“いまさら始めるのが恥ずかしい病”──挑戦の手前で止まる心の正体

ノートに“タイトル候補”だけが書かれている、始めたいけど一歩が出ない様子 オススメ記事

何かを始めたい気持ちはある。
でも、なぜか心のどこかでつぶやいてしまう——

「いや、今さらでしょ…?」

まわりの目? 年齢? そもそも続くのか?
そんな不安や恥ずかしさが、まるで“サイドブレーキ”のように、しっかり心にブレーキをかけてくる。
しかも最近の車と違って、そのブレーキ、めちゃくちゃ“アナログ式”で重たい。

若い頃なら、失敗しても「若気の至り」で片づいた。
でも今は、年齢を重ねているぶん、「ちゃんとしてる人」として見られたい気持ちもある。
だからこそ、「始めたい」気持ちと「今さら感」のせめぎ合いで、心は見えない綱引き状態。

でも、“今さら”って、ほんとうに悪者なんでしょうか?
まわりがそう思っているような気がするだけで、自分自身はどう思っているんだろう?
——「やってみたい」という気持ちがあるなら、それだけで十分な理由かもしれません。

この記事では、「今さら始めるのが恥ずかしい病」の正体を、心理学の視点から、ちょっと笑いながら一緒に見ていこうと思います。

——もしかしたら、“今さら”こそ、いちばんかっこいいタイミングかもしれません。

「やってみたい気持ちはあるのに、“今さら感”がしつこい件」

なにかを始めたいとき、頭の中ではもうイメージができてるんです。

たとえば——

「英語、やっぱり話せるようになりたいな」とか、
「そろそろ運動しないとマズいかも」とか、
「昔から文章書くの、好きだったんだよな」とか。

でも、いざやろうとすると……
なぜか出てくる、“心の中の声”。

「いやいや、もう○○歳だよ?今さら…」
「それ、今から始める人って、逆に痛くない?」
「どうせ3日坊主で終わるって、みんな思ってるよ…?」

……はい、しつこいですよね。
この“今さら感”、なかなか手強い。


言い訳モンスターは、心の「保身担当」

この「今さら」ってやつ、よく観察してみると、
実は、あなたの「やりたい気持ち」を否定しているわけじゃないんです。

むしろ、「やめといたほうが安全だよ〜」って、
過去の失敗や、人目や、恥ずかしさから守ろうとしてる“保身担当”。

つまり、「やりたいこと」を止めることで、
「できなかったときの恥」や「続かなかった自分へのガッカリ感」から、
あなたを守ろうとしてるんですね。

……ちょっと優しさ、空回りしてるけど。


“ちゃんとしてる人”の看板、下ろせますか?

年齢を重ねると、無意識のうちに「ちゃんとしてる私」を演じてしまいがちです。

周りの目もあるし、キャリアもそれなりにある。
子どもも大きくなってきて、「ちゃんとした母」でもありたい。
あるいは、「自立してる大人の女性」として見られたい。

でも、その“ちゃんとしてる人”の看板が、
なにかを始めるときに、自分の首を締めてしまうこともあるんです。

たとえば、

「今さら料理教室?でも料理上手と思われてるし…」
「ピアノ始めたいけど、“文化系”じゃないって思われてるし…」
「SNSで発信してみたいけど、“ちゃんとしてる人がこんなこと?”って思われそう…」

こういうとき、心の中で起きているのは、

「始める=今までの自分像を崩すこと」

なんですよね。


“始めること”が“恥ずかしいこと”になってしまう理由

そもそも、なぜ「始めること=恥ずかしいこと」になってしまうのでしょうか?

それは、

「できない私」をさらすことになるから。

最初からうまくできるわけないって、頭ではわかってる。
でも、それを人に見られるのが、なんとも気まずい。

子どもなら「初めてできた!」が拍手されるのに、
大人になると「できない」って、なんか恥ずかしい。
しかもSNSやリアルな人間関係で、誰に見られてるかわからない。

だから私たちは、「始めたい気持ち」よりも、「恥ずかしさ回避」が勝っちゃうんです。


でも、大事なので2回目、言っておきます。

「今さら」は、本当に悪者ですか?

確かに、ちょっと恥ずかしいかもしれない。
最初はぎこちないかもしれない。
でも、“今さら”始めたその一歩こそが、
「今のあなた」だからこそ持ってる魅力の種かもしれません。

だって、若いときに始めたかったことを、
今になってもう一度「やってみようかな」って思えてること自体、すごくないですか?

あなたの中に、まだ消えてない“好き”や“興味”の火種が、
ちゃんと残ってるってことですから。

その“今さら感”、どこから来てる?

たとえばの話。

街中でジョギングしてる人を見て、
「わー、健康意識高いなぁ」と思うかもしれません。
でも同じように、自分が走ってる姿を想像すると……

「え、急にどうしたの?」
「ダイエット始めたんかな?」
「見た目気にしだした?(ニヤニヤ)」

そんなふうに“言われそう”な気がして、やめておく。

……いや、誰も言ってないんです。
言われてもないし、見られてもない。
むしろ誰もあなたのこと、そこまで見てない(失礼)。

でも、脳内ヤジ飛ばし部隊って、いるんですよね。
外にはいないのに、内側でめちゃくちゃ元気に活動してる。


「今さら感」の正体は、”外野の声”の先取り

私たちが「今さら始めるの恥ずかしいな…」と思うとき、
実はそれ、他人の目を先回りして想像してる状態なんです。

心理学的にはこれ、「投影」や「予期不安」と言われるもの。
つまり——

  • 昔バカにされた記憶
  • 失敗を笑われた経験
  • あるいは、ただなんとなく怖い“世間の目”

こうした“過去の感覚”をもとに、
「未来に、また同じことが起きるかも」と予測して、
まだ起きてないことにブレーキを踏んでしまう。

言い換えると、
「あのときの痛みを、もう味わいたくない」ってこと。

これって、むしろ「心がちゃんと学習してる」証拠なんです。
“自分を守るしくみ”が、ちゃんと働いてるとも言える。

……でもちょっと、過保護すぎる(笑)。


それ、誰に見せる「かっこよさ」?

40代50代になってくると、
人生経験も増えて、ある程度“ちゃんとしてる人”として見られることも多くなります。
仕事でも家庭でも、人からの信頼を得て、
「わたしなりにやってきた」という自負もある。

でもその分、
「ここでヘタなことして、変に思われたらどうしよう」
というブレーキも強くなる。

いざ「なにか始めたい」と思っても、
“できない自分”を見せることに抵抗がある。

でも、それって結局、
「他人からどう見られるか」の“かっこよさ”を守ってるだけだったりします。

ほんとうに守りたい“かっこよさ”って——
「自分が自分に飽きてないこと」なんじゃないかと思うんです。

  • 失敗しても「やってみたい」が勝った私、かっこいい
  • 怖かったけど動いた私、いいじゃん
  • やる前から笑われることを恐れなかった私、悪くない

それって、他人にはわかんないけど、
自分だけが知ってる“かっこよさ”です。


「今さら」じゃなくて、「今から」だからこそ

年齢を重ねたからこそ、
はじめの一歩を踏み出すのに“勇気”がいるのは当たり前。

若いころは勢いでやれてたことも、
今はちゃんと「どうしようかな」って考える。
それってむしろ、大人の証拠。

「恥ずかしさ」や「周りの目」に立ち止まるのも、
それだけ“ちゃんと人生を歩いてきた人”だからこそなんです。

でも、だからこそ、やってみたときのカッコよさって、深い。

だって、恥ずかしさもわかる。
失敗の痛みも知ってる。
でもそれでも、「やりたい」と思った。
それが、今のあなたにしかできない“はじまり方”なんです。


やってみたい気持ちが、動き出すコツ

さて、「今さら…」の壁が見えてきたところで。
ここからは、その壁を“よじのぼるヒント”を探していきましょう。

大丈夫。ロッククライミング用の本格装備は不要です。
必要なのは、“自分との付き合い方”をちょっと変えること。


1. 小さすぎて笑えるくらいの一歩でOK

「始める」と聞くと、
なぜか私たちは壮大な計画を立てがちです。

・毎朝5時起きで英語シャドーイング30分
・毎週2回、ジムで筋トレと有酸素運動
・今月中にnoteで10本記事投稿

…うん、なんかもう見るだけで疲れる(笑)

しかも、こういう人に限って、
3日目に寝坊して、すべてを無に還すんです。
(経験者は語る)

だからおすすめしたいのは、
「なにそれ?」って思うくらい小さい一歩

たとえば——
・英語アプリをスマホに入れるだけ
・スニーカーを出しておく
・ノートの表紙に「タイトル候補」とだけ書く
・“その道の人”のSNSを1つフォローする

え、それ始めたって言える?くらいでちょうどいい。
「行動のハードル」を1ミリまで下げるのがコツです。


2. 未来の自分に期待しすぎない

「よし、私ならできる!やってみせる!」
…と気合いを入れたくなる気持ちも、わかります。すごく。

でも、40代50代の私たちは、
すでに痛いほど知ってるんですよね。
未来の自分、わりと裏切るってこと。

・明日こそ早起き → 寝坊
・休みにあれこれ片づけよう → ダラダラYouTube
・おやつ抜こう → なぜか冷蔵庫にプリンがある

……うん、そんな自分も愛しい(笑)

だから、未来の自分に過剰な期待をしないのも、ひとつの戦略
大事なのは、「やる気が続いたらいいな」じゃなくて、
「続かなくても戻ってこられる仕組み」を作ること。

たとえば、こんな感じです:

・手帳じゃなくて、付箋に書く
→ 「あれ?昨日のやつ、どこいった?」って失くすこともあるけど、
 “また新しいの貼ればOK”という無限ループ方式です。

・“3日やって1日休み”ルールを最初から作っておく
→ 「あれ?今日って休みの日だっけ?」って毎日確認する羽目になるけど、
 “ちょっとゆるいぐらいがちょうどいい”を体感できます。

・成果を記録するより、「やったことだけ」メモして褒める
→ 「今日も10分歩いた!えらい!」「ラジオ体操の第1までで終了、でもやった!」
 もう、自分しか褒めてくれないなら、自分で盛大に褒め倒す。

気合いより、「戻ってこられる道しるべ」を。


3. “やりたい”の奥にある、ほんとの気持ちを拾う

さて、最後にもうひとつ。
やりたい気持ちがあるのに動けないときって、
本当に止まってるのは、やる気じゃないことも多いんです。

たとえば——

  • 「本当は誰にも知られずに、こっそり始めたい」
  • 「“できなかったらダメな人”って思われるのが怖い」
  • 「うまくできてしまったときの自分が想像できない」

つまり、“やりたい”の奥には、“怖さ”や“迷い”が一緒にいるんですよね。

でも、それはあなたが誠実に人生を歩いてきた証でもある。

適当に始めて適当に投げ出すのが嫌だから、
ちゃんと向き合おうとして、止まってしまってる。
……なんて、まじめなんだ、私たち。

だからこそ、声をかけたいんです。

「今からが、似合う私でいこう」って。

今さらなんて、ほんとは誰も言ってない。
言ってるのは、自分の中の“完璧主義者”か、
過去に何か言ってきた“他人の残像”です。

そろそろ、「私が思う“私らしさ”」を更新するタイミングかもしれません。


✦ 今からが、いちばんかっこいい私かもしれない

誰かに見せるためじゃなく、
SNSで映えるためでもなく、
ただ、「やってみたいな」と思ったその気持ちを、信じてみる

  • 恥ずかしくても
  • 周りが笑っても
  • 続かなくても

それでも、一歩だけ進んだ自分は、
今の年齢だからこそできる“かっこいい選択”だったと思えるはず。

そしてその一歩は、
「ちゃんとしてる大人」から、
「ちゃんと楽しめる大人」へ変わる、はじまりの一歩かもしれません。

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