「ありがとう」って言われてるのに、なんだかスッキリしない。
頼まれてないのに、「私やります!」って勝手に手を挙げる。
“いい人”でいたいはずなのに、なんか報われてない気がする——そんな時、ありませんか?
それ、実は“心のクセ”が原因かもしれません。
この記事では、そんな“いい人疲れ”の正体をわかりやすく解説していきます。
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👉 『“私だけ?”って思ってたけど、みんなそうだった。』#04「“いい人”のつもりが、ただの“都合のいい人”になってた」
頼まれてないのに、なぜか動いてしまう
「誰かがやらなきゃ」に追い立てられる心理
誰も名指ししていないのに、「それ私がやります!」と即答してしまう。
これ、単なる親切心だと思っていませんか?
心理学では、このような「自分が何とかしなきゃ」と感じる傾向を、過剰責任感(over-responsibility)と呼びます。
過剰責任感を持つ人は、「誰かが困ってるなら、自分が何とかしないと」という気持ちが強く、
周囲が静かにスルーしている場面でも、耐えきれずに動いてしまいます。
たとえば、会社のコピー機が紙詰まりを起こして、みんなが見て見ぬふりをしているとき。
「これ誰が直すんだろ…」という空気に耐えられず、なぜか自分が席を立ってコピー機の前に向かっている。
みたいなこと。
誰かが動くのを待つより、自分が動いたほうが早い…というより、動かずにいると落ち着かない。
この「動いてしまう」は、親切や思いやりというより、“不安を静めるための行動”になっていることが多いんです。
「動いたほうが、罪悪感を感じずに済む」
「誰かが責められるより、自分が引き受けたほうがマシ」
そんな思いが、無意識に自分を追い立てているんです。
補償行為とは?がんばりすぎの正体
「ちゃんとして見える私」は、鎧だった
補償行為(compensation)とは、心理学的には劣等感や不安を別の形で打ち消そうとする行動です。
たとえば、料理が苦手だと思っている人が、持ち寄りパーティで手作りの豪華なお菓子を何種類も持ってくる。
「すごーい!」って言われたいわけじゃなく、実は「できないって思われたくない」が動機。
これは、まさに「補償行為」。
「私はダメだと思われたくない」
「ちゃんとしてないと、人に嫌われそう」
そういった不安を隠すために、「気が利く人」「仕事が早い人」「頼られる人」を演じる。
その“演じる努力”が、補償行為です。
つまり、「自分はこれだけちゃんとしてますよ!」という証拠を、日々せっせと積み上げてる感じ。
まるで、社内で誰にも求められていない“非公式な優等生チェックリスト”を、勝手に自分でつけてるような気分なんですよね。
「ハキハキ挨拶できた」「困ってる人をさりげなくサポート」「今日も『お疲れさまです』の声かけ忘れずに」……そんな細かな“善行ポイント”を、一人でこっそり集めてる感じ。
で、ある日ちょっとでも「今日だけ早退してもいいかな」なんて思うと、 「やばい、減点される?これって“模範的な人リスト”から除外コース?」と、心がザワつく。
だからまた、完璧チェックリストを埋めるために無理をする。
こうして“がんばりのスパイラル”に、知らないうちに巻き込まれていくんですよね。
補償行為がやめられない理由
「がんばらない私」は嫌われる?
補償行為がやめられないのは、ただの“クセ”や“習慣”だけじゃありません。
それ以上にやっかいなのが、
やめたら、「ダメな自分」が表に出てしまうかもしれないという恐れ。
- ミスをしたら、笑われるかもしれない
- 手を抜いたら、「サボってる」と思われるかもしれない
- 断ったら、「冷たい人」と思われるかもしれない
この「バレたらまずい」という気持ちが、補償行為を強化します。
まるで、“がんばり仮面”をかぶって生きているようなもの。
仮面を外したら、中から「何もできない私」が出てきて、失望される気がして怖い。
いや、実際そこまで誰も見てないんですけどね(笑)
でも当の本人は本気なんです。
全力で仮面のひもを結んでる。(ひも結ぶタイプの仮面なのね)
この恐れがあるかぎり、「やらなくてもいいこと」も、「やるべきこと」にすり替わってしまう。
補償行為は、心の中の不安センサーが勝手に押す“防衛ボタン”なんです。
補償行為をしてしまう本当の原因
「ダメな私は価値がない」という前提
補償行為の奥にあるのは、「そのままの私はダメ」という自己否定の前提です。
だからこそ、何かを“足して”帳消しにしようとする。
「ちゃんとしてる自分」「役に立っている自分」でようやくOKが出せる。
例えるなら——
赤点を取った高校生が、なぜか風呂掃除を始めて「これで許してくれるやろ!」って頑張ってるようなもの。
でも実際には、人は完璧じゃなくても、愛されていいし、受け入れられていい。
ポンコツな自分も、そこにいていい。
この「ポンコツOK」があるかどうかで、補償行為への依存度は大きく変わります。
「できていない私も含めて、まぁよし」と思えたとき、
人はようやく、“がんばらない自分”でも安心していられるようになるんです。
そして行動の動機も、
- 「ダメな自分を見せないため」から
- 「やりたいから」「楽しいから」へ
たとえば、職場の誰かの雑用をつい引き受けてしまうとき。
「また私か…」じゃなくて、 「うん、今日の私はちょっとだけ優しいから引き受けてみよう」とか。
そんなふうに“選んで動いてる”感覚があると、自分との信頼関係もグッと深まるんですよね。
都合のいい人になるメカニズム
自分から差し出しておいて、あとでモヤモヤ
都合のいい人になってしまうときって、たいてい、 「いやいや、私がやるって言ったんだし…」と自分に言い聞かせながら、 心の中では「なんで私ばっかり…」とボヤいている状態です。
たとえば、「好きで作ってるだけだから」と言いながら差し出した手作り弁当。
でも食べる相手が「これうま!」だけで終わったときの、あの虚無感。
(せめて“ありがとう”くらい言って!って、心で突っ込む)
本音を言えば、「すごいね!」「助かるよ!」って言ってほしいし、 できればちょっとだけ感動もしてほしい。
でも現実はというと、周りはそれを“いつものこと”として受け取るようになるんです。
補償行為でがんばればがんばるほど、 “がんばって当然の人”として固定される。
その結果、自分の中で、「誰も私をわかってくれない…」という被害者モードがじわじわ育つ。
……いや待って。
その舞台、主演女優賞を狙って全力演技してたの、もしかして私じゃない?
って、ふと我に返ったときのあの気まずさたるや。
補償行為から抜け出すには?
小さくサボる。こっそり手を抜く。
補償行為って、やめようと思ってもいきなりゼロにはできません。
何十年も培ってきた“生存スキル”ですから、そう簡単には捨てられない。
そこでおすすめなのが、「比率を下げる」作戦。
たとえば——
3つ頼まれごとがあったら、2つはがんばって、1つは“そっとスルー”。
全部引き受けるんじゃなくて、「今日は肩の調子が悪いので」くらいのノリで、 できる範囲だけやる。
あるいは——
「私は気が利く人」キャラから、「ちょっと抜けてるけど、なぜか憎めない人」キャラに、 ゆる〜く方向転換していく。
気づかれないくらいのフェードアウト感で。
たとえば——
お客さんに出すお茶、今までは完璧に角度まで揃えて配ってたのに、最近は「湯呑みの柄、こっち向いてたっけ?ま、いっか」くらいの雑さがじわっと出始める。
とか、
上司に言われた「あとででいいよ」を、「じゃあ、明日でいいっすか?」と真に受けてみる。
気づかれないくらいのフェードアウト感で、こっそり「気が利く人」キャラを脱いでいく。
でもなぜか、「最近ちょっと柔らかくなった?」と評価が上がる謎現象。
いきなり補償行為ゼロを目指すんじゃなくて、 “ちょっとポンコツな私”も表に出してみる。
それだけで、人間関係の温度がじわっと変わってきたりします。
“やりたいからやる”を選べる私へ
義務感のエネルギーは、長持ちしない
「やらなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」って、 ある意味、すごく強いモチベーションなんです。
でも、ガソリンで言うなら“粗悪燃料”。
最初は勢いあるけど、だんだんエンジンが焼きついてくる。
それよりも——
「やりたいからやる」
「楽しいからやってみる」
そういうモチベーションは、じわじわ持続する再生可能エネルギーみたいなもの。
でもそれを使えるようになるには、 “できない私”“完璧じゃない私”を受け入れることが必要なんです。
たとえば、ちょっと失敗をやらかした日。
前なら「ヤバい!取り返さなきゃ!」って全力で穴埋めしてたのを、
「まぁ人間だし」「今日は“エネルギー切れたロボット仕様”ってことで」くらいで済ませてみる。
そうすると、ほんのちょっとですが、
“がんばりのバランス”が変わってくるんです。
まとめ:補償行為を手放すと、いい人の質が変わる
“いい人”って、何でもできる人じゃない。
自分のキャパも気持ちも大事にできる人のこと。
自分で自分を追い立てず
自分を帳消しにしようとせず
「ちゃんとやってる風」じゃなく、「ちょっとサボりつつも誠実」
そんな“ゆるくてあったかい人”こそ、本当の意味で「いい人」なんじゃないでしょうか。
ポンコツな私も、便利な私も、どっちもいるけど、
その真ん中あたりで、今日もほどよくやっていこう。
“都合のいい人”をやめたら、ちゃんと自分が残った。
そんなふうに笑える日が、少しずつ増えていきますように。
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