「なんで私には相談してくれなかったの?」に隠れている、3つの思い込み

他の人には相談していたのに、自分には話してくれなかったときの孤独感を表すイメージ オススメ記事

◆ 「私には話してくれなかった」が刺さるとき

「えっ、その話、〇〇さんにはしてたの?……私には何も言ってなかったのに」

そう聞いた瞬間、なんとも言えない寂しさや、裏切られたような気持ちが胸に広がった——そんな経験、ありませんか?

相手を責めたいわけじゃない。
でも、なんだか置いていかれた気がして。
「私には必要なかったのかな」「信頼されてないのかも」と、頭の中でいろんな想像が始まってしまう。

こうした“相談されなかった”という場面は、実際のやりとりよりも、「その裏にある意味」を勝手に深読みしてしまいやすい出来事なんです。

そしてそのとき、心の奥ではいくつかの“思い込み”や“関係性の脚本”がひっそりと走り始めています。


◆ 「相談される=信頼されている」という思い込み

多くの人が、無意識にこんな公式を持っています。

「大事な話は、信頼している人にする」

もちろん、これは間違いではありません。
でも問題は——その公式を、いつでも・誰にでも・全てにおいて当てはまる絶対ルールのように感じてしまうことです。

たとえば、「悩みごと」は誰にでも話せるわけではありません。

  • 人間関係のことで悩んでいるなら、関係していない第三者に話す方が安全
  • 感情を吐き出したいときは、否定しないで聞いてくれる人に向かう
  • 冷静なアドバイスがほしいときは、感情的にならない相手を選ぶ

つまり、「話しやすさ」や「そのときの感情の流れ」によって、相談する相手は自然に変わるのです。

相談されなかったからといって、信頼がないとは限らない。
逆に、気を遣って「あなたには言えなかった」というパターンもあります。

人は、“この人になら言える”と思えるときもあれば、
“この人には今は言いたくない”と感じるときもある。

それは、信頼の有無ではなく、相手との関係の距離感やタイミング、そして話す側の心の状態の問題だったりするのです。


◆ 期待していた“関係性の脚本”とのズレ

「親しいんだから、なんでも話してくれるはず」
「このくらいの関係性なら、当然私に一番に相談してくれるよね」
「ずっと支えてきたんだから、まず私に言ってくれるはず」

——それって、相手との関係性に対して、自分の中にある“理想の脚本”です。

私たちは、自分が思う“こうあってほしい関係”を、頭の中で無意識に書いています。
そしてその脚本通りに相手が動かなかったとき、「え?なんで?」と違和感や痛みを感じるのです。

でもその脚本、相手にもちゃんと渡して、読んでもらっていましたか?

おそらくほとんどの場合は、「私の中だけ」にあった脚本です。

そして、その中で勝手に「信頼されてる私」「選ばれる私」という役を演じるつもりでいたのに——
セリフが来なかった。出番がなかった。

そうやって、一人で“関係が崩れた物語”の本番を迎えてしまうのです。

期待は悪いものではありません。
でも、“期待”が“無言の要求”になったとき、裏切られたような痛みが生まれてしまうのです。


◆ 比較バイアス:「あの人には言ったのに…」のワナ

「〇〇さんには話してたのに、私には言ってくれなかった」
この瞬間、心の中で比較のスイッチが入ります。

=〇〇さんのほうが信頼されてる?
=私って、二番手?それ以下?
=軽く見られてるのかな…

これは、「相手の選択」に自分の価値をくっつけてしまう思考パターンです。
でも実際には、相手が誰に話すかは、その時の“話しやすさ”や“距離感”などの複合的な要因で決まることがほとんどです。

たとえば:

  • たまたまその時タイミングが合っていた
  • 以前にも同じテーマをその人に話していた
  • 自分(あなた)には気を遣わせたくなかったから、あえて別の人に話した

こうしたことが、実際にはよく起きています。

でも、「選ばれなかった=軽んじられた」と感じてしまうのは、自分の内側にある比較バイアスがはたらいているから。

そしてこのバイアスは、どんどんストーリーを作り始めます。

きっと最近、私のこと避けてたんだ
以前よりLINEの返信も冷たい気がする
私、もう“あの人の近くの人”じゃなくなったのかも…

——これが、思い込み脚本の暴走モード。

ここで大切なのは、「相手が誰を選んだか」ではなく、
その選択に“意味をつけすぎている自分”に気づくことです。


◆ まとめ:「相談されなかった」の意味を一つに決めない

相談されなかったからといって、信頼されていないとは限らない。
誰にでも話せることじゃないからこそ、
「そのとき話しやすかった人」に向かっただけかもしれない。

私たちの心はつい、「言われなかった=拒絶された」と感じがちです。

でも実際には、
“今回はその人じゃなかっただけ”
ということもたくさんあるのです。

そして何よりも忘れてはいけないのは——
私たちは、自分で勝手に脚本を書いて、自分でがっかりしてしまうクセがある、ということ。

だからこそ、こんなふうに考えてみるといいのかもしれません。

「私、どんな物語を期待してた?」
「それ、相手にも伝えてた?」
「この脚本、誰のための脚本だった?」

ほんの少し脚本を書き直すだけで、
人との関係が“裏切りの物語”から、“それぞれの選択を尊重できるドラマ”に変わるかもしれません。

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▶︎ 思い込みかも劇場 #03「なんで私には相談してくれなかったの?」って、じわっと凹んでたけど。

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