「頼れる人がほしい」って、よく聞く話です。
恋バナでも人生相談でも、最後には「やっぱり安心できる人じゃないとね〜」って落ち着いたりする。
その気持ち、わかります。
強くて、ブレなくて、なんだかんだ言っても最後は守ってくれるような人。
……って、いや、それ本当にどこにいるんでしょう?
正直、「そんな人、どこに売ってますか?」って思ったことがある人も、きっと少なくないはず(笑)。
しかも、そういう人に限ってすでに誰かのパートナーだったり、「頼れる」けど「柔軟性ゼロ」だったりして、話が思ってたのと違う方向に行くパターンもありがちです。
気がつけば、「誰かに守ってほしい」気持ちと、「でも自分でなんとかしなきゃ」のはざまで、ひとり綱引き状態になっている。
今回はそんなあなたに向けて──
「なぜ“守ってくれる人”を求めるのか?」というテーマを、ちょっと笑いながら、でも深く、現実的にひもといていきたいと思います。
「私は立派じゃないから、誰かに守ってもらわないと」──自己価値の低さが生む“依存型の安心欲求”
「私なんて大したことないし…」
「こんな私を好きでいてくれる人がいたら奇跡」
「自分ひとりじゃ、たぶん生きていけない」
そう思っていた時期、ありませんか?
もしくは、そういう気持ちをどこかで抱えたまま、大人になった人もいるかもしれません。
自己価値が低く感じられているとき、人は安心を「自分の外」に置きたくなるものです。
「私がしっかりしなくても、誰かが面倒を見てくれる」
「この人が隣にいてくれたら、私は大丈夫」
そんなふうに、“安心のカギ”を自分ではなく他人に渡してしまう。
これは、ある意味とても自然な防衛反応。
だって、自分のことを信じきれないなら、誰かに助けてもらうしかないですもん。
たとえば──
仕事でミスが続いて、上司にも詰められて、 「自分なんていない方がマシなんじゃ…」と落ち込んでいたとき。
そんなときに、ちょっと頼りがいがあって、 「おまえはがんばってるよ」と言ってくれる人が現れると——
「あ、この人がいれば、私はなんとかなるかもしれない」
って、一気に救われた気持ちになることがあります。
その瞬間から、心の中でこう思っていたりするんです。
「お願いだから、私のことを見捨てないで」って。
この感覚、優しさや愛情に見えるかもしれませんが、 実はけっこう“相手に自分の命綱を預けている状態”でもあります。
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「私が頼れるのは、相当強い人じゃないと無理」──がんばってきた自立タイプの盲点
頼れる人がほしい。
——でも、誰でもいいわけじゃない。
むしろちょっとやそっとの人じゃ、私のことなんて受け止められないでしょ?と思ってしまう。
こういう思いを抱えやすいのは、実は「しっかり者」としてがんばってきた人たちです。
たとえば——
- 子どもの頃から「お姉ちゃんなんだから」で育ってきた
- 周囲が頼りにならなかったので、自分がなんとかするしかなかった
- しんどいときに「あなたなら大丈夫でしょ」と言われてしまってきた
そうやって“がんばるのがデフォルト”になっていると、 「ちょっと頼ってみようかな」じゃなくて、
「もう無理。これは私ひとりじゃ対処不能」
というレベルに到達しないと、そもそも“頼る”という選択肢が出てこない。
でもそのとき、頼れる相手のハードルは異様に高くなってる。
「半端な人には任せられない」
「むしろ私が面倒みる羽目になる」
「相手が弱音吐いたら、こっちが介護モードに入っちゃう」
結果、自分よりもっと強くて、絶対に崩れない人じゃないと頼れないという、超ハードモードな相手探しが始まるんです(笑)。
このタイプが苦しむのは、「強さの中に、素直になれる余白がない」こと。
本当は、誰かに「しんどい」って言ってもいいし、
「助けてほしい」って口にしたっていい。
でも、ずっとひとりでがんばってきた分、 頼る=負け・依存・面倒をかけるという公式が、無意識にできていたりする。
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「父の背中」が教えてくれた“守られる”という感覚の原型
人は誰しも、最初に「守ってくれる存在」として出会うのは親です。
そのなかでも「父親」は、特に“安心を外側から与える存在”として、 無意識のうちに「頼れる人=父親像」と重なることが多いと言われています。
ただし、守ってくれる存在の原型が必ずしも父親であるとは限りません。
たとえば、家庭によっては——
- 年の離れた兄が、父親代わりのように頼れる存在だったり
- 父の影が薄く、代わりに祖父が精神的な支えだったり
- おじ、いとこ、学校の先生など、身近な「安心を与えてくれた大人の男性」がベースになることもあります
大切なのは、その人と過ごした時間のなかで「守られている」と感じられたかどうか。 実際の行動や距離感よりも、“感覚として残っている記憶”が、後の恋愛観や信頼のスタイルに大きく影響していきます。
守られた記憶がある人は、安心感のあるパートナーを自然に求めるようになります。 逆に、守られた感覚がなかった人ほど、大人になってから「今度こそ守ってくれる人を…」と強く望む傾向が出ることも。
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守ってくれる人を探す旅の果てに──安心できる“自分”という居場所
ここまで見てきたように、「守ってくれる人がほしい」という気持ちの背景には、満たされなかった感情や、過去の“安心できなかった体験”が眠っていることがあります。
でも、ちょっと想像してみてください。
- 自分よりもしっかりしてて
- 感情もブレず、器がでかくて
- いつでも私を受け止めてくれて
- 弱さも見せず、でも優しくて
- おまけに経済力もあって、共感力も高くて、料理もうまい
……それ、もはや架空求人の条件です。 “未経験OK/高収入/やりがいあり/残業なし”レベルでよく見かけるけど、実在するかは誰も知らない(笑)。
この「理想の人を探し続ける旅」は、 実は途中で、ある種の迷子になっていることがあります。
それは、“安心させてくれる人”を探しているようで、 本当は「安心できる自分」を探している、ということ。
たとえば──
- 朝から嫌なLINEが来て落ち込んだ日、「よし、今日は帰りにプリン買って帰ろ」と思える
- 自分の選択に自信が持てなくなったとき、過去のがんばった自分に「なかなかやるやん」とツッコめる
- 誰かに否定されたとき、「まあでも私は私だし」と心の中でドアをそっと閉められる
……これ、見た目は地味ですが、実はかなり高度な内的スキルです。
誰かがいなくても、「私が私の味方でいられる」こと。 それが、自立と安心のちょうど真ん中にある感覚かもしれません。
「守ってくれる人がいなかった」あの頃の私を、どうしたら癒せるのか
ここまで読み進めて、「あ、これ昔の自分だ…」と思い当たる場面があった人もいるかもしれません。
特に、頼りたいときに誰にも頼れなかった過去や、守ってもらいたかったのに、置いていかれた記憶があると、 大人になってもその感覚だけが、心のどこかに残り続けていたりします。
それは、ちょっとやそっとじゃ忘れられないし、前向きな言葉や自己啓発で上書きできるようなものでもありません。
「しんどいよ」「誰か、わかってよ」 そう言いたかったのに、言えなかったあの頃。
ちゃんと傷ついていたことに気づいていないまま、“気づかないふり”でやってきた人も、少なくないと思います。
それが、いわゆる「抑圧」というやつです。
傷ついたままでは進めないから、いったん“冷凍保存”しておいた。
でも、そのまま保存期間が10年、20年と延びていくうちに、 「感じる力」そのものが眠ってしまった——そんな状態。
だから、過去の感情を“感じ直す”ことには、当然、抵抗も痛みもあります。
「いまさら掘り起こしてどうすんの?」って思う人もいるかもしれません。
正直、面倒くさいですし、ちょっと泣きたくなったりもします。
でもね、ちゃんと泣けるって、実はすごいことなんです。
傷ついていたことを認めて、 「そりゃ頼れる人を求めたくもなるわ」と、 あの頃の自分に言ってあげられること。
それが、癒しの第一歩です。
でも、ひとりで全部向き合うのはしんどい。
だから、信頼できる人に話してみるのもひとつの方法です。
親友でも、パートナーでも、カウンセラーでもいい。
「あの頃、私、誰にも頼れなかったんだよね」
そんなふうに、少し声に出してみるだけでも、 ずっと凍っていた気持ちが、少しずつ動き出すことがあります。
感情は、感じることだけが“正解”ではありません。
誰かと分かち合ったときにも、ちゃんと癒されるんです。
だからこそ、 「守ってくれる人を探すこと」に疲れてしまったときは、 まずは、自分がずっと守りたかった“あの頃の自分”に、 そっと「ごめんね」「ありがとう」を届けてあげるところから。
そして、ここからは、 自分自身を安心させるチームメイトとしての“私”との関係を、 少しずつ育てていけばいいんです。
すると不思議なことに——
“頼れる相手に求めるスペック”が、微妙に変化してきます。
たとえば以前は、 「私が壊れても、ひとりでなんとかしてくれるくらい頼れる人がいい!」 なんて思っていたのに、気づいたら
「ちゃんと体調崩すタイプでもいい」
「お互い愚痴をこぼせる関係って最高かも」
なんて考えていたりして。
頼ることが“丸投げ”じゃなくなって、 「一緒に支え合えるパートナーがいいな」と思えるようになってくる。
つまり、 「この人がいないと私はダメ」じゃなくて、 「この人といると、私は“私らしく”いられる」という感覚。
理想の相手像も、 “フル装備の安心パック付き超人”から、 “お互いちょっとダメなところもあるけど、なんかちょうどいい”にシフトしていくんです。
自分との関係が変わると、 恋愛の選び方や、誰に惹かれるかも、ちゃんと変わっていく。
だから、守ってくれる人を求めたあの頃の自分も責めなくていいし、 これからも頼っていいし、甘えても大丈夫。
大事なのは、 「全部あなたにお願いね♡」じゃなくて、 「時々そっちに寄りかかってもいいかな?」くらいの距離感。
そのくらいが、きっといちばん長持ちします。
おわりに|「守ってくれる人」を求めた私へ
「誰かに守ってほしい」と思っていたあの頃。
それは、弱さじゃなくて、当時の私なりの生きる工夫だったのかもしれません。
誰かに頼りたくて、でも頼れなくて。
甘えたいけど、甘えるってどうするのかわからなくて。
それでもがんばって、“ちゃんとした私”で生き抜いてきた。
そんな自分を思い出すとき、 「ああ、そりゃ頼れる人がほしかったよね」と、 少し笑いながら、ちょっとだけ泣きたくなるかもしれません。
でもだからこそ、 今このタイミングで、自分との安心な関係をつくり直していけたらいい。
最初からうまくできなくても大丈夫。
たまにグラついたって、ちょっと引っ張られたって、 「まぁ、それも私か」って言えるようになったとき——
人との関係にも、ちゃんと“安心”がにじんできます。
頼るって、甘えるって、 “全部任せること”じゃないんです。
信頼できるからこそ、少し委ねてみようかな、って思えること。
だから、これからは、 「誰かに守ってもらう」ことも、 「自分で自分を守る」ことも、 どっちも選べる私でいていいのです。
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