私の問題じゃん!
自分の問題として捉える必要あり!
私と元パートナーである困ったちゃんとの、様々なエピソードをご紹介しつつ、浮気などの多くの問題に隠れている心理を、わかりやすくご紹介するシリーズです。
共依存状態で、つらい状態にばかりなる関係性になるのは、私にも原因があるわけです。私自身が、問題ばかり作り出す困ったちゃん状態の人を作り出しているとも言えるわけです。
困ったちゃん製造を辞めるには、私の問題も解決しないといけません。もしくは、困ったちゃんばかりを好きにならないと言う手もあります。
意味があるとしたら?
昔々、カウンセリングを受け始めた頃に、私は言われました。
(今となっては、自分がカウンセリングでお伝えする側になっていますが)
「世の中には、問題のない人もいるんですよ?信じられます?」
「えーーーー!いるわけないじゃん!」
「私の周りには、問題のある奴しかいないぞっ!」
「今まで付き合った人は、全部問題があったぞ!」
浮気癖・借金・親との問題・暴言吐きまくり・嘘ばっかりつく・限りなく話しがデカイ!
それから…
問題をあげたらきりがないっ!
心理学では、おもしろい考え方をすることがあるのですが、「もしも、問題がある人ばかりを好きになると言う事に意味があるとしたら?」という考え方。
「へっ?」
「意味なんてあるわけないじゃん!」と思いますよね。
でも、もしも意味があるとしたら?と、考えるのです。
「浮気癖がある人を好きになる事に意味?」
「借金つくりまくる人を好きになる意味?」
「限りなく話しがデカく、その話にブンブン振り回される意味?」
そんな事する人を好きになる意味…
そういう人を好きになったら、おそらくそう簡単には幸せにはなれない。(ならなくてよい)
相手の問題解決に忙しくて、自分の問題を見なくて済む。
そんな人でも大切にしてあげる「私ってば偉い!」と思える。
ほうほう、意味はありそうだ。
ってそこに意味があるのだとしたら、私は自ら問題を抱える困ったちゃんを選んで好きになっていると言うのかっ!
あーービックリ
私は、わざわざ問題のある人を呼び寄せていたとも言える…
自分が選んで作り出していた?
アカウンタビリティの考え方
白状すると、私はカウンセリングを受け始めた昔々、「あのバカを何とか更生させて、全うな人間にしたい!」と思っていました。
つまり、私が苦しいのは、バカが困ったことばかりをしでかすからで、私は正しくて問題がないのだと思っていたのです。
失礼な話しですよね。
自分は正しくて、相手が間違っていると決めつけていたのです。
私には問題は全くなくて、相手にだけ問題があるという見方をしていました。
今思うと、本当に申し訳ない!
意味を見つけるというのと同じように、苦しい状態を改善していくために大切な考え方が他にもあります。
アカウンタビリティという考え方なのですが、一般的には、責任の概念ということになるかと思いますが、心の世界では、「起こっていることは、自分が選択した結果である」という考え方。
決して自分を責めるためにつかわないことが重要ですし、誰かを批判するためにも使わないことが重要です。
自分が選択した結果なのだとしたら、誰かが変わらなくても、自分が変わることで、状況を変えて行けるよねという考え方なのです。
だって、苦しいのは私なのです。
つらいのも私なのです。
感じているのは、私であって、それは私が選択した結果なのです。
だとしたら、私が自分で変えることができるとも言えるわけですね。
結局、投影。やっぱり投影。
自分の問題として向き合うこと
私と元パートナーである困ったちゃんとの、様々なエピソードをご紹介しつつ、浮気などの多くの問題に隠れている心理を、わかりやすくご紹介するシリーズです。
昔々のお話しですが、「バカを更生させよう!」と思って始めたカウンセリング。
本当に失礼な話しです。
でも、昔私がカウンセリングを受け始めて、蓋を開けてみたら、自分自身の問題てんこ盛り!状態で驚きました。
アカウンタビリティという物事の見方
確かに問題ばかり製造し続ける人にも問題があります。
本人も苦しいでしょうからね。
何も好き好んで、浮気を繰り返し「俺は女が好きなんじゃーー!!」と、叫んでいるわけではないでしょうし、借金してまで買い物をやめられないのも、本人もさぞかしつらかったであろうと思うのです。
デカすぎる話をしないと、やっていられないほど、自分の人生をちっぽけだと感じていたでしょうし、嘘だってつけばつくほど苦しかったと思います。
なーーんて、優しいことを言っていますが、当時はそんな心の余裕などもちろんありません。
でも、私が苦しいのは私が感じているのです。
私が悲しいのも私が感じているのです。
相手が変わってくれないと(全うな人間になってくれ!と思っていました・・・)私の苦しみが終わらないのだとしたら、私の人生、相手任せ!ということになります。
それは困りますよ。
相手が変わらない限り私は楽になれないのですから、私の人生が相手次第になってしまいます。
ですから、自分の人生、自分に取り戻そう!キャンペーンです!!
自分の人生を取り戻す方法
一旦相手のことを置いておく勇気
相手は、この際放置です。
どうせ浮気しても、私の事を放置するのですから、いいのです。
相手の事を理解するのは、とても大切なことなのですが、そればかりをしていると、自分の人生を自ら放置する事になります。
そりゃいかん!
でも、自分の問題に目を向けるのは誰だって嫌なものですから、「そうは言っても、アイツが悪いよね」と、誰かのせいにしたくなる気持ちが出てきますが、その都度「これは私の問題である」と引き戻していきます。
私が困ったちゃんばかりを、好きになる事に意味があるとしたら?
◆そういう人を好きになったら、おそらくそう簡単には幸せにはなれない(ならなくてよい)
◆相手の問題解決に忙しくて、自分の問題を見なくて済む
◆そんな人でも大切にしてあげる「私ってば偉い!」と思える
私が自分の人生を、自分に取り戻すには?
◆私は、幸せになって良いのだと自分を許す
◆自分が、抱えてきた問題に取り組む
◆何もしなくても私は、価値ある人間だと自分を認める
お気づきでしょうか?
私が自分の人生を、取り戻す方法は、困ったちゃんの課題でもあったのです!
つまり…
私は、ずっと困ったちゃんに怒っていましたが、自分の事を棚に上げて怒っていたわけです。
心理学を学んで、知らなきゃ良かったと言う事が、ひとつあります。
それは…【投影】
投影とは?
投影って?
自分の心の状態や思考パターン、過去に出会った人や状況を、人やモノに映し出すことです。
ものすごくややこしい表現方法になりますが、心理学の基本的な考え方です。
寂しい気持ちの時に、空に浮かぶ一つの雲を見たら「寂しそうだな」と思ったとしたら、それは自分の寂しい気持ちを、雲に投影したと言えます。
「私は嫌われる。そして捨てられるに違ない」という思考パターンを、お付き合いしている人に投影した結果、私のことが嫌いに見え、捨てられる怖れでいてもたってもいられなくなるなんてこともあります。
昔、学校の先生に叱られて怖い経験をしたことを、大人になった今、目の前にいる上司と自分という関係性に投影した結果、先生に怒られて怖かったように、上司のことが怖くなってしまうなんてことも起こります。
投影って事は、私がすべて作り出して鏡に映しているということです。
あーーやだやだ。
やっぱ私の問題じゃん!
私は、自分自身の中にある無価値観や罪悪感を、彼に投影して、彼の問題を一生懸命解決することで、自分自身は無価値観や罪悪感がないような気持になっていたのです。
「あなたは、困った人ね!」と言うことによって、自分自身の困った部分を隠しているわけですね。
だからこそ、自分の問題として取り組んでいくこと、アカウンタビリティを使った物事の見方をしていくことが大切になってくるのです。
まとめ
この経験を通して気づいたことは、私たちが抱える問題や悩みは、ただ単に外部の原因に起因するものではなく、自己の内面にも深く関わっているということです。私が選んでいたパートナーシップや人間関係が示すものは、私自身の心の状態や考え方を反映した投影であり、その課題に取り組むことで、自分自身をよりよく理解し、成長することができました。
自分の問題に向き合うことで、相手を変えようとするのではなく、自分自身を変える力があることを再認識しました。相手を変えることを求めるのではなく、自分の心の選択を見つめ直し、自己理解を深めることが、真の解決への第一歩であると感じています。
最後に、私が自分の人生を取り戻すためには、自己許容と自己承認が欠かせません。私は価値のある存在であり、幸せになって良いのだと自分を認め、過去の自分の痛みや課題に取り組むことが大切だと気づきました。困ったちゃんに対する怒りではなく、自分を変えることで、より健全な人生を送る力が得られることを、改めて実感しています。
ですので、私の人生における課題も、他の誰かの問題ではなく、私自身の選択の結果であるという事実を受け入れ、これからも前向きに取り組んでいきます。
この記事は、旧ブログに掲載していた内容を元に加筆修正したものです。内容を整理し新しいブログへ移行しました。