いやいや、誘われても行かないくせに、なんで凹むの?」
そんなツッコミ、心の中で100回くらいしてきました。
これは、心理カウンセラーとして活動してきた私自身の、リアルなこころのつぶやきです。
クライアントさんからもよく聞きます。
「ひとりで過ごすの、好きなんです。でも、誘われなかったら…なんか寂しいんです」
「行かないって決めたのに、“外された感”がくると凹むんです」
わかります。めちゃくちゃ、わかります。
今日はそんな“ややこしい感情”の裏側にある、こころのしくみについてお話しします。
「ひとりが好き」と「ひとりは寂しい」は、矛盾じゃない
私たちの気持ちは、常に“どっちか一方”でいられるほど単純じゃありません。
「静かな時間が好き」でも、「誰かと笑い合う時間もほしい」
「自分のペースで過ごしたい」けど、「仲間外れにされるのは嫌」
この両方を抱えるのは、実はとても自然なことです。
なぜなら私たちには、
- 自立したい気持ち(自分らしくいたい欲求)
- つながっていたい気持ち(愛されたい・認められたい欲求)
の両方があるからです。
しかもこの2つ、時に真逆の方向を向いています。
だからこそ、私たちは「どっちやねん!」となるのです。
このような、矛盾する気持ちを同時に持つ状態のことを、心理学では
「両価性(りょうかせい)」と呼びます。
本当は「ひとりになりたい」のではなく、「がんばらずにいたい」だけかも
誰かと一緒にいるとき、自然と気をつかってしまうことはありませんか?
- 相手が退屈していないか気になる
- 空気を壊さないように話題を選ぶ
- 「ちゃんとしてる自分」でいようと頑張ってしまう
こうした“無意識のがんばり”があると、どんなに楽しい時間でも、終わったあとはどっと疲れることがあります。
でもそれって、相手が悪いわけではなく、
「誰かと一緒にいる自分」に自動的に努力モードが入っているからなんです。
だからこそ、
「ひとりの時間=本来の自分に戻る時間」
として大切に感じるのも自然なことなんです。
選べないことが、モヤモヤの原因になる
ここでひとつ、大事な視点があります。
それは、
「誘われなかった」ことが悲しいんじゃなくて、
「選ぶチャンスすらなかった」ことが寂しさの元になっている
ということ。
心理学ではこれを「コントロール感」と呼びます。
“自分で選べる”という感覚が、安心感や自己肯定感に大きく関係しているんです。
つまり、
- 誘われた上で「行かない」と決める
- 自分のタイミングで「参加する・しない」を選べる
この“選択肢がある”という状態が、心を安定させるのです。
「どっちの気持ちも本音」で、いいんです
「誘われなくて寂しい」
「でも、行ってもたぶん疲れる」
この両方の気持ちが本音だったとしたら、どうでしょう。
「どっちかに決めなきゃ」
「ブレてる私はダメだ」
なんて思う必要は、ほんとうはないのです。
さきほど紹介した両価性は、こうした複雑で相反する感情が、共に存在していていい状態のこと。
人の心って、いつも“きれいな直線”じゃありません。
ちょっとぐねぐね曲がったり、迷ったりしながら、自分なりのリズムを探しているものです。
めんどくさい自分と、うまくつき合う大人力
「私、めんどくさ…」
と自己ツッコミしたくなる瞬間、ありますよね。
でも、
- 今の気分はどうしたい?
- 体力は?気持ちは?
と、自分の“コンディション”に目を向けられるようになってきたら、それは立派な「大人の自己理解」です。
「選びたかった」
「でも選べなかった」
そのモヤモヤに、自分で気づける力は、心を疲弊させないための大切なスキル。
最後にひとこと
人の気持ちは、ひとつじゃありません。
「ひとりが好き」も「寂しい」も、
「行きたい」も「めんどう」も、
どちらも“今の自分”が感じている、大切な気持ちです。
だからこそ、今日も私は、自分のややこしさにツッコミを入れつつ、
「まあ、そういう日もあるよね」と言ってあげています。
そうやって、自分と仲良くやっていけたら、
人づきあいも、ちょっとずつ楽になるものです。