「お母さんみたいにはなりたくない」
そう思ってきたのに、ふとした瞬間、自分の言い方や振る舞いが母親に似ていることに気づく。
彼に向かって言った言葉が、昔、母が父に言っていた言葉と同じだった。
感情的にならないようにしてきたはずなのに、疲れがたまると不機嫌になってしまう。
男性の世話ばかりする母親が嫌だったのに、気づけば彼の予定や生活まで管理している。
そんな自分を見つけると、
「結局、私もお母さんと同じなの?」
と、がっかりすることがあります。
母親との関係が苦しかった人ほど、
「同じ生き方だけはしたくない」
という思いは強くなります。
その決意によって、自分を守り、母とは違う道を選んできた部分もあるでしょう。
けれども、母親と正反対になろうとするほど、判断の基準がいつまでも母親のままになることがあります。
この記事では、「母親のようになりたくない」という思いが、なぜ現在の恋愛やパートナーとの関係に影響するのかを考えていきます。
母親は、最初に見る「大人の女性」でもある
子どもにとって母親は、身近で長く接する大人の女性です。
母親が、父親や家族にどのように接していたか。
怒ったとき、どのように気持ちを表していたか。
寂しいとき、誰かに頼れたのか。
家族のために、どの程度我慢していたか。
男性との関係の中で、自分をどのように扱っていたか。
子どもは、言葉で教えられなくても、そうした姿を見ています。
母親がいつも家族の世話をし、疲れていても休めなかったなら、
「女性は家族のために動くもの」
というイメージを持つことがあります。
母親が父親の不満を言いながら離れられずにいたなら、
「恋愛や結婚は、我慢しながら続けるもの」
と感じることもあります。
反対に、母親が感情を強くぶつける人だったなら、
「感情を出す女性は嫌われる」
という感覚が残る場合もあります。
母親を尊敬していたとしても、反発していたとしても、その生き方は、自分の中にある「女性とはどういうものか」というイメージに影響します。
母親は「見本」であると同時に、「禁止事項」にもなる
母親の生き方が苦しそうに見えていた人は、母親をそのまままねようとはしません。
むしろ、
「私は絶対にああならない」
と反対の生き方を選びます。
母親が感情的だったから、自分はいつも冷静でいようとする。
母親が父親に依存していたから、自分は誰にも頼らないと決める。
母親が家族の世話ばかりしていたから、男性には尽くさないようにする。
母親が自分の意見を言えなかったから、自分は経済力を持ち、何でも一人で決めようとする。
一見すると、母親とはまったく違う人生を選んでいるように見えます。
けれども、
「私は何を望んでいるのか」
ではなく、
「母親と同じにならないためには、どうすればいいか」
で選んでいるなら、心の中ではまだ母親が基準になっています。
心理学では、親と同じにならないよう、正反対の性格や生き方を選ぶことを「逆同一化」と呼ぶことがあります。
母親をまねているわけではありません。
それでも、母親を中心にして、自分の立ち位置を決めている状態なのです。
母と反対側に進んでも、自由になれないことがある
母親が誰かに頼ってばかりいるように見えた。
だから、自分は何でも一人でできるようになった。
母親が感情をぶつけていた。
だから、自分はどんなときにも落ち着いて話そうとしてきた。
母親が男性に尽くしていた。
だから、自分は男性のために何かをすることを避けてきた。
こうした選択は、自分を守るために必要だったのだと思います。
ただ、母親と正反対でいようとすると、反対側へ行きすぎることがあります。
誰にも依存したくないために、必要なときにも頼れない。
感情的になりたくないために、寂しさや怒りまで言えない。
尽くす女性になりたくないために、相手を思いやることまで警戒する。
母親のように我慢したくないために、少しでも不満があると関係を切りたくなる。
母親と同じにならないことが優先されると、自分にとって本当に心地よい関わり方がわからなくなります。
自分は本当は頼りたいのか。
どこまで相手にしてあげたいのか。
怒りをどのように伝えたいのか。
どの程度の違いなら、話し合っていけるのか。
そこを考える前に、
「母と同じになってはいけない」
という警戒が働くからです。
恋愛では、知っている関わり方が出やすい
普段の人間関係では、母親とは違う自分でいられても、恋愛では昔の関わり方が出てくることがあります。
恋愛は、ほかの人間関係よりも心の距離が近くなります。
愛されたい。
わかってほしい。
置いていかれたくない。
自分を特別に見てほしい。
そうした気持ちが動くため、子どもの頃に家族との間で感じていたことも刺激されやすくなります。
たとえば、彼からの連絡が減ったとします。
頭では、
「忙しいのかもしれない」
と考えています。
けれども、心の中では、
「私は後回しにされた」
「私の気持ちは、またわかってもらえない」
という寂しさが動くことがあります。
その気持ちをどう伝えればよいかわからないと、黙って不機嫌になったり、相手を責めたりします。
そして、あとから気づきます。
「この言い方、母と同じだ」
母親のようになりたくて、同じ振る舞いをしているわけではありません。
不安になったとき、どのように気持ちを伝えればよいのか。
相手と意見が違ったとき、どのように話し合えばよいのか。
親しい人に傷つけられたとき、どのように関係を立て直せばよいのか。
その別の方法を、十分に見たり経験したりしてこなかったのかもしれません。
心が揺れたときには、頭で考えていた理想の振る舞いより、昔から知っている方法が先に出てくることがあるのです。
母のように尽くしたくないのに、世話を焼いてしまう
母親が家族の世話をしすぎていた人は、
「私は男性のお母さん役にはならない」
と思うことがあります。
ところが恋愛が始まると、彼の忘れ物を確認し、予定を管理し、健康や仕事のことまで心配するようになる。
頼まれていないのに先回りし、相手が困らないように整える。
そして、自分ばかりが疲れていきます。
なぜ嫌だった母親と同じことをしてしまうのでしょうか。
それは、親しい人を愛する方法として、世話をする姿を多く見てきたからかもしれません。
母親が言葉で気持ちを伝えることが苦手で、料理や家事、心配をすることで愛情を表していた。
その中で育つと、自分も誰かを大切にしようとしたとき、
「何かをしてあげる」
という形が出やすくなります。
本当は、
「一緒にいると落ち着く」
「あなたのことが好き」
「今日は私も疲れているから、助けてほしい」
と伝えたいのに、その言い方がよくわからない。
代わりに、相手の世話をすることで関係をつなごうとします。
母親と同じになりたいのではなく、愛情を伝える別の方法をまだ十分に持っていないこともあるのです。
感情的な母が嫌だった人は、自分の感情まで怖くなる
母親の怒りや不機嫌に振り回されてきた人は、
「私は絶対に感情的にならない」
と決めることがあります。
恋愛でも、寂しくても平気な顔をする。
腹が立っても、冷静に説明しようとする。
傷ついても、相手を責めないように我慢する。
それは、母親と同じように相手を振り回したくないからです。
けれども、感情を表に出さないことと、感情がなくなることは別です。
飲み込んだ寂しさや怒りは、自分の中に残ります。
そして、限界までたまったときに、強い言葉になって出ることがあります。
すると、
「やっぱり私も母と同じだ」
と自分を責めます。
けれども、問題は感情が出てきたことではありません。
感情がまだ大きくない段階で、
「私は寂しかった」
「その言い方をされると、つらい」
「今は少し余裕がない」
と伝える経験が少なかったことにあります。
母親のように感情をぶつけることと、自分の感情を言葉にすることは違います。
母と同じにならないために、感情そのものを禁止しなくてもよいのです。
母に似た自分を見つけると、自分まで嫌になる
自分の話し方が母親に似ている。
疲れたときの不機嫌な様子が似ている。
彼に注意している姿が似ている。
そう気づいたとき、強い嫌悪感が出ることがあります。
母親に対する怒りが強いほど、
「母に似ている自分も嫌い」
となりやすいからです。
けれども、親子ですから、話し方や考え方、反応の一部が似ることはあります。
長い時間一緒に過ごし、母親の言葉や振る舞いを見てきたのですから、影響を受けるのは不自然なことではありません。
大切なのは、似ている部分があることと、同じ人生を繰り返すことを分けることです。
同じような言い方をしてしまっても、あとから相手に謝ることはできます。
世話を焼きすぎていると気づいたら、相手に任せることもできます。
感情をぶつけてしまったら、何に傷ついていたのかを言い直すこともできます。
似た反応が出ることと、その反応を変えられないことは同じではありません。
母親の影響が自分の中にあると認めることは、母親と同じ人間になることではありません。
影響を受けた部分を見つけたうえで、自分はどうしたいのかを選び直すことができます。
母への怒りや寂しさが残っていることもある
母親のようになりたくないという思いの奥には、母親への怒りだけでなく、寂しさが残っていることがあります。
もっと話を聞いてほしかった。
自分の気持ちを決めつけずに、わかろうとしてほしかった。
母親の悩みを聞く役ではなく、子どもとして甘えたかった。
機嫌を読むことなく、安心して過ごしたかった。
兄弟や姉妹と比べず、自分を見てほしかった。
その願いが叶わなかったため、
「私は母とは違う人間になる」
と決めたのかもしれません。
母への反発は、自分の生き方を守るために必要だったのでしょう。
だから、母親への怒りを急いで手放したり、母親の事情を理解したりする必要はありません。
実際に傷つけられたことまで、
「母も大変だったから」
と片づけなくてもよいのです。
ただ、母親への怒りや寂しさを見ないまま、
「私は母とは違う」
とだけ思い続けると、母と反対でいるために多くの力を使うことになります。
母親への気持ちと、自分がこれから望む人生は、分けて考えていく必要があります。
今も母親の影響が続いているなら、距離を考える
母親との関係は、過去の出来事だけではありません。
今も母親から頻繁に連絡が来る。
恋愛や結婚について意見を言われる。
交際相手を否定される。
母親の悩みや不満を聞く役を任される。
断ると責められたり、機嫌を悪くされたりする。
そのような関係が続いていれば、自分の恋愛を自由に選びにくいのは当然です。
母親がどう思うかを考えて、交際相手を選ぶ。
母親が反対しそうな人を避ける。
母親を安心させるために、自分の希望とは違う結婚を考える。
恋愛で何かあるたびに、母親の意見が頭に浮かぶ。
その場合は、自分の心の中だけを変えようとするより、母親との距離や境界線を見直す必要があります。
どこまで話すのか。
どの連絡にはすぐに応じなくてもよいのか。
自分の恋愛について、どこまで意見を聞くのか。
母親の不安を、どこまで自分が引き受けるのか。
母親と距離を取ることは、母親を嫌いになることではありません。
自分の生活や人間関係を、自分で選ぶための区切りをつくることです。
「母と同じか、正反対か」から離れていく
母親の影響から離れることは、母親を超えることでも、母親を許すことでもありません。
母親を好きにならなくてもよい。
母親の生き方を肯定できなくてもよい。
母親の事情をすべて理解しなくてもかまいません。
目指すのは、
「母と同じか、正反対か」
という二つの選択肢から離れることです。
母親は誰にも頼れなかった。
だから自分も頼らないのでも、母親とは違って誰かにすべて任せるのでもなく、自分が必要だと思うときに頼る。
母親はいつも感情をぶつけていた。
だから自分は何も言わないのでもなく、相手を責めない形で自分の気持ちを伝える。
母親は家族に尽くし続けた。
だから自分は何もしないのでもなく、自分に余裕があるときには相手を思いやり、苦しいときには断る。
母親を基準に反対側を選ぶのではなく、
「私はこの関係で、どうありたいのか」
を考えていきます。
自分が望む恋愛を、今から知っていく
母親のようになりたくないと思ってきた人は、「嫌な関係」はよくわかっています。
感情をぶつけ合う関係は嫌。
誰か一人が我慢する関係は嫌。
女性ばかりが世話をする関係は嫌。
相手に依存し、離れられなくなる関係は嫌。
けれども、
「では、どのような関係がほしいのか」
と聞かれると、答えに迷うことがあります。
嫌なものを避けることに力を使ってきたため、自分が望む関係を考える余裕がなかったからです。
意見が違っても、話を聞き合える関係。
どちらか一方が世話をするのではなく、できる方が支えられる関係。
感情を隠さなくても、相手を傷つける形でぶつけなくてよい関係。
一人で過ごす時間も、一緒に過ごす時間も尊重できる関係。
頼ることも、断ることもできる関係。
自分が求めているものを、母親との比較から離れて考えてみます。
母親のようにならないことだけが、自分らしく生きることではありません。
自分がどのように人を愛したいのか。
どのように愛されたいのか。
どのようなときに安心し、どのような扱いをされると苦しくなるのか。
そこを一つひとつ知っていくことが、自分を基準にした恋愛につながります。
カウンセリングでは、母親と同じになりたくないと感じるほど、何が嫌だったのか、その奥で何をわかってほしかったのかを整理していきます。
母親への怒りをなくしたり、関係を修復したりすることだけが目的ではありません。
母のようになるか、母と正反対になるかという基準から離れ、自分が望む関係を選べるようにしていく。
母親の影響が自分の中にあることを認めても、自分の人生まで母親と同じになるわけではありません。
これまで知っている関わり方を繰り返すだけでなく、今の自分に合う方法を、これから選び直していくことができます。




