正しさにこだわると、なぜ幸せになれないのか?

正しさより幸せを選ぶ選択を示す画像 心理学の基礎
正しさにとらわれず、幸せを追求する人生を示唆するビジュアル

正しくあることは、幸せ!

とは限らない・・・

残念です。

まことに残念なのですが、特に人間関係においては、正しさと幸せというのは、なかなか難しい関係性になってしまいます。

もちろん、正しくあることと、幸せであるということが同時に叶う関係性もあるにはあるのですが、それはそこに居る人たちが全員同じ価値観であり、同じことに対して幸せと感じる人たちであるということが前提になります。

なんだかまわりくどくてややこしい感じですね。
すみません。

勝っても負けても

例えば、あなたはリビングのソファーの色は、赤色が正しいという価値観を持っているとします。
でもその反面、ピンク色が好きなのでピンク色のソファーだと幸せだと感じるとします。

一緒に暮らしているパートナーは、青色のソファーがリビングには正しいのだという価値観を持っている。
でもその反面、グリーンが好きなので、グリーンのソファーだと幸せだと感じるとします。

この二人が一緒に暮らしているとして、リビングは一つで置くことができるソファーも一つ。

最近は自分の好きなものを優先することができる人が増えてきましたが、それでも私たちは多くの場合、正しいことに多少なりともこだわってしまいます。
ですので、まず二人が対立するのは、赤色か青色かということ。

正しさの争いが始まります。
いかに自分の価値観が正しいかを主張します。
そしてどちらか一方が勝って、もう一方が負けるというのが争いや競争ですから、この場合もどちらかが勝利することになります。
例えば、あなたが勝利したとしましょうね。
そうすると、リビングのソファーは赤色が正しいということになり、負けた青色は間違っているとか、劣っているということになってしまいます。

勝った側は、一時的には自分の正しさが証明されたので、気分がいいかもしれませんが、しばらくすると、この正しさを死守しなくてはいけない気持ちになってきます。
守らないと、いつ何時青色が正しいと反撃されるかわからないと思うからです。

負けた側は、悔しいです。
自分が正しいと思ってきた青色が間違っているとか、劣っているということになってしまったわけですから、ものすごく悔しくなります。
そこで、「今に見ていろ!」と反撃する機会をうかがうようになります。

赤色側も青色側も戦々恐々とするわけです。
幸せじゃないですね。

二人の幸せを考える

問題はこれだけではありません。
正しいのはそれぞれ赤色、青色と思っているのですが、実は好きな色はそれぞれ別にあります。
ですから、買った赤色側のあなたも実は正しくはあるけれど、幸せではありません。
でも、赤色が正しいのだと戦った手前、今更「実はピンクが好きなんだよね」とは言いづらい。

そこで、赤色が正しいのだから、幸せなはずなのだと自分をだまして暮らすことになります。
おまけに、いつ何時青色側から攻撃されるかわからないので、落ち着いていられませんね。

負けちゃった青色側は、正しいと思っていた青色を否定されただけでなく、好きなグリーンでもないので、気分は最悪ですね。

さて、正しさで競争したり争ったりするのではなく、二人が幸せになるコミュニケーションが本当は必要なのです。

「いや、実は・・・私赤色が正しいソファーの色だと思っているのだけれど、本当はピンクが好きなのよね」

赤色が正しいと思っている人が、実はピンク色が好きと表明するのは、勇気が必要です。
間違ったことをしているような気がしますし、間違っているから批判されるのではないかとも思いますからね。

青色が正しいと思っている人も、「実は、青色が正しいソファーの色だと思っているのだけれど、本当はグリーンが好きなんだよね」と同じく告白する。

これがコミュケーションです。

で、お互いの正しさは横に置いておいて、お互いが好きな色が違うわけだけれど、どうすればお互いが幸せな気分になれるかを考えていく。

ソファーはピンクにするけれど、グリーンの小物をアクセントにするとか、植物を置くとか。
グリーンのソファーにするけれど、キッチンはピンクにするとか。
お互いが幸せになれるように、正しさにこだわらず二人にとっての幸せを考えて、二人で作り上げていけるのが理想ですね。

と、そのようなことができなかった私が言うのもなんですが・・・

なぜ私ができなかったかと言うと、正しさにこだわっていたからなんですよね。
「~すべき」「~であるべき」「普通は~でしょう」昔の私は、自分が何を好きなのか、何が幸せなのかもわかっていませんでしたから、ひたすら正しくあることにこだわっていました。

だからいつも正しさを主張して、そして勝利していたわけです。
その結果、相手は連敗するわけです。
勝負している二人が一緒に居ても、幸せじゃないですよね。

まして、自分にとっての幸せや、相手の幸せのことなんて考えるという発想がなかった。

だから初めて、「正しくても幸せになれない」という言葉を聞いた時、ものすごくビックリしましたよ。
ほんとビックリ!!

で、自分自身も自分の正しさを優先するあまり、好きとか幸せなどという不確かなものは切り捨ててきましたから、そりゃ幸せじゃないですね。

自分が切り捨てているので、相手に好きとか幸せというものが存在するなんてことも考えもしません。

だから、常に正しさの戦いをしていたわけですね。

いや別に、ソファーの色で戦っていたわけではないですよ。
ソファーの色はあくまでも例え話であって、「何があっても仕事は休まず、出勤するのが正しいことである」であったり、「悪いことをしちゃったら、相手が許してくれるまで何年かかっても謝り続けるのが正しいことである」とか、「休みの日は、家族で過ごすのが正しいことである」とかね。
そりゃたくさんの正しさにこだわりました。

でも、どれもこれも法律で決まっているわけではないですよね?

正しさよりも大切なものは?

そりゃ出勤することは、悪いことではないですし、悪いことをしたら謝罪することは必要でしょうし、休日を家族で過ごすことがあってもいいと思うのですが、人それぞれ価値観が違いますし、人間ですからやれるときと、やれないときがあるものですからね。

なんてことを、一切考えなかったので、正しさにこだわり続けて幸せではなくなってしまったんですけどね。

自分にとっていくら正しいことであっても、人の価値観はそれぞれであること、やろうと思ってもできないことがあること、人には好みがあることは、知っておく必要はあるのかもしれませんね。

特に親しい人間関係においては、正しさにこだわりすぎると、勝者と敗者が出来上がってしまいますので、関係性を壊してしまうことになります。

実は正しさにこだわってしまうのは、「自分は間違っているのではないか・・・」という怖れがあるからなんですよね。
他にも、昔々に誰かに対して「あなたは間違っている!」と批判してしまった人がいて、その人のようにならないために、自分が正しくあることに固執していることもあります。
また、自信がない分だけ、正しさで武装するなんてこともあります。

こだわるには、こだわる理由があるのですが、正しさにこだわるよりも大切なものをなくしてしまわないように、本当のコミュニケーションをやっていけるといいですね。

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