罪悪感の種類とその解消法:理解して乗り越える方法

罪悪感を理解し、解消する方法 仕事に活かす心理学
自分を許し、罪悪感を解消するための心のステップ

罪悪感の種類

そもそも罪悪感という感情は、何か失敗やミスをしてしまったり、誰かを傷つけてしまったりしたときだけに感じるものではないのです。

それに、「私、罪悪感おもいっきり感じているよね」とは、ほとんど認識していないものでもあります。

もうすでに、ややこしいですかね?

できるだけわかりやすくご説明したいと思います。

やってしまった系の罪悪感

これはわかりやすいですよね。

◆仕事でミスをしてしまった
◆子供に怒りすぎてしまった
◆約束の時間に遅れてしまった
◆ケンカで言い過ぎてしまった
◆浮気してしまった
◆嘘をついてしまった
◆物を壊してしまった
◆誰かを傷つけてしまった
◆間違ってしまった
◆事故を起こしてしまった

なんていうのも、全部やってしまった系の罪悪感です。

書き出したらきりがないくらいに、やってしまった系の罪悪感はあるものです。
なんたって、私たちは完璧ではないので、「感情的になってしまって」「そんなつもりはなかったけれど」「悪気はなかったんだけれど」「つい魔が差して」「疲れていたから」「勘違いしていたから」などの理由で、いろいろとやらかしてしまうものだからです。

できなくてごめんなさい系の罪悪感

◆テストの成績が悪い
◆仕事が要領よくできない
◆家事が苦手
◆運動神経が悪い
◆不器用である
◆空気が読めない
◆方向音痴である

最後の方向音痴に関しては、私が強く持っていた罪悪感です。
人には得意なことと、不得意なことがあります。
得意なことに関しては、そんなに努力しなくてもできるものですが、不得意なことというのは、努力してできるようになるものと、努力してもできないものというのがありますよね。
いくら努力してもできないことであったとしても、私たちは、「できなくてごめんなさい・・・」と罪悪感を持ってしまうことがあるのです。

やるべきことをやっていない系の罪悪感

◆やさしくできるのに、やさしくしていない
◆愛せるのに、愛していない
◆許せるのに、許していない
◆理解できるのに、理解していない

実は、この罪悪感が一番多いのです。
ところが、やってしまった系や、できなくてごめんなさい系の罪悪感がわかりやすく、気づきやすいのですが、やれるのにやっていない系の罪悪感というのは、気づきたくない度合いが最強なので、強く抑圧しています。
やれるのに、やっていないということに気が付いてしまったら、やらなきゃいけなくなっちゃいますよね?

「本当はやさしくできるのに、やさしくしていなかった!」なんてことに気づいてしまったら、「今までなんてひどい態度をしてしまっていたのだろう!!」と、さらに強く罪悪感を持ちます。
だから、「あの人があんな態度だからできないのよね」「だって、あの人だってやっていないもんね」「今はそのタイミングじゃないからできないのよね」「時代が変わったらできるのだけどね」と、「私ができないのは、仕方がないことなのです」と様々な理由をつけてしまいます。

そうすることで、「やれるのに、やらないのではなくて、できない理由がちゃんとあるのよね。私は悪くないのよね」ということにして、罪悪感を隠してしまいます。

ところが、抑圧して隠してしまうだけであって、消えてくれるわけではないので、罪悪感を解消していくことができず、いつまでも罪悪感はありつづけることになります。

自分は毒だ系の罪悪感

自分は汚れているとか、自分は毒であるという罪悪感です。

いじめなどによって、汚れていると言われた人や、そのように扱われてしまった人が、このような罪悪感を持ってしまうこともあります。
また、思春期の頃に、心や身体が子供から大人へ変化していく過程で、自分の性的な側面に対して、毒であると思ってしまうこともあります。

自分が汚れた存在で、周りの人を毒で苦しめてしまうように感じてしまう罪悪感なので、人と関わらない(特に、親密な関係の人を作らない)ようになったりもします。

間違った自己概念なのですが、自分が毒だという罪悪感を持っている人も少なくはありません。

罪悪感が強いととる態度

どの種類の罪悪感であれ、まるで自分に「悪人」とか「罪人」という刻印を押しているかのような態度になってしまうことが多いです。

投影という心理学の基本的な考えを使って理解してもらえるといいのですが、自分に「悪人」や「罪人」という刻印が押してあるのだとしたら、どのように世界が見えるでしょうか?

まさか、「キャーーーーー!!悪人さんよ♪」とファンが群がってくるとは思えません。
「罪人さんサインしてください!」とは、誰も言ってくれないよねと思います。

「嫌われてしまうだろうな・・・」
「攻撃されるかも?」
そんな恐れをもって、世の中を見てしまいます。

嫌われるなら、最初から人に近づかないとか、嫌われるなら、こっちから嫌ってやるぜとか、そのような態度になってしまいます。

攻撃されるなら、先制攻撃だぜ!と、とっても悪い態度にもなります。

誰かがやさしくしてくれたりしても、「いつかきっと手の平を返すに違いない!」と、疑いの目で見てしまうかもですよね。

とってもラッキーな出来事があったとしても、「こんな悪人である自分が、そのような良い体験をしてはいけない」と、ラッキーな出来事をまったく楽しめません。

「あなたは素晴らしい人だ」と言われたとしても、ちっとも嬉しいとは思えませんし、なんなら「私の何を知っていると言うのだっ!」と、とても悪い態度になるかもしれません。

周りの人や状況が、どのようなものであったとしても、「私は悪人である」「私は罪人である」というフィルターを通して見るので、疑いや恐れでいっぱいになってしまうのです。

また、罪悪感が強いと、その罪を償うような態度にもなります。
黙々と働いて罪を償おうとする人もいますし、苦しい人生を選択することで、償おうとする人もいます。
犠牲的な生き方をする人もいますし、良いこと、楽しいこと、素晴らしいことというのが、人生の中でとても少なくなってしまうのです。

どうすればいいのか?

罪の意識が罪悪感ですので、謝罪するべきことは謝罪し、修正できる部分を修正していくことが大切です。

また、やっちまった自分や、できなくてごめんなさいと思っている自分を許していくことや、毒であると思っている自己概念を書き換えていくことが必要になります。

なんて、文字にすると簡単なことのように思えるのですが、実はそんな簡単にはいかなことが大半です。

誰だって罪悪感は、まともに感じたくありませんからね。
だからついつい、誰かや何かのせいにしてしまいたくなります。

「私がやらかしちゃったのは、相手の対応が悪かったからだ」
「私ができないのは、先輩が教えてくれなかったからだ」
なんてことを言いたくなります。

自分を許していくということや、きちんと謝罪するとか、修正していくということが、なかなか難しいのです。
だから、やっかいなんですよね。

罪悪感が強ければ強いほど「私は悪くない」と思いたいもの

しかも、何が原因で持つことになってしまったかは別として、罪悪感が強ければ強いほど、謝罪して許されるとは思えませんし、修正が可能だとも思えませんので、態度はどんどん悪くなってしまいます。

また、許されるとは思えないし、修正が可能だとも思えないので、罪悪感から逃れるために、自分よりも悪い人を作りたくなってしまいます。
「あの人のせいでこうなった」「あの人だってやっていることだ」と自分よりも悪い人を作ってしまい、「私は間違っていない」「私は悪くない」「私は正しい」ということを、主張したくなってしまいます。

一般的なイメージとしては、罪悪感があるならば、申し訳なさそうな態度になるであろうと思うものなのですが、実際には、罪悪感が強ければ強いほど、大きければ大きいほど、正しさを主張し、態度は申し訳なさそうにはならないことが多いのです。
本人も、意識的には「私は悪くない」と思っていますしね。

抑圧しない認識できる程度の罪悪感であれば、「ごめんなさい」と早々に謝罪できますし、「間違っていたので修正します」ということもすぐにできます。
問題は、認識できない、認識したくない罪悪感なんですよね。

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