最近、なんだか疲れやすい。
何をしても達成感がない。
なのに、なぜかじっとしていられない。
——そんな日、ありませんか?
朝起きて、「さて、今日も全力投球!」と気合いを入れているわけでもないのに、
気づけば無意識に「ちゃんとしなきゃスイッチ」がONになっている。
たとえば、朝の洗顔。
1分で済むはずのスキンケアを「美容家か!」ってくらい真剣にこなし、
仕事のメールには、誰も気にしてない一言一句にまで魂を込める。
「お疲れ様です」に、どれだけのニュアンスを込めるかで一日を終えるあなた。
……ええ、それ、がんばりすぎてます。
がんばるって、そもそもなんなん?
「がんばる」って、聞こえはいいんですよね。
努力とか、忍耐とか、責任感とか……日本人がつい崇めがちな言葉たちと仲良し。
でも実際、心理学的には「がんばりすぎ」は要注意です。
なぜかというと、その裏には“恐れ”や“欠乏感”が隠れていることが多いから。
たとえば…
- 「ちゃんとしなきゃ嫌われるかも」
- 「私がやらなきゃ、誰もやってくれない」
- 「迷惑かけたら終わり」
- 「私が役に立たないと、存在価値ない気がする…」
——これ、全部「がんばらなきゃ」の正体です。
つまり、「がんばる」は意志じゃなくて、恐怖に追い立てられた自動運転。
しかも、やっかいなのがこの自動運転モード、OFFボタンが見つからない。
休もうと思っても、
「えっ、休むって何?罪悪感でむしろ疲れますけど?」
と、謎の脳内AIが返してくる。
この状態、心理学的には条件づけられた行動パターンとも言えます。
幼い頃に「いい子」でいることで得られた愛情。
頑張ることでやっと得られた安心感。
その名残が、大人になった今も生き延びているのです。
「がんばり屋さん」は、実は過去の“生き延び戦略”を、今も誠実にやっているだけ。
……泣けますね。
がんばりすぎると、どうなるの?
がんばるって、ある種の才能です。
根性、持久力、自己犠牲、気配り、空気読み、理想への執着……。
どれも「がんばり力」を支える強靭なメンタル筋群。
でも、この筋肉たち、鍛えすぎると逆効果。
心理学で言えば、「過剰適応(over-adaptation)」という状態。
つまり、“人に合わせすぎて、自分がどこにいるのかわからなくなる”ってやつです。
たとえば、こんな症状が出てきます:
🌀休んでも、全然休まらない
ソファに座ってスマホを見ていても、
頭の中は仕事・家事・人間関係・冷蔵庫の卵の在庫でフル稼働。
そして「今日なにかやり残してない?」という疑惑が心に忍び寄る。
最終的には、「ダメだ私、こんなんで」と反省タイムに突入。
休み時間が“内省という名の査問会”にすり替わるこの現象、
わりと多くのがんばり屋さんが体験してます。
🌀優しくされると、なんかムズムズする
「今日、ゆっくりしてていいよ」と言われたら……
なぜかムッとする。
「え、なにそれ。私が無能ってこと?」
「てか、休んでる私って……存在価値あるの?」と不安になる。
これは、「頑張ってるとき=自分にOKが出る」ように条件づけられてきた証拠。
頑張っていない自分には、無意識に「存在する資格がない」と感じてしまう。
……いやもう、誰がそんな厳しいルール作ったの?(多分、昔の自分です)
🌀どんどん「自分らしさ」がわからなくなる
他人の期待、役割、世間の評価——
それらに合わせ続けると、やがて“本来の自分”がどこかに迷子になる。
「自分って、何が好きだったっけ?」
「最近、心から笑ったのっていつ?」
こんな問いが浮かんでくるときは、
“誰かのための自分”を演じすぎて、素の自分が奥底に引きこもってる状態。
ちなみに、自分らしさを取り戻すためには、
ちょっと勇気がいる“サボり”や“ゆるみ”が鍵になります(これ、後でゆっくりと)。
🌀そしてついに、「がんばるのがしんどくなる」
頑張ることがアイデンティティだった人にとって、
それがしんどくなるって、ある意味**“人生の一大事件”**。
「え、私の武器が、もはや自分を削ってる…?」
「やばい、燃料切れ。でも止まったらもっと不安」
こんな“がんばりの限界”が来たとき、
ようやく私たちは“別のやり方”に目を向ける準備が整います。
だから、しんどくなったのは、ある意味で“チャンス”。
新しい生き方への入り口なんです。
優しさって、どうやって手に入れるの?
「もっと自分に優しくしましょう」
このセリフ、自己啓発でもセラピーでも、おそらく日本の空でも一日一回は鳴り響いてるレベルで聞きます。
でも、聞いたことがある人ほど、こう思ってるんです。
「で、優しくするって……何すればいいの?」
🍵“やさしさ”の誤解
まず、よくある誤解から。
「優しくする=甘やかすこと」
──違います。
「優しくする=高級スイーツを買ってあげること」
──惜しいけど、たぶん糖分の摂りすぎです。
「優しくする=もう全部やめて無職になること」
──それ、優しさじゃなくて現実逃避かもしれません。
☘️心理学的に言うと
“優しさ”って、心理学的には**「自己受容」**のひとつ。
つまり、自分の感情や状態、ミスや不器用さを否定せずに、
「そうだよね」と、まず肯定してあげる態度のこと。
たとえば——
- 「またイライラしちゃった…ダメな私」ではなく、
→「そりゃ疲れてたらイラつくよね。よく頑張ってたよ、私」 - 「なんでこんなこともできないの?」ではなく、
→「できないのには理由があるんだろうな。無理させすぎたかな?」 - 「またサボっちゃった…」ではなく、
→「今は休む時期なのかも。回復も大事な仕事だよね」
そう、優しさって“行動”というより**“姿勢”**なんです。
🧩じゃあ、どうしたら身につくの?
ここが最大のハードル。
なぜなら、「優しさ」は“戦略”ではなく、“経験”だから。
実際に、自分にやさしくしてもらった体験が少ないと、よくわからないんです。
たとえば、こんな人は要注意:
- 小さい頃、感情を否定された(泣いたら怒られた、甘えると突き放された)
- ミスをすると「なんでこんなこともできないの?」と言われて育った
- がんばって“いい子”だったのに、報われなかった
……ね?
優しさ、どこで習ったらいいのかわからなくなってきますよね。
だからこそ、優しさは**“思い出すもの”ではなく、“体験しなおすもの”**なんです。
🪞鏡のように返してくれる存在
優しさは、ひとりでも育てられるけど、
いちばん効くのは“他人のまなざし”だったりします。
・叱られずに、気持ちを聞いてもらったこと
・できない自分を否定されずに、そばにいてもらえたこと
・無理に変えようとせず、「そのままでいいよ」と言われたこと
そんなやりとりを通して、
「あ、私ってこのままでも、受け入れてもらえるんだ」
と、“体でわかる”瞬間が訪れる。
そうなると、自分でも**「じゃあ、私も私に優しくしよっかな」**って思えてくる。
やさしさって、こうやって少しずつ、肌に馴染んでいくものなんです。
🎈つまり、優しさはスキルじゃなくて「関係性」から育つ
“誰かとやりとりしながら、
自分への接し方を変えていく。”
——そんな経験を、私たちはもう一度、大人になってからやり直すことができるんです。
それって、けっこうすごいこと。
そして、やっぱり一人よりも、誰かと一緒のほうがラクなんですよね。
優しさを取り戻す1DAYワークショップ
がんばることをやめなくてもいいんです。
むしろ、がんばる力があるって、素晴らしい才能です。
問題は、「がんばり“すぎる”ことが当たり前になって、優しさが行方不明になってる」状態。
誰かのために、役に立つために、
一生懸命に自分を削ってきたあなたへ。
そろそろ、“やさしさの受け取り方”を練習してもいい時期かもしれません。
🌿 「優しくされること」に慣れていく1日
このワークショップでは、
「こうすれば優しくなれますよ!」なんて方法論はお伝えしません。
そのかわりに、
“自分を責めない時間”を過ごすこと
“ただ一緒にいてくれる誰か”と繋がること
“がんばらない”ことを許可する体験を、少しずつ、ゆっくりと重ねていきます。
それは、どこか懐かしくて、
でも大人になった今だからこそ沁みる、
そんな1日になるかもしれません。
☕ たとえば、こんな方におすすめです
- 「もっと頑張らなきゃ」が口グセになっている方
- 頑張るのをやめたとき、自分に価値がない気がして怖い方
- 周りには優しくできるのに、自分にはどうしても厳しくなる方
- 「優しくするって何?」と、正直まだピンときていない方
——これ、全部かつての私です(笑)
でも、ここから少しずつ変わってきました。
自分に対するまなざしを変えるだけで、
見える景色が、ほんのりやさしくなったんです。
🎁 最後に、ちょっとお誘いを
がんばるのが悪いわけじゃない。
ただ、がんばりすぎた心には、
ちょっとの「ゆるみ」と「ぬくもり」が必要なんです。
そんな体験を、リアルな場でご一緒できたら嬉しいです。
よろしければ、こちらから詳細をご覧ください。
📍1DAYワークショップ開催のお知らせ
「頑張りすぎた心に、そろそろ優しさを」
🗓 2025年6月21日(土)|対面開催(関西エリア)