推し活してるときが一番“素直な私”かもしれない説

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推し活をしているときは、自然と心がひらいていた。

恋愛になると、急にうまく振る舞えなくなったり、
なんでもない言葉にムッとしてしまったり。
頭では「素直になりたい」と思っていても、どうも難しい。

でもその一方で、推し活をしているときは、
「かわいい!」「尊い!」が自然に口から出てくるし、
ライブ前は美容院に行って、ネイルも整えて、
鏡の前で「今日の私、ちょっといいかも」なんて思えたりもする。

この違いって、なんなんだろうと思いませんか?

恋愛でも“好き”な気持ちはあるのに、推し活のときほど素直になれない。
もしかすると、推し活をしているときの自分って、
いちばん“素直な私”が顔を出しているのかもしれません。

そんな視点から、「推し活と恋愛のちがい」や「素直さ」について、考えてみたいと思います。

推しを前にすると、“素直な私”が顔を出す

ライブ会場の最寄駅に降りると、どこかそわそわした空気が漂っている。
周囲の人たちも、少しだけ特別なメイクや服装で、気持ちが高まっているのが伝わってくる。

自然と気持ちがふわっと浮いて、ちょっとだけ背筋も伸びる。
「今日こそはちゃんと目が合いますように」なんて、根拠のない願いごとも、なぜか本気で思ってしまう。

推しを前にした瞬間、頭ではなく、心が先に動く。
「かわいい」「好き」「最高…」
あふれる気持ちを、そのまま口に出してもいい空間。
ここでは、変に構える必要も、距離を測る必要もない。

誰にどう思われるかなんて気にせず、ただ“好き”を感じられる。
それって、すごくシンプルで、すごく素直な状態なんじゃないでしょうか。

仕事の場では、感情よりも判断力や段取りが優先されるし、
人付き合いの中では、気をつかうことも多い。
でも、推しの前では、まっすぐな感情がそのまま表に出てくるような気がしますよね。

その時間だけは、自分の中の“素直な私”がのびのびと呼吸しているような気がしませんか?

恋愛になると、なぜか戦闘モード

それなのに、恋愛になると空気がガラッと変わる人も多いのかもしれませんね。

LINEの返事が少し遅れるだけで、そわそわしたり、
何気ないひと言にムッとしたり、ちょっと落ち込んだり。

「好き」って伝えるはずだったのに、
気づけば頭の中では“作戦会議”が始まっていたりしませんか?

どう返したら重くならないか。
ここで素直になったら、ナメられるかも?
ちょっと距離を置いたほうがいいんじゃないか?
そんなふうに、気づかないうちに防御態勢に入ってしまうことってあると思います。

そのうち、自分の中の“素直でやわらかい私”は、どこかにひっこんでしまったりして。

恋愛では、自分も“見られている”感覚がありますよね。
その緊張感が、心をかたくしてしまうのかもしれません。

本当はうれしいのに、それをそのまま出すのがこわくなる。
喜んだら負け、みたいな謎の心理戦に入ってしまうこともあるのかもしれません。

推しの前では、あんなに自然にあふれていた“感情を感じる力”が、
恋愛になると、なかなかうまく動いてくれなかったりするのです。

👉“頼ったら負け”と思ってしまう私へ〜甘えることが怖い理由と、その先にあるつながり〜
(※素直になることにブレーキがかかる心理が気になる方はこちら)

推し活と恋愛は、なにが違う?

どちらも「好き」という気持ちがあるのに、
なぜか心の動き方がまったく違ってくると思いませんか?

推し活をしているときは、
「かわいい」「最高」「好きすぎる!」
そんな気持ちが自然にあふれてくる。

言葉にしても、表情に出しても、誰に遠慮することもなくて。
受け取った喜びをそのまま返せる、そんな安心感があるんじゃないでしょうか。
そこには変な計算も、探り合いもいらない。

感情が動いたら、それに素直に反応する。
ただそれだけのことなのに、恋愛になると、どうしてあんなに難しくなるんでしょう。

恋愛では、気持ちを出すたびに「この言い方で大丈夫かな」と考えてしまったり、
相手の反応を気にして、ちょっとずつ慎重になったりすることが増えてきます。

推し活のときは、相手に気持ちを届けたとしても、残念ながら何かが変わるわけではない。
だからこそ、好きな気持ちをのびのび表現できるのかもしれません。

でも恋愛は、関係性そのものが動いていくものだから、
自分の気持ちが相手にどう届くのか、つい気にしてしまったりする。

「どう思われるかな」が気になって、
感情のままに動くのがこわくなるときもあるのではないでしょうか。

推し活では自由だった「好き」の出し方が、
恋愛では少しずつ変わっていくのです。
それはきっと、相手との関係の中で“自分がどう見られるか”が気になってくるから。

感情が出せなくなるというより、
感情の“出し方”がぎこちなくなってしまう。
右手と右足を同時に前に出し、次に左手と左足を前に出して歩くくらいにぎこちない。

👉やさしくされると、なぜかイラッとする〜自立女性の“心の防衛スイッチ”の正体〜
(※素直さがうまく出せない時の“内なる戦闘スイッチ”について)

恋愛は“自分との関係”でもある

恋愛で感じる不安って、相手との関係だけじゃなくて、
自分との関係の中から出てくることも多いものです。

たとえば、ちょっとそっけない言い方をされたとき、
「嫌われたかも」「もう興味なくなったのかな」とすぐに思ってしまう。
その奥には、「自分は好かれる存在じゃないかもしれない」
という感覚があるのかもしれません。

推しに対しては、そんなふうに思わないですよね。
更新がなくても「忙しいのかな」で済ませられるし、
ちょっとテンションが低めでも「今日はそういう日か」で流せる。

でも恋愛になると、「もしかして私が何かした?」と不安になってしまったりします。

好きな人の反応を通して、自分の価値を測ってしまう。
そういうことって、案外よくあるものです。

恋愛って、相手との関係を通して、
自分が自分をどう扱っているかが映し出される時間でもあるのかもしれません。

「素直になれない」っていうよりも、
「素直になりたいのに、自信が持てなくて出てこない」感覚に近いのかもしれないですよね。

👉 女性としての自信が持てない——その感覚の“根っこ”をたどってみる
(※「好かれる自信がない」感覚がどこから来るのか、深掘りしたい方はこちら)

恋愛が怖いのは、“自分を推せない”からかもしれない

推しには「存在してくれてありがとう」と思えるのに、
自分にはなかなかそうは思えない。

推しには「かわいい」「尊い」と自然に言えるのに、
自分に対しては、スルーか、ついダメ出し。
「もっとちゃんとしなきゃ」「まだまだだな」
そんな言葉を、自分にだけは平気で浴びせてしまったりしますよね。

よし、じゃあ自分を推してみようと思って、
鏡の前で「私って今日もいい感じ」と言ってみたけど、
心のどこかが「いやいや、無理あるでしょ」とささやいてくる。
SNSにポジティブな言葉をのせても、画面を閉じたあとはなんとなく虚しくなったりする。

そんなふうに、がんばって自分を盛り上げようとするときほど、
うまくいかなくて空回りしてしまうこと、ありますよね。

だからこそ、自分ひとりでなんとかしようとしないほうがいいのかもしれません。

「自分を推す」のが難しいときは、
「自分を推してくれる人」と関わるところから始めてみるのもいいと思いませんか?

そんな人いないよ、と思っても、
案外、家族や友人、昔からの知り合いの中にいたりするかもしれません。

「私のどこがいいと思う?」なんて聞くのは少し照れくさいけれど、
相手の目に映っている“私”を聞いてみると、
自分が気づいていなかった部分に光が当たることもあるような気がします。

最初はピンとこなくても、
誰かが教えてくれた“推しポイント”を少しずつ受け取っていく中で、
「そっか、そう見てくれてるんだな」と思える瞬間が増えていくのかもしれません。

恋愛に必要なのは、完璧な自己肯定感じゃなくて、
「それなりに悪くないかも」と思える自分との付き合い方なのかもしれないですよね。

おわりに

推し活をしているときの自分って、思った以上に“素直”だなと感じる。

恋愛の場面では出しづらくなっていた感情や言葉が、
推しを前にすると、なんの制限もなく自然に出てくる。
そのときの自分は、ちゃんと“いい顔”になっているものです。

だからもし、恋愛でうまくいかないことがあっても、
「自分には素直さが足りない」と責める必要はないのかもしれません。

むしろ、すでに“素直な私”はちゃんと内側にいる。
ただ、恋愛になると少しだけ緊張して、出てこられなくなっているだけなのかもしれないですよね。

推し活のときのように、好きなものにまっすぐで、うれしいときにうれしいと感じられる感覚。
それを少しずつ、自分との関係や誰かとの関係にも広げていけたら、
恋愛って、もう少しこわくなくなるのかもしれませんよ。

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