◆ なんかあの人、感じ悪いな…って思った瞬間
職場でもご近所でも、時々いますよね。
・なぜか目が合わない
・返事がそっけない
・ちょっとした言い方が、トゲトゲして聞こえる
たった一言で「うわ、感じ悪っ」と思ったが最後、もう脳内では「嫌な人」判定が下されます。
で、そこからは——
「やっぱり今日も挨拶なかった」
「会話に笑顔がない」
「また人のミスにだけ厳しい」
……次々と“感じ悪い証拠”を回収し始めるんです。まるで心の中に「あいつ感じ悪い検証チーム」でもいるかのように。
でもそれ、本当に“事実”なんでしょうか?
もしかしたら私たちは、「嫌いだと思いたい気持ち」で、見たい情報だけを見てしまっているのかもしれません。
◆ 心理学でいう「確証バイアス」とは?
こうした偏った見方には、心理学的な名前があります。
それが 「確証バイアス(confirmation bias)」。
人は、一度「こうに違いない」と思うと、その考えを裏付ける情報ばかりに目を向け、反対の情報には気づかなかったり、無視したりしてしまう——そんな心理のクセです。
たとえば、
「この人、きっと私のこと嫌ってる」
と思っているときは、
☑️ 挨拶されなかった=やっぱり嫌ってる
☑️ LINEが素っ気ない=絶対嫌いでしょ
☑️ 話しかけても目を合わせない=確定!
……というふうに、“そう見えること”だけを集めてしまうんです。
一方で、
☑️ 他の人にも同じ態度
☑️ たまたま忙しかっただけ
☑️ 実はその人、人見知り
といった“逆の可能性”は、スルーされたり、存在しないことのように扱われてしまう。
つまり、「感じ悪い」と思った時点で、もう“感じ悪く見える情報だけを拾ってしまう状態”に、私たちの脳は入っているわけです。
◆ 実生活では、こんなふうに現れます
たとえばあなたが職場で、ある人にちょっと苦手意識をもったとしましょう。
・声が大きくて圧がある
・意見がストレートで、ちょっときつい
・笑顔が少なくて、何を考えているかわからない
「うわ、なんか無理かも…」と一度思ってしまうと、次からはその人のちょっとした行動すべてが「ほらね!」の材料に変わります。
でも実はその人、
・全体ミーティングでは、わりとフォロー役に回ってくれていた
・言い方はキツくても、実はルールを守るタイプだった
・笑わないけど、資料チェックはめちゃくちゃ丁寧だった
……なんてこともあるかもしれません。
なのに、「苦手」と感じた脳は、いい面にはピントが合わない。
「感じ悪く見える材料だけをコレクションして、裏づけ強化」に励むのです。
◆ 実は「好き」な人にも、同じことが起きてる
確証バイアスは、「嫌い」のときだけじゃありません。
「好き」という感情が先にあるときも、脳は“都合のいい証拠”を拾ってしまうのです。
たとえば——
・LINEの返信が遅くても「きっと忙しいんだ」
・話しかけたとき無表情でも「シャイな人なんだな」
・話がかみ合わなくても「そこが個性的で魅力的」
そして恋愛初期などではこんなふうにも:
・結婚指輪をしていない → 「やっぱ独身かも!」
・家族の話を一切しない → 「一人暮らしって言ってたもんね」
・週末の予定を濁す → 「付き合う前だから気を遣ってるのかも」
……“そうであってほしい”という期待にピッタリ合う情報だけを見つけて、ストーリーを組み立ててしまう。
これも立派な“ポジティブ側の確証バイアス”なんです。
◆ じゃあ、どうすればこのバイアスを抜けられる?
いきなり「思い込みを捨てよう!」なんて無理な話です。
でも、確証バイアスに気づいた時にできるちょっとした切り替えのヒントがあります。
🔁 【ヒント1】「逆の証拠」も探してみる
たとえば、「やっぱ感じ悪い」と思ったその日の行動の中に、
・いつも通りに挨拶してた
・他の人にも同じトーンだった
・ちゃんと報連相してくれてた
……そんな要素が1個でもあったら、それはもう“悪い人確定”の脚本を書き直すチャンスです。
🔁 【ヒント2】「あ、私いま、脚本書いてるかも」と気づく
心の中で勝手にドラマを作ってる自分にツッコミを入れてみてください。
「今のセリフ、完全に“感じ悪いストーリー”のナレーションだな」
「演出、盛りすぎじゃない?」
そんなふうに“自分で書いた脚本”に気づくことが、見方を変える第一歩です。
🔁 【ヒント3】「自分の“正義フィルター”をチェックする」
確証バイアスって、「自分が正しい」と思っているときほど強く出ます。
「普通はこう言うよね?」
「それって、人としてどうなの?」
……その“正しさのものさし”が、相手へのジャッジの強さにつながっている可能性も。
一度、「そもそも、正しいかどうかが問題だったっけ?」と、自分の基準も見直してみましょう。
◆ まとめ:脚本を書き直す自由は、いつでもこちら側にある
「この人、感じ悪いな」と思うことがあっても、それを“真実”として固める必要はありません。
たいていの場合、私たちは「自分の感じ方」に合わせて、都合のいい証拠だけを拾い、「悪役」と「主人公」が出てくる物語を書いています。
でも、脚本家は私たち自身。
配役もセリフも、演出も、編集も、全部、自分の手で変えることができます。
「嫌い判定」をちょっと緩めて、「たぶん、鼻炎かも」「なんか今日、余裕なさそうだったのかも」くらいにしてみる。
それだけで、自分がちょっと楽になるなら——
今日もそのくらいの“脚本変更”で、いいんじゃないでしょうか。
🔗 関連リンク
▼元になったnote記事はこちら:
▶︎ 『思い込みかも劇場』#02「『あいつ感じ悪っ!』は、私の勘違いでした。」
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