誰に何を言われたのか
自分以外の人から、「あなた、気が強いよね」とか「あなた、やさしいよね」なんて言われると、それがどんなことであったとしても、何だかちょっと違和感があることがある。
「あなたお目が高いですね!!」と小躍りしてしまうくらい嬉しくなることもあるけれど、「あなたに何がわかるというのだっ!!」と、イラッとしてしまうこともあるかもしれない。
相手に対して自分がどのように思っているのか?の影響も大きいですし、言われたことを、自分自身がどのように感じているかも大きい。
例えば、憧れている人から言われる「あなた、しっかりしているよね」というのは嬉しかったりするが、そうでもない人から言われる「あなた、しっかりしているよね」というのは、同じ言葉を言われていても、感じ方は違ってくる。
また、「しっかりしている」という言葉に対して、「しっかりしている=お堅い」というネガティブなイメージを持っている場合と、「しっかりしている=素晴らしいこと」というポジティブなイメージを持っている場合でも、感じ方は違ってくる。
で、実はそれだけではないよというのが、本日のお話し。
自分で自分のことをどう思っている?
憧れの人から言われようが、そうでもない人から言われようが、その言葉に対してネガティブなイメージであろうが、ポジティブなイメージであろうが、自分で自分のことをどう思っているか?によって、感じ方がコロッと変わってしまうのですよ。
あらっ!ビックリですね。
憧れてもいない、そうでもない人から、「あなた、しっかりしているよね」と言われた、しっかりしているということ自体を、ネガティブに捉えている人の場合で解説します。
言われたその人が、自分で自分のことを、「私ってダメなやつだよね」と思っている場合、「あなた、しっかりしているよね」という言葉に対して、「私のこと何もわかっていないくせに、嫌なコト言うな~」とか、「あなたに、そんなこと言われたくないよ!」とか、「嫌なこと言われた・・・」と落ち込んだりなんてするかもしれません。
言われたその人が、自分で自分のことを、「私ってなかなかいい奴だよね」と思っている場合、「ああ・・・あの人は人を見る目がないのだな」とか、「私にあんなこと言うなんて、あの人は、私に興味を持ってもらいたいのかな?」とか、「そんな風に思う人も世の中にはいるんだな」と、全く言われたことを気にしないなんてことになるかもしれません。
前者も後者も、言葉を発した人に対して、良いイメージは持っていないという点と、「しっっかりしている」という言葉に対するイメージがネガティブなものであることに違いはありません。
違うのは、自分で自分のことをどう思っているのか?という点だけです。
自分で自分のことをどう思っているのか?
自分で自分を肯定することができていると、誰に何を言われようが、どのような状況になろうとも、嫌な気分になることがないということで、自己肯定感というのは、重要ですよというのが、いわゆる自己肯定感大事!というお話しなのですね。
そうはいっても自己肯定感を上げるってむずかしい
ところが、「自己肯定感とやらは、とても大事らしいので、自己肯定感を上げようではないかっ!!」と、取り組もうとしても、そもそも自己肯定感が低いわけですから、「こんな私が自分を肯定するなんて・・・」「他の人なら許されるようなことでも、この私が許されるわけがない・・・」「自分をほめるって、私などほめるところなど何もない・・・」となってしまうことが圧倒的に多いわけです。
そうやって自己肯定感をあげようとして、そのことに失敗して、さらに「私ってば、やっぱり何をやってもダメなのよ・・・」と、さらに自己肯定感を下げてしまうという悪循環にどっぷりハマってしまうこともあるかも?です。
で、おすすめの方法が、誰かに感謝してもらったり、喜んでもらったりしましょうよということ。
簡単なところでは、誰かをほめること。
ほめるなんて、上から目線で嫌だなと思ってしまう人の場合は、誰かに感謝しましょう。
「ん?感謝してもらうのに、感謝する?」
そう思いましたね?
そうなのです。
感謝されると人は嬉しいものです。
「いや・・・感謝されるほどたいしたことはしておりません」
「通りすがりのものです・・・」(笑)と名乗らないタイプの人であったとしても、「ありがとう」と言われると、人は嬉しいものです。
そうすると、「ありがとうと言ってくれてありがとう!」みたいな感じで、「ありがとう」という感謝が返ってくるわけです。
スパルタな考え方
これと同じ方式で、喜んでもらうには、喜ばせるということが大切。
「いやいや・・・・そもそも自分が誰かを喜ばせるなんて、できるわけないから自己肯定感が低いわけですよ」という強者もいらっしゃるかと思いますが、このように考えてみてはどうでしょうか?
「自分が誰かを喜ばせることなんてできない」ということを使って、誰のことも喜ばせないという道を選んできた。
おおっ!!
なんというスパルタな考え方でしょう。
「自分が電話なんてしても、親は喜ばないはずだ」そう思うから、田舎の両親に電話していなかったりしませんか?
しかも、「親は喜ばない」という前提条件を崩したくないので、万が一電話せざるを得ない状況になったとしても、何としても親が喜ばないように、ぶっきらぼうに話したり、憎まれ口をたたいたりしていませんか?
あっ!もちろんこれ恋愛や、友人関係でも同じですからね。
今すぐそのような態度を改めて、田舎のご両親に電話してあげると、喜んでくれたりするものです。
まっ、相手も恥ずかしいので、素直には喜ばないかもしれませんが、「なんだどうした?金にでも困っているのか?」なんて照れ隠しで言ってくるかもしれませんが、まんざらでもないのが伝わってくるはずです。
あなたの存在を喜んでくれる人は、誰ですか?
田舎の両親?
昔の友達?
何年も会っていないおじいちゃんや、おばあちゃん?
「自分が誰かを喜ばせることなんてできない」という思いは、一旦横において、誰かを喜ばせてみましょう。
誰かが喜んでくれる、その姿を見て、聞いて、感じて、自分というものを肯定することができるようになるのです。
そのためには、まずは誰かを喜ばせることにチャレンジですよね。
ということをお伝えするとたいがい、「いやそれって、自分を犠牲にするってことじゃないんですか?」と、強者にツッコまれるのですが、こういうのは犠牲とは言わないんですよね。
だってそもそも、私たちは誰かの喜びになりたい生き物ですからね。
しかも、大嫌いないけ好かない人を喜ばせましょうということではないですからね。
そりゃ、大嫌いなお局様や、上司や、隣のおじさんを喜ばせようなんて思うと、かなり犠牲的な気分になりますが、そうではないですからね。
あなたの存在を喜んでくれる人、つまりあなたが本当は心の底で大好きだと思っている人を喜ばせましょうねということですから、犠牲にはならないんですよね。
誰に何と言われようが、いつも良い気分でいるには、自分で自分のことを肯定できているかどうかが重要なのです。
ということで、やっぱり自己肯定感は大事!ですね。