五円屋と子供時代の思い出
昔住んでいた家の近くには、『五円屋』と言われていたお店があった。 正式な名称があったのかどうかは知らない。 いわゆる駄菓子屋で、5円持って行けば、何かが買えた。
若い人たちには信じられないかもしれないが、昔は消費税なんてものは存在せず、物価も今よりもかなり安かったので、5円で何かしらが買えた。 もちろん、五円屋には、5円以上の物が圧倒的に多く、5円で買えるものは少なかったが、5円を握り締めて駄菓子屋に行っても、何かが買えたのである。
確か5円でくじ引きができたと思う。
飴玉が先にくっついた凧糸(これすら知らない人は多いのかもしれない・・・)が、たくさんあり、その中の一本をひっぱるのである。 記憶が定かではないが、飴玉の色によって、当たりが決まっていた。
そして、我が家のすぐ裏にあった公園には、何とっ!!紙芝居屋さんが、時々やってきていたのである。 こういう話を、自分の子供たちにしたことがあるのだが、そうすると『昭和の時代って感じやな』と言われた。
確かに昭和時代なのであるが、昭和初期とは違うのだが、うちの子供たちにとっては、『昭和時代』なのだと思うと、なんだかすごく自分が年寄りに感じたのであった。
でもまぁ~確かに良い時代であったと思う。
転んでも諦めない執念
ある日、五円屋に5円を握り締めて、兄と一緒に出かけた。 目的は、くじ引きであった。 私は、五円屋の前で、すっ転んだ。
通常なら、手をついて身体をかばう場面だと思うのだが、私は握りしめていた5円を、どうしても放したくなかったらしく、5円を握り締めたまま転んだので、手の指やら、膝やらを、ひどくすりむいた。
痛かった・・・ だが、泣かなかった。(えらいぞ私!!)
そして、膝から血を流しながら、くじ引きをしたのであった。 五円屋のおばちゃんは、さぞや何とかしたかったであろうと思うのだが、おばちゃんの記憶はない。
受け継がれる執念
そして、これととてもよく似た事を、私の娘もやったのである。
さすがに金額は、5円から50円に値上がりしているが、50円玉をそれぞれ握り締めた、我が息子と娘。 当時は小学校低学年と幼稚園だったと思うが、五円屋ではないが、別のお店にお菓子を買いに行かせた。
しばらくすると、窓の外から、ものすごい泣き声が聞こえた。 窓を開けてみると、息子が、泣き叫ぶ妹の手を引き、帰ってくる姿が見えた。 慌てて外に出て、二人を迎えたのだが、お店に行く途中に、娘がすっ転んだらしい。 膝から血を流し、指をすりむいている娘。
やはり・・・血は争えない・・・のである。 娘の手には、しっかりと50円玉が握り締められていた。
この時、息子は妹が心配だし、兄である自分がいるのに、妹に怪我をさせたことで、半ベソ状態であった。 娘は泣いていたので、相当痛かったのだろうと思ったのだが、『痛かったな~もう泣かんでも大丈夫だよ』と言うと、『違うっ!!お菓子買いに行きたかったんや!』と言って、更に大泣きした。
執念か、根性か?
この事から憶測するに、五円屋のおばちゃんは、店の前ですっ転んでも、5円玉を握って放さない女の子を見て、どうしてもくじ引きがしたいという想いを察してくれたのではないかと思うのである。
どんなに痛くても、欲しい物を手に入れる執念というか・・・欲の塊というか・・・ いやいや、根性があると言うべきであろう。 はたまた、目的を達成するまでは、諦めない強い心の持ち主と言ってもいいであろう。
まとめ(心理学的視点)
これを、良い要素ととるか、悪い要素ととるかで、ずいぶん心持が違ってくると思う。
心理学的には、これを「達成動機」と捉えることができる。
達成動機が高い人は、目標達成のために努力を惜しまない。 ただし、それが過剰になると、「執着」となり、自分の本当の気持ちよりも目的達成に固執してしまうことがある。
執念深い、欲の塊と言うと、あまり良い要素とはとれない。 だが、根性がある、諦めない心の持ち主となると、良い要素ととれるのである。
やはり、物は言いよう、価値は与えようだと思うのであった。
※「私が子供だった頃」シリーズとして、過去の記事に加筆修正を行い、新しい内容を追加しました。