夫と話をしていると、何だか私が間違ってる?私が悪いの?と思って、夫の意見に従うのだけれど、後になってスッキリしない感じが出てくる。
ということはないでしょうか?
外食を提案しただけなのだけれど
例えば、外食に行こうと夫に提案したら、「家族の食事を作るのは君の仕事だろ?僕は会社で毎日働いて仕事を全うしているけれど、外食するというのは、君が仕事放棄しているってことになるよね?仕事を放棄するっていうのは、大人としてどうだろうか?別に僕は外食はかまわないんだけどね。君が後で自分の仕事を放棄したって後悔しないかなって僕は心配なんだよね。どうする?外食に行く?」
そんなこと言う人いないだろっ!と思いました?
いるんですよ。
実際にこれを言われた人には、ご許可いただいて書かせてもらっております。
こう言われて、実際に「あっ・・・そうだよね。仕事を放棄するというのは後で後悔するだろうから、外食しようなんて私が間違っていた。外食はやめて食事を作ろう」となった。
別に外食しようが、家で食事を作ろうが、どちらが正解ということがあるわけではなく、どちらでもいいわけですから、ご夫婦二人が納得していればいいのです。
でも、このお話しをしてくださった方がそうだったのですが、後になって、心がザワつく。
何だかスッキリしないモヤッとした感じがある。
それってもしかしたら、説得されているだけであって、納得していないからかもしれません。
似ているけれど違う説得と納得
例に出したご主人の場合、明確に「外食ではなくて、家で食事を作るのが良いことである」とは一言も言っていないのですが、何だかややこしく遠回りな言い方で、家で食事を作ることが良いことだよと説明しているのです。
実際は、どっちが良いとかそういったことは全くないけれど、このご主人の場合、家で食事を作ることが良いコトというお考えなわけです。
だから、その良いコトの反対のことをすると、仕事を放棄することになるよとか、後で後悔するよとかという説明で、家で食事を作ることを説得しているわけですね。
とっても回りくどく、でもどこか正論ぽい感じがするので、聞いているうちに「あれ?私の考えが間違っているのかも?」と思ってしまうのですが、何度も言いますが、どっちが正しいというお話しではないですからね。
特に「私って、世間のこと知らないから」「私って、ダメだから」「私って、頼りないから」という感じで、自信がない人の場合、少しややこしい回りくどい言い方で、「○○だから、△△だよね?そうだよね?」と言われてしまうと、「あ・・・はい・・・そうだよね」と、よくわからないけれど、その意見に賛同してしまう。
もののみごとに説得されてしまうわけですが、納得は全くしていないのです。
納得というのは、自分自身の価値観において「そうだよね」と思えたことですから、自分で決めたという感覚を持てるのですが、説得というのは、誰かの説に流されている感覚になりますから、後々モヤッとしてしまうのです。
自分以外の人が決めたことなのか、自分が決めたことなのかという違いがあるのです。
自分自身の価値観は?
例えば先ほどのお話しの場合、ご主人の力説を聞いた後で、「そっか、あなたはそういう意見なのね。私は、外食することが仕事を放棄していることになるとは思っていないのよね。外食したいのは、たまには二人でゆっくりする時間を持ちたいと思ったからなのよね。あなたも外食は別にかまわないと言ってくれているし、今日は外食ってことでいいかな?」と自分の意見を言ってもよいですよね。
もしくは、「そっか、あなたはそういう意見なのね。私は外食することが仕事を放棄することになるとは考えていないけれど、もしあなたが家で食事をしたいのなら、食事を準備するよ」と、外食をやめてもいい。
どちらを選んだとしても、それが自分の選択した結果であれば納得できるので、モヤッとした感じはなくなります。
と、返答例を書いてみたものの、正直これって邪魔くさいですよね?(笑)
邪魔くさいのは私だけかもしれませんが・・・
別にご主人に言わなくてもいいのです。
「ん?私の考えとは違うな」と思うだけでも構わない。
そのうえで、「私にも選択権がある」と認識し、外食するのか、家で食事を作るのかを選んでいい。
もちろん、二人で食事を作ってもいいし、一人は外食で一人は家で食事というのもあり。
正解はない。
更に追加するなら、選択権はそれぞれにあるわけですから、意見がわかれることもある。
意見が分かれたからと言って、相手のことが嫌いということではないので
でも、「私って、世間のこと知らないから」「私って、ダメだから」「私って、頼りないから」というような自身のない状態で、だから「私は嫌われる」「私は捨てられる」「私は愛されない」と思っていると、相手と同じ意見に無理やりしてしまうことがあります。
でもやっぱりそれは、納得しているわけではないので、モヤッとした感じが後から出てきてしまうのです。
自分軸と言ったりしますが、納得して気持ちよく生きるためには、「私の意見」「私の気持ち」を大切に自分の価値観を持てるようにしたいですね。
自分の価値観を大切にするということも、自分を愛するということですからね。
※ご紹介させていただいたご主人は、決して悪い人でも邪魔くさい人でもありませんからね。
※ついつい理屈っぽく、自分の意見を言ってしまうタイプなだけですからね。