「私はこういう人だから」が自分を苦しくする|しっかり者の役割から降りられない心理

「私はこういう人だから」という自己概念に縛られるしっかり者の心理 対人関係に活かす心理学

「私は気が強いから、人には甘えない」

「私は頑張るタイプだから、途中で投げ出せない」

「人に頼るくらいなら、自分でやったほうがいい」

「私が弱音を吐くなんて、似合わない」

そんなふうに、自分について決めていることはないでしょうか。

実際に、これまで一人で頑張ってきた。

困ったときも、自分で考えて乗り越えてきた。

周囲からも、

「しっかりしているね」

「あなたなら任せられる」

「本当に強い人だね」

と言われてきた。

だから、自分はそういう人なのだと思っている。

ところが、その人物像を守ろうとするほど、できないことも増えていきます。

疲れていても休めない。

わからなくても聞けない。

助けてほしくても頼めない。

不安があっても平気な顔をする。

本当は嫌でも、期待を裏切らないように引き受ける。

「私はこういう人だから」という理解が、自分を支えるものではなく、自分の行動を制限するものになっている場合があります。

自己概念とは「自分をどのような人だと思っているか」

心理学では、自分自身について持っているイメージや考え方を「自己概念」と呼びます。

私は明るい人。

私は人付き合いが苦手。

私は責任感が強い。

私は恋愛には向いていない。

私は人を支える側。

私は一人で何でもできる。

こうした、自分に対する認識です。

自己概念があることで、自分がどのような人間なのかを理解しやすくなります。

何を得意としているのか。

どのような場面で力を発揮できるのか。

何を選び、何を避けるのか。

その判断にも役立ちます。

ただし、自己概念を、

「私は絶対にこういう人でなければならない」

という決まりにしてしまうと、状況に合わせて行動を変えにくくなります。

しっかり者であることが問題なのではありません。

しっかりできる自分しか認められないことが、苦しさにつながるのです。

「しっかり者」は、最初から性格だったとは限らない

自分では、

「昔から私はしっかりした性格だった」

と思っているかもしれません。

けれども、しっかりする必要のある環境で過ごしてきたために、その人物像が作られた場合もあります。

親が忙しかった。

家族の中に世話が必要な人がいた。

親の機嫌が不安定だった。

弟や妹の面倒を見ることが多かった。

自分まで困らせる側になってはいけないと思っていた。

そのような家庭では、周囲を見て動く力が必要になります。

親が疲れていれば、自分の話は控える。

家の雰囲気が悪ければ、問題を起こさないようにする。

誰かが困っていれば、自分が手伝う。

自分のことは、自分で処理する。

そうしていると、周囲から、

「あなたは手がかからない」

「本当にしっかりしている」

と評価されます。

しっかりすることで、家族を困らせずに済んだ。

認めてもらえた。

自分の居場所を持てた。

その経験があるなら、「しっかり者」は単なる性格ではありません。

その環境の中で身につけた役割でもあります。

頑張ると認められ、困ると嫌がられた

頑張り屋という自己概念も、周囲との関係の中で作られることがあります。

努力すると褒められた。

良い結果を出すと喜ばれた。

我慢していると「偉い」と言われた。

反対に、

できないと言うと困った顔をされた。

疲れたと言うと「みんな同じ」と返された。

助けを求めると、面倒そうにされた。

泣いたり怒ったりすると、扱いにくい人のように見られた。

そのような経験が続くと、

頑張っている自分なら受け入れてもらえる
困っている自分は歓迎されない

と感じるようになります。

すると、つらいときほど頑張ります。

迷っていても、自信があるように振る舞います。

助けが必要でも、

「これくらい自分で何とかしなければ」

と考えます。

周囲から見れば、ますます頼れる人になります。

そして本人も、

「私は一人でできる人だから」

と、自分を理解するようになります。

周囲からの評価が、イメージを強める

しっかり者として振る舞っていると、周囲から頼られます。

仕事を任される。

相談を持ちかけられる。

問題が起きたときに呼ばれる。

家族の中でも、調整役になる。

そのたびに、

「あなたがいてくれて助かった」

「あなたならわかってくれると思った」

と言われます。

認められることは、うれしいものです。

自分の力が役に立ったと感じられます。

ただ、それが続くと、

しっかりしていることが、自分の価値である

という感覚が強くなることがあります。

そうなると、しっかりできない日は、自分の価値まで下がったように感じます。

疲れている自分。

決められない自分。

人に頼りたい自分。

何もしたくない自分。

そのような自分を、周囲に見せられません。

「今までの私と違うと思われる」

「期待を裏切ってしまう」

「頼れない人になったと思われる」

という不安が出るからです。

「強い人」と言われるほど、つらいと言えなくなる

周囲から、

「あなたは強いから」

と言われ続けた人もいます。

本当は傷ついていた。

不安もあった。

誰かに助けてほしいと思ったこともある。

それでも、

「あなたなら平気でしょう」

「あなたは一人でもやっていけるから」

と扱われてきた。

その言葉は、褒め言葉のように聞こえます。

けれども、

あなたは支えなくてもよい人

という扱いにつながる場合があります。

本人も、

「私は強い人なのだから、これくらいでつらいと言ってはいけない」

と考えます。

誰かが心配してくれても、

「平気です」

と答える。

手伝おうかと言われても、

「自分でできます」

と断る。

相談したいと思っても、相手の負担を考えてやめる。

その結果、周囲には、本当に何の問題もない人に見えます。

そしてまた、誰からも助けてもらえない状況が続きます。

人物像から外れると、自分ではなくなったように感じる

長く同じ役割で生きていると、その役割と自分自身の区別がつきにくくなります。

頼られる自分が、私。

頑張る自分が、私。

人を支える自分が、私。

一人で決められる自分が、私。

そのため、いつもと違う行動をすると、落ち着かなくなります。

誰かに任せる。

わからないと言う。

今日はできないと断る。

不安を話す。

助けてほしいと頼む。

すると、

「こんなのは私らしくない」

「私はもっとできるはずなのに」

「随分だらしなくなった気がする」

と感じます。

けれども、今まで出してこなかった面も、自分の一部です。

疲れることもある。

誰かに頼りたい日もある。

決められないこともある。

甘えたい相手もいる。

それらを出したからといって、それまでの自分がなくなるわけではありません。

しっかりしている自分に、別の自分が加わるだけです。

自己概念を守るために、できないことを増やしてしまう

「私はこういう人」という人物像が強くなると、そのイメージに合わない行動を避けるようになります。

私は仕事ができる人だから、初歩的な質問はできない。

私は面倒見がよい人だから、相談を断れない。

私は自立している人だから、恋人に寂しいと言えない。

私は明るい人だから、落ち込んでいる姿を見せられない。

私は冷静な人だから、腹が立っても何も言わない。

周囲から見れば、いつもどおりの自分でいられます。

けれども、内側では無理が増えていきます。

質問しないため、問題を一人で抱える。

相談を断れないため、自分の時間がなくなる。

寂しいと言えないため、相手には何も求めていないように見える。

怒りを出さないため、突然限界が来る。

人物像を守ることで、かえって人間関係や仕事が難しくなることもあります。

周囲も「いつものあなた」を求めるようになる

本人だけでなく、周囲もその人物像に慣れています。

いつも引き受けてくれる人。

嫌な顔をしない人。

何でも相談できる人。

自分で何とかする人。

その人が突然、

「今回はできません」

「私にも手伝ってほしいです」

「今日は話を聞く余裕がありません」

と言うと、周囲が戸惑うことがあります。

中には、

「あなたらしくない」

「前はやってくれたのに」

「最近、冷たくなったね」

と言う人もいるでしょう。

その反応を受けると、

「やはり、いつもの自分でいなければ関係が壊れる」

と思います。

そして、また元の役割へ戻ります。

ただ、役割を変えたときに不満をぶつけてくる人は、本人そのものではなく、本人がしてくれることを必要としていた可能性があります。

こちらができることを減らしたときに、相手がどう反応するか。

そこを見ることで、その関係が何によって続いていたのかがわかります。

「私はこういう人」は、変えなくてもよい

自己概念について考えると、

「しっかり者をやめなければ」

「頑張る自分を変えなければ」

と思うかもしれません。

けれども、これまで身につけてきた力を否定する必要はありません。

しっかり考えられる。

責任を持って取り組める。

困っている人を支えられる。

必要なときには踏ん張れる。

それらは、これまでの経験の中で培ってきた力です。

問題になるのは、いつでもそれしか選べないことです。

しっかりする必要があるときは、しっかりする。

けれども、すべてを自分で引き受ける必要がないときは任せる。

頑張る必要があるときは、力を使う。

けれども、続ける意味がなくなったらやめる。

人を支えることもできる。

同時に、自分が支えてもらうこともできる。

そのように、自分の中に選べる幅を持つことが大切です。

「どんな人か」ではなく「今回はどうするか」を考える

自己概念に縛られやすい人は、

「私はどんな人間なのか」

で行動を決めます。

私は責任感が強い人だから、引き受ける。

私は優しい人だから、断らない。

私は自立した人だから、頼らない。

そこで、

今回はどうしたいのか

と考えてみます。

私は責任感が強い。

でも、今回の仕事まで引き受けたら、ほかの仕事に影響が出る。

私は人を助けたい。

でも、今日は自分の予定を優先したい。

私は一人でできる。

でも、時間がかかるので手伝ってほしい。

「私はこういう人だから」ではなく、その場の状況や自分の状態に合わせて決めます。

同じ人でも、毎回答えが違ってよいのです。

いつもの自分とは違う対応を試してみる

人物像からいきなり大きく外れようとすると、強い抵抗が出ます。

これまで何でも引き受けてきた人が、すべてを断る必要はありません。

まずは、いつもとは違う対応を試します。

頼まれた瞬間に引き受けず、

「予定を確認してから返事をします」

と伝える。

わからないことがあれば、

「ここだけ教えてください」

と聞く。

心配されたときに、

「平気です」

だけで終わらせず、

「少し疲れています」

と伝える。

相手が困っていても、すぐに解決へ動かず、

「どうするつもりですか」

と本人の考えを聞く。

頼りたいときに、

「全部ではなく、ここだけお願いできますか」

と頼んでみる。

これは、別人になることではありません。

今まで使ってこなかった対応を、自分の選択肢に加えることです。

違う行動をしたときに出る罪悪感を見る

いつもの役割と違う行動をすると、罪悪感や不安が出ることがあります。

断ったら、相手が困る。

頼ったら、迷惑をかける。

できないと言ったら、評価が下がる。

休んだら、怠けていると思われる。

この不安が出ると、すぐに元の行動へ戻りたくなります。

けれども、罪悪感が出たからといって、間違ったことをしたとは限りません。

これまで守ってきた人物像と違うことをしたため、落ち着かないだけの場合もあります。

相手の反応も確認します。

頼んだら、普通に手伝ってくれた。

断っても、関係は変わらなかった。

疲れていると言ったら、心配してくれた。

わからないと言っても、評価は下がらなかった。

実際の反応を経験することで、

「しっかりしていない自分を出したら、関係が終わる」

という予想が変わることがあります。

一方で、断ると強く責める人や、頼った途端に見下す人もいるでしょう。

その場合は、自分の出し方だけでなく、その相手との関係も見直す必要があります。

「苦労する自分」が自分らしく感じる場合もある

長く頑張ってきた人の中には、余裕がある状態になると落ち着かなくなる人もいます。

予定が空いている。

誰にも頼られていない。

問題が起きていない。

休んでもよい。

そのような状況になると、

「何かしなければ」

「こんなに楽をしていてよいのだろうか」

と感じます。

苦労している自分のほうが、自分らしく感じるのです。

これまで、困難を乗り越えることで評価されてきた人は、何も問題がないと自分の出番がないように感じることがあります。

誰かの問題を引き受けたり、必要以上に忙しくしたりして、自分が活躍できる状況を作る場合もあります。

このとき必要なのは、

「私は本当は楽をしたい人だ」

と無理に言い換えることではありません。

何も解決していない時間にも、自分の生活があると知ることです。

問題がなくても過ごせる。

誰かに頼られなくても、人との関係は続く。

何かを達成していない時間にも、自分の価値はなくならない。

そうした経験を重ねることで、苦労している自分だけに戻らずに済むようになります。

自分には、矛盾する面があってよい

人には、いくつもの面があります。

強く意見を言えるときもあれば、迷うときもある。

一人で進みたいときもあれば、誰かにそばにいてほしいときもある。

頑張ることを楽しめる時期もあれば、何もしたくない日もある。

人の世話をしたいときもあれば、誰にも構いたくないときもある。

どちらが本当の自分なのかを決める必要はありません。

どちらも、そのときの自分です。

一貫した人物でいようとするほど、今感じていることを無視しやすくなります。

「私は自立した人だから、寂しくないはず」

「私は温厚な人だから、怒ってはいけない」

「私は責任感があるから、途中でやめてはいけない」

そう考えるより、

「今日は寂しい」

「今回は腹が立っている」

「もう続けたくない」

と、今の状態を認めたほうが、必要な対応を選びやすくなります。

役割ではなく、一人の人として関わる

しっかり者や頑張り屋として長く生きてきた人は、役割を通して人と関係を作ってきたのかもしれません。

役に立つから必要とされる。

支えるから関係が続く。

期待に応えるから認められる。

その形に慣れていると、何もしていない自分を見せることが怖くなります。

けれども、人との関係は、役に立つことだけで作るものではありません。

できないことを話す。

今日は余裕がないと伝える。

相手の助けを受ける。

何も解決せず、ただ話をする。

そうした関わりの中で続く関係もあります。

カウンセリングでは、「しっかり者」という人物像を取り除くのではなく、なぜその役割が必要になったのかを整理していきます。

誰の前でしっかりする必要があったのか。

頑張ったとき、周囲はどのように反応したのか。

困った自分を見せたとき、何が起きたのか。

その人物像をやめたら、誰にどう思われると感じているのか。

そこがわかると、

「これが私の性格だから、変えられない」

という理解だけではなくなります。

これまで必要だったから、その自分を使ってきた。

今も役立つ場面はある。

ただ、すべての場面で同じ役割を続けなくてもよい。

そう考えられるようになります。

しっかりすることもできる。

頼ることもできる。

頑張ることもできる。

途中でやめることもできる。

人を支えることもできる。

自分が支えてもらうこともできる。

「私はこういう人だから」と一つの人物像に自分を閉じ込めず、そのときの自分に必要な行動を選べるようになること。

それが、自己概念に振り回されずに生きるということなのだと思います。

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「しっかりした自分でいなければ」と頑張り続けてしまう理由や、人に頼ろうとすると抵抗が出る背景を整理したい方は、カウンセリングをご利用いただけます。

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