私と元パートナーである困ったちゃんとの、様々なエピソードをご紹介しつつ、浮気などの問題に隠れている心理を、わかりやすくお伝えするシリーズです。
とんだ思い込み
わたくし、ずっとお札には稼いだ人の名前が書いてあると思っていました。もちろん、実際に名前が書かれているわけではないんですけど、感覚的に「稼いだ人だけが使っていい」というような気持ちになっていました。そのため、誰かに養われるなんてあり得ない話だし、専業主婦だった時期でも、「お札に私の名前が書いてあるものなんて一枚もないのに、使わせていただいて申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。
この感覚って、だんだん卑屈になってしまうんです。欲しいものがあっても、なかなか買えませんし、欲しいと言うことすらできない。「○○様寄贈」とか書かれているような気がして、物をもらったり買ってもらったりすることに、すごく申し訳なさを感じてしまうんです。
ちょっと想像してみてください。自分が着ている服に「○○様寄贈」と書かれていたら、どう感じますか?いや、実際には書かれていませんけど、私にとってはそれがまるで現実のように感じられることがありました。
また、レストランで食事をしている時、運ばれてきた料理の前に「○○様寄贈」と書かれたプレートが置いてあったら、どうですか?これも私の感覚だけなんですが、実際にはそんなプレートなんて存在しません。
思い込みの結果の悪い態度
こんな感覚を持っていた私は、当然、良い態度を取れるはずもありません。困ったちゃんが何かを買ってくれようとしても、「どうせ、困ったちゃん寄贈って書いて自慢しようとしてるんでしょ!」とか「私が稼いでいないのを思い知らそうとしてるんでしょ!」とか、すっかり被害者になりきって反発してしまうんです。もう、自分でも恐ろしい妄想をしてしまって…。
「なぜこんなに可愛くない女になってしまったんだろう?」と思いました。だって、世の中には「ありがとう♪嬉しい~♪」って言って、たくさん物や生活を手に入れている素敵な人たちがいるのに、私にはその感覚がまったくわからなかったんです。
実は、幼少期から母に言われていた「働かざるもの食うべからず」という言葉が、心に深く刻まれていたんです。もちろん、これは「お金を稼がないと食べてはいけない」という意味じゃなくて、私が勝手に「稼がないと人間失格」って思い込んでいたんですね。そのせいで、お札には稼いだ人の名前が書かれているという感覚を持ってしまっていました。
使わない理由はどこに?
さて、こんな思い込みを抱えながら、私は一生懸命働いていました。だって、稼いだ人の名前が書いてあるお札には、使う権利があると思っていたから。でも、いざ自分の名前が書かれたお札を手に入れると、今度は使うことができないんです。
なぜかと言うと、あまりにも必死に働いてお札を手に入れた結果、使うことがもったいなくて、結局使えないのです。だって、使ったらなくなっちゃうから、また一生懸命働かないといけなくなるじゃないですか。
一方で、困ったちゃんは全く違う感覚でお金を使うんです。稼いだ人の名前が書いてあるわけでもないのに、どんどん使っていきます。その様子を見るたびに、なんだか自分が馬鹿らしくなったりもしました。
「何のために稼ぐの?」
ある日、困ったちゃんに言われた言葉が心に刺さりました。「なんで、お前は何も買わないの?」
私は「使ったらなくなるし…」と答えると、困ったちゃんが言いました。「使わないなら、何のために稼ぐんだ?」
その瞬間、私は考え込みました。「何のために稼いでいるのか?」…ひょっとして、私はお札に名前を書くためだけに働いているのか?それって、夏に必死で働いたアリが食料を食べずに餓死してしまうようなものじゃないか、と。
その瞬間、少しだけ自分の考えが変わりました。
現在の私と、今後のあなたへ
今では、私はお札に名前が書いているなんて感覚を持っていません。そして、必要な時にはちゃんとお金を使うようになりました。誰かにおごってもらったり、贈り物を受け取ったりすることにも、感謝の気持ちでいっぱいです。だって、誰かが私にくれる物には、もう「○○様寄贈」なんて書いていないんですから。
まとめ
「使うこと」に対する抵抗感は、私が作り上げた思い込みから来ていました。お金を稼ぐことに一生懸命になりすぎて、使うことができなかった私は、今ではその考え方を変えることができました。あなたも、もし「使うことに罪悪感がある」と感じているなら、それがどこから来ているのか、少しだけ考えてみてください。物を使うことも大切なことで、人生を楽しむためには、使うことも必要な一歩です。
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