お付き合いを始めるときや、結婚するときなど、関係性をスタートさせるときは、もちろん相手の良い部分や、相性の良い部分を見ているわけです。お互いがより良い存在であると感じているからこそ、付き合いが始まりますし、結婚に至るのです。
そうでなければ、お付き合いが始まることはありませんし、ましてや結婚することもないですよね。
そして、相手の嫌な部分や、相性の悪い部分が見えてくると、最初に感じた良い部分や相性の良さよりも、嫌な部分や相性の悪さが目立ってきます。結果として、お別れや離婚が現実のものとなることが多いのです。
付き合い初めとその後の変化
残念ながら、こうなってくると、付き合い始めた頃に「何でもきちんとしていて、計画的なところが素晴らしい」と思っていた部分が、次第に「まるで重箱の隅をつつくようなねちっこさ」として現れ、相手の失言を狙うような会話に変わっていきます。
最初は、相手が「きちんとしている」ことを素晴らしい「計画性」と捉えていたのですが、好意的に見ていた目が変わると、その同じ部分が「ねちっこい」「悪意のある策略」と見えるようになるのです。
好意的か非好意的か
相手を見る目が好意的であるか非好意的であるかによって、相手の性格や行動をどのように捉えるかが変わります。良い部分はより良く見え、悪い部分はますます悪く見えるのです。だから、恋愛初期や新婚の頃は、「なんて素晴らしい人なのだろう」と思いながら過ごし、関係が悪化してお別れするときには、「どうしてこんな人のことを好きになってしまったのだろう…」と思うことになります。
このように、見る側の心の状態によって、相手の性格や行動が長所に見えたり、短所に見えたりするのです。
愛として使うか、武器として使うか
さて、ここでお話ししたいのは、自分が持っている性格や特性を、どのような目的で使うかによってもその使われ方が大きく変わるということです。
例えば、先ほど触れた「きちんとしている」という几帳面な性格。この性格を、大好きな人に喜んでもらうために使うとしたら、すべての記念日を覚えて、いつも何かしらのプレゼントをすることに活用できます。また、大好きな人が喜ぶように、几帳面さを使って部屋を清潔に保つことも可能です。
幾帳面さが攻撃に変わるとき
ところが、色々と事情があって相手のことを好意的に見られなくなったとき、ただその「きちんとしている」という性格を相手を喜ばせることに使わなくなるだけならまだ良いのですが、時にはその性格を相手を攻撃するために使ってしまうこともあります。
例えば、几帳面さを活かして、相手のミスや不出来を探し出して指摘したり、計画的だった部分をわざと相手を不快にさせて、失言を引き出し上げ足を取ったりすることもあるのです。
好意的な時と非好意的な時の使い方
人間ですから、好意を抱いている相手を喜ばせたいと思うのは当然のことです。そのために、自分が持っている性格や特性を使うのも自然なことです。愛の一形態として、相手に喜ばれたい、幸せになってほしいという思いから特性を活用するのです。
しかし、別れが近づいてくると、その特性を相手を攻撃するための武器として使う人が現れます。このような場合、相手が特性を攻撃に使う姿勢を見せると、別れを告げる際には、まるで武器を振り回しているかのように感じることもあります。そういう相手には、あまり関わらずに、早めに距離を取ったほうが良いかもしれません。
別れ方で見える本質
別れ方には、その人の本質がよく見えるものです。「私たちは残念だけれど価値観が合わないね」とお互いに傷つけ合うことなく別れられる場合もあれば、相手が持っている素晴らしい特性や性格を武器として使うことで関係が壊れることもあります。
ときには、「いっそ武器として使ってくれたほうが嫌いになれるから、ありがたい」と考える人もいますが、武器として使うことで相手との関係が完全に破綻してしまうことがあります。
罪悪感と無価値観の影響
ちなみに、別れ際に自分の性格や特性を攻撃的に使ってしまうタイプの人には、罪悪感が強いタイプや無価値観が強いタイプが多いです。罪悪感が強いタイプは、「最低!」「最悪!」と思われるようなひどいことをしてしまうことがあり、無価値観が強いタイプは別れ際に必死で引き止めようとすることが多いです。
私は、過去に罪悪感と無価値観を強く持っていた時期があり、その影響で別れ際は非常にぐちゃぐちゃで汚いものでした。罪悪感と無価値観のダブルパンチが原因で、感情が乱れてしまったのです。