私が子供だった頃 ~ピアノ発表会とフリーズ少女の心理~

ピアノ発表会で緊張する 心理学の基礎
シャイな少女が、ピアノの発表会で立ち尽くしたあの日の記憶

いまでこそ、人前で話すのが大好きな私ですが、昔々は、とてもシャイな女の子だったのです。

信じられないかもしれませんが、自分で言うのもなんですが……シャイで、かわゆい女の子だったのです!(ここ、声を大にして言わせてください!)

やんちゃな兄の存在が大きかったからか、目立つのはいつも兄。 私は、いつもその「付録」みたいなポジションで、自分のことを“おまけ”だと認識していました。

自分がおまけではなく、表舞台に立てるのは、唯一ピアノの発表会だったのですが……実は私、ピアノがあまり好きではありませんでした。

「おまけ」として始まったピアノ

ピアノを習い始めたのは、父方の祖父母と同居を始めた頃。 隣に住んでいた叔父一家の従姉妹が「ピアノを習いたい」と言い出し、それに便乗する形で、私は“おまけ”としてピアノ教室に通うことになったのです。

つまり、「やりたいこと」ではなく「やらされること」。

人間、「やらされてる」と感じていることには、なかなか情熱が湧きません。 案の定、私はちっとも練習しませんでした。

表舞台で起きた“事件”

そして迎えたピアノの発表会。

拍手で迎えられ、ピアノの前に座るも……普段の練習不足プラス、めったにない表舞台での緊張感で、フリーズ。

ポロンポロン……からポロ……そして無音へ。

でもここで驚くべきなのは、私はシャイなくせに、最終的な度胸だけは据わっていたということです。

「弾けないものは弾けない!」と、両手を膝の上に置いて、ただまっすぐ前を見つめていたのです。

ピアノの前で「煮るなり焼くなり好きにして下さい!」状態。

背後からは、バタバタバタと取り乱した足音が聞こえてきて、私の目の前に、楽譜がドサッ!

血の気が引いた顔のピアノの先生が、駆け寄ってきたのです。 私の肩にそっと手を置いて「頑張って弾こうね」と耳元で囁かれました。

「もう無理です!」「もう弾けません!」状態だったのですが、先生のあまりの悲壮さに、「これは弾いてあげないと気の毒だな」と思い、楽譜を見ながら仕方なく弾きました。

そして、なんとか弾き終わり、観客に向かって一礼。

割れんばかりの拍手!

みなさん、緊張のあまり曲を忘れた少女が、頑張って最後まで弾き終えたと感動してくださったのでしょうね。 この少女は、ピアノが嫌いで、まったく練習していなかったとは、夢にも思っていなかったのでしょう。

でも、その後はもちろん、母や祖母、ピアノの先生にこっぴどく怒られました。 「だから、練習しなさいて言ったでしょ!」と口々に怒られながらも、私は心の中でこう叫んでいたのです。

『ピアノは嫌いなのよっ!』

言えなかった気持ちは、やがて表に出る(心理学的視点)

この場で、「ピアノが嫌いだ」「ピアノを辞めたい」と言えればよかったのですが…… おまけの分際で、そんなこと言えないと思っていた私は、口に出すことができませんでした。

心理学的に言えば、言えなかった気持ちは、心の奥底に抑圧されていきます。 そして、抑圧された感情は、やがて行動という形で表に出てくるのです。

つまり、発表会でフリーズしたのは、「ピアノが嫌いだ!」という私の無言の叫びだったのかもしれません。

「言わないけど、この態度で察してよ!」という、ちょっとひねくれた自己表現だったのですね。

まとめ

子供の頃、自分の気持ちを言葉にできなかった私は、行動でしか気持ちを表せませんでした。 でも今なら思います。

ちゃんと「嫌い」と言ってよかったんだと。

気持ちは抑えるより、素直に言葉にして伝える方が、ずっと健康的で、人間関係もラクになります。

この経験が教えてくれたのは、「言葉にして初めて、気持ちは人に届く」ということ。

今も「なんとなくやらされてる」ことに疲れている人がいたら、ちょっと立ち止まって、自分の本音を見つめてみてくださいね。

※「私が子供だった頃」シリーズとして、過去の記事に加筆修正を行い、新しい内容を追加しました。

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