母親の病院へ付き添った帰り、妹からLINEが来る。
「今日どうだった?」
その一言を見て、
「どうだったじゃないよ。たまにはあなたが行ってよ」
と腹が立つ。
次の通院は妹に頼もうと思う。ところが、いざ頼もうとすると、
「先生の話をちゃんと聞けるかな」
「母が困ったらどうするんだろう」
「結局、あとで私が確認することになるのでは」
と気になってくる。
そして、
「もういい。私が行く」
となる。
任せたい。でも任せると気になる。また自分がやる。そして、「なんで私ばっかり」と腹が立つ。
この問題には、今の親の世話だけでは説明できないものが混ざっていることがあります。
きょうだいと比べられてきたこと。どちらがしっかりしているか、成績がよいか。男だから、女だからと言われてきたこと。どちらが親にかわいがられていたか。
昔から続いてきた家族の関係が、親が年齢を重ねたことで、もう一度表面化することがあるのです。
- 「私ばかり」は、本当に今の負担が偏っていることもある
- 親が年齢を重ねても、きょうだいの関係は子どもの頃から続いている
- 「お兄ちゃんは男だから」「あなたは女だから」と言われてきた場合
- 成績や能力を比べられてきたきょうだい
- かわいがられていたきょうだいへの怒りが出てくることもある
- 「今度こそ認めてもらえるかもしれない」が、役割を降りにくくする
- きょうだいへの怒りは、昔の競争の続きになることもある
- 「きょうだいは何もしない」の中に、昔の評価が入ることもある
- なぜ任せたいのに、任せられないのか
- 「私と同じくらい心配してほしい」のかもしれない
- 分担を考える前に、自分が何に一番腹を立てているのかを見る
- 分担は必要。でも、それだけでは解決しないことがある
- まとめ|親の世話をめぐって、昔の家族関係が再び表に出ることがある
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「私ばかり」は、本当に今の負担が偏っていることもある
まず、「あなたが抱え込むからそうなる」と考える必要はありません。
実際に、一人へ負担が集中している家庭があります。
親から連絡を受ける。
通院に付き添う。
役所や銀行の手続きをする。
買い物や家の片付けをする。
親の今後について調べる。
何かあれば、きょうだいへ報告する。
その一方で、きょうだいから返ってくるのは、
「仕事が忙しいから」
「遠くに住んでいるから」
「子どもがまだ手を離れないから」
という言葉だったりする。
こちらにも仕事がある。家庭もある。予定もある。
「なぜ、あの人の都合は仕方がないことになって、私の都合は後回しなの?」
と思うでしょう。
現在の負担そのものが不公平なら、腹が立つのは当然です。
ただ、きょうだいへの怒りがとても強いときには、今の負担に加えて、昔からのきょうだい関係まで刺激されている場合があります。
親が年齢を重ねても、きょうだいの関係は子どもの頃から続いている
大人になれば、それぞれ別の家庭を持ち、違う仕事をし、別々の人生を送ります。
それでも実家へ戻ると、なぜか昔の関係に戻ったような気持ちになることがあります。
昔から兄は自由だった。
妹は要領がよかった。
自分はしっかりする役だった。
弟には親が甘かった。
姉ばかり褒められていた。
こうした記憶は、普段はほとんど思い出さなくなっているかもしれません。
ところが親に援助が必要になり、きょうだいが再び「親の子ども」として関わるようになると、昔の不満が現在の問題と重なることがあります。
「また私がやるの?」
という現在の怒りの中に、
「昔からそうだった」
が入っているのです。
親の世話をめぐる「私ばかり」には、現在と過去が重なることがあります。
・今、本当に自分の負担が多い
・昔からきょうだいとの役割に差があった
・親からの評価や扱われ方への思いが残っている
「お兄ちゃんは男だから」「あなたは女だから」と言われてきた場合
たとえば、子どもの頃から、
「お兄ちゃんは男だから」
と言われ、家のことは娘が手伝う。
兄は勉強や仕事を優先してよいけれど、娘は母親を手伝うものとされる。
大人になって親の援助が必要になってからも、
「お兄ちゃんは仕事があるから」
と言われる。
こちらも仕事をしているのに。
そんなことが続けば、
「私の仕事は仕事として数えてもらえないの?」
という怒りが出るでしょう。
現在の通院一回だけの問題ではありません。
昔から、
「男の予定は優先される」
「女は家族のことをする」
という扱いを受けてきたなら、その不満まで一緒に出てきます。
反対に、
「男なんだからしっかりしなさい」
と兄ばかり責任を負わされていた家庭もあります。
男女のどちらが得だったかという単純な話ではありません。
家族の中で、性別によって役割や期待に差をつけられてきたことが、現在の親の世話の分担へ影響している場合があります。
成績や能力を比べられてきたきょうだい
親から、
「お姉ちゃんは何でもできるのに」
「弟は勉強ができるのに」
「あなたはしっかりしているから任せられる」
など、能力を比べられてきた人もいます。
たとえば、自分の方が成績がよく、昔からしっかり者として扱われていた。
家族に何かあれば、
「あなたならわかるでしょう」
と頼られてきた。
その場合、大人になってからも、
「私がやるのが一番確実」
という役になりやすくなります。
実際に、手続きも調整も得意なのかもしれません。
だからこそ任せやすい。
一方で、反対のケースもあります。
子どもの頃は兄の方が成績がよく、親からいつも褒められていた。
自分は、
「お兄ちゃんを見習いなさい」
と言われてきた。
ところが親が年齢を重ねた今、病院へ連れて行くのも、手続きをするのも、親の話を聞くのも自分。
兄はほとんど動かない。
そんな状態になれば、
「昔はあんなにお兄ちゃんばかり褒めていたのに、結局やっているのは私じゃない」
という気持ちが出ることがあります。
ここには親の世話への負担だけでなく、ずっと昔からあった「私も認めてほしかった」という思いが重なっています。
かわいがられていたきょうだいへの怒りが出てくることもある
きょうだいの一人だけ、親からよくかわいがられていたと感じている人もいます。
妹には甘かった。
兄の失敗はすぐ許された。
自分には厳しかった。
誕生日の扱いまで違うように感じていた。
本当に親が差をつけていた場合もあれば、子どもの頃の自分にはそう感じられていた場合もあります。
その状態で親が年齢を重ね、
「病院に付き添って」
「これを調べて」
「あなたしか頼れない」
と言ってくる。
すると、
「なぜ私なの?」
という怒りが出ることがあります。
「あの子の方がかわいかったんでしょう。だったらあの子に頼めばいいじゃない」
と言いたくなる。
それでも親が困っていれば、放っておけない。
結局、自分がやる。
このとき、親への気持ちはかなり複雑です。
腹が立つ。
昔のことを思い出す。
それでも心配する。
頼られるとうれしい部分もある。
そしてどこかに、
「今度こそ、私のことを認めてくれるかもしれない」
という気持ちがある場合があります。
「今度こそ認めてもらえるかもしれない」が、役割を降りにくくする
親の世話をしている本人が、意識して、
「これだけやったら認めてもらえるはず」
と考えているとは限りません。
むしろ本人は、
「そんなつもりはない。必要だからやっているだけ」
と思っていることが多いでしょう。
実際、必要だからしていることもたくさんあります。
ただ、子どもの頃に十分認めてもらえなかった感覚が残っていると、親から必要とされる現在の関係が特別な意味を持つことがあります。
以前は兄ばかり評価されていた。
今は母が、
「あなたが一番頼りになる」
と言う。
昔は妹ばかりかわいがられていた。
今は父が、
「お前がいてくれて助かる」
と言う。
その言葉が、子どもの頃から欲しかったものに触れることがあります。
そうすると、親の世話は負担であると同時に、
「私は必要な存在だ」
と感じられる場所にもなります。
だから腹が立っているのにやめられない。
きょうだいに任せたいのに、完全に任せるのは寂しい。
そんな矛盾が生まれる場合があります。
きょうだいへの怒りは、昔の競争の続きになることもある
子どもの頃、親から比べられることが多かったきょうだいは、大人になっても心のどこかで競争が続く場合があります。
どちらが親に好かれているか。
どちらが親孝行か。
どちらがしっかりしているか。
どちらが親の役に立っているか。
もちろん、大人になってからわざわざそんな競争をしたいわけではありません。
ところが親を中心に再びきょうだいが集まると、昔の関係が刺激されることがあります。
妹が一度病院へ行っただけで親から、
「本当に助かったわ。あの子は頼りになる」
と言われた。
自分は何十回も付き添っている。
すると、
「私は?」
となる。
兄がたまに実家へ来たら、母親がとても喜ぶ。
自分は毎週来ている。
「私が来るのは当たり前なの?」
と腹が立つ。
ここで欲しいのは、きょうだいが同じ回数だけ病院へ行くことだけではないのかもしれません。
「私がずっとやってきたことを見てほしい」
「私の方がずっと頑張ってきたことを、親にわかってほしい」
そんな気持ちが含まれている場合があります。
「きょうだいは何もしない」の中に、昔の評価が入ることもある
きょうだいが実際にほとんど動かない場合もあります。
ただ、ときには相手が何かしても、自分の中では「何もしていない」に近く感じることがあります。
なぜなら、
「その程度でやったつもり?」
という思いが出るからです。
こちらは何年も親の話を聞いてきた。
何度も病院へ行った。
手続きも全部調べてきた。
それなのに弟が一度買い物へ連れて行っただけで、
「俺もちゃんとやっている」
と言う。
腹が立つでしょう。
さらに、親まで弟に感謝している。
すると現在の分担への不満と、
「昔からあの子は少しやるだけで褒められる」
という記憶がつながることがあります。
現在の一回だけを見て怒っているようで、実際には何十年分もの昔からの不満が一気に出ている場合があります。
なぜ任せたいのに、任せられないのか
任せられない理由は、きちんとやってくれるかどうか以外にもあるのです。
きょうだいに任せれば、本当に親が困りそうだから心配な人もいます。
自分の方が実際に得意だから任せにくい人もいます。
それに加えて、
「この役まであの人に渡したら、また親はあの人を評価するのではないか」
という気持ちが出ることもあります。
あるいは、きょうだいへ任せて何の問題も起こらなかったとき、
「私がいなくても平気だった」
と感じるのが寂しい人もいます。
これまで、
「家族の中で私が一番しっかりしている」
「親が一番頼っているのは私」
ということが、自分の居場所になっていたなら、その役を渡すことは簡単ではありません。
任せることが、ただ仕事を減らすだけの話ではないからです。
きょうだいに任せられない背景には、こんな気持ちが隠れている場合があります。
・自分の方がきちんとできると思っている
・昔からの競争で、きょうだいに役を渡したくない
・親から頼られる自分でいることで、認められた感覚を得ている
すべての人に当てはまるわけではありません。
だからこそ、自分の場合は何が関係しているのかを見る必要があります。
「私と同じくらい心配してほしい」のかもしれない
きょうだいに、
「もっとやってよ」
と言いたい。
でも本当に欲しいものを考えると、
「通院を一回代わってほしい」
だけではない場合があります。
「親のことを私と同じくらい気にしてほしい」
「私だけが心配しているみたいなのが嫌」
「私がどれだけ大変なのか、わかってほしい」
という気持ちがある。
そうすると、きょうだいが頼んだことを一つやってくれても満足できません。
行動はしてくれた。
でも、
「自分から心配したわけではない」
と感じるからです。
ここはとても難しいところです。
親への感情まで、きょうだいと同じにはできません。
同じ親から生まれても、親との経験は違います。
親を心配する程度も、関わりたい距離も違います。
だから、「私と同じ気持ちになってほしい」と求め続けると、どうしても満たされにくくなります。
その一方で、
「私がこれまでどれだけ担当してきたかは、わかってほしい」
と伝えることはできます。
何をしてほしいのかと、何をわかってほしいのか。
ここを分けることが必要になる場合があります。
分担を考える前に、自分が何に一番腹を立てているのかを見る
もちろん現実には、親への援助をどう分けるかも必要です。
ただ、この問題では、いきなり分担表を作っても気持ちが収まらないことがあります。
その前に、こんなことを考えてみてください。
・今の負担そのものに一番腹が立っているのか
・昔からきょうだいだけ得をしていると感じていなかったか
・男だから、女だからと扱いに差をつけられたことはなかったか
・成績や能力をきょうだいと比べられてこなかったか
・親からかわいがられていたのは誰だったと感じているか
・親から頼られることで、ようやく認めてもらえた感じはないか
・きょうだいが親から褒められると、今でも腹が立つことはないか
・本当にきょうだいに手伝ってほしいのか、それとも自分の大変さをわかってほしいのか
・きょうだいに任せて問題なく終わったら、自分はどんな気持ちになるか
・親から「もうあなたに頼らなくても平気」と言われたら、何を感じるか
正解を出すための質問ではありません。
「私はまだ母に認めてもらいたかったのか」
「妹への怒りだと思っていたけれど、母への怒りの方が強かったのか」
と気づくこともあります。
反対に、
「昔のことより、今、本当に負担が偏りすぎている」
とはっきりする場合もあります。
その違いがわかることが重要です。
分担は必要。でも、それだけでは解決しないことがある
現実的には、一人ですべてを続けられないなら役割を分ける必要があります。
そのときも、全員が同じ回数、同じ時間を担当することだけが分担ではありません。
近くにいる人。
平日に動ける人。
調べ物が得意な人。
費用を負担できる人。
親への電話ならできる人。
それぞれ違う形があります。
ただ、この部分を整えても、
「なぜ私ばかりだったの」
という感情が消えないことがあります。
それは、現在の役割分担だけでは解決しないものまで含まれているからです。
昔から、
「どうしてあの子ばかり」
と思ってきた。
親にもっと見てほしかった。
認めてもらいたかった。
同じくらい大事にしてほしかった。
そうした感情が現在の親の世話をきっかけに出てきているなら、そこも一緒に見ていく必要があります。
まとめ|親の世話をめぐって、昔の家族関係が再び表に出ることがある
きょうだいがいるのに、親の世話を自分ばかりが担っている。
その不満には、現実的な理由があります。
本当に自分だけが何度も病院へ行き、連絡を受け、考え、動いている家庭もあります。
だから「自分が抱え込んでいるから仕方ない」と、自分だけの問題にする必要はありません。
ただ、「任せたいのに任せられない」「きょうだいが親を心配しないことに強く腹が立つ」というところまで入ってくると、現在の分担以外のものが関係している場合があります。
昔からきょうだいと比べられてきた。
男だから、女だからと違う役割を与えられた。
成績や能力で評価に差を感じた。
きょうだいばかりかわいがられているように感じた。
その中で、
「私も認めてほしい」
という気持ちを長く持ってきた人もいるでしょう。
そんな人にとって、年齢を重ねた親から、
「あなたが一番頼りになる」
と言われることには、ただ頼みごとが増える以上の意味がある。
負担なのに引き受ける。
腹が立つのに、必要とされなくなるのも寂しい。
きょうだいへ任せたいのに、親から評価される役まで渡すようで落ち着かない。
そうした複雑な気持ちがあれば、「もっときょうだいにやらせればいい」という方法だけでは変わりにくいでしょう。
カウンセリングでは、家族の中で自分はどのような子どもだったのか。誰と比べられてきたのか。きょうだいと何を競ってきたのか。親からどのように認めてもらいたかったのか。
そして今、親から頼られることで何を得ているのか。きょうだいが違う関わり方をすることの何がこれほど腹立たしいのか。本当はきょうだいに何をしてほしくて、親には何をわかってほしいのか。
その人のこれまでの家族関係に合わせて整理していきます。
親を助けることと、子どもの頃から続いてきた「認めてもらうための役」を続けることは、同じとは限りません。



