諦めたはずなのに、なぜまだ気になるの?|叶わなかった夢に残っている感情

感情・心のしくみ

SNSを見ていたら、昔一緒に音楽をやっていた友人の写真が流れてきた。

今もライブを続けているらしい。

「すごいね」

そう思う一方で、

「でも、あの人は環境がよかったから」
「私はちゃんと現実を見たから」

という言葉が頭に浮かぶ。

自分はもう、音楽を仕事にしたいなんて思っていない。そのはずなのに、写真を見ているのが苦しい。

羨ましい。悔しい。見たくない。

本当にもう欲しくないのなら、どうしてこんなに気になるのでしょう。

夢を諦めたあとには、「これでよかった」と自分を納得させることで、何とか先へ進んできた人もいます。

けれど、そのとき感じていた悔しさや悲しみまでなかったことにすると、何年たっても、その夢だけが妙に引っかかることがあります。

夢を諦めるときには、自分を納得させる理由が必要になる

夢と聞くと、大きな成功を思い浮かべるかもしれません。

でも、ここでいう夢はもっと広いものです。

音楽や絵を仕事にしたかった。

起業したかった。

海外で暮らしたかった。

学び直したかった。

結婚して家庭を持ちたかった。

こんな夫婦になりたかった。

こんな町で暮らしたかった。

本当はこういう仕事がしたかった。

人生には、「こうなったらいいな」と思い描いていたものがあります。

それを諦めるのは、案外大変です。

時間も使った。努力もした。期待もした。

「もしかしたらできるかもしれない」

と思った時期もあった。

それをやめるのですから、

「才能がなかった」
「現実的ではなかった」
「収入を考えたら無理だった」
「今の生活の方が自分には合っている」

と、自分が納得できる理由を必要とすることがあります。

その理由が間違っているとは限りません。

本当に経済的に難しかったのかもしれない。

家族の事情があったのかもしれない。

努力しても届かなかったのかもしれない。

ただ、理由として正しいことと、

「悔しかった」
「悲しかった」
「本当はもっとやりたかった」

という感情がなくなることは別です。

「どうせ無理だった」は、諦めた痛みから自分を守っていたのかもしれない

夢が叶わなかったとき、

「本当はそこまでやりたくなかった」
「あの世界はろくなものじゃない」
「夢なんて追うより、安定している方が賢い」
「結婚なんて面倒なだけ」

と思うことがあります。

夢を諦めた直後に、

「本当に欲しかった」
「でも手に入らなかった」

と認めるのは苦しいものです。

失敗した気がする。

惨めになる。

頑張った時間まで無駄だったように感じる。

自分に腹が立つ。

だから、「これでよかった」と思うことで、当時の自分を支えていたこともあります。

問題になるのは、何年たっても「絶対にこれでよかった」と言い続けないと苦しくなる場合です。

誰かが同じ夢を叶えた話をするたびに否定したくなる。

その世界について聞くと腹が立つ。

「興味ない」と言いながら、なぜか情報は気になる。

そんなときには、まだ触れたくない感情が残っている可能性があります。

叶わなかったこと以上に、「自分の限界」を認めるのがつらい

夢を諦めるときに、とてもつらいのが自分の限界を見ることです。

「もっと上まで行けると思っていた」

「努力すれば何とかなると思っていた」

「自分には才能があると思っていた」

ところが現実には、ある場所で止まった。

思っていたほど評価されなかった。

生活できるほどの収入にはならなかった。

試験に受からなかった。

望んだ相手から選ばれなかった。

そこで、

「ここが、あのときの自分の限界だったのかもしれない」

と考えるのは苦しいものです。

自分が思っていた自分と、実際の自分との間に差が出るからです。

そのため、

「本気を出さなかっただけ」
「環境さえよければできた」
「あのとき続けていたら絶対うまくいった」

と思い続けることがあります。

もちろん、本当に環境が違えば結果が変わった可能性もあります。

ただ、いつまでも「本気を出していなかっただけ」にしておくと、当時の自分がどこまでできたのかを認められません。

限界を見るというのは、「私は能力がない」と決めることではありません。

当時の自分にあった、

・能力
・経験
・使える時間
・経済状況
・体力
・家庭や仕事の事情

まで含めて、

「あのときの私には、ここまでだった」

と見ることです。

悔しくても、そこまでやった自分の現実を認める。

これは、諦めた夢を整理するときに大切な作業になることがあります。

やり切っていないことが引っかかるなら、今からやってみてもいい

一方で、

「あのときの自分には、ここまでだった」

と言おうとすると、

「いや、本当はまだやれた」
「怖くなって逃げただけ」
「今でもやりたい」

という気持ちが出てくることがあります。

それなら、今からもう一度やってみるという選択もあります。

40代、50代になれば、昔と同じ条件ではありません。

仕事もある。

家族もいる。

使える時間も体力も違います。

昔とまったく同じ夢を、そのまま再現できるとは限りません。

それでも、今できるところまでやってみることはできます。

もう一度勉強してみる。

作品を作ってみる。

人前で演奏してみる。

副業として始めてみる。

行きたかった土地へ実際に行ってみる。

やってみることで、

「やっぱり私はこれが好きだった」

とわかるかもしれません。

逆に、

「思っていたほど、今はやりたいわけではなかった」

と気づくこともあります。

「ここまでやれたら、もう十分」

と思えるかもしれません。

再挑戦したから成功しなければならないわけではありません。

やり切っていないことが引っかかっているなら、今の自分で確かめてみる。

それだけでも意味があります。

夢を諦めることと、好きだったものを嫌いになることは違う

プロの音楽家になることを諦めた。

だから、音楽までやめる。

絵で食べていくことを諦めた。

だから、絵を描かなくなる。

海外移住を諦めた。

だから、海外へ行くことにも興味がないことにする。

こうして、夢の形を諦めたときに、好きだったものまで一緒に捨ててしまうことがあります。

でも、本当にそこまで捨てる必要があるのでしょうか。

プロにはならないけれど、趣味として演奏する。

仕事にはしないけれど、絵を描く。

海外へ永住はしないけれど、毎年旅行する。

会社を辞めて起業はしないけれど、副業として自分の仕事を持つ。

夢には「形」があります。

その奥には、

「表現したかった」
「自由に暮らしたかった」
「自分の力で仕事をしたかった」
「誰かと家族を作りたかった」
「愛し愛される関係が欲しかった」

という願いがあることもあります。

最初に考えていた形では叶わなくても、その中の何を自分が本当に欲しかったのかは、改めて見てみることができます。

自分が諦めたものを持っている人に、なぜ嫉妬するのか

自分がまったく興味のないものなら、誰かがそれを手に入れていても、

「すごいね」で終わる。

ところが、

「本当は私も欲しかった」

と自分が欲しかったものを持っている人を見ると、強く反応することがあります。

海外生活を諦めた人が、海外で楽しそうに暮らしている人を見る。

結婚を諦めた人が、幸せそうな夫婦を見る。

起業を諦めた人が、独立して生き生き働いている人を見る。

「うらやましい」と素直に思うより先に、

「あの人は運がよかっただけ」
「実際には大変だと思うよ」
「私はあんな生活したくないけどね」

と言いたくなることがあります。

嫉妬が出たからといって、必ずその人と同じものが欲しいとは限りません。

ただ、

「私は、この人の何が羨ましいのだろう」

と考える手がかりにはなります。

その生活そのものなのか。

自由なのか。

評価されていることなのか。

好きなことを続けている姿なのか。

自分が捨てたものを、その人がまだ持っていることなのか。

嫉妬の中に、諦めたときには見ないことにした本音が残っている場合があります。

嫉妬したときは、こんなことを見てみてもよいでしょう。

・その人の何が羨ましいのか
・自分も以前、欲しかったものではないか
・そのもの自体が欲しいのか、その人の生き方に惹かれているのか
・今でも欲しいのか

欲しがることをやめると、「何がしたいかわからない」になることもある

夢が叶わない経験はつらいものです。

欲しい。

期待する。

手に入らない。

悔しい。

この経験が続くと、次第に最初から欲しがらないようになることがあります。

「どうせ無理」
「期待しても仕方がない」
「現実を見た方がいい」

そうやって自分を納得させているうちに、

「何がしたいの?」

と聞かれても、本当に答えが出なくなる。

夢がないというより、夢を持つと傷つくから、欲しいものを探さなくなっている

今、「特にやりたいことはない」と思っているなら、それが本当の現在地であることもあります。

ただ、もし何を考えても「どうせ無理」が先に出るなら、新しい夢を探す前に、

「私はこれまで、何を諦めてきたのだろう」

と振り返ってみる方が、自分の希望を見つけやすいことがあります。

「本当は欲しかった」と認めても、自分を責めなくていい

諦めた夢を振り返ると、

「もっと頑張ればよかった」
「あのとき逃げなければ」
「どうして私はできなかったんだろう」

と、反省会を始めたくなることがあります。

でも、ここで大切なのは、過去の自分を責めることではありません。

「ああ、私は本当にやりたかったんだな」

「叶わなくて、あれほど悔しかったんだな」

「できると思っていたからこそ、できなかったことが悲しかったんだな」

まず、そこを認めます。

夢を諦めた後の選択は、一つではありません。

・もう一度挑戦する
・今できるところまでやってみる
・形を変えて続ける
・仕事にはせず、好きなものとして楽しむ
・今の自分にはもう必要ないと終わりにする

過去の夢を全部復活させる必要はありません。

反対に、「昔のことだから」と全部終わったことにする必要もありません。

今の自分が、もう一度選ぶ

昔の自分は、

「もう無理」
「これは諦める」
「欲しがらない方がいい」

と決めた。

その判断は、当時の自分には必要だったのでしょう。

でも、その決定を一生守り続けなければならないわけではありません。

あのときはできなかった。

あのときは怖かった。

あのときはお金がなかった。

あのときは家族の事情があった。

あのときの自分には、あそこまでだった。

そこまで認めたうえで、

「では、今の私はどうしたい?」

ともう一度考えることができます。

今なら挑戦したいと思うかもしれない。

昔とは違う形で続けたいかもしれない。

好きなものとして、もう一度生活に取り入れたいかもしれない。

もう十分だと思えるかもしれない。

カウンセリングでは、何を本当は欲しかったのか。どこで諦めたのか。そのとき何が悔しかったのか。何を認めるのがつらかったのか。今でも羨ましく感じるのは、どんな人なのか。

そうしたことを整理しながら、昔の気持ちと今の気持ちを分けて見ていきます。

「本当は欲しかった」と認めた結果、もう一度やりたいと思うこともあります。

「私は十分やった」と思えることもあります。

プロにはならなくても、好きだったものを生活に取り入れる人もいます。

夢が一つの形で叶わなかったからといって、好きだった気持ちまで否定する必要はありません。

「本当は欲しかった」
「もっとやりたかった」
「悔しかった」

その気持ちをなかったことにしない。

そして、過去の自分が出した答えを、これからの自分にもそのまま当てはめなくていい。

再挑戦するのか、形を変えるのか、好きなものとして残すのか、ここで終わりにするのか。

今の自分が選べるようになること。

諦めた夢を振り返る意味は、そこにあるのだと思います。

こちらの記事もどうぞ

タイトルとURLをコピーしました