけではないかもしれません。
「しっかりしているね」ではなく、
「困っているところを整理してくれて助かった」
と言われたら、素直にうれしいかもしれません。
「やさしいね」ではなく、
「今日は話を聞いてくれてありがとう。でも無理な時は断ってね」
と言われたら、負担には感じないかもしれません。
能力や性格をひとまとめに評価されることよりも、自分がその時にしたことを具体的に見てもらいたい。
できる人として期待を増やされることよりも、かけた時間や負担をわかってほしい。
褒められたくないのではなく、自分の一部分だけを見て、役割を決められたくないのかもしれません。
誰に言われたかを気にするのにも理由がある
同じ言葉でも、誰に言われたかによって感じ方は変わります。
信頼している人から、
「あなたはしっかりしているね」
と言われれば、うれしい。
けれども、自分のことをほとんど知らない人から言われると、
「何がわかるのだろう」
と腹が立つ。
これは、相手を見下しているからとは限りません。
自分の表面だけを見て、わかったように評価されたくないのかもしれません。
しっかりして見えるけれど、本当は迷うこともある。
人に頼りたい日もある。
自分の判断に自信がない時もある。
そうした部分を知らないまま、
「あなたはこういう人」
と決められることに抵抗があるのです。
人から評価されることよりも、きちんと自分を見てもらうことを求めている場合があります。
では、どう受け取ればいいのか
褒められた時に、何でも素直に受け取る必要はありません。
反対に、すべてを否定する必要もありません。
まずは、
「私は、この言葉の何に引っかかったのだろう」
と考えてみます。
能力を認められたこと自体はうれしいけれど、また仕事を増やされそうで嫌だったのか。
やさしいと言われたことより、これからも断らない人だと思われるのが嫌だったのか。
評価されたことではなく、大変だったことを見てもらえなかったのが寂しかったのか。
相手に決めつけられたように感じたのか。
同じ言葉でも、引っかかっている場所は人によって違います。
そこがわかれば、褒め言葉の中から受け取りたい部分と、引き受けたくない部分を分けられます。
「評価してくれたことは、ありがたい」
けれども、
「次も自分が担当するとは限らない」
「できない時まで、しっかりした人でいなくていい」
「やさしいと言われても、嫌なことを断っていい」
褒め言葉を受け取ることと、その言葉に付いてくる役割を引き受けることは別です。
なぜその言葉に反応するのかを整理する
「しっかりしているね」と言われるたびに腹が立つ。
褒められると、なぜか逃げたくなる。
良い評価を受けても、次の負担を考えてしまう。
そのような時、単に自己評価を上げようとしても、違和感が消えないことがあります。
その言葉が、これまでどのような役割と結びついてきたのか。
しっかりしていることで、何を任されてきたのか。
できる自分でいる代わりに、何を我慢してきたのか。
評価を受け取ると、どのような期待に応えなければならないと感じるのか。
カウンセリングでは、その人が言葉に付けている意味を一緒に整理していきます。
目指すのは、誰から何を言われても気にしない人になることではありません。
うれしい評価は受け取りながら、自分を一つの役割に閉じ込める言葉まで引き受けない。
そのために、自分は本当はどのように見てもらいたかったのかを確かめていきます。




