久しぶりに友人と食事へ行くことになり、店でワンピースを見つけた。
「これ、いいかも」
試着して鏡を見ると、似合っていないわけではない。むしろ、ちょっといい感じかもしれない。
ところが急に恥ずかしくなる。
「私がこんなの着てどうするの?」
「頑張って女らしくしているみたい」
「年齢的にも痛くない?」
結局、いつものパンツを選ぶ。
家に帰ってから、「別にワンピースが着たかったわけじゃないし」と思う。
でも、本当にそうなのでしょうか。
嫌いだから選ばなかったのか。
それとも、女性らしい格好をした自分を人に見られることが、なんとなく居心地悪かったのか。
この二つは、同じように見えて少し違います。
「女性らしいものが嫌い」と「自分がやるのは恥ずかしい」は違う
スカートが嫌いな女性もいます。
メイクに興味がない人もいるでしょう。
ショートヘアが好き。パンツスタイルがいちばん落ち着く。甘えるより、自分で動く方が好き。
それなら、それを選んでもいいと思います。
今回考えたいのは、
「素敵だな」
「一度やってみたいな」
「私もこんな服を着てみたい」
と思うのに、いざ自分がやろうとすると、
「私には似合わない」
「恥ずかしい」
「気持ち悪い」
「私のキャラじゃない」
と、急に強い抵抗が出てくる場合です。
好きではないから選ばないのなら、それは自分の好みです。
ところが、好きかもしれないのに「私はやってはいけない」と止めているなら、その禁止はどこから来たのでしょう。
「女らしくするのは恥ずかしい」は、いつ覚えたのだろう
女性らしくすることへの抵抗は、スカートやメイクそのものから始まったとは限りません。
私たちは子どもの頃から、家庭の中で「女性」というものを見ています。
母親がどう生きていたか。
父親が母親をどう扱っていたか。
両親は男女として、どのような関係だったか。
家の中で、女性はどのように扱われていたか。
そうしたものを見ながら、「女性でいるとは、こういうことなのか」というイメージを作っていくことがあります。
たとえば母親が、おしゃれを楽しむこともなく、家族のために働き続けていた。
娘が少し派手な服を着ようとすると、
「そんな格好をするんじゃない」
「色気づいて」
と言われた。
そんな家庭で育てば、「女らしくするのは恥ずかしいこと」という感覚を持つことがあります。
でも、母親との関係だけが影響するわけではありません。
父親と母親の関係から「女性になるのは怖い」と感じることもある
父親の浮気によって、家の中で激しい夫婦喧嘩が続いていた。
母親が父親の女性関係で泣いていた。
浮気相手の女性について、家族の中で激しい言葉が飛び交っていた。
子どもは大人の事情をすべて理解できません。
そのため、
「女の人が関わると、家族が壊れる」
「男性から女性として好かれると、誰かを傷つける」
「女を出すと、ろくなことが起きない」
という形で受け取ることがあります。
もちろん、父親が浮気した家庭で育てば、必ず女性らしさを嫌うようになるという話ではありません。
ただ、女性として男性に好かれることや、色気、男女の関係そのものに、怖さや罪悪感が結びつく場合はあります。
すると大人になってからも、自分を女性らしく見せることにブレーキがかかります。
「誰かに女をアピールしているみたい」
そう感じるだけで、やめたくなるのです。
思春期に「女性になっていく身体」が嫌だった人もいる
もう一つ大きいのが、思春期の経験です。
子どもだった身体が変わっていきます。
胸が膨らむ。
生理が始まる。
身体つきが変わる。
それをうれしいと感じる人もいますが、戸惑う人もいます。
昨日までと同じ自分なのに、急に身体を見られる。
男子からからかわれる。
家族に身体の変化について何か言われる。
好きな服を着ようとしたら、母親から「そんな格好はやめなさい」と言われる。
男性の視線を感じて、怖い思いをすることもあります。
そんな経験が続くと、
「女性らしい身体を目立たせない方がいい」
と思うようになることがあります。
身体のラインが出ない服を選ぶ。
目立たない色を選ぶ。
女性らしいと感じる髪型や服装を避ける。
ここで起きているのは、必ずしも「女性であることが嫌い」ということではありません。
女性として目立つことで、また嫌なことが起きるかもしれない。
その怖さから、自分を守っている場合があります。
女性らしくすることへの抵抗には、いろいろな背景があります。
・家庭の中で、女性であることを肯定的に感じられなかった
・両親の男女関係を見て、女性になることに怖さを持った
・思春期の身体の変化に戸惑った
・女性として注目され、嫌な思いや怖い思いをした
・女性らしくすることを、親から否定された
・能力や成果で評価される方が、自分を守りやすかった
仕事では平気なのに、恋愛になると急に居心地が悪くなる
仕事では堂々としていられる。
意見を言う。
判断する。
問題を解決する。
結果を出す。
そういう自分には慣れています。
周囲から「頼りになる」「かっこいい」と言われても、それほど困りません。
ところが恋愛になると、
「好き」
「会いたい」
「会えてうれしい」
「寂しかった」
といった感情が出てきます。
男性から女性として褒められたり、恋愛対象として大事に扱われたりすることもあります。
すると急に、
「どう振る舞えばいいの?」
となることがあります。
仕事ができること、論理的であること、決断力があることに問題があるわけではありません。
仕事のできる女性だから女性性が低い、という話でもありません。
ただ、「能力を使う私」には慣れていても、「女性として見られている私」には慣れていないことがあります。
能力を見てもらうのは平気なのに、女性としての自分が表に出ると、急に落ち着かなくなるのです。
妻や母にはなれても、「一人の女性」となるとわからない
結婚すると、妻や母という役割があります。
食事を作る。
家のことをする。
子どもの予定を考える。
家族の生活を回す。
仕事をしていれば、仕事上の役割もあります。
役割があると、「何をすればよいか」がわかります。
ところが子どもが成長したり、夫婦二人で出かけることになったりすると、急に戸惑うことがあります。
「二人で食事に行くって、何を着ればいいの?」
夫から、
「今日はなんか女性らしいね」
と言われると、うれしいより恥ずかしさが先に出る。
妻として夫の世話をすることはできても、夫の前で一人の女性になることには慣れていないのです。
そういうときに考えてみたいのは、
「私は何が好き?」
「私は何を着たい?」
「どういう自分でいると気分がいい?」
ということです。
長く役割を優先してきた人ほど、ここがわからなくなっていることがあります。
「女らしくするなんて気持ち悪い」と感じるとき
可愛い服を着る。
男性に甘える。
「会いたかった」と言う。
女性として褒められて、素直に喜ぶ。
そんな自分を想像すると、
「無理」
「気持ち悪い」
「私のキャラじゃない」
と感じることがあります。
だからといって、「本当は女らしくしたいのに抵抗しているだけ」と決めつける必要はありません。
本当に本人の好みではない場合もあります。
ただ、
「一度やってみたい気もする」
「他の人がやっているのは素敵だと思う」
「でも自分がやるのは猛烈に恥ずかしい」
という場合には、その拒否感が何を守っているのかを見る価値があります。
女性らしくすると、からかわれそう。
誰かに「男を意識している」と思われそう。
年齢に合わないと笑われそう。
男性から性的な目で見られそう。
母親のようになりそう。
誰かを傷つけそう。
そこまで考えたところで、「だから私はパンツが好きなの」と結論づけて終わらせてきた人もいるかもしれません。
もちろん、本当にパンツスタイルが好きで選んでいるなら、それでまったく問題はありません。
ここで大事なのは、自分の好みで選んでいるのか、それとも「女性らしくするのは恥ずかしい」「目立つのが怖い」といった気持ちから無意識に避けているのかを、一度確認してみることです。
形から試してみることにも意味がある
以前、夫との関係に悩んでいた女性が、
「ああ、女でいることを忘れてた!」
と思い、久しぶりにスカートを履いてカウンセリングへ来られたことがありました。
「もう私には無理」と最初から除外していたものを、自分でもう一度試してみたのです。
形から試すことには、そんな使い方があります。
以前なら選ばなかった色を着てみる。
メイクを少し変えてみる。
アクセサリーをつけてみる。
香りを選んでみる。
髪型を変えてみる。
やってみた結果、
「意外と好き」
と思うかもしれません。
反対に、
「やっぱり私はこれは好きじゃない」
とわかることもあります。
それも収穫です。
スカートが正解で、パンツが不正解なのではありません。
試してみたうえで、自分で選べるようになることに意味があります。
「こんな女性になれたらいいな」を探してみる
自分がどうしたいのかわからないときは、好きだと思う女性を参考にする方法もあります。
芸能人でも、知人でも、街で見かけた人でも構いません。
「この人の服装、好きだな」
「この色の使い方は素敵」
「こういう話し方はいいな」
「こんな年齢の重ね方ができたらいい」
と思う人を見つけます。
全部をまねする必要はありません。
服は好きだけれど、髪型は違う。
話し方は好きだけれど、ライフスタイルは自分とは合わない。
それでよいのです。
一部分ずつ、
「これは好き」
を集めていく。
「女性とはこうあるべき」という型を探すのではなく、自分はどんな女性でいたいのかを知る手がかりにします。
自分の中にある「禁止」を見つけてみる
少し立ち止まって、こんなことを考えてみてください。
・女性らしい服が嫌いなのか、それとも自分が着るのが恥ずかしいのか
・「似合わない」と思ったとき、本当に服だけの問題なのか
・女性として褒められたとき、最初にどんな気持ちが出るか
・男性から女性として見られると、何が起きそうな気がするか
・思春期に身体が変化したとき、どんな気持ちだったか
・家の中で女性は、どのように扱われていたか
・父親と母親の関係を見て、女性になることにどんな印象を持ったか
・本当は一度やってみたいのに「私には無理」と除外しているものはあるか
・誰からも評価されないとしたら、私は何を着たいか
正しい答えを出すための質問ではありません。
今まで「私はこういう人だから」と思ってきたものの中に、自分の好みと、昔から続いている禁止が混ざっていないかを見るためです。
女性らしくなることより、自分が好きなものを選べること
女性性という言葉から、スカート、メイク、長い髪、可愛らしさ、男性に甘えることを思い浮かべる人もいます。
でも、それだけを女性らしさの正解にする必要はありません。
華やかな服が好きな女性もいます。
シンプルな服が好きな女性もいます。
仕事が好きな女性もいます。
一人で旅行することが好きな女性もいます。
甘えることが好きな人もいれば、あまり好きではない人もいます。
今回の目標は、「もっと女らしくなること」ではありません。
目指すのは、
・スカートを履くこと
・メイクをすること
・いわゆる「女らしい人」になること
ではありません。
自分が好きなものを、自分で選べることです。
スカートを履いてみて、
「やっぱり好き」
と思ったなら履けばよい。
「私はパンツの方が好き」
と思ったなら、それを選べばよい。
メイクを楽しみたいなら楽しむ。
しない方が自分らしいなら、それも選択です。
ただ、本当は好きなのに、
「私がそんなことをしたら恥ずかしい」
「女性として目立つと危険な気がする」
「誰かに何か言われそう」
という理由だけで、自分の好きなものまで取り上げているのなら、その禁止は今も必要なのかを見直すことができます。
カウンセリングでも、「もっと女性らしくしましょう」とは考えません。
女性として見られたときに何を感じるのか。いつ頃からその感覚があったのか。家庭の中で男女の関係をどう見ていたのか。思春期の身体の変化をどう感じたのか。どんな女性らしさに抵抗があり、本当は何を好きだと思っているのか。
同じ「スカートが苦手」という人でも、本当にパンツスタイルが好きな人と、履いてみたいのに自分には許せない人では、見ていくものが違います。
昔、自分を守るために女性として目立たないことが必要だった人もいるでしょう。
でも今は、選び直せるものもあります。
女らしく見えるかどうかではなく、
私はこれが好き。だから、私はこれを選ぶ。
そう思えるものが増えること。
スカートでもパンツでも、メイクをしてもしなくても、自分で選べること。
女性としての自分を考えるとき、最後に目指したいのは、そこなのだと思います。



