適当な人・いい加減な人に腹が立つのはなぜ?|自分に厳しい人ほど他人にも厳しくなる心理

適当な人に腹が立っている女性 感情・心のしくみ

待ち合わせは10時。

自分は遅れないように電車の時間を調べ、5分前には着いている。

10時を過ぎても相手は来ない。10時10分になってようやく、

「ごめん、今向かってる!」

とLINEが来る。

遅れたことにも腹が立つけれど、それ以上に、

「なぜもっと早く連絡しないの?」
「私は間に合うように予定を調整してきたのに」
「普通、約束した時間くらい守るでしょう」

と思う。

しかも相手は到着すると、「ごめんごめん」と笑っている。

頭では、「こういう人なんだろうな」と思う。それでも心の中では、「いや、でも普通はさ……」が止まらない。

適当な人やいい加減な人を見ると強く腹が立つとき、相手の行動だけでなく、自分が自分にどれくらい厳しくしてきたのかが関係していることがあります。

同じ「いい加減な人」でも、気になる人と気にならない人がいる

遅刻した。

締め切りを守らない。

頼まれたことを忘れた。

連絡を返さない。

こうした行動によって実際に迷惑をかけられているなら、腹が立つのは自然です。

仕事なら、「期限は守ってください」と伝える必要もあるでしょう。

何度言っても改善されず、自分ばかりが尻拭いをするなら、担当を変える、距離を取るといった対応が必要になる場合もあります。

ただ、同じ人を見ても、

「ああ、またやってる」

で終われる人もいます。

一方で、家に帰ってからも、

「なんであんなことができるんだろう」
「社会人としてどうなの?」
「普通はあんなことしないよね」

と何度も思い出して腹が立つ人もいます。

相手の行動に問題があることと、

「なぜ私は、ここまで強く反応するのだろう」

は、分けて考えることができます。

自分に許していないことを、他人が平気でやると腹が立つ

自分は遅れないように、かなり早めに家を出る。

疲れていても、一度した約束は守る。

締め切りが明日なら、残業してでも今日中に仕上げておく。

誰かに迷惑をかけそうなら、自分の予定を調整する。

それが自分にとって「普通」になっている。

ところが目の前には、

「間に合わなかったから仕方ないよね」

「忘れてた」

「今日は無理だった」

と、それほど深刻そうでもなく言っている人がいる。

すると、

「私はこんなに気をつけているのに」

という気持ちが出てきます。

ここで重要なのは、本当は自分も遅刻したいとか、約束を破りたいという話ではありません。

自分には、

「今日は疲れているから予定を変更したい」
「一度くらい失敗することもある」
「できなかったなら謝って、その後考えよう」

という余裕をほとんど認めていない。

その一方で、相手はその余裕を当たり前のように持っている。

そこに強く反応するのです。

適当な人を見ると腹が立つとき、自分自身にこんな基準がないか見てみます。

・人に迷惑をかけてはいけない
・約束したことは必ず守らなければならない
・引き受けたことは最後まできちんとやらなければならない
・失敗したら十分に反省しなければならない

「普通はこうする」は、どうやって増えていくのか

子どもの頃から、私たちはいろいろなことを覚えていきます。

時間を守る。

人には挨拶をする。

約束したことを守る。

仕事を途中で投げ出さない。

周囲に迷惑をかけたら謝る。

社会生活をするうえで役に立つものもたくさんあります。

家庭、学校、友人関係、職場と経験が増えるにつれて、

「こうした方がうまくいく」

「これはやらない方がいい」

という基準も増えていきます。

そして長く続けているうちに、

「私はこれを大切にしている」

という感覚より、

「誰でもそうするのが普通」

と感じるようになる。

自分の中ではあまりに当然なので、それが自分の基準だということにも気づきにくいのです。

傷ついた経験から作られたルールもある

自分への厳しさには、過去の経験が影響していることがあります。

たとえば、子どもの頃に遅刻して強く叱られた。

学校で失敗して、みんなの前で恥ずかしい思いをした。

仕事のミスで周囲へ迷惑をかけ、ひどく責められた。

自分の希望を言ったら、「わがままだ」と言われた。

人を信用した結果、裏切られた。

そんな経験があると、

「時間は絶対に守る」

「失敗しないようにする」

「人に迷惑をかけない」

「余計なことは言わない」

「簡単に人を信用しない」

というルールができる場合があります。

そのルールは、これまで自分を助けてきたものでもあります。

時間を守ることで叱られずに済んだ。

ミスを減らすことで評価された。

周囲へ気を配ることで、人間関係のトラブルを避けられた。

だから、簡単には緩められません。

さらに、目の前の人がそのルールを平気で破っていると、

「そんなことをしたら問題になるでしょう」

と強く反応することがあります。

自分にとっては、過去に痛い思いをしながら覚えたことだからです。

自分に向けている厳しさを、相手にも求めやすくなる

たとえば仕事でミスをしたとします。

自分なら、

「どうしてこんなミスをしたんだろう」

と落ち込み、何度も確認し直し、同じことを繰り返さないようにします。

ところが同僚がミスをして、

「すみませんでした。次から気をつけます」

と普通に仕事へ戻っている。

すると、

「それだけ?」

と思う。

自分だったら、もっと申し訳なく思う。

もっと反省する。

もっと自分を責める。

だから相手にも、

「もう少し反省した方がいいんじゃない?」

と感じます。

自分が自分に求めている基準を、相手も当然守るものとして見てしまうのです。

そのため、他人への厳しさを見ていくと、自分への厳しさが見えてくることがあります。

ルールを守ることが、自分を守る方法になっていることもある

きちんとしていれば、怒られにくい。

約束を守れば、信用を失いにくい。

仕事を丁寧にすれば、失敗も減る。

人に迷惑をかけなければ、批判されにくい。

こうした経験を重ねてきた人にとって、

「ちゃんとしていること」

は、自分を守る方法にもなります。

すると無頓着な人は、

「周囲を混乱させる人」

「いつかこちらまで巻き込む人」

に見える。

特に、これまで職場でいい加減な人のフォローをさせられてきた人なら、

「また私が何とかすることになるのでは」

という不安もあるでしょう。

だから、すべてを「自分の問題」と考える必要はありません。

実際に迷惑を受けている部分と、自分の中で反応が大きくなっている部分の両方を見ることが大切です。

余裕がないと、いつも以上に「ちゃんとしてよ」と思う

同じ相手でも、時期によって腹の立ち方が違うことがあります。

仕事がそれほど忙しくないときなら、

「また遅れてるな」

くらいで終わっていた。

でも、自分が連日残業していて、家庭でも問題を抱えていると、

「なんでこの人だけそんなに適当なの?」

と強く腹が立つ。

自分が余裕のない状態で頑張り続けているほど、楽そうに見える人や、適当に済ませているように見える人が気になる。

「私はこんなにちゃんとやっているのに」

という気持ちが強くなるからです。

ただ、ストレスだけですべてを説明できるわけではありません。

普段から繰り返し同じタイプの人へ強く反応するなら、自分の基準も一度見てみる価値があります。

自分への厳しさを緩めたら、だらしなくなりそうで怖い

ここまで読むと、

「じゃあ、自分にも甘くすればいいってこと?」

と思うかもしれません。

自分に厳しくしてきた人ほど、ここには抵抗があります。

「そんなことを許したら、時間にルーズになる」

「仕事を適当にするようになる」

「約束を守らない人になる」

「人に迷惑をかけても平気な人になりそう」

そんな不安が出ることがあります。

本人の中では、

厳しく律する=ちゃんとした自分でいられる

という感覚があるからです。

そのため、

「きっちり守る」か、

「何も守らない」かの二択になりやすい。

でも、その間にはかなりの幅があります。

時間は守りたい。

でも5分遅れた自分を、その日ずっと責めなくてもいい。

約束は大切にしたい。

でも体調が悪い日は、事情を伝えて変更することもある。

仕事は丁寧にしたい。

でも一度ミスしたからといって、「私は仕事ができない人間だ」とまで言わなくてもいい。

この幅を持つことと、いい加減になることは同じではありません。

「守らなければならない」から「私はこうしたいから守る」へ

必要なルールまで捨てる必要はありません。

時間を守る。

約束を大切にする。

仕事の期限を守る。

迷惑をかけたら謝る。

自分が大切だと思うなら、これからも続けていいのです。

ただ、

「絶対に守らなければならない」

「できなかったら人間としてダメ」

というところまで自分を追い込んでいるなら、少し見直せる部分があります。

「時間は守らなければならない」から、

「私は時間を守る人でいたいから、守る」へ。

「絶対に人へ迷惑をかけてはいけない」から、

「なるべく迷惑はかけたくない。でも、かけてしまったら謝って、その後できることをする」へ。

自分で選んでいる感覚が増えると、ルールが自分を縛るものではなくなっていきます。

自分への厳しさを緩めることは、

・何をしてもよいことにする
・自分もいい加減になる
・必要なルールまで捨てる

ということではありません。

「守らなければならない」から、「私はこれを大切にしたいから選ぶ」へ変えていくことです。

自分に認められる幅が増えると、他人への見方も変わる

自分に、

「疲れている日は予定を変更することもある」

「失敗することもある」

「全部きちんとできない日もある」

「できなかったら、その後どうするか考えればいい」

という幅を認められるようになる。

すると、他人が少しルーズだったときの反応も変わってきます。

以前なら、

「あり得ない」

「普通じゃない」

「どうしてそんなことができるの?」

と思っていた。

それが、

「私はああいうやり方はしないな」

「でも、この人はそういう人なんだな」

くらいで終われるようになる。

自分が自分に認めている幅が広がると、他人にも自分とまったく同じ基準を求める必要がなくなるからです。

もちろん、仕事に支障を出す人や、何度伝えても約束を守らない人にまで我慢する必要はありません。

必要なことは伝える。

距離を取る。

仕事ならルールを決める。

そのうえで、家へ帰ってからまで、

「どうしてあの人はああなの?」

と考え続けなくて済むようになる。

自分を縛っている基準を見てみる

適当な人やいい加減な人に強く腹が立つときには、こんなことを考えてみてください。

・相手の何に一番腹が立っているのか
・「普通はこうする」と思っていることは何か
・その「普通」は、いつ頃から自分の中にあるのか
・それを守らなかったとき、過去にどんな経験をしたのか
・同じことを自分がしたら、自分に何と言うだろう
・そのルールを今も同じ厳しさで守る必要があるか
・少し緩めたら、自分がどうなると感じているのか
・「私はこうしたい」と「誰でもこうするべき」が混ざっていないか

無理に答えを出す必要はありません。

「私、相手に厳しいと思っていたけれど、自分にはもっと厳しかったのかもしれない」

と気づくことがあります。

まとめ|「私はそうしない。でも、そういう人もいるよね」まで行けると楽になる

適当な人やいい加減な人に腹が立つのには、理由があります。

実際に迷惑をかけられているなら、必要なことを伝えたり、距離を取ったりして構いわないと思います。

ただ、相手と離れた後まで何時間も腹が立つ。同じことを何度も思い返す。「普通はこうするでしょう」がなかなか止まらない。

そんなときには、相手だけでなく、自分が自分へどれくらい厳しい基準を課しているかを見ることがあります。

そのルールは、家庭や学校、職場で学んできたものかもしれません。

過去の失敗や恥ずかしい経験から、

「もう二度と同じことをしない」

と作ったものかもしれません。

これまで自分を守ってくれたルールなら、簡単に手放せないのも自然です。

だから全部を捨てる必要はありません。

カウンセリングでも、「もっと人に寛容になりましょう」と説得するわけではありません。

何を絶対に守らなければならないと思っているのか。なぜその基準ができたのか。守らなかったら何が起きると感じているのか。自分に何を許していないのか。

同じ「ルーズな人が嫌い」でも、過去にいい加減な人へ振り回された人、自分の失敗を強く責められた人、ちゃんとしていることで認められてきた人では、見ていくところが違います。

自分が大切にしたいことは、これからも大切にしていい。

その一方で、

「一度失敗してもいい」

「予定を変えることもある」

「完璧にできない日もある」

という幅も、自分に認められるようになる。

すると、

「私はそうしない。でも、そういう人もいるよね」

と思える場面が少しずつ増えていきます。

適当な人を好きになる必要はありません。

何をされても許す必要もありません。

必要な対応をした後は、その人の生き方まで頭の中で裁き続けなくてもいい。

自分自身がたくさんの「こうしなければ」で縛られなくなることで、他人にも以前ほど同じ厳しさを求めなくなる。

結果として、人にイライラしている時間も減っていきます。

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