あの時知りたかった心理学シリーズ 第3回:恥ずかしさを超えて心を開く

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自分の感情を素直に表現することで新たな扉を開くイメージ

私と元パートナーとの困ったエピソードを通して、浮気などの問題に隠れた心理を探るシリーズです。

前回、家庭内別居生活を回避できたかもしれないという話をしましたが、その時、私が気づいたことがあります。それは、「感情を表現する」ということの難しさです。

例えば、「怒り」の下には「寂しさ」という感情が隠れているとわかっても、それを表現することができなかったのです。なぜなら、私は強がって生きてきたから。「寂しい」と言うのがとても恥ずかしかったんです。

「寂しい」と言える人が羨ましい。でも、私はそれができなかった。それが一因で、私はかなり損をしていたと感じます。

浮気旅行かよ!

例えば、生活費や子どものために我慢を重ね、贅沢を許さずに生活している一方で、旦那が浮気相手と豪華な旅行に行ったりしたら、どう思いますか?

実際に起こったことです。

旦那が「仕事で出張だ」と言って出かけ、私は心の中で「たまには旅行に行きたいな」と思いながらも、口には出せませんでした。でも、代わりに言ったのはこうです。

「あなたはいつも仕事ばかりで、私には全然かまってくれないのね!」

そして、出張中の旦那に送ったメールがこちら。

妻:「お仕事大変だね。今どこにいるの?」

旦那:「一日中働いてヘトヘト。今は○○から新幹線で移動中。」

でも、その場所は出張先として言われていた場所ではありませんでした。さらにその場所には、新幹線が走っていません。

妻:「○○?新幹線??」

返事はなし。

当時はLINEもSNSもなく、電話かメールが唯一の連絡手段。返信がないとイライラしたり、「電波の届かないところにいます」と言われると更にイライラが募りました。

その後、旦那が出張ではなく、浮気相手と豪華旅行に出かけていた証拠が次々と明らかになり、大喧嘩に発展しました。

恥ずかしさと心の距離

でも、その後、私は気づきました。私たち二人は本当の気持ちを言えなかったから、こうなったんだなと。

旦那は言いました。「お前は旅行に行きたいなんて言わなかったじゃないか!」

でも実際には、二人とも同じ気持ちで、旅行に行きたかった。でも、お互いにそれを恥ずかしさから言えなかった。

浮気相手はその「恥ずかしさ」を超えて、「あなたと旅行に行きたい」と言えたのでしょう。

心理学を学んで、気づきました。「人が変化するためには、恥ずかしさを乗り越えることが大切だ」と。

あの時、もし私が恥ずかしさを超えて「一緒に旅行に行きたい」と言えていたら、もしかしたら状況は変わっていたかもしれません。


恥ずかしさを超える方法

「なんだってするから幸せになりたい!」

こんなふうに思ったことはありませんか?私もずっとそう思っていました。「どんなに苦しい試練にも耐えてみせますから、幸せになる方法を教えて下さい!」と。

私は、幸せを手に入れるためには、石の上で座禅を組んだり、十字架を背負って山を登ったりするような苦行をしなければならないと思っていました。

でも、心理学を学び始めて、気づいたのです。実はその苦行よりも、もっと私がやりたくないことがあるということに…。

変化の最大の障害は「恥ずかしさ」

そのやりたくないこと、それは「恥ずかしさを超える」ことでした。

裸で横断歩道を渡るとか、人混みで大声で歌うというわけではありませんが、私にとっては、かなり恥ずかしいことだったのです。

私が経験した例を挙げますと

  • 「助けて!」
  • 「しんどい」
  • 「もう無理!」
  • 人に甘えること
  • 本心を伝えること

これがすべて恥ずかしいことでした。だから、長い間それらを言えず、結果として人生が苦しくなっていたことに気づいたのです。

逆に言うと、石の上で座禅を組む必要も、十字架を背負って山を登る必要もありませんでした。ただ、恥ずかしさを超えて、言えなかったことを言うだけでよかったのです。

私が「助けてほしい」と誰かに頼むことは、とても恥ずかしいことでした。「弱い人間に見られるんじゃないか」「しんどいと言ったら根性がないと思われる」と感じていました。

しかし、心理学を学んだことで気づきました。今までやってきた方法が通じなかったから、これからはやっていなかったことをやるしかないんだと。

最初は小さなお願いから始める

恥ずかしさを超えるには、その先に待っているご褒美を思い描くことが大切です。ご褒美がなければ、モチベーションが上がりません。私にとってのご褒美は、「楽で楽しい人生を生きること」でした。

そのためには、まずは小さなことから始めました。関係性が遠い人に、何気ないお願いをしてみたのです。

例えば、外食したときに、「Aランチをお願いします」と頼んだり、職場の人に「重い荷物を持って行くから一緒に来てくれる?」と頼んだり、ちょっとしたお願いから始めたのです。

そして、だんだんとその範囲を広げて、関係性の近い人に頼みごとをしていくようになりました。

勇気を持って挑戦した結果

最初はとても恥ずかしくて勇気がいりましたが、少しずつレベルを上げていくうちに、できることが増えていきました。「助けてほしい」と言えるようになり、人に甘えることができるようになり、本心を伝えることができるようになったのです。

座禅も十字架も火の輪も必要ありませんでした。唯一必要だったのは、恥ずかしさを超える勇気だけだったのです。

もし、私がもっと早くこの「恥ずかしさを超える技」を知っていたら、もっと楽に、もっと楽しい人生を歩めていたでしょうね。

このお話を通して、「恥ずかしさを超える」ことの重要性を伝えたかったです。もしあなたが今、何かを躊躇しているなら、それが「恥ずかしさ」であるかもしれません。しかし、その恥ずかしさを乗り越えた先に、きっと新しい世界が広がっているはずです。

この記事は、旧ブログに掲載していた内容を元に加筆修正したものです。内容を整理し新しいブログへ移行しました。

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