感じるって、生きるのに必要?〜“女性性”がうまく出せない理由と、その癒し方〜

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ふわっとした柔らかさを取り戻す、第一歩に

「受け取っていいよ」「感じてごらん」って言われても、正直ピンとこない。
行動モードで生き抜いてきた人にとって、“女性性”はちょっと遠い存在かもしれません。
今回は、女性性が出せない理由と、その背景にある「がんばらざるを得なかった日々」を癒していくプロセスを、やさしく・ユーモアを交えてお届けします。

その余裕、いったいどこから?

「感じるって、大事よ」「もっと受け取っていいんだよ」

——最近よく耳にする“女性性”にまつわる言葉たち。
たしかにそうかもしれないし、言っていることもなんとなくわかる。
でも、心のどこかでふと、こんな思いがよぎることはないだろうか。

「それ、サバイバルに必要だった?」

感じることより、動くこと。
受け取ることより、与えること。
「甘える」なんて選択肢より、「自分で何とかする」方が早かった。

そんなふうに日々を回してきた人にとって、“女性性”という言葉は
なんだかちょっと遠くて、正直ピンとこないこともある。

だって…

女性性?あー、なんか“朝からハーブティー淹れてる人”でしょ?

こちらは、朝からコーヒー片手にToDoリストとにらめっこしてるんですけど。

女性性は、生き残るための必需品じゃなかった

極端な言い方になるけれど——
女性性、つまり“感じる力”や“受け取る力”って、
生き残るためには、必ずしも必要なものではなかった。

むしろ、感じすぎると動けなくなる。
心を開きすぎると傷つく。
誰かを頼りすぎると、見捨てられる。

そんなふうに経験を重ねるうちに、
「今は感じてる場合じゃない」「とにかくやらなきゃ」
という思考が当たり前になっていく。


たとえば——

幼い頃、家の中でいつも誰かが怒鳴っていた。
両親は口を開けば喧嘩、何かを頼めば「うるさい」「今それどころじゃない」と突き放される。
そんな環境では、「感じる」ことなんてしていられなかった。

悲しさや不安に浸っていたら、もっとつらくなるだけ。
だから、気づかないふりをして、静かに部屋の隅でお絵かきをしたり、
誰にも頼らずに、自分で着替えて、洗濯物をたたんだりするような幼児になった。

そうやって「感じる」よりも「動く」「がんばる」で生き抜いてきたからこそ、
“女性性”にあたる部分は、自然と封印されていく。

それは、“がんばりすぎた”というよりも、“そうするしかなかった”というだけのこと。
感じる余裕なんて、そもそも存在しなかったのだ。

「女性性が出せない」んじゃない、“封印してきただけ”

「なんで私は、受け取るのがこんなに苦手なんだろう」
「素直になりたいのに、どうしてうまくできないんだろう」

そんなふうに思うことがあるかもしれません。
でも、それって本当に“できない”のでしょうか?

もしかすると——
できないのではなく、やらないようにしてきた。
もっと言えば、やったら傷つくから、そっと封印してきた。
ええ、それはもう、“冷凍保存”レベルで。

※ちなみに、これを心理学では「抑圧」と呼びます。
感じたらつらすぎるから、無意識のうちにフタをしてしまう——そんな心の防衛反応です。


たとえば幼い頃、
「ねぇ、見て見て!」と声をかけたのに、誰にも見てもらえなかった。
「一緒にやってほしい」と頼んだら、「自分でやりなさい」と突き放された。

そんなことが続けば、
「頼るのはダメなこと」「甘えるのは迷惑」だと感じるようになるのも無理はありません。

そうして「自分で何でもやれる子」になっていった結果、
「頼っていいよ」「受け取っていいんだよ」と言われたときに、
どうしていいかわからないのは当然なんです。


でも、本当は「できなかった」んじゃない。
あの頃は、そうせざるを得なかった。

だから今、「受け取りたい」「感じたい」と思いはじめたとき、
当時感じられなかった感情が、“時差”であふれてくる。

(ちょっと時差ひどくない?こっちは明日締め切りなんだけど…)

それくらい長く、がんばって守ってきた証でもあるのです。

“ゆるむ”ことが怖いのは、生き抜いた証

「もっと力を抜いていいんだよ」
「がんばらなくても、受け取っていいんだよ」

そう言われても、正直うまくできない。
ゆるもうとした瞬間、逆に全身に力が入ってしまうような…そんな感じ。

でも、これは心がかたくななわけでも、頑固だからでもありません。

むしろ、ゆるまなかったから、生き抜いてこられた。


長年「しっかり者」で生きてきた人にとって、
ゆるめるって、“自分を崩壊させるスイッチ”みたいに感じてしまう。
だから簡単に緩めるわけにはいかないんです。

でも、「ゆるむ=何もかも手放すこと」じゃありません。

本当の“ゆるむ”って、「今の私はもう大丈夫かもしれない」と
自分を少しだけ信じてあげること。

…とはいえ、誰かを信じるなんて、簡単じゃないですよね。
でもそれならまずは、“今の自分”を信じてあげるところから始めてみてもいいのかもしれません。

行動優先の男性とぶつかる理由──女性性と競争のはなし

頑張ってきた人ほど、恋愛や人間関係の中でこんな場面に出くわします。

「どうして私は男性と対等に話してるだけなのに、張り合ってる感じになるんだろう」
「私の方が段取り上手なのに、なんで疲れるんだろう」

それは無意識のうちに、“男性性”モード(行動・結果・責任)で動いているから。
相手の男性も同じようなモードでいた場合、自然と“対決構造”になってしまう。

でも、女性性を少しずつ思い出していくと——
“競争”より“つながり”に意識が向くようになる。

「それ、ありがとうね」とちょっと笑って言ってみる。
「うまく言えないけど、なんか嬉しいかも」と、ふわっと伝えてみる。
(おお、今ちょっと“ふわっ”てした!…気がする!!)

その一言が、争いのスイッチをオフにしてくれることもあるんです。

👉 関連記事: 推し活してるときが一番“素直な私”かもしれない説

“感じる”って、どうやって取り戻せばいいの?

女性性って、「感じる」「受け取る」「ゆるむ」などと言われるけれど——
頭ではわかっても、いざやろうとすると、ちょっと戸惑いませんか?

「感じるって、何を?」
「“素直になる”って、どうやるんだっけ…?」


“感じる”って、がんばって発揮するものじゃないんです。

女性性は、“ゆるんでるときに、じわっとにじみ出るもの”。

だから必要なのは、何かをすることではなく、“余白をつくる”こと。


たとえば:

  • 朝、窓を開けて深呼吸してみる
  • お気に入りのカップでコーヒーを飲む
  • 「今日ちょっと疲れたな〜」とつぶやいてみる
  • 「気持ちいい〜!」と、声に出してみる

そして、自分の“受け取れた”瞬間を、ちゃんとキャッチしてあげる。

「ありがとうって言えたな」
「ちょっと頼れたかも」
「え、今の私…かわいかったかも?」

最初はぎこちなくて当然。

「ありがとう……(カッチカチ)」
「助かる……(目が泳ぐ)」
「うれしい……(棒読み)」

でもそれでいい。少しずつ、ちゃんと“感じる私”が戻ってきます。


👉 実践的に“受け取る練習”をしてみたい方はこちらも:
“女性性ってどう出すの?”に本気で答えてみる——ゆるめる勇気と受け取る練習

“がんばる私”と“受け取る私”は共存できる

「女性性って、ふわふわした理想じゃなくて、地に足ついた“生き方の余白”なんだな」
そう感じられたら、それだけでもう第一歩。

そして大切なのは、これ。

“がんばる私”を手放さなくてもいい。
“受け取る私”とも、チームを組めばいい。


がんばってきた自分には、ちゃんと理由がある。
でも、もし少し余裕が出てきたなら——
その強さの奥にあった、見て見ぬふりをしてきた気持ちに、
そっと目を向けてみてほしい。

「本当は、こわかったね」
「頼りたかったよね」
「ちゃんと感じて、いいんだよ」

そんなふうに、過去の自分を理解してあげることも、女性性の目覚めの一部です。


とはいえ、凍らせてきた感情をいきなり解凍するのは、簡単なことじゃありません。

「開けたら止まらなくなりそう」
「凍らせてたから、今まで生きてこれたのに」
「そもそも、解凍の仕方なんて知らない」

それも当たり前の反応です。


だから、ひとりで抱え込まなくていい。

安心できる相手に話してみることでも、
凍っていた感情は、少しずつ“常温”に戻っていきます。

信頼できる友人でもいいし、
必要なら、カウンセリングという“安心して話せる場”を使うのもひとつの選択肢。

“解凍”は、ひとりで全部やらなくていい。
人のあたたかさを借りて、自分を少しずつゆるめていけたら——
それも、ちゃんと癒しの一歩です。


今日からいきなり「ふわふわ」にならなくても大丈夫。
ちょっと立ち止まって、感じてみる。
そして、あの頃の自分に「もうひとりじゃないよ」と伝えてみる。

それだけで、女性性はちゃんと、息を吹き返してくれます。

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