久しぶりに予定のない休日。
急いで片づけなければならない仕事もない。
今日はゆっくりしようと思っていたのに、ソファに座っていると落ち着かない。
洗濯をしたほうがいい。
親に連絡したほうがいい。
先延ばしにしている用事を片づけたほうがいい。
そんなことが次々に浮かびます。
ようやく休める日なのに、
「こんなことをしていていいのかな」
と後ろめたくなる。
職場で頼み事を断ったあとにも、
「引き受けたほうがよかったのではないか」
と何度も考える。
親の期待に応えられない時や、友人の相談に付き合えない時にも、
「私って冷たいのかな」
と自分を責める。
誰かを傷つけたわけでも、大きな失敗をしたわけでもありません。
それでも、なぜか自分が悪いことをしているように感じることがあります。
罪悪感は、悪いことをした時だけに出てくるわけではない
自分のミスで誰かに迷惑をかけた。
感情的になり、言いすぎてしまった。
約束を破った。
嘘をついた。
このような時に感じる罪悪感は、比較的わかりやすいものです。
何が起きたのかを確認し、必要なら謝る。
できる範囲で修正する。
同じことを繰り返さないために、今後の行動を考える。
罪悪感が、責任を引き受ける方向へ働くこともあります。
ところが、実際には、何かを「してしまった」時以外にも罪悪感は出てきます。
期待されたことができなかった。
誰かの希望に応えなかった。
できることを、あえてしなかった。
自分だけ楽をした。
自分だけ良い思いをした。
このような時にも、
「私が悪いのではないか」
と感じる人がいます。
できないことまで、申し訳なく感じてしまう
仕事に時間がかかる。
家事が得意ではない。
人前でうまく話せない。
家族の相談に、気の利いた答えを返せない。
親の望むような娘になれなかった。
人には、得意なことも不得意なこともあります。
努力によって変えられることもあれば、努力だけではどうにもならないこともあります。
それでも、
「普通はできることなのに」
「もっとしっかりしていれば」
「私が要領よくできれば、周りを困らせなかったのに」
と、自分の不得意なことを申し訳なく感じる場合があります。
ここでは、「できないこと」が問題なのではありません。
できない自分は、周りに負担をかける存在だと思っていることが苦しさにつながっています。
そのため、人に助けてもらっても、素直に受け取れません。
助けてもらった分を、早く返さなければならない。
迷惑をかけた自分は、別のところで役に立たなければならない。
そうやって、できなかったことの埋め合わせを続けることがあります。
「できるのに、しなかった」ことへの罪悪感
誰かにやさしくすることはできた。
頼まれた仕事も、無理をすれば引き受けられた。
親に電話をかける時間も、作ろうと思えば作れた。
困っている友人の話を、もう少し聞くこともできた。
けれども、しなかった。
そのような時に、
「できたのに、しなかった私は悪い」
と感じることがあります。
ただ、ここで考えたいのは、
できることは、すべてやらなければならないのか
ということです。
時間があっても、休みたい日があります。
話を聞くことはできても、今日は聞きたくないこともあります。
親に連絡することはできても、今は距離を置きたい場合もあります。
相手を理解することはできても、もう理解する側ばかりになりたくないこともあります。
「できる」と「しなければならない」は同じではありません。
ところが、長く人の期待に応えてきた人は、できることをしない自分に強い抵抗を感じます。
やらないと決めた途端に、
「自分勝手ではないか」
「やさしくない人になったのではないか」
という罪悪感が出てくるのです。
自分だけ休むことや、楽しむことにも罪悪感が出る
家族が忙しくしているのに、自分だけ休んでいる。
友人がつらい状況にいるのに、自分には楽しい予定がある。
親が節約して暮らしているのに、自分は欲しいものを買う。
職場の同僚が残業しているのに、自分は定時で帰る。
そのような時に、せっかくの時間や喜びを楽しめなくなることがあります。
誰かから責められたわけではありません。
それでも、
「私だけ良い思いをしてはいけない」
と感じます。
自分が苦しんでも、相手の苦しさが減るわけではありません。
自分が残業しても、すべての問題が解決するとは限りません。
それは頭ではわかっています。
けれども、自分だけが楽になると、誰かを置き去りにしたように感じるのです。
自分も苦しんでいることが、相手を大切に思っている証明になっている場合もあります。
そのため罪悪感を手放すことが、
「相手のことをどうでもいいと思うこと」
のように感じられます。
「自分がいると、人を困らせる」と感じることもある
さらに強い罪悪感になると、
「何かをした自分が悪い」
ではなく、
「自分という存在が人を困らせる」
と感じることがあります。
自分の気持ちを話すと、相手を疲れさせる。
自分が怒ると、関係を壊す。
自分が誰かを好きになると、相手を困らせる。
自分がそばにいると、周りに迷惑がかかる。
そう思うと、人と深く関わることを避けるようになります。
本当は親しくなりたいのに、一定の距離を取る。
誰かが好意を向けてくれても、
「本当の私を知ったら、離れていく」
と疑う。
相手から拒まれる前に、自分から関係を終わらせることもあります。
この場合、本人が何か大きな問題を起こしたとは限りません。
家族から繰り返し、
「あなたのせいで大変だ」
という扱いを受けてきたのかもしれません。
感情を出すたびに、面倒な人のように扱われてきたのかもしれません。
その経験から、
「私は人を困らせる存在だ」
という結論になる可能性もあります。
罪悪感が強い人が、いつも申し訳なさそうとは限らない
罪悪感がある人というと、
「ごめんなさい」
と小さくなっている姿を想像するかもしれません。
けれども、罪悪感が強いほど、
「私は悪くない」
と強く主張することもあります。
一つの間違いを認めることが、
「自分は悪い人間だと認めること」
のように感じられるからです。
間違いを認めても、修正すればいい。
できなかったことと、人間としての価値は別。
そう思えれば、謝ることもできるでしょう。
ところが本人の中で、
「間違えた私は悪い人」
「人を傷つけた私は許されない人」
となっていると、間違いを認めることができません。
そこで、
「あの人の言い方が悪かったから」
「私だけではなく、みんなもやっている」
「先に傷つけてきたのは相手だ」
と、自分が悪くない理由を探します。
これは、責任を取らなくてよいという話ではありません。
相手に責任を押しつけたままでは、傷つけられた人の苦しさは残ります。
ただ、強く正しさを主張している人の中に、
「自分が悪いと認めたら、もう立ち直れない」
という怖さが隠れている場合もあるということです。
苦しみ続けることで、償おうとする
罪悪感を抱えていると、自分に良いものを許せなくなることがあります。
人から大切にされても、受け取らない。
楽しい予定があっても、心から楽しめない。
働きすぎても休まない。
自分に合わない関係だとわかっていても、離れない。
苦しい状態に居続けることで、何かを償おうとします。
本人は、
「私は罪を償っている」
とは考えていないことがほとんどでしょう。
「私には、このくらいが合っている」
「楽なほうへ逃げてはいけない」
「幸せを求めるほどの人間ではない」
と感じているだけかもしれません。
けれども、自分が幸せにならないことを罰として使っている場合があります。
過去に誰かを傷つけたことがある。
家族を助けられなかったと思っている。
自分だけが家を出たことを、申し訳なく感じている。
その出来事を変えることはできません。
そのため、現在の自分が苦しみ続けることで、過去とのつり合いを取ろうとするのです。
罪悪感を手放せないのは、反省していない人になりたくないから
「もう自分を責めなくてもいい」
と言われても、簡単にはやめられません。
自分を許したら、反省していない人になる気がする。
罪悪感がなくなったら、また同じことをするかもしれない。
苦しまなくなったら、傷つけた相手に申し訳ない。
そう感じるからです。
罪悪感を持ち続けることが、
「私は、したことを忘れていません」
「私は、ひどい人間ではありません」
という証明になっている場合があります。
だから、謝罪や修正が終わっても、自分を責め続けます。
けれども、自分を罰し続けることと、責任を引き受けることは同じではありません。
責任を引き受けるとは、起きたことを認め、できる修正をし、今後の行動を変えることです。
自分を責め続けて生活を壊すことまでが、責任とは限りません。
すべての罪悪感に従う必要はない
罪悪感を感じた時は、
「罪悪感があるのだから、私が悪いのだ」
とすぐに決めつけないことが大切です。
まず、実際に何が起きたのかを確認します。
自分は、相手にどのような影響を与えたのか。
謝罪や修正が必要なことなのか。
自分が責任を負うべき範囲はどこまでなのか。
それとも、相手の希望に応えられなかっただけなのか。
自分を優先したことを、悪いことにしているだけなのか。
一方で、これまで当たり前のように担ってきた役割や期待から離れようとした時にも、罪悪感が出てくることがあります。
たとえば、親の言う通りにしない娘になること。
頼まれたことをすべて引き受けるわけではない社員になること。
いつも相手の話を聞く側ではいない友人になること。
家族よりも自分の都合や気持ちを優先する人になること。
こうした変化に慣れていないと、必要な選択であっても「これでいいのだろうか」と不安や罪悪感を感じやすくなります。
罪悪感を感じないことが、正しい選択の証拠ではありません。
罪悪感を抱えながらでも、これまでとは違う選択が必要な時があります。
何を償おうとしているのかを整理する
罪悪感が強い時に、
「もっと自分を好きになりましょう」
「自分を許しましょう」
と言われても、簡単にはできません。
許したら何が起こるように感じるのか。
苦しむのをやめたら、誰を裏切ることになるのか。
自分が楽になった時、どのような人になってしまう気がするのか。
そこに、その人が罪悪感を手放せない理由があります。
カウンセリングでは、すぐに罪悪感をなくそうとするのではなく、
本当に自分が責任を引き受けるべきことは何か。
すでに謝罪や修正が済んでいることは何か。
できなかったことまで、自分の罪にしていないか。
誰かの期待に応えないことを、悪いことだと思っていないか。
自分を罰し続けることで、何を守ろうとしているのか。
そうしたことを一緒に整理していきます。
必要な責任は引き受ける。
けれども、自分が苦しみ続けることでしか償えないと思っているものについては、本当にそうなのかを見直す。
罪悪感があるかどうかだけで、自分が悪い人なのかを決めないために、その罪悪感がどこから来たものなのかを確かめていきます。




