私と元パートナーである困ったちゃんとの、様々なエピソードをご紹介しつつ、浮気などの多くの問題に隠れている心理を、わかりやすくご紹介するシリーズです。
まずは見た目からと思うけれど
お母さん役を通り越して、もはやおっさん化してしまった状態……。
中身は、かわいらしさがある女なのですが、おっさんの「着ぐるみ」を着ているようなものです。しかも!長年、着ぐるみを着用した結果、肌に着ぐるみが癒着してしまっています。着ぐるみを脱ぐには、相当な痛みが伴うわけです。
まずは見た目から女らしさを追求しようと、ファッションから取り掛かる事にしたのですが、どうも私の頭の中では、「女らしい=フリフリスカート」とか「女らしい=ピンク色」などの固定概念が出来上がっており、やろうとすると、おっさんがピンク色のフリフリスカートを履くイメージになってしまうのです。
こりゃ気持ち悪い……
そんな時、私にソックリの娘が言うのです。
「お母さんのクローゼットの中は、色が悪い!」
何も、カビだらけだとかそういう事を言っているのでは、ありません。クローゼットの中は綺麗に掃除してあるのですが、並んでいる洋服の色が、黒・紺・ベージュ・茶色などと暗いのです。
そうだ!私は元々オレンジ・赤・黄色・グリーンなど、鮮やかな色が好きだったのだ。すっかり忘れていたが、そうだったのだーーー!!!
仕事をするのに、着まわしがきくようにと、同じような色ばかりを、揃えていた結果、クローゼットの中の色が悪くなってしまっていたのでした。
原点に返るぞ!とばかりに、着まわしがきくという判断基準を捨て、好きな色の洋服を買う事にしたのです。
何もピンク色のフリフリスカートを履くことが、女らしくなることではないのです。私は気付いたのです。自分らしくファッションを楽しむことが、女らしさを磨く事になるのです。この時から、おっさんの着ぐるみを着た私が、ピンクのスカートを履くというおぞましいイメージを手放し、本来女として生まれた自分が、好きな色の洋服を着るという美しいイメージに変化していきました。
マニキュアを塗って、手のお手入れをする事も再開しました。遠い昔はやっていたのですが、子育てや仕事をするようになり、「やっても無駄」「どうせすぐに剥がれる」と、いつのまにやら、やらなくなっておりました。
生まれたときから女だったはずなのです!それを思い出しましょう!マニキュアを塗る時は、おっさんの着ぐるみを脱ぐのです。少々痛い気もしますが、脱いでしまえば、マニキュアを塗って、綺麗な手になる自分を気持ち悪いなどと思いませんよ。
着ぐるみは自己概念
私が着ぐるみと表現しているのは、自己概念のことです。
「私は〇〇である」という言わば自分で作った自分像であり、自分を制限する思い込みなのです。
自己概念は、様々な理由で作られていきますが、自己概念というだけあって、自分が作った概念ですから、言い換えれば自分で変えることができるということでもあるのです。
「私は、おっさんだ」という自己概念は、私が作ったものですから、「私は、女性である」という自己概念に変えていくことが自分でできるのです。
私たちは、様々な自己概念を持っています。そして、その自己概念から外れないような言動をとって生きています。
その自己概念から外れそうになると、「私そんなキャラじゃないから」とか「それは私じゃない人のように感じるから」とか、それなりの言い訳が沸き上がってきます。でも、そのキャラは誰かほかの人が作ったものではないのです。
何らかの経験をして、何らかの理由があって、自分自身が作ったものなのです。
自己概念を変えていこうと、今までと違う言動をとろうとすると、急に恥ずかしくなったり気持ち悪くなったりして、ものすごく抵抗感を持つものですが、やってみる価値は十分にあります。
女性として見られるのが恥ずかしい
さてさて、おっさんからの脱却として、まずは見た目からと言う事で、ファッションを変えたり、マニキュアにチャレンジしたりしました。これをやりだすと、自然と楽しくなるのです。
よく「ポジティブに!」とか「前向きに考えましょう!」などと書かれている本を見るのですが(私もよく読んでおりました)気分が落ち込んでいるときに、「ポジティブに考えよう!」としても、ほとんどが無駄な抵抗に、終わってしまいます。
でも、楽しい気分になってくると、無理矢理ポジティブになろうとしなくても、自然とそうなれるものなのですよ。
おっさんがやらないことをやる
今でこそ、オジサマ方もファッションに気を使っておられますが、私が着ていた着ぐるみは、「オジサマ」ではなく「おっさん」だったので、自分らしいファッションに挑戦したり、マニキュアを塗ったりするなどは、着ぐるみを脱ぐには、効果的面でしたよ。「おっさん」が、やらない事をやるのですっ!!
お肌のお手入れなども、「おっさん」はやりませんよね。おしゃれ男子や、オジサマはお肌のお手入れやメイクなどもするかもしれませんが、いわゆる「おっさん」は、お肌のお手入れやメイクとは無縁ではないかと思うのです。
「おっさん」を、否定しているのではないのです。
私は、力強い腕力あふれる頼もしい「おっさん」には、なれないのです。だって女性として生まれましたからね。
女性として生まれたものの、年月がたつにつれ、おっさん化してしまったのです。いつしか、おっさんの着ぐるみを着ている自分が、本当の自分だと思い込んで暮らしていた結果、困ったちゃんは、女性を求めてさ迷い歩く事になってしまったのであります。(泣)(もちろん浮気の原因は、それだけではないですけどね)
恥ずかしさが最大の敵になる
最初のうちは、着慣れたおっさんの着ぐるみを脱ぐ事に、かなりの抵抗がありました。
だって、着ぐるみ脱いだら女性なんです!
恥ずかしい!!
女性として生まれたくせに、女性の姿を見られるのが恥ずかしいというのも、おかしな話なのですが、元々どうしておっさんの着ぐるみを着る事になったか?を、考えるとわかるのです。
「女である自分が恥ずかしい」そんな風に感じた事があったから、まずは、母の着ぐるみを着て女を隠し、それでも駄目だったから、おっさんの着ぐるみを着たのです。そうです!私は、女である事が恥ずかしかったのです。
「だって女は役に立たないじゃん」「女なんて弱くて駄目」そんな風に、女性に対する私のイメージは、良いものではなかったのです。ですから、そんな自分は恥ずかしいからと着ぐるみを着て、隠す事となったのです。
私が着ぐるみを着ていたなんて、まったく知らなかったよ!知っていたら、さっさと着ぐるみ脱いで、かわいらしいお嫁さんになれたのになぁ~
まとめ
自己概念は私たちが無意識に作り上げ、人生の中でそれを基に行動してしまうものです。おっさんの着ぐるみを脱ぎ、女性として自分を再発見していく過程は、痛みを伴うものではありますが、それを乗り越えることで真の自分を取り戻すことができます。自分の意識を変え、心地よい自分でいられることが大切です。
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