選挙と聞くだけで大変な気分になる理由
実は私は、選挙と名のつくものが、あまり好きではありません。
なぜか?
『選挙 = とっても大変』と思っているからです。
なぜ、とっても大変というイメージがあるかと言うと、私の母方の祖父は、地元の市会議員を何期か知らないですが、務めた人でした。 よって、私は幼い頃に、よく選挙カーに乗せられていたのです。 もちろん、うぐいす嬢ではありませんよ。
選挙となると、家族総出で、選挙活動を手伝っていたようですので、親戚のおじさん、おばさん、お兄ちゃん、お姉ちゃんまで、駆り出されていたのではないかと思います。 よって、幼い私の子守をする人がいません。 仕方ないので、選挙カーに同乗させられ、グルグルと走り回っていたのであります。
幼稚園児の選挙体験
祖父の何回目かの選挙の時、私は幼稚園に通っていました。 幼稚園が終わる頃には、母が迎えにきてくれていたのですが、その日は、幼稚園の先生が私をバス停まで送ってくれました。
そして、『○○って言うバス停で降りるのよ』『ちゃんと先生が、運転手さんにお願いしておいてあげるから、大丈夫だからね』『バス停には、お母さんが待っていてくれるからね』と、先生が私に言います。
不安はあったものの、降りるバス停は、母の実家近くでしたから、何度か母と降りたことがあるバス停です。 ドキドキしながら、一人バスに乗り込むと、あっと言う間に目的のバス停に到着しました。 なんたって、今思えば、幼稚園からすぐの、隣のバス停なわけです。 歩こうと思えば歩けちゃう距離なのですが、子供にとっては、いつもと違うことをするというのは、かなりのドキドキで、相当緊張しておりました。
そして、バス停に到着すると、母が待っていてくれました。 ホッと安心する暇もなく、選挙事務所に連れていかれ、幼稚園カバンと帽子を置いて、その辺に置いてあるお茶菓子を持たされ、車に乗せられます。
車は、いわゆる選挙カー!!
選挙カーに乗せられ、お腹がすいてたまらなくなる時間まで、『○○をお願いします!』『○○はやります!頑張ります!』の声を聞きながら、ただじっと車に乗っておりました。
やっと選挙事務所に帰ると、おにぎりだとか、お漬物だとかの食事を食べます。 そして、当時私達が住んでいた家よりも、選挙事務所に近かった父の実家に帰って、お風呂に入って寝かせられます。 それから何日も何日も、同じ事が繰り返されるのです。
子供ながらに、とっても大変でした。 そして、とっても疲れました。
選挙が終わった日の記憶
今思えば、選挙活動が終わった日なのだと思うのですが、やっと自分達の家に家族4人で帰宅した日の光景を、私は鮮明に覚えております。
家の鍵を開ける父、その後ろに、母に手をつないでもらった私と兄。 父がガチャッと、ドアを開けると、ドサッ!!と音がなる。 父が中開きのドアを、力を込めて押さないと、ドアが開かないぐらいに玄関の床に新聞が溜まっていました。
父と母は、黙々と新聞を片付け、家族4人が順番に淡々とお風呂に入り、それぞれの布団で、チーーーーーーン!!と、ご就寝。
そして、幼稚園児は思ったのです。
『選挙って、大変だ!!』
この経験により、私は未だに、選挙と名のつくものが苦手なのです。 自分が選挙に出るわけでもないのに、選挙と聞くと、『大変だ・・・』と、あの時の大変な感覚に襲われるのです。
幼少期の体験と刷り込み(心理学的視点)
このように、幼少期の強い体験は、大人になっても心に深く刻み込まれます。
こうした経験が「刷り込み」として記憶されることがあり、無意識のうちに特定の感情や行動に結びついてしまうのです。
例えば、「選挙 = 大変」という感覚は、幼児期の記憶が強烈だったため、選挙の話を聞くだけで無意識に疲れた気分になってしまうのです。
これは、過去の経験が現在の行動や感情にどれだけ影響を与えるかを示す例でもあります。
まとめ
幼児期の体験って、本当に根強いものです。
私は自分が選挙に出るわけでもないのに、選挙と聞くと『大変だ・・・』と感じてしまいます。
心理学的に見ても、幼い頃の体験は、無意識のうちに価値観や感情に影響を与え続けることがあります。
アイドルの総選挙の時も、テレビを見ながら一人勝手に大変な想いになっていたのでした。
別に私が、じゃんけんする訳でもなく、会場で一喜一憂するわけでもないのに、勝手に大変な気分が、私の中でヘビーローテンションになり、とても疲れるのです。
※「私が子供だった頃」シリーズとして、過去の記事に加筆修正を行い、新しい内容を追加しました。