「女性性を開きましょう」
……なんて言われると、ちょっとムズムズしませんか?
「はい、今すぐ柔らかくなります!」って、そんな簡単にいくなら苦労しない。
もしかすると、あなたがモヤモヤしてしまうのは、
あなたの中に、“ちゃんと感じ取る力”があるからかもしれません。
本当の女性性は、「可愛くいること」や「受け身になること」じゃない。
命を受け取り、育み、しなやかに生きていく——
そんな、静かで力強い感度のこと。
しかもそれ、女性にだけあるわけじゃない。
(正直、男性の中にもめちゃくちゃいい感じに根付いてたりします。)
セクシャリティ=命の感度だとお伝えした前回の記事を読んでくれた方は、
きっと、ここから先の話にも共感してもらえるはず。
今回は、
「女性性って聞くとザワつく理由」
「本当はどんな力なのか」
「誰の中にもあるものだということ」
そんなことを、肩の力を抜きながら一緒に見つめ直していきます。
なぜ「女性性」という言葉に反応してしまうのか?
「女性性を開きましょう」
そう言われたとき、なんだかムズムズする。
素直に「はい!」って言えない自分に、ちょっと後ろめたさを感じる。
でもそれ、
あなたが感度が低いからでも、心がねじれているからでもありません。
むしろ——
あなたの命の感度が、ちゃんと違和感を覚えているからなんです。
ここでは、その理由を、もう少し具体的に見ていきましょう。
「女性性=こうあるべき」が押しつけられるから
- ふわっと優しく
- 何があっても受け入れて
- 柔らかく微笑んで、無条件に受け取って…
そんな“理想の女神像”みたいなものを、無言で求められると、
命の感度はザワザワして当然です。
たとえば:
疲れて帰宅して、ソファに沈んでるときに、
「もっとやわらかい笑顔を意識して」って言われたら——
……いや、こっちは電池残量ゼロですけど?ってなりませんか。(笑)
(参考:女性性って、なんだか扱いにくい〜“戦闘モード”から抜け出したいあなたへ〜)
「今の自分ではダメ」と感じさせられるから
- もっと女性性を開きましょう
- もっと受け取り上手になりましょう
- もっと、もっと、もっと…
こんなふうに「もっと」ばかり押し寄せてくると、
今の自分じゃダメなのかな?と無意識に思わされてしまいます。
たとえば:
会社で「もっと積極的に!」と何度も言われ、
がんばって意見を出したら「空気読め」と怒られる、あの矛盾。(笑)
押しつけられると、人は固くなる
心理的な自然現象として、
強制されると、人は自分を守ろうとして固くなります。
- 「はい、今すぐ受け取りましょう!」
- 「もっと女性らしく!」
そんなプレッシャーを受けたら、
「いや、むしろ壁作りますけど?」ってなりますよね。(笑)
たとえば:
飲み会で「もっと飲め!もっと飲め!」と煽られたとき、
逆に一滴も飲みたくなくなる、あの現象。
「開かないと不合格」みたいな空気を感じるから
「女性性を開きましょう」には、どこか、
開けたら合格、開けなければ失格みたいな空気が漂うことがあります。
たとえば:
ヨガクラスで、隣の人が神々しく「開いてる」感じを醸し出していて、
「私、今日ぜんぜん開いてない…」と自己嫌悪に陥る現象。(笑)
「女性性を求められる場面で、役割を演じる苦しさ」
恋愛、家庭、職場……
「らしさ」が求められる場面は、意外と日常にあふれています。
- 恋愛では「可愛くいなきゃ」
- 家庭では「受け入れる母でいなきゃ」
- 職場では「場を和ませる女性らしさ」
でも本当は、
そんな役割を演じるよりも、
もっと自然な自分でいたいと思うのが、命の声です。
「女性性=幸せの鍵」という幻想への戸惑い
「女性性さえ開けば、人生も恋愛もうまくいくよ!」
——そんな甘い言葉に、ちょっと心が揺れたことはありませんか?
でも実際には、
「女性性が開いたからといって、すべてがバラ色になる」なんて、
そんな単純な話じゃないことを、私たちはどこかで知っています。
いろんなことを「がんばって変えよう」として、
「もっとこうしなきゃ」「まだ足りない」と思い続けて、
気づいたら、少し疲れてしまった自分。
そんな記憶があるからこそ、
「また頑張らなきゃいけないの?」という慎重な気持ちが湧いてくるのかもしれません。
だから、あなたのザワつきは「正しい感度」です
あなたが感じた違和感は、
命の感度がちゃんと働いている証です。
押しつけられた“らしさ”に飲み込まれるのを、
命が本能的に拒否しただけ。
それは、あなたが鈍いからでも、欠けているからでもない。
感じる力を、ちゃんと持っているからこその反応。
だから、ザワついた自分に、どうかそっと微笑んであげてくださいね。
本当の女性性は、もっと豊かでたくましい
「女性性」と聞くと、
なんとなく“ふわふわしている”“可愛らしく微笑んでいる”みたいなイメージが浮かびます。
でも、実際の女性性って、
そんな表面的なものではないんです。
本当の女性性は、もっと豊かで、もっとたくましい。
女性性が持っている力って?
たとえば、こんな力です。
- 感受性:小さな変化に気づける優しいアンテナ
- 共感する力:誰かの悲しみにそっと寄り添うぬくもり
- 育む力:何かを時間をかけて育てようとするあたたかさ
- 受け取る力:人からの優しさや愛情を、そのまま受け取れる素直さ
- 直感:言葉にならないものを、ちゃんと感じ取れる智慧
- 自己受容:うまくいかない自分も、まぁいいかと抱きしめられる力
- じわじわと続ける持久力:目立たないけれど、諦めずに育み続けるたくましさ
つまり、女性性って、
「やさしいだけじゃない」
「甘えるだけじゃない」
「受け身なだけでもない」
生きることそのものを、
味わい、支え、育んでいく——
そんな静かで力強い命の力なんです。
(関連記事:感じるって、生きるのに必要?〜“女性性”がうまく出せない理由と、その癒し方〜)
たとえば、こんな場面にも
- 何度も失敗しながら、諦めずに夢を追いかけるとき
- 誰かの弱さを、急がず、待ちながら見守るとき
- 自分の落ち込んだ気持ちを、ジャッジせずにそっと受け止めるとき
ふわふわしてなくても、笑ってなくても、
そこにはちゃんと、命の感度=女性性が息づいています。
(ちなみに、朝の通勤ラッシュを毎日乗り越えているのも、
地味に「持久力」という名の女性性かもしれません。誰も褒めてくれないけど。)
すでに持っているのに「ない」と感じてしまう理由
なのに、「ない」「足りない」と感じてしまう背景には、
実はエレクトラコンプレックス(母親との関係から生じる女性性への葛藤)や、
無価値観(生まれながらに十分じゃないと思わされる感覚)が関係していることもあります。
そして、エレクトラコンプレックスには、
「女性である自分に、どこか無力感を感じてしまう」
という側面も含まれます。
- 「どうせ女だからうまくいかない」
- 「女の私には、最初から無理なんだ」
そんなあきらめの感覚が心の奥にあると、
どれだけ内側に豊かな命の力を持っていても、
「きっと足りない」「私はまだダメ」と思いやすくなってしまうんです。
女性性という言葉に「気持ち悪さ」を感じることもある
中には、
「女性性」という言葉を聞いただけで、
なんだか気持ち悪い、ザワザワする、拒絶反応が出るという人もいます。
それは、あなたが冷たくなったからでも、
心が閉じたからでもありません。
むしろ、
女性性に触れる=自分のセクシャリティに触れることに、
無意識に反応している場合がとても多いのです。
(関連記事:“女として見られる”ことに抵抗がある理由——心の奥の小さな戸惑い)
セクシャリティと気持ち悪さのつながり
セクシャリティ——
それは本来、生きる力、命のエネルギーそのもの。
でも私たちは、
どこかで、
「性的なものは恥ずかしい」「危ないもの」と刷り込まれたり、
セクシャルな自分を「見せてはいけない」と感じて育ったりしてきました。
だから、
自分の中にある命の震え、セクシャルな感度にふれたとき、
それを「気持ち悪い」「こんな自分ダメだ」と感じてしまうことがある。
でも、それは防衛反応だったんです。
大切なものを、
自分自身を、守ろうとした証。
だから、もし今、女性性に触れてザワついたり、
セクシャリティに怖さや拒絶感を覚えたとしても、
それはあなたが壊れているからではない。
むしろ、
生きようとした証拠なんです。
だからこそ、今日ここで思い出したいこと
たとえ、うまくできていなくても。
たとえ、ふわっと可愛く微笑めなくても。
たとえ、セクシャルな自分を「まだこわい」と感じていたとしても。
生きているだけで、
感じているだけで、
育もうとしているだけで——
もう女性性は、ちゃんとあなたの中で息をしている。
女性性は、女性だけにあるものじゃない
ここまで読んできて、
もしかするとこんなふうに思った人もいるかもしれません。
「女性性って、結局、女の人の話でしょう?」
たしかに「女性性」という言葉には、
どうしても「女性だけのもの」というイメージがつきまといます。
でも本当は、
女性性は、性別に関係なく、すべての人の中にあるものなんです。
女性性は、命を生きるすべての人に宿っている
- 男性にも
- ノンバイナリーの人にも
- トランスジェンダーの人にも
- そして、性別に違和感を持っている人にも
誰のなかにも、
感受性、共感、受容、育む力、内側の感度は存在しています。
それは、
「女らしくなろう」と頑張る話ではなく、
自分の中の命の感度を、大切にするかどうか
そんな、もっと自由で、もっと根っこのところにある感覚なんです。
そして同じように、
行動する力、決断する力、外へ向かうエネルギー——
つまり男性性も、
性別に関係なく、誰の中にも自然に備わっています。
私たちの中には、
女性性も男性性もあって、
その両方をバランスよく育てながら、生きているのです。
たとえば、こんな瞬間にも
- 誰かの涙を、黙って受け止めるとき
- 自分の小さな失敗を、責めずに許せたとき
- 大事なものを、急がず、じっくり育てようとするとき
こういう瞬間に、
ふわっと、命の感度=女性性は顔を出します。
性別も、見た目も、年齢も関係ない。
それは、生きていることそのものから生まれる、自然な働きです。
(関連記事:かわいいは敵なのか?〜その正体と、私たちの停戦協定について〜)
ちなみに、疲れた夜に「もうラーメンでよくない?」と提案できるのも、
豊かな女性性を発揮している立派な例です。
女性性を受け取るとは、「らしくなる」ことじゃない
「女性性を開こう」というとき、
「もっと女らしくなろう」「もっと受け身になろう」と思ってしまう人もいるかもしれません。
でも本当は、
誰かに合わせるために変わることじゃない。
- 無理に優しくなることでも
- 我慢して受け取ることでも
- 理想の女性像に近づくことでもなく、
もっと自然に、
もっとありのままに、
命の感度に耳を澄ませて生きること
それが、女性性を受け取るということなんです。
(関連記事:“女性性ってどう出すの?”に本気で答えてみる〜ゆるめる勇気と受け取る練習〜)
だから、今日できること
頑張って“開こう”としなくてもいい。
- 疲れたら、ちょっと休む
- 悲しかったら、ちゃんと泣く
- 嬉しかったら、素直に笑う
そんなふうに、
今感じているものに、正直でいること。
それが、
あなたの中に静かに流れている女性性を、
少しずつ、自然に育てていくのだと思います。
まとめ:命の感度を取り戻すということ
「女性性を開きましょう」
そんな言葉にザワザワしたり、モヤモヤしたり、気持ち悪いと感じるのは、
あなたが感度が鈍いからでも、心がねじれているからでもありません。
むしろ、
「女性性=こうあるべき」という無言の押しつけに、
ちゃんと命の感度が反応している証かもしれません。
本当の女性性は、
誰かに可愛がられるためのものでも、
誰かの期待に応えるためのものでもない。
泥だらけでも、
涙まみれでも、
ぐったりしながらでも、
今日を生きているその命の感度そのもの。
そして、
その感度は、女性だけのものではありません。
男性の中にも、
性別にとらわれない誰の中にも、
感受性も、受容力も、育む力も、
ふわっと、しっかり、ちゃんと息づいています。
(関連記事:セクシャリティって何?〜いやらしさじゃなく、“命の感度”って知ってました?〜)
私たちの中には、
女性性も男性性もあって、
その両方をバランスよく育てながら、生きている。
うまくできない日も、
揺れ動く日も、
セクシャルな自分にちょっと戸惑う日も——
それでも、
あなたの命は、ちゃんと、今日もここにある。
(ちなみに、疲れた夜にラーメンで満たされる感度も、命の感度の一つです。…大事なことなので2回目。)
だから、
「もっと女性らしくなろう」なんて、がんばらなくていい。
疲れたら休み、
泣きたければ泣き、
嬉しければ思いきり笑う。
そんなふうに、
今この瞬間を生きているだけで、
あなたの女性性は、
静かに、たしかに育っているのだから。
だから、今日、そっとこう言ってあげましょう。
「足りないんじゃない。最初から、命そのものだった。」