「無理しないでね」
「がんばらなくていいんだよ」
そう言われても、正直ピンとこない。
がんばらなかったら、生活がまわらないし、
誰にも必要とされなくなる気がするし、
それに……自分でも自分を好きになれない気がする。
頭ではわかってる。
でも、どうしても力を抜けない自分がいる。
今日はそんなあなたに向けて、
“がんばることの裏側にある気持ち”を、やさしくほどいてみたいと思います。
気づかないうちに、私たちは今日もがんばっている
「今日もちゃんと仕事した。帰りにスーパー寄って、洗濯回して、なんなら友達からのLINEにも即レスした。
誰も褒めてくれないけど、なかなか偉いじゃん、私。」
……そう思える日は、まだいいほうかもしれません。
たいていは、なんとなくモヤモヤしていたり、
頑張ったわりに満たされなかったり、
「もっとちゃんとできるはずなのに」と、自分にダメ出しをしてしまったりする。
でも、ちょっと思い返してみてください。
- 朝、眠くても無理に起きて、支度を整えた自分
- 外で気を張って、空気を読んで、疲れたけど笑顔で過ごした自分
- やりたくないことにも「うん」と言って、なんとか終わらせた自分
……これ、ぜんぶ“がんばり”です。
でも私たちは、それを“がんばり”だと認識しないまま、
「これくらい普通」とスルーしてしまうことが多い。
そして気づいたら、なんだかしんどい。
そのしんどさに、理由が見つからない。
「こんなことで疲れるなんて、私って弱いのかな」なんて思ってしまう。
けれど本当は——
“がんばり”は、気づかれないほど日常に溶け込んでいるだけで、ちゃんとあなたを消耗させているんです。
がんばってない人なんて、きっといない。
気づかずに、今日も静かにがんばっている。
がんばっていることの具体例
「がんばってるね」と言われると、ちょっと戸惑う。
だって、自分では“がんばってるつもり”なんてないから。
でも、よくよく見てみると、
私たちの毎日には小さな“がんばり”がいくつも隠れています。
たとえば、こんな場面——
- 疲れているのに、愛想よく笑って接客を続ける
- 自分の意見より、空気を読んで“波風立てない”発言を選ぶ
- 本当はひとりで休みたい休日に、誘いを断れず出かける
- 仕事終わり、家に帰ってからも気が張っていて、なかなか眠れない
- 「私なんてまだまだ」と、努力を積み増し続ける
- LINEの既読がついてるのに返せてない…という自責ループにハマる
- 「もっとちゃんとしなきゃ」「迷惑かけちゃダメ」が口ぐせになっている
それから——こんなものも、実は“がんばり”です。
- 「一人だったら、絶対やらないよなぁ…」と思いながら、誰かのために家事をこなす
- 「迷惑をかけるのはダメだから」と、体調が悪くても仕事を休めない
- 「余裕があればやらないけど、今はそうもいかないから」と、気持ちにフタをして働き続ける
これ、ぜんぶ“本心”じゃないけど、“やらざるを得ない”という中で生まれている行動です。
つまり、がんばりです。
しかも、そのがんばりは、誰にも気づかれないことがほとんど。
自分でも気づかないうちに、
「ちゃんとした自分でいなきゃ」って、自分にムチを打ち続けてしまう。
でもね、ここでひとつ、はっきり言っておきたいことがあります。
がんばること自体が悪いわけじゃありません。
がんばるって、すごいことなんです。
丁寧に生きようとする姿勢だったり、
誰かのためにできることをやろうとする優しさだったり、
前に進もうとする意志だったりするから。
ただ、問題なのは——
「がんばるしか選べない」「がんばらないと不安」になってしまっているとき。
その状態が続くと、心がカチコチに固まってしまいます。
なぜ、私たちはがんばってしまうのか?
がんばることがクセになっている人にとって、
「もう、がんばらなくてもいいよ」と言われるのは、
ちょっとした恐怖体験かもしれません。
——がんばらなかったら、私って何者なんだろう?
——私、ただの“めんどくさい人”になっちゃわない?
——誰にも好かれないし、必要とされなくなる気がする。
こういう思いが浮かぶと、
“がんばらない”ことは“怠け”や“甘え”に思えてしまいます。
でも、それってあなたが弱いからでも、心が狭いからでもないんです。
❖ がんばることで、自分を守ってきた
多くの人が、こんな経験をしてきています。
- 「ちゃんとしてるね」と言われたときに、安心した
- 自分が無理してでも役に立ったとき、やっと居場所があると感じた
- “がんばってる私”のときだけ、人に認められた気がした
つまり、がんばることが“自分の価値”と直結してきたんです。
子どものころから、がんばったときだけ親に褒められた。
しんどいと言ったら「それくらい我慢しなさい」と言われた。
誰かに甘えようとして、拒否された経験がある。
——そんな背景をもっていると、自然とこう学習します。
「人は、がんばってる自分しか受け入れてくれない」
だから、“がんばらない”って、
まるで「人に見捨てられる行為」のように感じてしまうんです。
❖ 自分に対しても“厳しい上司”になってしまう
そしてもうひとつ。
無意識に、自分の中に「がんばれよ」「まだできるでしょ」と言ってくる“内なる上司”を飼っている人も多いです。
この内なる上司は、たしかに有能です。
ピシッと指示を出して、行動させて、結果を出すこともある。
でもその一方で、
「疲れた」「無理かも」「助けて」って言おうとすると、
すぐに「それ、甘えだよね?」とバッサリ切り捨ててきます。
これでは、心が休まる暇がありません。
❖ 「がんばらない人を許せない」気持ちが、自分を苦しめることもある
もうひとつ、がんばり続けてきた人に多いのが、
**「がんばらない人を見ると、イライラする」**という気持ち。
たとえば、子どもの頃に親が無責任だった、すぐに投げ出す人だった、
そのせいで自分が“しっかり者役”を担ってきた——
そんな経験があると、
「私がこんなにがんばってるのに、なんであの人は?」
「逃げた人を許せない」
といった感情を抱えることも自然です。
でも、その“他人への厳しさ”は、ゆっくりと、
“自分に対する厳しさ”にも変わっていきます。
「私は甘えてはいけない」
「私までが手を抜いたら、誰もちゃんとしない」
そうやって、気づかないうちに“休む”ことにも、“頼る”ことにも、強いブレーキがかかるようになるんです。
がんばりが当たり前になっている人は、
がんばらないという選択肢そのものを、“危険なこと”と感じてしまう。
でもそれは、「あなたが長年、自分と、大切な人を守ってきた証拠」なんです。
がんばりすぎるとどうなるのか?
がんばることは素晴らしい。
でも、“がんばり続けること”には、ちょっと注意が必要です。
がんばりが慢性化すると、まず最初に出てくるのは、わかりにくい不調です。
❖ サインその1:なぜかずっと疲れている
ちゃんと寝たはずなのに、朝からだるい。
夕方には魂が半分どこかに出てる。
金曜の夜は「やったー!」じゃなく、「やっと…終わった……」の方。
そんなとき、心の中ではこう思ってます。
「…土日で“しっかり”回復しなきゃ」←まだがんばろうとしてる。
❖ サインその2:感情のスイッチが壊れ始める
たとえば…
- ちょっとした一言に、妙にイラっとする(でも我慢する)
- ドラマのCMで急に泣く(でも理由がわからない)
- 褒められても、なぜかモヤモヤする(「いや、全然できてないし」って思う)
これ、感情のバランスが揺れているサインです。
心がいっぱいいっぱいになってくると、
**「笑う」「泣く」「怒る」「喜ぶ」**みたいな、シンプルな感情の回路が、ちょっとずつバグってくるんです。
❖ サインその3:がんばってるのに、報われない感が増す
不思議なことに、がんばればがんばるほど、
「誰もわかってくれない」
「私ばっかりやってる」
「これ以上、何をすればいいの?」という気持ちが積もっていく。
でも表面では、こう言ってたりします。
「大丈夫だよ。全然平気だから(※顔は笑ってるけど、目が死んでる)」
これ、周りからは気づかれにくい。
でも、本人の中では**“心の空き容量ゼロ”状態**です。
❖ サインその4:どこかでパンクする
そして、がんばりが限界を超えると、突然こうなります。
- 突然涙が止まらなくなる
- 体が動かなくなる(ただの疲れ、ではない)
- 無気力状態に突入する(何も感じない、という感覚)
- 突然すべてがどうでもよくなる
このとき心の中では、
「もう、なにもかもめんどくさい。全員おやすみ」
という小さなサイレンが鳴っているのですが、
がんばり屋さんほど「いや、休んでる場合じゃないでしょ」とスルーしがち。
だからこそ、大事なのは“意識して休む”こと。
がんばりがクセになっていると、
体が壊れるか、心が折れるまで止まれなくなることがあるからです。
じゃあ、「がんばらない」ってどういうこと?
「がんばらなくていいよ」って言われても、正直どうすればいいのかわからない。
がんばるのをやめるって、つまり……何をやめればいいの?って思いませんか。
布団かぶってゴロゴロして、「今日は何もしませんでした〜」ってSNSに上げること?
締切破って「やれませんでした☆」って言っちゃうこと?
それって、ちょっと怖すぎる。
❖ がんばらないとは、「がんばり一択」じゃなくなること
“がんばらない”とは、
「がんばる」以外の選択肢も、自分に許せるようになることです。
言い換えると、
がんばるか、がんばらないかの“幅”を持つということ。
- 疲れていたら、何もせず休んでいい
- 無理な頼まれごとは断ってもいい
- ミスして落ち込んでも、すぐに立ち直らなくてもいい
- 人に相談したり、助けてもらってもいい
- 「もうダメかも」って思う日があっても、それも人間らしい
そして逆に——
- 本気を出したいときは、思いきりがんばってもいい
- 「よし、ここはやってやる!」って、自分を奮い立たせてもいい
- だれかを支えることに、喜びを感じていい
大事なのは、「どちらかしかダメ」にしないこと。
がんばる日も、がんばれない日も、
どちらの自分にも「それでいいよ」と言えるようになることが、
“幅を持たせる”ということなんです。
❖ がんばってる自分も、悪くない
そして、これも大事なこと。
がんばってるあなたも、悪くない。
がんばりすぎてしまうあなたも、責めなくていい。
ただ、がんばることにしか自分の価値を見いだせなくなったとき、
しんどさが積もっていくんです。
がんばってるときのあなたも素敵。
がんばれないときのあなたも、大事。
その両方があって、やっとバランスが取れるのです。
❖ そして実は——「がんばらないほうがうまくいくこと」もある
皮肉な話ですが、
がんばることをやめてみたときの方が、
周りと自然につながれたり、
いい流れがやってきたりすることがあります。
なんでかって?
力が入ってないほうが、人は近づきやすいから。
ずっと“がんばってる人”には、近寄るのもちょっと緊張するけれど、
「なんかいい意味で肩の力が抜けてる人」には、安心して話しかけられる。
がんばらないって、
「ありのままの自分が人と関われる」ための準備でもあるんです。
じゃあ、がんばらないとどうなるの?
がんばらないって、最初は少し怖いかもしれません。
「誰にも迷惑かけないかな?」
「ダメな人になっちゃうんじゃないかな?」
「そのまま何もできない人になったら、どうしよう…」
そんな不安が、そっと顔を出すかもしれません。
でも、大丈夫です。
がんばらないって、何もしないことではなくて——
**「自分をちゃんと感じて、自分と仲直りする時間」**なんです。
❖ がんばらないことで見えてくること
たとえば、こんな変化が起こりはじめます。
- 小さなことにイライラしにくくなる
- 「〜しなきゃ」より「〜したいな」が増えてくる
- 人との関わりが少しラクになる
- 自分の内側に余白が生まれる
- “ちゃんとしなきゃ”から、“私でいい”に変わっていく
そして、ふとした瞬間に——
「あれ?前はここで頑張ってたけど、今日はそのままの自分でいられた」
そんな気づきが、コッソリ訪れます。
❖ がんばらないことで、“感じないようにしていた感情”が出てくる
ここで、ちょっと不思議なことが起こります。
がんばるのをやめて、ふっと力を抜いた瞬間——
理由のわからない不安、孤独感、虚しさ、寂しさがこみ上げてくることがあります。
それもそのはず。
私たちは、これまでがんばることで「感じなくてすんでいた気持ち」を押し込めてきたんです。
- 頼れなかった寂しさ
- 必要とされなかった悲しさ
- 無力さへの恐怖
- わかってもらえなかった怒り
そういった“感じたくなかった気持ち”を感じずに済むように、
私たちはがんばり続けてきたんです。
がんばることが、心を守る“補償行為”になっていた。
だから、がんばるのをやめると、
まるでフタを開けたように、その感情たちが現れるんですね。
❖ 感じることは、癒しのはじまり
もし、そのときにザワザワしたり、悲しくなったりしたら、
「うわ、また面倒くさい感情が出てきた」と思わずに、
少しだけ立ち止まってみてください。
その感情は、ずっとずっと昔から、
あなたに気づいてもらいたくて、
心の奥で静かに出番を待っていたものかもしれません。
感じてあげることは、あなたが“あなた自身と再会する”大切なステップです。
泣いてもいいし、怒ってもいいし、
「なんでこんな気持ちになるの?」と戸惑ってもいい。
そのときこそ、補償行為じゃない“ほんとうのあなた”が、
すこしずつ顔を出しはじめているのかもしれません。
❖ がんばらないことすら「がんばろう」としてしまう私たちへ
ここまで読んで、
「がんばらないって、奥が深すぎない…?」と思ったあなた。
ええ、その通りです(笑)。
しかも、がんばり屋さんにありがちなのが、
- 「ちゃんと休まなきゃ」と焦る
- 「ゆるむのが下手すぎて落ち込む」
- 「私、全然がんばらないの、向いてないかも」と自己否定が始まる
……もう、“がんばらない”ことまで全力でがんばろうとするんですね。
でも、それでいいんです。
それだけ、ずっと必死で生きてきた証拠だから。
❖ やさしさは、最初は“しっくりこない”かもしれない
急に休むと、罪悪感でそわそわする。
誰かに頼ったあと、無性に自己嫌悪になる。
でもそれは、これまで自分を責めることに慣れすぎてきたから。
心が「やさしくしていいんだよ」と言われても、まだ戸惑ってるだけなんです。
ゆるむのが下手でもいい。
休むのがぎこちなくてもいい。
それでも、自分にやさしくしようとした“その気持ち”が、もう十分すごい。
🌱編集後記:そんな時間を味わえる1DAYワークショップがあります
6月21日(土)に、
“がんばりをほどいて、自分に戻る”ための、1DAYワークショップを大阪で開催します。
- 話してもいいし、話さなくてもいい
- 泣いても笑っても、眠っても大丈夫
- 「こんなに自分を放ってたんだな」と気づけるような時間
1対1のカウンセリングとはちがう、
あたたかくて、どこか懐かしいような癒しの場を用意しています。
よかったら、のぞいてみてください。